第一話 決断のとき
くそっくそっくそっ!
やつが。やつが、あそこで、しくじらなければっ!
俺はビルの屋上、夕暮れの中で、片手に拳銃をぶらつかせ、フェンスに背をあずけながら、激しい怒りを掻き立てていた。
足元には札束が詰まった黒色のバッグが二つ置いてある。
親の言うことに反発しながらも、良い子を演じて、ちゃんと真面目に生きてきた。
それなりに努力をして良い大学をでることもできた。
そして、良い会社にも就職できた。
周囲の意見によれは、これで俺の人生は順風万歩のはずだった。そう、そのはずだった。
だが、人生における快進撃はそこまで……。
最初に配属された職場の上司とウマが合わず三ヶ月で退職。
再就職先はブラックな企業で、三日で辞めた。
そして、派遣を数年経験したあとは、しがないフリーアルバイター人生。
親からの期待が大きかった反動か、今では、手のひらを返したように冷たい仕打ちを受けていた。
俺には才能も、努力できる意思もあった。ただ足りなかったのは、人間関係というほんの少しの運。それと、あまりにも、回りの言うことに盲目的に従ってきたこと。
そして、俺は背後のフェンスからビルの階下を覗き込んだ。
地上十六階からの眺めは、さすがに怖い。
俺をこんな状況に追い込んだ、あのくそ野郎。
銀行強盗の計画を持ち込んだあのバカ野郎は、結局、真っ先に、逃走中の交通事故でポックリと死にやがった。
今回もやっぱり流れにまかせて失敗した。
「バカな真似はやめて、投降しろ!」
ビルの屋上では、俺を取り囲んで警察の皆さんが暖かい声をかけてくださる。
そして、今、俺はこうして、年貢の納め時となっている。
まぁ、拳銃を使った銀行強盗。発砲までしている。このまま捕まって一生を刑務所で暮らしても良いんだが、どうせこんなくそみたいな人生、一度リセットした方が、税金を払っていただいている市民の皆様のためにもなるだろう。
しかし、強盗時に怪我人が出なかったことだけは本当に良かった。それだけは心の底から思える。
犯罪に手を染めたとはいえ、俺は小市民。
もし、生まれ変わることができるならば、ちゃんとしたまっとうな人生を送りますよ。
今度はちゃんと手に職を付けて、地に足がついた人生を自分の意思で送りたいな。
できれば、他人にとやかく言われないような圧倒的な専門性が欲しい。
そんなことを皮肉げに思いながら、俺は、ニヤリと笑って、拳銃の銃口をこめかみに突きつける。
「では、皆様、来世にてごきげんよう」
引き金に力を込めながら、ああ、神様、こんな俺にもまともな人生を与えてください、と祈らずにはいられなかった。
◆◇◆◇◆◇
そんなことを思い出した。
しかし、人一人分の人生を思い出すとは。
僕の頭の中では、二人分の人間の人生の記憶がある。
一つは、地方貴族、ユンカース家の三男ホイラーとしての十年間の苦難の記憶。
もう一つは異世界の日本という国の一人の青年の記憶。
どちらの記憶も苦い味がする。
貴族とは名ばかりの貧乏な家計。
特段、武芸に秀でていたわけでもなく、頭脳が明晰というわけでもない。
長兄は小さいときに病死。次兄は跡取りとして手取り足取り父に教育されている。
僕に関しては、ただの兄のスペア要員だ。兄に何かあったとき家柄を維持するためだけのスペア要員。
だが、十も年が上の兄はすでに結婚して、子を二人もなしている。
僕のスペアとしての仕事ももう終わったらしい。
すでに家の中での僕の居場所はない。
ただただ早く家を出ていって欲しいという両親からの気配を感じる。
仕方がないので、最近は、外にいることが多い。
今日も、今日とて、教会での読み書き算盤の勉強をしている。
ただ、ちょっと前と違うこともある。
ちょっと前まであんなに難しいと感じていた勉強が、今は、子供の遊びみたいに感じることだ。
やはり、現代人の知識、経験を持つというのは、凄まじいアドバンテージだ。
まぁ、どこかの段階で、通用しなくなるとは思うが。
そんなことを考えていると先生から声がかかった。
「ホイラー君。今日はこれから、少し時間があるかね?」
初老に差し掛かっている先生。教会の神父様でもある。
「はい、先生。なんでしょうか?」
僕は帰ろうとしていた体勢を改め、体ごと先生に向き直る。
「うん。実はね、今、先生の知り合いの方がこちらにみえられているんだが、若い優秀な助手が欲しい、とおっしゃっていてね。ホイラー君、最近の君の頑張りが凄いので、ちょっと紹介したいと思っているんだが。どうかな?」
僕としては願ったり叶ったりな提案だ。自分の意思でやっと、人生を切り開くことができる!
「しかし、ご両親が反対するかな?」
先生が心配そうにつぶやくが、そんなことはあり得ない。
僕は、にこやかな笑みを浮かべながら先生に答える。
「大変ありがたいです。ぜひとも、その先生の知り合いの方をご紹介ください。うちの両親に限っては、特段、心配には及びません。むしろ、喜んで送り出してくれると思いますよ」
これが、この選択が、僕の人生を決める重大な岐路になろうとは、このとき、この瞬間は、全く気づくかとができなかった。