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書きたいものを書きたいように書いたら、えらいナヨナヨした小説が書けました。
君に似た面影に似た
「何度も言ってることだけど。もうちょっと、考えてから行動しようよ」
時刻は夕方近く、空には橙色の夕日が浮んでいる。その暖色の光は空一面に広がり、昼間は鮮やかな青色だった空を同じく橙色に染め上げていた。
「だって、可愛かったんだもん……」
ふて腐れたように唇を尖らせる美織も、そのオレンジ色の光をその身に受けている。染めていない、地毛のままの栗色の髪はその光で更に明るく見えた。
学校の帰り道、美織はたまたま見かけた子猫を追いかけて、目の前に迫った電柱に額をぶつけた。その証拠に額は夕日より濃い赤色に染まっている。
「可愛かったからって、注意を怠るなよ。ああやって頭をぶつけるの何度目?」
「……もう数えられないかな」
「だろうな」
美織とは家が隣同士で長い付き合いだ。両親も幼い頃からの友達らしく、もしかしたら両親よりも長い時間をこいつと過ごしてきたかもしれない。
「はぁ……成長しないなおまえは」
ため息を吐きながらそう呟く。昔から美織は何も考えもせず行動しては痛い目に合ってきた。その度に僕はフォローに回り、苦労してきた。
今までずっとそう生きてきたから、今更電柱にぶつかるくらいで慌てることもない。別に、今日が初めてってわけでもないし。
「晃希の馬鹿。わたしだって成長してるよ」
昔から変わらない間延びして声で言うものだから、僕は思わず笑ってしまう。
「どこが」
「胸」
「……いや、そういうことじゃなくて」
このずれた思考回路も変わらない。誰も体の成長の話なんてしてないのに。というか、もっと恥じらいを持ってくれないだろうか。僕にその手の話題は中々反応し辛い。
「……はぁ、もういいよ。おまえはそのままでいればいい」
いつも気楽で、楽観的で、考えなしで。
……だから僕は、こいつの傍にいられるのかもしれない。
高校生としての最後の冬。受験真っ只中の現状は、どうしたって僕の両肩に重く圧し掛かっていた。人並みはずれた努力をしてきた成果は、僕の中で確固たる自信となっている。勉強に勉強を重ね、目指していた難関の大学の合格圏内に入り込めた。そして、試験の手ごたえもあった。全問正解、とまではいかなくても、わからず答えを投げた問題は一つもなかった。
―――合格は間違いない。自信を持て。
今日も学校で、担任の先生からそう力強く言われたことを思い出す。思い出すと同時に、僕の中でその言葉は激励ではなく、背中を後ろから無理矢理押されるような、強制力を伴って響く。本当に大丈夫なのだろうか。そんな心配が、背中を押される僕の前にいくつも現われる。
でも、美織の傍でこうして他愛のない会話をしている時だけは、そんな焦燥感はなかった。いつも通り、何も焦ることもなかった頃の僕が顔を出してくれる。
「えっと……美織」
先を歩いていた美織が夕日の背に振り返った。
腰の高さまで長く伸びた栗色の髪。優しげに光る瞳。笑みの形につり上がった唇。
「ん、何?」
そして、いつもの間延びした声。
「……いや、なんでもない」
僕のこの気持ちを伝えることはきっと、いつでもできる。
「なによ。またわたしのことバカにしようとしたんでしょ」
拗ねたような口調で話す美織。フーンだ、と首も動かし不満を表現する様はとてもじゃないが同い年の高校生には見えない。
「違うって。今度また話すよ」
ごまかすように歩調を速める。先を歩いていた美織に追いつくよう、少し歩幅を早めて――――
「―――晃希っ! 危ない!!」
ドンっ、と。体を押されて、僕は数歩よろめいてそのまま後ろに転んだ。
すぐに、耳をつんざくような音が聞こえた。それも目の前。
僕が、今までいた位置から。
地面に向けて転んだ時の痛みも気にならなくなるぐらい。
大きな、赤い筋が、伸びていた。
「みお、り……?」
こうして。
僕の幼馴染、小日向美織は、僕を、僕なんかを、庇って。
その短い生涯に幕を閉じた。
*
人が波のように続いて歩いていくという様を、私は肉眼で初めて見た。
最寄の駅から空港へと続く長い通路。長いだけでなく横幅も広いその通路を、人という人が列を作っては無言でただただ歩いている。その流れに身を任せるには、私の人生経験は少し足りなかったようだ。
「ご、ごめんなさいっ」
後ろから急かされるように響く足音に圧され、思わず歩幅を広げたら前の人の踵を踏んでしまった。踵が靴から脱げ、一瞬立ち止まったスーツのおじさんは私の謝罪に舌打ちで返答し、立派で値が張りそうな革靴の踵を踏み鳴らしながら、窮屈そうに歩みを再開した。そう冷静に分析している間も人の波は止まらず、後ろからの足音は数を増し更に私を前へ前へと追いやるよう響く。私は慌てて歩みを再開させるが、前方の人の壁が急に止まり、また私はさっき踵を踏んでしまったスーツのおじさんの背中に勢い余ってぶつかってしまった。今度は舌打だけではなく、不機嫌を一切隠すことのない視線で私を睨み付けた。
「ご、ごめんなさい」
聞き覚えのある舌打ちをまた耳にして、私はそそくさと歩みを再開した。人の波とはよく言ったものだと、何度も繰り返し同じミスをしてしまった羞恥で顔を赤くしながら考える。ほぼ一定の速度で動き続ける足と体。その流れは均等に前へと進み、やがて各々の目的地へ向かって分かれていく。
そうした波を不慣れながらも少しずつ進んでいき、やがて道は大きくなってきた。人の波もだいぶばらけて、動きの鈍い私でも難なく歩けるぐらいのペースとなり、一息つく。
私が住んでいる町にはない人の多さ。故郷は別に、田舎ではない。何てことのない普通の町だ。お祭りの屋台ですら経験したことがないぐらいなのに。ここではただの平日でもずらりと並ぶ人、人、人。
性別、服装に違いはあれど、みんな空港に来たということは長距離の移動を目的としてこの場に来てるのだろう。改めて、この膨大な人の多さにくらりと眩暈がする。こんなにもたくさんの人が私と同じように、辛いことや悲しいこと、楽しいこと嬉しいことを一杯経験してきて、そのまた何倍もの人たちとの交流を経て。そう考えてまた世界というもののスケールの大きさに、ただただ圧倒されるような錯覚を覚える。いや、錯覚ではないのだろう。全部私の想像でしかないけど、実際に彼らは彼らの人生を生きてきているのだから。
「大きいなぁ、世界って」
思わず呟いてしまってから、慌てて周囲を見回す。呟いた内容もなんだか子供みたいで、もし聞かれてしまったら恥ずかしい、と思っていたのだが。全員、私の呟きなんて気にもしないほど、自分のことに精一杯だった。誰一人私の呟きにたいして関心も反応も示さない。よかったけど、自分のちっぽけさを痛感してしまい、一人で勝手に心が沈んだ。
……なんだか、ほんと。馬鹿みたい。
そうして落ち込みながら歩いていると、ようやく待ち合わせの場所が見えてきた。水を一定の間隔で噴射する噴水。その水の噴射口には色鮮やかなライトが備え付けられて、その色のある光を反射させながら水は吹き上がる。赤青緑紫。他にもたくさんの色を放ちながら水は高く、時に低く。まるでサーカスの見世物のように華麗に舞い上がる。建物の中に噴水がある、というだけでも十分違和感があるのに、屋外の公園でも見たことがない程立派な噴水は私の目にはとにかく珍しく、綺麗に見えて。
「佐奈、か?」
呆けて噴水を眺めていた私は、突然声をかけられた。
「え?」
「ああ、やっぱりな」
振り返ってみると背の高い男の人が私を見て笑いかけていた。紺色のスーツを着て、しっかりとネクタイは襟元まできつく締められている。
一瞬、思考が止まってしまって身動きもできなくなる。
「あ、あのええと……」
昔から、予期せぬ事態が起こると私はすぐに混乱してしまう人間だった。頭がこんがらがって、まともな思考ができなくなるのだ。いや、別に予期してた事態だからって完璧にこなせるような人間ってわけじゃない。応答しなければいけないのに、私の頭は慌てふためき、口にするべき言葉を考えることすらできなくて。
「久しぶりだな、元気にしてたか?」
こんがらがっていた思考の糸が、どこか聞き覚えのある口調と声色で次第に解けていく。
「……誠お兄ちゃん?」
「ああ、久しぶりだな。佐奈」
……つまり私は、待ち合わせ場所で待ち合わせた目的の人物と出会って、一人で勝手にパニックになっていたわけだ。
ああ、ほんと……馬鹿みたい。
*
朝。目が覚めてからまず行うことは後悔だ。
どうしてあの時こうしなかったのか、もっとできることがあっただろうこの馬鹿野郎がと。一頻り自分を罵倒する。そうでもしないと起き上がれもしなかった。
自分の熱で温められた布団から出ると、冬の冷たい空気が身に刺さる。それさえも不甲斐ない自分への罰と思えば、受けてしかるべき痛みだと割り切れた。食欲はない。食べるという気概さえ沸かなかった。たとえ目の前にどんな高級料理のフルコースがずらりと並んだところで、僕の食指は少しも動かないだろう。食べるということは、生きることと同義だ。だというのに、それさえも行う気力もないとは。自殺志願者と思われても仕方がないだろうなと、わざとらしく自嘲してみて、また自己嫌悪に陥る。左手で前髪ごと巻き込むように頭を抱える。このまま自分の頭を握り潰してしまいたかった。
寝巻きのスウェットを脱ぎ捨て、適当な私服へ着替えた。別にもう今更周囲の視線を気にしてファッションなんて気遣う余裕も気概もないけど。習慣とはこうも根強くあるものなのか。見た目がおかしくないように鏡を見て、自分の顔に欠片も浮かばない生気というものを探してみるけど、一向に見あたらない。まぁ、それはそれで、似合っている。
外に出ると、家の中よりも冷たい空気が身を包んだ。けれど、そんなことは気にならない。家の中の方が暖かいが、それは気温の問題だ。どこだって、僕にとっては寒い。せっかく受かった大学にも通わず、日々コンビニのバイトの時にしか家を出ない息子を両親はどう思ってるのか。考えるまでもなかった。僕にとっては本当に、どこも冷たく、寒く、厳しい。
平日の午前10時過ぎ。人通りは少ない。みんな働くか学校で授業を受けるか、家の中で家事をするか。そうやって各々の生活を送り、流れる時間を過ごしているのだろう。僕と同級生だった友達は、おそらく大学で講義を受けているかもしれない。僕だけ、その輪の中から外れ、こうして歩いている。
数分ほど歩くと、深い茶色を基本とした外観の建物が見えてきた。経営者が夜逃げした工場は時間が経つにすれ、どんどん寂れていく。子どもの頃から変わらない。壊して、また何か新しい建物を建てればいいのに、誰もそうしない。興味がないのでもなく、必要がないからだ。必要もなく、ただそこにあるだけ。
廃工場の中へ入る。電気も通らないから中は暗く、何も見えない。目をつむっても歩けるぐらい、慣れた道だから問題はないけれど。それでも一応、転ばないよう、目を開いて歩く。
この先で待つ彼女に、あまり格好悪い姿は見られたくないから。
「おはよう、晃希」
鈴の鳴るような声。そんな表現では足りないぐらいに澄んだ声色で、僕の名前が呼ばれた。
その事実が、何よりも嬉しい。
真っ暗で何も見えない視界の中、うっすらと、ぼんやりと。人の形が浮かび上がる。
「また来たのね。もう、ほんと晃希は甘えん坊なんだから」
少し怒りながら、照れながら。そして笑いながら、彼女は僕にそう言った。
「甘えん坊なんかじゃないよ。おまえと一緒にするな」
事実を突かれたことを隠すように、突っ張った物言いで返してしまう辺り、僕もまだまだ子供だった。
「えー、わたしは違うもん」
「いいやおまえの方がずっと甘えん坊だね。断言できるよ」
「自覚あるけど、晃希にそうやって力強く言われると否定したくなっちゃうよね」
「ったく、面倒だな」
そんなことない。何も面倒でも、煩わしくもないんだ。
「まあでも、甘えん坊が二人ってのも、それはそれでいいよね」
彼女の姿がもうはっきりと見える。白いワンピースに、淡いピンク色のカーディガン。暖かな色彩に彩られた服装。それは、彼女によく似合ってる。彼女のお気に入りで、僕にとっても、一番好きだった彼女の格好。
「一緒っていいよね。二人一緒。うん、いいよ。いいよね」
「……ああ、いいよな」
温かい、暖かい。
彼女の側にいる時だけ、僕は実感できる。
ああ、僕は生きてるんだな、と。
「だよねっ」
喜びを表情に表して彼女は僕の手を掴んだ。
そう、掴んだんだ。白く細い指で僕の手をぎゅっと、確かに掴んだ。
だから、また僕は実感できる。
彼女、小日向美織は確かに今、ここにいるんだと。
生きて、西城晃希のそばにいるんだと。
そう、確かに実感できるんだ。
*
「美織は、死んだんだよな」
空港からの帰り道は、行きに比べてずっと空いていたように思う。時間によるものなのか、初めて来た私にはわからない。どうやら今は上り、つまり空港へ向かう人たちの方が多い時間帯なのだろう。下り、空港を出ていく私たちが歩く道は、さっきまでの人ごみ具合が嘘だったのかと思うくらい空いていて、歩きやすかった。
だから私も、誠お兄ちゃんの質問に余裕を持って答えられた。
「うん、そうだよ」
私の答えに、誠お兄ちゃんはわかりやすく眉をひそめた。昔から変わらない。内面が顔に出やすい。本人は冷静で、ポーカーフェイスがうまいと思ってる節があるけど、実際は違う。そこがまた愛嬌があるんだけど。
「そうか、死んでるんだよな。そうだよな、美織は、死んだんだよな」
人と話すときは必ず相手の顔を見て話す誠お兄ちゃん。礼儀やマナーにはうるさくて、晃ちゃんや私はよく怒られた。私は素直にその注意を受け止めていたけど、天邪鬼で子供っぽかった晃ちゃんは怒られるということが面白くなくて、いつも誠お兄ちゃんに歯向かっていた。美織ちゃんは、どうだったっけ。歯向かったのはいいけど、軽くあしらわれてしまった晃ちゃんを見て笑ってたような。
今の誠お兄ちゃんは、私を見てなかった。ガタンガタンと揺れて走る電車の窓から遠くを見て、美織は死んだんだと、まるで英単語を暗記するように繰り返し呟いていた。
「お葬式、出れなかったからね」
「ああ。いくら文明が発達しても、やっぱり外国は外国だ。遠いものは、遠い」
「何時間かかるんだっけ」
「12時間、半日あれば着くけど。その半日の時間をとるのが大変なんだ」
誠お兄ちゃんが通う大学はアメリカにある。たぶん聞く人が聞けば感嘆し尊敬するような大学だと、誠お兄ちゃんは得意げに話してたと思う。肝心の名前は、忘れてしまったけれど。
昔から物覚えはよくなかった。誠お兄ちゃんには呆れられ、晃ちゃんには馬鹿にされた。美織ちゃんだけは、私のことを呆れもせず馬鹿にもしなかった。わたしもそうだからね、と、笑っていた。
「やっぱり、忙しいの?」
「ああ、忙しいな。やらなきゃいけないことが一杯ある。その上、やりたいことも一杯あるからな。もし時間がお金で買えるなら、俺は惜しまないね。惜しむ金もないけど」
誠お兄ちゃんの口元は少し釣りあがって、笑っているようだった。感情表現が豊かになったかもしれない。昔の誠お兄ちゃんはどこか寡黙で、達観していたような気がする。一番年上だったから、私たちのまとめ役として冷静であろうと心がけていたのかもしれない。だから、まとめ役をやめて、単身アメリカへ行ってからは誠お兄ちゃん本来の明るさや、ひょうきんな部分が表に出てきたのかも。それに、アメリカは感情表現が大げさというか、大きいイメージがある。二年という月日は、決して短くない。
「そっか、それなら仕方なかったよね」
忙しいから、美織ちゃんのお葬式に出られなかった。確かに、仕方ないのかもしれない。けど、私たちはずっと一緒で、ずっと幼馴染として遊んできたのに、その最後のお別れに忙しいからって参加できないのは、どこか不義理な気もした。その気持ちが、少し言葉に乗ってしまったかもしれない。声色がほんの少し、鋭くなって空気を震わした。
だって、美織ちゃんと誠お兄ちゃんは、本当の兄妹なのに。
「ごめん」
私が言葉に乗せた気持ちに気づいたのか、誠お兄ちゃんは体を曲げ、私を正面に置き深々と頭を下げた。
「本当に、行けなくて悪かった。ごめん」
そうやって頭を下げる誠お兄ちゃんの姿は、ちっとも変わってなかった。昔はただ伸ばしてただけの癖のない髪も、今ではしっかり整えられているし、体つきだって少し大きく、立派になってる。けどこうして、謝る時は例えどんな小さいことであろうとも、しっかり頭を下げて謝る。今の誠お兄ちゃんの姿は、少しも昔と変わっていなかった。
「い、いいよ。怒ってないから。私こそごめんね」
「いや、いいんだ。俺が謝らなきゃって思っただけだから」
本当に変わってない。人によっては堅苦しいと思われてしまう誠お兄ちゃん。私には、ただ誠実なだけに見える。
「変わらないね」
「佐奈こそ、変わらないじゃないか」
「……そう、だね」
自分でもわかってる。この場合の変わるとは、成長のことだ。体の成長。そして、心の成長。誠お兄ちゃんの変わらなかった部分と、私が変えることができなかった部分は、きっと同じ意味を持たない。
わずかに沈んだ私の心境を読み取ったのか、誠お兄ちゃんはまた窓に目を向けた。遠くに太陽が見える。時刻は午後の三時。そろそろ日が落ちるだろうか。冬の間はすぐに暮れてしまい、夕日を意識する時間がずっと多い。
「いつまでいれるんだっけ」
「三日程は残るつもりだ。それまでに、色々片をつけないとな」
「……うん」
電車は進み続ける。私が住む町へと。晃ちゃんが住む町へと。誠お兄ちゃんが住んでいた町へと。
美織ちゃんが、生きていた町へと。
保育士を志すようになったきっかけは、美織ちゃんだった。
物心つく前から両親のいなかった私は、父方の祖父の家に暮らしていた。祖父は古物商を営んでいて、家にいるよりも店に立つことの方が多かった。誰もいない家で一人で遊ぶ私を連れ出してくれたのが、近所に住んでいた美織ちゃんだったのだ。
年齢が一つ上というだけなのに、私には美織ちゃんは三つも四つも上のお姉さんに思えた。見た目じゃない、中身がずっと大人びているように見えた。小学校に上がったばかりの女の子なのに、物言いはハッキリと、言動の全てに硬い芯が通っているかのように口にした。そのくせ温和で、どこかほんわかと気の抜けた笑顔を浮かべたり、時にはさっきまでの自信はどこに行ったのかと思いたくなるほど抜けている。そんな美織ちゃんに連れられて、私はそのグループに入れてもらった。
美織ちゃんの実の兄である誠お兄ちゃん。美織ちゃんの幼馴染の晃ちゃん。そして、私。
全て、美織ちゃんを中心として出来上がった、幼馴染グループだった。遊びに行くのも、勉強するのも、全部皆一緒だった。夏休みの宿題ですら、私たちにとっては遊びの内の一つだった。難しい問題を、誰が一番早く解くか。年齢がバラバラなのに、どうしてか勝敗は拮抗していた。手加減してくれたのかもしれないし、その頃の私は奇跡的に頭が良かったのかもしれない。今となっては真相はわからないけど、あの頃の私たちは何もかもが対等だった。性格に違いはあれど、立場に優劣なんてなかった。
……いつからだろうか。その四人の、対等だった関係に、どこか陰りが見え始めたのは。
誠お兄ちゃんが理系の道に進み、他の三人は文系の科目が得意だったことも理由の一つかもしれない。年が進むにつれ、個人個人で得意なものが増えてきた。科学の勉強の楽しさに気づいた誠お兄ちゃんは、いつしか私たちのグループで遊ぶよりも、一人で熱中することを覚えた。
だからといって、疎遠になったわけでは決してない。いつだって、私たちと遊ぶことを優先してくれた。それでもしっかりと成績を上げていく器量の良さが、誠お兄ちゃんには備わっていた。私たちよりも一年早く進路を決め、単身外国の大学に行くことになったとしても、連絡は欠かすことはなかったぐらいなのだから。それが始まりではない、と思う。
なら、次第に感じるようになった性差、だろうか。グループの中で唯一同い年だった晃ちゃんと美織ちゃんは、誰がどう見たって互いが互いを、男女として意識しているのが目に見えたわかった。けれど、それは喜ばしい変化だったはずなのだ。実際、誰もがそれを悪いことだとは思わなかった。思わなかったはずなのだ。二人はお似合いで、きっと誰もが祝福してくれる、そんなベストカップルになれる間柄で。私たちグループは、それでも別たれることのない、友情のようなもので結ばれていたはずなのだ。
……私個人の感情は、きっと関係なかった。二人の関係は、私だってお似合いだと思っていたのだから。例え、私が晃ちゃんのことが好きだったとしても、晃ちゃんには美織ちゃんこそが相応しいって、それこそ私が晃ちゃんのことを好きになる前から、言葉にはしなくても心の中で無意識に感じ取れていたぐらいなのだから。
本当は、どこにも陰りなんてなかったのかもしれない。私たち四人はずっと仲良しで、何も変わらずにいたのかもしれない。でも、どれも断言することはできなかった。その自信が、確証が、今はどこにもなかった。
美織ちゃんが晃ちゃんを車から庇い、この世から去って。晃ちゃんがそのことで自暴自棄になり、せっかく受かった大学にも通わなくなって。
もう、一年の歳月が過ぎていた。
「……晃希は、今もその廃工場に行ってるのか」
「たぶん、そうだと思う」
電車から降りた私と誠お兄ちゃんは、並んで改札に向かう。久々の故郷だというのに、誠お兄ちゃんの足取りには迷いがない。まるでこれまでも通ってきた道のように、少しもブランクを感じさせない。むしろ毎日通っている私の方が、カバンから定期入れを取り出すのにもたついて誠お兄ちゃんを待たせる始末だ。
「正直、俄かには信じがたいな」
ようやく定期入れを取り出し改札を抜けた私が駆け寄ると、目を閉じて溜息を吐くように誠お兄ちゃんはそう言った。何が信じがたいのか。口にしなくてもわかってしまって、私も顔を伏せて息を吐く。
「……とにかく、行こう。行けば、わかると思う」
「そうだな」
待たせていたのは私なのに、思わず誠お兄ちゃんよりも先に歩き出してしまう。口にすることができなかったわけじゃない。ただ、望む答えは返せないことはわかっていて。
俯いたまま歩く私の横に、すぐ誠お兄ちゃんが追いつく。男の人の歩幅は、やっぱり大きく、広く。どう頑張っても、私には先を行くことも、追いつくこともできない。
……私よりもずっと、その場で立ち止まっているはずの晃ちゃんも。どうしたって、追いつくことはできないように。
「会いに行ってみようか。死んだはずの、美織に」
目的を少しも臆せず口にする誠お兄ちゃんの両手は、硬く握り締められていた。