三本の宝剣
魏の来丹は気性甚だ猛々。自尊心が高く、負けることを好まなかった。その一方で彼の身体は貧弱、あたかも小枝で作られた人形のようである。飯粒を数えて食べるほど食が細く、風が吹けば倒れて飛ばされるといった為体であった。
来丹には丘邴章という父がいたが、ある時、黒卵という男が私怨で丘邴章を殺した。来丹の悲憤は凄まじいものであった。怒り狂い、父の復讐を誓った。人の手は借りない、必ず自らの手で剣を取り、黒卵を屠るのだ。そう思ったが、黒卵はといえば、悍き志は誰よりも強く、力は百人に抗う、筋骨皮肉とも人の類ではない。頸を延ばして刀を受け止め、胸を披げて矢を受ける。刀の切っ先が折れ曲がりはするものの、彼の身体に傷をつけることは出来ない。黒卵は自らの力を頼み、復讐に燃える来丹をまるで雛鷇のように見ていた。
来丹の口惜しさといったらない。人に頼りたくない。しかし自分だけでするにはその力が全然足りないのである。来丹は荒れた。妻や子に八つ当たりする事も度々だった。そんな来丹を心配した彼の友人、申他は言った。
「君はこの上もなく黒卵を恨んでいるが、黒卵は君を見下して放ったらかしにしている。何か計画はあるのか?」
すると、来丹は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになって、申他に懇請した。
「どうか……、どうすればいいか教えてくれ……」
申他は提案する。
「僕が聞く所によると、衛の孔周の祖先は殷帝から宝剣を手に入れたという。それは一人の童子が持っても三軍の兵卒を退かせることができるそうだ。それを手に入れたらどうか?」
それを聞くと、早速来丹は妻子を連れて衛に出かけた。来丹は孔周に会うと、僕御の礼を執って妻子を差し出した。そして自分の願いを言った。孔周にとって宝剣は先祖代々伝わる家宝である。易々と人に貸し出せるものではない。しかし親の仇を討ちたいという来丹の志と僕御の礼に孔周の心は動かされた。彼は奥から三つの長匣を持ってきて話し始めた。
「ここには三本の宝剣があります。お好きなものを選んでかまいません。ただ言っておきたいことは、どれも人を殺すことは出来ないのです。先にそれを説明しましょう。一つめは含光といいます。この剣は見ようと思っても視ることはできません。これを掴んでも掴んだことに気付かず、触っても泯然として、物を切っても切られた物もそれが分かりません。二つめは承影といいます。これは朝明け方の時、あるいは夕昏明の時に北面してこれを視ると、淡淡として何か物があるように見えますが、その形は識りえません。それを触ると竊竊然として音がしますが、物を切ってもその物は傷むことがありません。三つめは宵練といいます。昼にはその影をみても光を見ず、夜に見ればその光を見ても形は見えません。物に触れると騞然として過ぎ、過ぎるに随って結合し、痛みは感じますが刃に血が付くことはありません。これらの三つの宝は、十三世に亘って伝わりましたが、使い道がないため匣にしまい、未だかつて開けたことはありませんでした」
来丹は迷った。孔周の説明を聴く限り、三本の宝剣のいずれを選んだとしても人を殺めることは出来ない。遥々魏から衛にまで出向き、宝剣を貸し出してもらえる段になって、頼みの剣がこれでは、俺は何のためにここまで来たのだ。黒卵を殺すためではないか。来丹は膝をついたまま三本の宝剣を睨みつけた。
待てよ……。来丹は思う。全く役立たぬ物を長年大切にしておくものか。十三世に亘る星霜はその剣の真の力を忘れさせてしまっただけではないか? 剣の性質は捻じ曲げられて語り継がれた可能性もある。来丹は決断した。
「私はその三つめの剣を必請いたします」
孔周は「よし、分かりました」と言い、まず来丹の妻子を家に帰してあげた。孔周は来丹ともに齋をすること七日。心身を清めると、晏陰の間に、跪づいてその剣を授けた。来丹は再拜してこれを受け取ると魏に帰りついた。
ある夜、来丹は黒卵の家を訪れた。牖の下には黒卵が酔って寝ている。来丹は機会を与えてくれた天に感謝し、死んだ父に祈りを捧げると、剣を抜いた。門を入り、牖下に走り寄り、黒卵の頭から腰までを三回斬り割いた。骨すら豆腐のように切ることができた。来丹の手に人を斬った感触が残る。黒卵は四肢の末端をピクつかせたが、目を覚ますことはなかった。来丹の目から涙が流れ落ちる。遂にやった。父の仇を討ったのだ。
来丹が帰ろうとする時、黒卵の息子が門から入って来た。来丹は思わず彼を斬りつけた。一撃、二撃、三撃、たしかに斬った感触があった。しかし黒卵の子は「何をふざけて俺を三回手で招くのだ?」と平然と言う。振り返ってよく見ると黒卵は寝息をたてている。来丹の身体から力が抜けた。この剣では人を殺すことは出来ないのだ。来丹は嘆息し家路についた。
後日のことである。黒卵が来丹の家を訪れた。来丹は察した。黒卵は暗殺の仕返しに来たのではないか。逃げるなどという考えは来丹の頭にはない、死ぬなら死ぬでいい。あいつの目を見たまま死んでやる。恨んで死んで呪ってやろう。そんな気概で黒卵の許に行くと、黒卵は正装しており、そして稽首して言った。
「来丹……、お前の父を殺めて本当に済まなかった。どうかこの通り赦して欲しい……」
思いがけないことに、黒卵は謝罪をした。どうも心底反省しているように見える。来丹は訳が分からなかった。何が起きたのだろう。あの傲岸不遜の黒卵が頭を下げるとは…。黒卵の言葉を聴いているうちに、一つの考えが浮かんだ。あの剣は肉体を切ったのではない、悪心を斬って罪悪感を呼び起こしたのではないか。今の黒卵なら死ねと言えば死ぬかもしれない。だが殺すことは、もう既に来丹の本意ではなかった。先日黒卵を斬った感触が手に甦る。来丹は黒卵を赦すことにした。来丹は跪いて黒卵の手を取り、黒卵は泣いて手を重ねる。二人の耳には鶯の声が聞こえてきた。
二家はその後、助け合い仲睦まじく暮らしたという。
テーマ「もし中島敦がショートショートを書いたらどうなるか?」
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