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翻訳ノート  作者: 萩原 學
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“My Last Duchess”に見るフェッラーラ公妃ルクレツィア・ボルジア、ダ・ヴィンチ『モナ・リザ』の影(書き直し)

資産家であったブローニングは、プッチーニ『ラ・ボエーム』描くところの貧困生活とは無縁で、恋女房 Elizabeth Barrett を連れてイタリアに過ごすなど、贅沢に暮らした。それゆえにか、見聞したであろう芸術の多くが、その詩を彩るというのに、この点は従来あまり関心を惹かなかったようである。

“My Last Duchess”は副題に“FERRARA”とある。これを野口米二郎訳(昭和5年)では副題を無視して後書きに「彼の名はフェララ公とあるが実際の名前ではあるまい」とし、富士川義之訳(2005年)では副題を「フェラーラ」とした上で訳注に「フェラーラの貴族」とのみ。

いや、どう見てもドニゼッティのオペラ『ルクレツィア・ボルジア』タイトルロールのことに違いあるまいと、古典音楽愛好者として抗議したいところだが、実は原作者ヴィクトル・ユーゴーが難癖を付けたため別名にされたり、またベルカント・オペラ全般の凋落があってから、モンセラート・カバリエの当たり役となるまではあまり知られなかったものらしい。しかし1839年ロンドン初演のこのオペラを、詩人が見逃したとも思えないのに、Wikipedia でも Historical background として Lucrezia de' Medici の名を挙げるに止まるのは納得行かない。


詩は次の2行に始まる。


That's my last Duchess painted on the wall,

Looking as if she were alive. I call


“painted on the wall” を、野口訳・富士川訳とも「壁に掛かっている」とするのがまた面白くないところで、これは文字通り壁に描かれたフレスコ画である。フレスコ画の特性を考慮することにより、この詩はより強烈な印象を残すものとなっているのに、看過されるのは残念でならない。何故フレスコかというと、続いて


That piece a wonder, now: Frà Pandolf's hands

Worked busily a day, and there she stands.


「1日がかりで働いた」というのが、1日で絵を仕上げたことを指すからである。塗り立て新鮮(fresco)な漆喰に水彩で描くフレスコ画は、漆喰が乾くと強固な被膜を形成するため、千年経っても色褪せない。その代わり漆喰を塗ったその日のうちに仕上げねばならない。大作だと、何日にも分けて描いたという。

Frà は Brother に当たるイタリア語を縮めた言い方で、修道士を指す。但し Frà Pandolf なる画僧は知られておらず、フィレンツェの修道士 Fra' Angelico かボッティチェリの師 Fra Lippo Lippi の捩りだろう。後に詩人が Men and Women に描いたフィリッポ・リッピは、修道士でありながらルクレツィアという妻を迎えて子を生した、フラ・アンジェリコとは対照的な破戒僧であった。

少し下がって


But to myself they turned (since none puts by

The curtain I have drawn for you, but I)


「私以外、その幕を触る者はありませんからな」というのも、壁画は移動できないので、普段は幕を掛けた上、主人以外は触らせない訳だ。愛着の程を示している。最も最近は、傷つけずに剥ぎ取る技法も完成し、動かせないはずのフレスコ画を移動することも可能にはなったが。


フェッラーラ公と思しき語り手は、以下ぶちぶちと亡き妻への愚痴を垂れる。画家のお世辞に頬を染めたとか、しようもない贈り物も喜んで受け取り、誰にでも笑顔を見せて男共を舞い上がらせたとか。

惚気にしか聞こえないのは小生だけか?詩の発表はオペラのロンドン初演から間もない1842年、読者は直ちに舞台のルクレツィアを連想したであろう。「悪女ルクレツィア」ならば、わざとでも浮名を流し、夫をからかって遊ぶくらいは普通にやりそうだ。

とうとう我慢ならなくなった語り手は、何やら手を下したらしきことを口走る。


Much the same smile? This grew; I gave commands;

Then all smiles stopped together. There she stands


This grew について富士川訳注では「夫人の愛を独占しようとした傲慢な公爵の嫉妬心が鬱積した」とする。こんな批評家的態度では肝腎なところがすり抜けてしまわないだろうか?実のところ grow は「成長」の意を含まない become の言い換えにもなるので、「鬱積」ではなく「~に至った」というだけな可能性が高い。

さて、誰にでも笑顔を見せる公妃に、思い余った公は遂に何やら命令を下し、「全ての笑顔が止まる」。これは最初、意味が判らなかった。

野口訳「彼女の微笑はぱつたり止つた」

富士川訳「微笑みはぴたりと止まった」

いずれも意味があるとは思えない。肖像画だぞ?笑顔が止まるのは当然じゃないか?これに近いものを挙げるとしても、ゲーテ『ファウスト』の禁句「止まれ、お前は美しい」くらいしか… などと考えた末にやっと気がついた。「いつまでも笑顔をとどめる」=「永遠の微笑み」であれば、『モナ・リザ』のことに違いない。公は見たいものを永遠に、自室の壁に封じたのだ。

『モナ・リザ』はフレスコ画ではなく油彩で、モデルは不明だが聖女のよう。詩人は絵の中の人をルクレツィアに置き換え、その価値観を反転してみせたのだろう。足を見せるのは卑猥だとして食卓の足にも靴下を履かせる程度には偽善的だったヴィクトリア朝にあって、これは大胆な表現だったのではないか。


詩の終わり近くで、公は話し相手を伴って階下へ降りる。ということは2階の壁な訳で、何故そんなところに描かせたかと言えば、寝室としか考えられない。あちらでは一般的に、寝室が2階にあるから、これは常識または暗黙の了解として仕込んだのであろう。

という事はしかし、迎えられる後妻は就寝の度に、あるいは全裸で、亡き前妻の視線にいつまでも晒される訳で、たまったものではあるまい。「幕を掛けたから見えやしない」などという問題ではないことは、公も承知してはいても、心と手足は止められない止まらない。


というところで史実に戻ると、実はルクレツィア・ボルジアを描いたフレスコ画がヴァチカンにある。教皇アレクサンドル6世となった父親ロドリーゴ・ボルジアが、画家ピントゥリッキオに命じて『ボルジアの間』に描かせた聖画・寓意画のうちに、ルクレツィアも『アレクサンドリアの聖カタリナ』役で出ているのだ。(画像はWikipediaから)

挿絵(By みてみん)

パトロンの娘だから画家による美化は有るにしても、美貌を謳われたルクレツィア本人を描いた以上、この描写はある程度以上に信用してよいであろう。

父ロドリーゴは娘を利用しての成り上がりを画策し、その夫が思うように扱えなくなると離婚を企み、離婚出来ないなら暗殺に走る性格だったらしく、夫の2人までが変死している。しかし3度目の夫となったフェッラーラ公アルフォンソ1世・デステとは6人の子を授かり、その死も出産に伴う産褥によるもの。案外と史実のルクレツィアは優秀で人に愛される女性だったようである。

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参考文献

Wikipedia
Hatmaking
Google books
Lilias, the Milliner's Apprentice
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