In a Gondola に見る戀愛の虚構
“In a Gondola”翻訳には難儀した。ゴンドラは水都Venice特有の長細い漕ぎ舟、5行目には Venice' streets とあり、ならばベネチアを歌う詩なのに、違うものが混ざっているのだ。
Agnese が聖アグネスならば、ローマの人。美貌ゆえに異教徒の権力者に言い寄られ、断ったら全裸で歩かされ、神意により髪が伸びて裸身を覆ったという。
Grey Zanobi が聖ゼノビウスならば、フィレンツェの人。親の決めた婚姻を断り出家し、死せる子供を復活させる奇跡を顕したという。ボッティチェリによる想像図が遺る。
Pucci Palace はおそらくフィレンツェのプッチ宮Palazzo Pucci。とある当主が謀反を企て、その窓から吊り下げ処刑されたという。
ヴェネツィアどこ行った?ゴンドラ漕いで何を見た?
詩の後半は
Over the Giudecca piled;
とヴェネツィア最大の運河に戻りながら、いよいよ奇妙にも
Window just with window mating,
Door on door exactly waiting,
All's the set face of a child:
But behind it, where's a trace
Of the staidness and reserve,
And formal lines without a curve,
In the same child's playing-face?
という。押韻で遊んでいるのは解るが、何を言いたいのやら?しばらく放り出してネットサーフしていたら、壁に描かれたトロンプ・ルイユ(だまし絵)の描写らしいと気付いた。
しかし、それはケチで知られるジェノバの名物であり(フィレンツェにもあるらしい)、本物を求めて贅沢するヴェネツィアの産物ではない。恋の逃避行に必死な2人に必須の会話でもない。何のためにこんなものが?
何かがおかしいと感じてWorld Wide Web を渉猟し、John Woolfoad とDaniel Karlin による註釈書を購入して、やっと事情が解った。事情は解ったが、それで翻訳上の疑問が解消されはしなかった。この詩が今まで全訳されなかったのも、その難解さにあるのだろう。
Love is best .を喧伝した厨川白村は、『三たび戀愛に就て』にブローニングを引いていう。(以下引用)
三四
「死のごとく強し」と人は言ふ。しかも戀は更に強くして、死をも蹂躙し突破する。戀する人はしばしば「死」を恐れない。
「死」を恐れないと私が言ふのは、単に情死なぞのみを指すのではない。ブラウニングの傑作「ゴンドラの舟中に」を見よ。
青春の熱情に燃ゆる志士は、いま人目をしのぶ女との最後の逢瀬をゴンドラの舟中に身を託す。互に語り互に歌ふふたりの歓楽には、死のかげに刹那を惜む者の悲壮がある。男を刺すベく今三人の敵が待っているのだ。
漕ぎ行く水路の両岸には寺院や宮殿が聳へて、眼前に人生の虚偽空疎のすがたを見せているが、戀に生きる舟中の人には生の充實がある。やがて男は女を抱いて岸に上らしめると、忽ちにして敵の為に刺される。彼はなほーたび最後のキスを女に求めて死す。その臨終の言葉
It was ordained to be so, Sweet! --and best
Comes now, beneath thine eyes, upon thy breast,
StilI kiss me! Care not for the cowards!
Care Only to put aside thy beauteous hair My blood wilI hurt!
The Three, I do not scorn
StiII kiss me! Care not for the cowards! Care
To death, because they never Iived : but I
Have Iived indeed, and so─(yetone more kiss)─
can die!
-R. Browning,“In a Gondola."
(大意)かくあるべきは定めなり、戀人よ、─
至上の時は今来たれり、君の目の下に君が胸の上に。
なほ我にキスを、弱輩を意とせず
君の美しき髪が、わが血に汚れざるやう心せよ。
三人の者どもさげすむにも足らず。かれらは生きたるにはあらざりき。
しかもわれは生きぬ。さればこそ死するを得。〈さらばいまーたびのキスを〉。
戀愛の三昧境に於いて人は「死」の恐れに煩はされない。Timormortis non conturbabant.それは眞に生きたからである。(引用これまで)
開化期の熱情に溢れた言い分、しかし誤訳、勘違いが入っていると疑わざるを得ない。引かれた一節は詩の結びで、この直前まで女の台詞が入る。それが終わると一行
He is surprised, and stabbed.
とト書きが入り、この結びに至る。翻訳機にかけると、surprisedを「驚かされた」と訳してくれるのだが、そうではない。この一語は「不意打ちに遭った」ことを意味する。
男は上陸して正面から敵に刺されたのではなく、船中にあって「不意を打たれた」つまり後ろから刺された訳である。誰に?その情婦に決まっている。何が「青春の熱情」か、情死そのものではないか。
また、この結末についてはメロドラマ、特にイタリア・オペラからの影響が指摘されている(Woolfoad & Karlin)。そもそもベネチアのゴンドラに仇が乗り合わせる筋立てからして、アロイジウス・ベルトラン『夜のガスパール』からの借用に過ぎない(W & K)。
と直ぐ指摘が入れば良かったのに、これを挑発と受け止めた論争相手の漢学者たちは、自分で訳そうとは露ほども思わなかったらしく、互いに言いっ放しで終わっている。摘み食いに終わらせず全訳していれば、勘違いを改める機会もあったろうに、関東大震災に倒れた厨川博士にその機会はなかった。
この詩は女が歌う2節が有名で、そこだけ独立して流布されてもいる。
She sings.
I
The moth's kiss, first!
Kiss me as if you made believe
You were not sure, this eve,
How my face, your flower, had pursed
Its petals up; so, here and there
You brush it, till I grow aware
Who wants me, and wide ope I burst..
II
The bee's kiss, now!
Kiss me as if you entered gay
My heart at some noonday,
A bud that dares not disallow
The claim, so all is rendered up,
And passively its shattered cup
Over your head to sleep I bow.
甘美ゆえに欧米でもこの2節を“In a Gondola”と思っている人が少なくない程で、野口米次郎もここを抄訳した。
一
初手は蛾の接吻…
わたしの顔はおまえの花よ、
夕宵どうして花瓣しめたと、
知らぬ顔して接吻してよ。
これでお前は撫で廻はし、
わしはお前の御用を知つて
ぱつと心を開けまする。
二
さてその次は蜂の接吻…
眞晝浮かれて、わが胸へ、
いざ入らしやんせ、接吻してよ。
否む氣はない私は蕾、
お心任せにしますぞへ、
破れし盃うつむけて、
お前のおつむに眠るぞへ。
…昭和5年の訳にしても懐古調な気もするけれど、ここまで自在な作り変えには恐れ入ってしまう。小生にはとても同じ真似は出来ない。
ただ、解説を付けて「柔和な接吻と暴っぽい接吻を蛾と蜂になぞらへた所がブラウニング得意の著想である」とは蛇足であった。蜂と蛾はWoolfoadとKarlinの註釈によると、シェリー「ねむり草 The Sensitive Plant」から借りたイメージである。
But the bee and the beamlike ephemeris
Whose path is the lightning’s, and soft moths that kiss
The sweet lips of the flowers, and harm not, did she
Make her attendant angels be.
肝腎のところが借り物なのか?他にも借り物があるのか?こうなっては読者も気になるだろう。その通り、本作は構想からして詩人のものではない。
第1節は、友人の John Forster から Daniel Maclise(ディケンズの小説に挿絵を描いた画家)の絵について、展覧会目録に載せる寄せ書きを依頼されたものが発端である(W & K)。ブローニング自身の述懐では
"The first stanza was written, to illustrate Maclise's picture, for which he was anxious to get some line or two. I had not seen it, but from Forster's description, gave it to him in his room impromptu . . . . When I did see it I thought the serenade too jolly, somewhat, for the notion I got from Forster, and I took up the subject in my own way."
という。そのマクリースの絵“The Selenade”は男が1人リュートを弾き歌うところで、舟も恋人もなく、それどころかブローニングは絵を見もせず、友人から話だけ聞いて即興で書いたらしい。それが実物を見て何か違うと感じ、自分のやり方で主題に取り組んだのだが
‘—but I could do nothing better than this wooden ware (All the “properties,” as we say, were given—and the problem was how to cataloguize them in rhyme and unreason)— [quotes the lines, which have no significant variants] Singing and stars and night and Venice streets in depths of shade and space and face and joyous heart are “properties,” do you please to see. And now tell me, is this below the average of Catalogue original poetry?’
とも書いている。元の絵にある歌に加えて、星・夜・陰影深いベネチアの水路・宙・顔・嫉妬心を“properties” とし、展覧会目録に相応しい詩に仕上げたのが本作という訳だ。おそらくその目録にあった絵が、詩の後半に歌われている。それを見れたら、もう少しマシな翻訳ができた筈だが…
詩人は1838年にベネチアを訪れたから、その時の印象があった筈だが、それより住んでいたフィレンツェの事物が多いのはご愛嬌か。当時は別の国なのに、イギリス人は気にしなかったのか。
元来、ベネチアは交易で栄えた都市国家であり、また軍備を調えアドリア海を制圧し、結束して敵と戦う共和国で、周囲の都市とは喰らい合う仲だった。モンテヴェルディやヴィヴァルディが活躍できたのも、当時のヨーロッパ有数の経済力あってこそ。
作詩当時は、ハプスブルク家配下にあったとはいえ、なおロンバルディア=ヴェネト王国の一部、他の地域とは折り合いが悪い。ブローニングはベネチアを気に入り晩年に住んだが、大航海時代からこの方、大西洋貿易などから取り残された都市は衰退していたのである。
イタリア・オペラと言えばマリア・カラスの歌ったヴェルディ作品群がまず思い浮かぶ。しかしヴェルディ最初のヒット作『ナブッコ』が1842年スカラ座初演だから、まだブローニングは存在を知るまい。
後に詩人が「ガルッピのトッカータ」(『男と女』所収)に歌ったバルダッサーレ・ガルッピ(Baldassare Galuppi, 1706年10月18日 - 1785年1月3日)はヴェネツィアに住み、オペラも書いたそうだからぴったりなのだけど、そんな音源は小生持っていないので、カラスさんがタイトル・ロールを歌うドニゼッティ『ランメルモールのルチア』をかけてみるところである。詩人はどんなソプラノで、この曲を聞いたのだろうか?