第八話 ホイラー家でのひととき
「も、もうちょっと離れて歩いた方がいいんじゃないのかな? ほら、エリサに変な噂がたつと、ご両親にも迷惑がかかるかもしれないしさ」
「え? 全然迷惑じゃないよ。というか、噂って? もしかして、私とホイラーが付き合っているってとかいう例の噂? ……いいんじゃない。事実にしちゃえばさー。既成事実作っちゃおうか?」
ね? とか可愛く首を傾げてもダメです。
とりあえず、エリサに頼み込んで、歩いている最中に、腕に絡み付いてくることだけはやめてもらった。
さすがに僕が恥ずかしい。
……学園から三十分ほど歩いて、市街地の端の地域。城壁の近くにある戸建ての家に帰って来た。
「こんにちわ」
家の近くで、隣に住んでいるおばさんを発見したので挨拶をした。
「あれ、坊っちゃん。今日はいつもの子とは別の別嬪さん連れているのかい? ふふふ。隅におけないねー」
近所のおばちゃんが何やら怖いことを言ってくれている。
あ、そ、そういえば、家には……。
「おかえりなさいませ! ごしゅじ……ん、さ、ま……?」
出迎えてくれた半獣人のシニカが、満面の笑みで僕を迎えに来たと同時に、僕の背後のエリサを見とがめ、急に表情がなくなった。
「お客様でございますか? ホイラー様」
「え? あ、う、うん。魔法学校の学友で、知り合いのエリサだよ。悪いんだけど、シニカ。僕たちにお茶を出してくれるかな?」
「畏まりました」
シニカは、じっ、とエリサを無表情に見つめている。
エリサを見るとやっぱり、無表情にシニカを見つめている。
なんだか、二人の間に目に見えない、火花のようなものを幻視した。
「……あ、エリサ。僕の従者の紹介がまだだったね。この娘はシニカ。見ての通り、犬の半獣人だけど、別に怖がらなくてもいいからね。あと、この家で何か入りようならば、シニカに頼んでくれるかな。実は僕も、家の中に何があるのかとか、全部、シニカ任せなんでわからないんだよねー」
あははは……、と僕としてはなんとかこの気まずい状況を改善しようと、努めて明るく振る舞ってみたものの、なんらの改善が認められない。
う、胃が痛い。
「ええ。わかったわ。……じゃあ、シニカ。私があなたのご主人様といちゃついている間、外出していなさい」
え? いきなり、何を言っているんだ、こいつは。
まじまじとエリサを見つめる。
ジョークを言っている感じはせず、百パーセント本気だった。
こ、こえー。
「申し訳ございません、お客様。当家の使用人といたしましては、ご主人様を一人残し、外出などできようございません。申し訳ございませんが」
シニカは、言葉遣いこそ丁寧だが、絶対に退かない、絶対にこの場を死守する、と言っているかのような歴戦の指揮官のような顔をしていた。
ん? なんだか、君たち、二人してにらみあってない?
な、何がお互いにそんなに気に入らないんだよ!
「は、はぁ。……ま、まぁまぁ、二人とも。とりあえず、お茶にしよう、ね?」
なんとか、エリサをまぁまぁ、となだめすかしてリビングに案内し、シニカにもペコペコと、お茶を頼み込んだ。
い、いったいどうしたんだ二人とも。顔を突き合わせるなり、昔からの敵、みたいな顔をして。
「あいつは危険だ……。排除しないと……」
「え? エリサ、何か言った?」
なんだか、エリサがぼそぼそと独り言を呟いたので、つい聞いてしまった。
しかも、顔がすごくマジだ。
「なんでもないよ」
いつものように、にっこりと笑ってくれた。
でも、なぜか、僕にはその笑顔が作り物のようでいて、なんだか怖いもののように思えてしまった。
シニカがお茶をもってきてくれた後、なかなか部屋を立ち去らないというアクシデントはあったものの、とりあえず、僕が用事を言いつけて下がらせた後、一息をつけた。
やはり、二人を一緒の部屋にいさせてはいけないな。
次回からもエリサはあまり家に招待しない方が良いかも。
「……さて、どこから話せば言いかな」
僕は思案した。
エリサと合ってからかれこれ四年も経っているのだ。話すべきことは、それこそ無数にある。
「うん。最初から聞かせて。ホイラーのこと、なんでも、ほんとに小さなことでも知りたいの……」
そういって、指先で僕の手の甲をさすっている。
う、さすがに気恥ずかしい。
と、とりあえず、指の感触は気にしないことにして、僕の別れてからの四年間の地獄の日々を要約して語った。
その思い出に対してエリサは、あるときは驚き、あるときは涙し、そして、概ね安堵していた。
そして、お返しとはまかりに、エリサの別れてからの四年間のことも教えてもらった。
僕と別れた後、エリサは家庭教師の下、魔術の訓練を続け、最初のうちこそは家族に反対されたものの、最後には才能が認められて、無事に魔法学校の中等部へと入学し、今に至る、ということだった。
「魔法の道を進んでいけば、いつか必ずあなたに逢えると思ったから」
僕の手を両手で優しく包み込んで、そのきれいな瞳を近づけてくる。
か、可愛いなー。
ふと、そんなことを思ってしまったのが悪かったのか、だんだんと顔が近づいていき……。
あ、その距離は、ま、まず……
「……ご主人様。そろそろお時間でございます」
シニカが、素晴らしいタイミングで声をかけてきた。
そういえば、今日は、夕方から、学長にお呼ばれされており、夕食を誘われていることを思い出した。
「ちっ」
声がかかるやいなや、何事もなかったかのように、自分の席で、お茶を嗜んでいるエリサが、入ってきた人物がシニカだったのを認識して悔しげな表情をしている。
エリサさん? ところで、今、あなた舌打ちしませんでした?
「ごめん、エリサ。僕、この後、私用で学長の夕食パーティーに出席しないといけないので……」
「うん。こちらこそ無理言って家に押し掛けてごめんね。……あ、今度は私の屋敷に来てくれる? 今、王都の別邸から通っているんだけど」
「あ、うん。ところで、帰りは家まで送ろうか? もう夕方だし」
「うん! では、よろしくお願いできるかしら?」
「はい、喜んで。姫」
僕はひざまづいて、エリサの手の甲にキスをした。
一瞬驚いた顔をしたエリサだったが、次の瞬間、破顔して、ニヤニヤ笑いを浮かべている。
ど、どうしたの。
「私、『姫』なんてアダ名、大嫌いだったけど。うん。これは、これで良いかも……」
などと、のたまった。
「ちっ」
後ろからシニカの舌打ちが、聞こえてきたのは、気のせいだと思う。多分。