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崩壊  作者: 富幸
1/3

①(葬祭ホール開設)

 私は、吉田重雄、私の家は、出雲街道から少し入った山寄にあり集落から少し離れた一軒家で近くに隣家は無く、自宅から一キロ程離れた所に在るローカル線の駅から五駅離れた市の工業高校に通っていた。

 私が三年生の夏に祖父が亡くなり私と母親の二人になった。

 私は、高校を卒業すると母の反対を押し切り憧れて居た都会生活を始めた。

 私が会社に勤め出して七ケ月程経ったある日私は、突然に母の死を知らされたのだ。

 慌てて帰郷したが母の死に方は、異常だったのである。私は、母の死にショックを受けた。

 母の死は、孤独死で死後三日も経ってから発見されたのだ。

 母が勤めて居たのは、自宅の近くに在る縫製工場で、その会社の同僚が無断欠勤をした母の様子を見に来て発見したのだ。

 警察は、来るし集落は、大騒ぎだった。伯父夫婦が来てくれて葬儀一式を取りまとめてくれて、母の葬儀は無事済み父親の墓に母の遺骨を納めて我が家に帰ると葬儀に参列してくれた集落の人達も帰り、我が家には、叔父夫婦と私だけに成った。

 叔父は私に

「重雄、姉さんは、お前が都会に出る事は、仕方が無い。と諦めていたがお前これからどうするつもりだ」

「叔父さん、俺、仕事を止めて家に帰ります」

「そうか、帰えって来るか、会社はどうする」

「落ち着いたら、一度会社に出て上役に辞職願を書いて提出します」

「そうか会社を辞めても当分は、家に居ろ、良い仕事が有れば声を掛けてやる」

 と言って叔父夫婦は、帰って行った。

 二日程経って私は、出社し上司に辞職願を提出すると共にその訳を説明して了解を頂き辞職して家に帰ったが当面は、何も手が付かないまま数日が過ぎた。

 母の葬儀には、多少いったが母の保険も有り当座のやりくりには困らなかった。

 私の家は、築百年程経った古家だが田畑も有り家に居ても百姓仕事に明け暮れた。

 私は、毎日母の墓の前で墓石を見つめながら自責の念に陥って居た。

 この様な事に成るのなら、又、母の思いを少しでも汲み上げていたら、親孝行の真似事も出来ただろうし少なくとも母を死後三日も放置する事は、無かった。と思うとやり切れない気持ちで胸が一杯に成る。

 私は、会社を辞職して実家に帰ったが、いざ一人で生活してみると集落から少し離れた一軒家の我家で百姓の真似事ををしていると、人と話す機会が無い。

 中山間地域にある集落も若い人は、昼間は近くの市や町に働きに出かけ集落に居るのは、年寄りぐらいである。

 集落そのものが限界集落でも在り、十年もすれば集落として成り立って行かない事は、自明の理である。

 私が一人生活を始めてから夕方になると蓮台寺跡に在る母の御墓に参る事が日課に成った。

 母の遺骨は、叔父が

「お前、母さんの遺骨は、どうするつもりだ」

「叔父さん、どうするって」

「いや、遺骨を四十九日まで家に置くか、それとも父親の墓に入れるのか」

「どちらが良いのか私には、分りません、叔父さんどちらが良いですか」

「私は、夫の墓に入れてやれば良いと思う、夫婦は、あちらにいっても夫婦だからなぁー」

 私は、叔父の勧めで火葬を済ませると母の遺骨をすぐに父親の眠る墓に入れたのだ。

 叔父は私に

「お前大変だけど四十九日間は、親の眠る墓に毎日線香を上げに行きなさいよ、それがあんな死に方をした親が成仏出来る道だからね」

「はい、分りました」

 私は、その日から夕方に成ると親の眠る墓に線香を上げる為に、毎日親の墓に通い出した。

 私は、母親の四十九日も済ませると、叔父の世話で隣町の農協に就職した。

 農協での仕事は、事務職と言う事で採用されたが,実は新しい業務の為に採用されたのだった。

 私と同時に採用されたのは、私を含めた六人で男性二人、女性四人だった。採用されて二日目に私達は、会議室に集められ、組合長から新規事業のリーダーを紹介された。

「只今紹介に預かりました。平田敦子で御座います。貴方達とは、今後仕事をして行く上でお互いが協力し合い。新規事業を成功させる為に、チームが一体となって取り組まねばなりません。皆様の協力をお願いします」

 と丁寧な挨拶と共に深々と頭を下げた。私は、叔父からの紹介された時に

「重雄、良い勤め口が有る。農協だ。ここなら仕事の時間が決まって居るから百姓も出来るだろう」

 叔父は、そう言って居たが、まさか新規事業の方に回されるとは、思わなかった。

 すると私の横に居た男性が私に小声で

「ねぇ、君は、新規事業の事を知って居たの」

 私は、その人をチラッと見て、無言で首を横に振った。

「俺達、明日から隠亡をするんだぜ」

 私は、その言葉に一瞬エッと思ったが声には出さなかった。

 組合長が退室すると平田女史は、事業内容を説明しだした。

「今度始める事業は、今迄の事業とは、まったく別物と思って欲しい。ここに居られる皆さんも薄々は聞いておられると思いますが、新規事業は、葬儀屋で御座います。今建設中のホールが出来次第事業を開始いたします。皆さんには、それまでに葬儀一式の流れや取り扱いの手順を勉強して頂きます」

 私達六名は、平田主任を教師としてホール運営の手順を叩きこまれた。

 ホールが完成し業務の開始が三月の十五日に決まり、開所式も無事すんだが一週間程は、業務が無かった。

 と言うより、町とは言っても、こと葬儀に関しては、まだ自宅で執り行うのが通例で葬儀に関しては、隣組が取り扱い。親族は、口を出さないのが仕来りと成って居た。

 初めて葬儀が行われたのは、農協職員の家族である。その日私は、平田女史に

「吉田君、これから職員の和田さん宅に葬儀の打ち合わせに行きますから同行して下さい」

「ハイ主任、何を持参すれば宜しいか」

「そうね、今日は打ち合わせだから葬儀連絡帳だけで良いわ」

 その日の夕刻、私と平田女史の二人で和田職員の自宅を訪ねた。

 自宅は、門構えの立派な家で地域でも一目置かれる家で在った。

 私達は、その隣組の葬儀打ち合わせ会に出たのである。

 その席で私達は隣組の人達から

「貴方らは、何故この席に来たのかね」

 と避難めいた言葉を掛けられたが平田女史は

「私達は、このたび出来た葬祭ホールの者です、ご家族様のご依頼に寄り葬儀を当ホールで取り扱う様にご依頼を受け隣組の打ち合わせ会に出席させていただいた訳です」

「すると葬式をホールですると言うのかね、亡くなった者を自宅から出さないと言う事か」

「はい葬儀は、ホールで行いますが、隣組の仕事までは、手がつきません。当ホールは葬儀の場所と祭壇・飲食を提供するだけで葬儀の取り扱いは、隣組の人達で取り扱う事に成ります」

「すると葬式が自宅でするかホールでするかの違いか」

「そうです、一応葬儀に関する物は一通りそろえていますのでお使いできます」

「すると葬式に使う、祭壇やら旗や天蓋道具類は、如何するつもりじゃー」

「その様な物は、隣組の人達でお決めください。正し祭壇に附いては、当方とご家族様で決めさせていただいておりますので、その点は、ご了解をお願いします」

「それは、金目が違うと言う事かね」

「左様です、祭壇だけは、一号、二号、三号の三段階としておりますが、今はホール開設の割引期間として一号として受けております」

「それは、死者が出るのを待つと言う事かね、人の不幸で商売をするとは、やれやれ地獄の沙汰も金次第と言う事かのう」

 年寄りの蔑む様な、いけづな言葉に私は、思わず頭を下げ顔が熱くなるのを覚えた。

 席上でも笑いが漏れたが、この言葉に平田女史は毅然として全員を見回し

「お爺さんは、商売と蔑まれますが、失礼ですが只今この席で五十代より若い人が何名います。見た所三名様ぐらいですか、残った人は、六十より上の人達ですよ、人は生まれた以上必ず死ぬものです。この先少子高齢化が進み人口減少が進むのに現状の様な葬儀が続けられると思われますか、私達は、少しでもそのお手伝いが出来ればと開設したものです」

 平田女史の言葉に若い参加者は納得した様だったが年寄り連中は、憮然としながら、納得しなかった様だ。

 まだこの田舎では葬式は特別な事として考えられていて死者を送るのは生者の務めであると言う考えが色濃く残っているのだろうと思った。

 何れにせよ打ち合わせは、無事に済み私達は、隣組の人と遺族に礼を言って家を出ると庭先まで和田職員が見送りに出ると

「平田さん、吉田君すまないね、遅くまで仕事をさせて」

「お気遣いなく、私達は、これが仕事ですから」

「君達も大変だろうが、実を言うと私も親類から非難されたのだよ、いかにせん田舎だからね」

「和田さん、ご心配無く初めての事は、皆様も色々なご意見が出るものですよ」

「平田さんに、そう言って頂ければ助かるよ、いずれも頑固者ばかりだからね」

「皆様も一回ホールを利用されると、その便利さが知れ渡ると思います」

「何しろ新規事業だし、事実私達も一抹の不安も有った事は、事実だ。しかし君達の取り組みを見ているとこの事業は、必ず成功すると確信をしているよ」

「有難う御座います、それでは明日から努めさせて頂きます」

 私と平田女史は、礼を言って和田職員宅を出た。


 和田家の葬儀も無事に済み葬祭ホールの簡便さが人々の間で認識され出した。

 一番に残された遺族が我が家を混ぜ返さない事に驚いたのだ。

 葬儀が済んだ。その夜から普段の日常生活が出来るのだ。自宅で執り行えば、少なくとも初七日迄は、家の片付けに遺族は追われる。

 ホールで行う葬儀は、人の移動だけで自宅は、通常通りである。

 一番に婦人達の用事が無くなった。葬儀に参列する人達への賄い仕事が無くなったのである。

 葬式と言えば隣組は、一軒家から夫婦で勤める。と言うのが慣習と成って居たのである。

 ホールで行う葬儀は、食事は勿論の事、葬祭に使用する諸々の諸道具も簡素化された。

 和田家の葬式も済み本善がホールの食堂でふるまわれた時、住職の隣に座った長老の竹三爺さんが

「おじゅつあん、わしゃーあ、この歳になって初めてこの様な所で葬式をした。それに朝から出棺をするとは、思いも依らなんだ」

 すると隣に居た若い者が

「竹爺さん、このホールは、便利で良いわ、葬式に必要な物は、そろって居るし、作る必要もないし、受付も隣組の部屋まであって安心だし、便利なものが出来たものだ」

 住職は、二人の話を聞きながら

「竹三さん、これからは、このホールを使った葬儀が増えるでしょうね、実を言うと私も、ここの平田さんと吉田君に和田家の葬儀を聞いて驚きました。あの和田家の満蔵お爺さんの葬儀を自宅で行わず葬祭ホールで行うなんて、でも平田さんの話を聞いて居ると今後は、ホールを利用した葬儀が増えるでしょうね」

「おじゅつあんも、そう思えるかのぉー、と言う事は、今迄の葬式は、ガラリと変わって仕舞うのかのぅー、今迄の慣習も仕組みも崩れてしまうのかなぁー」

「そうでしょううね」、これからは御寺も変わらないといけない時代に成って行くのかも知れません。若い人達は、御寺に来ませんし、寺の行事には、老人ばかりで若い人は、居ませんから」

「わしらが、時代に附いていけないのかも知れない。しかしのぅーおじゅつあん、わしゃーあ、若い頃隣の爺さんの葬式に出た事が有ってのぉーその爺さんは、ええ人でなぁー村中の者が尊敬していた。その爺さんの出棺の時に銅鑼が鳴らされると村中の女子共迄出て来てなぁー、棺を霊柩車に乗せ、わしが前引きをしたんじゃー当時の野辺送りは、村はずれの地神様の前迄送るのが通例で晩秋の夕焼けの中を御坊様を先頭に遺族・親族・霊柩車が続き霊柩車の後を死者を見送りする人の列が黙々と続き、地神様の前で最後の別れをするまで誰一人帰ろうとしなかった。わしが若かった勢もあるけどその光景が忘れられんでのぅー死者を送ると言う事は、格あるべきだと今でも思うとったが、いやはやここまで簡素化されるとは、思いもしなかったのぉー」

「竹三さん、時代の流れには、逆らえません、御寺でも墓終いをする家が有るのですからね」

「時代が変わったのか、人が変わったのか、分らんが、死者に対する畏敬や尊敬の念とか、敬う気持ちが薄れているのか、わしにやぁー分らん様になって、しもうたのぉー」

 この長老の時代には、隣組に長老とか世話役とか呼ばれる中心人物が居て、その中で人格や見識、経験豊富な年寄りが暗黙の合意の上に選ばれて葬儀一式を仕切ったのである。

 長老は、遺族・親族と隣組との連絡役や相談役を務め葬儀の遂行を行ったのである。

 普通は、その者が葬儀長を務め、坊主・遺族・親族・隣組を取り仕切る役目を負ったのである。

 葬儀は、普通に自宅で行われ隣組から夫婦で葬儀に出て二日間に渡って遺族の自宅は、勿論の事葬式に必要な物は、集落で持ち出しをして葬式をしていたのである。

 しかし葬祭ホールが開設され、そこで葬儀が行われると世間は、その簡便さに葬儀の見直しを始めたのだ。

 一番に自宅を混ぜ返す事が無く葬儀が済むと即普通の生活が出来る事、そこには死者の事より生者の生活を優先させる。と言う発想があった。

 葬祭ホールが開所する以前は、自宅で葬式を行っていて隣組の連中が葬儀を仕切り、遺族や親族は、葬儀に口を出さない。と言う暗黙の不文律が有った。


 葬祭ホールが出来た事で人々が今迄の葬式に対する考え方を変えたのか、それとも死者に対する畏敬とか尊敬の念が崩壊したのかも知れない。


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