我は見てけり
十二月になりぬ。横川にものすることありて登りぬる人、
「雪に降りこめられて、いとあはれに恋しきこと多くなむ」
とあるにつけて、
こほるらむ横川の水に降る雪も わがごと消えてものは思はじ
など言ひて、その年はかなく暮れぬ。
*****
『十二月になりました。横川に行く必要があって山を登って行ったあの人が、
「こうして雪に降りこめられて見ると、あなたを恋しく思う気持ちが多くなるものですね」
と文に書いて来たものですから、
こほるらむ横川の水に降る雪も わがごと消えてものは思はじ
(凍り付いた横川の水の上に降る雪でさえも消えることはないというのに、私はあなたを思うあまりに消えてしまいそうです)
などと言って、その年はあっけなく暮れていきました』
散々わがままを言って殿を困らせたお方様だが、それでもどうにか殿になだめられているうちに、お心も落ち着きを見せていた。
けれどもそんな時に限って今度は殿までもが、ご自身のお父上様である九条殿と呼ばれる右大臣、藤原師輔様が比叡山の横川に御建立されたお寺に行くこととなった。
お方様はひどく寂しがられて不安そうになさっていたが、殿はそれまでお父様のことばかり恋しがっていたお方様が今度は殿を頼りになさるご様子に、むしろ御満足げにお寺から幾度となくお方様に文を贈って下さった。
お方様もそんな殿のお心が伝わるらしく、ご自分の心細い思いを素直にお伝えしていた。直接お会いになるとお方様もついわがままが出てしまい、殿を困らせたり、悩ませたりしてしまう。それでも離れ離れになると、やはり互いが恋しく思われていることが、私たち侍女にも伝わるのだ。
*****
正月ばかりに、二三日見えぬほどに、ものへ渡らむとて、
「人来ば取らせよ」
とて、書きおきたる、
知られねば身をうぐひすのふりいでつつ 鳴きてこそ行け野にも山にも
返りごとあり。
うぐひすのあだにて行かむ山辺にも 鳴く声聞かば尋ねばかりぞ
など言ふうちより、なほもあらぬことありて、春、夏悩み暮らして、八月つごもりに、とかうものしつ。そのほどの心ばへはしも、ねんごろなるやうなりけり。
『お正月のころに、二、三日あの人が姿を見せなかったときに、他の場所へ出かける事になって、
「あの人が来たら、これを手に取っていただくように」
と留守番の者に言い聞かせて歌を書きおいて出かけました。
知られねば身をうぐひすのふりいでつつ 鳴きてこそ行け野にも山にも
(あなたへのこの深い愛を、心の底から知っていただけない身のわたくしは、鶯のように声を振り絞りながら泣いて、野にも山にも出ていくのです)
お返事があり、
うぐひすのあだにて行かむ山辺にも 鳴く声聞かば尋ねばかりぞ
(つれない鶯のようにあなたが山辺に出て行こうとも、本当は私を想って泣くあなたの声を聞きつけたならば、私は尋ねて行くことでしょう)
などと言いあっているうちに、身体に普段とは違うことが起こりまして、春、夏を具合が悪いまま暮らし、八月の末に「お産」とか呼ばれているものをしました。その頃はあの人の心遣いも行き届いており、仲睦まじく過ごす事が出来ました』
さらにお正月を迎えるころには殿にも余裕が出てきて、ご自分が内裏のお勤めのために二、三日こちらにお越しになれない時でも、お方様がお出かけになることをお許しになられるようになった。お方様はいつもの意地っ張りが顔を出されて、生意気なお歌などを差し上げていたが、出かける前にわざわざ歌を残される本心は私たちにもまるわかりだ。
「こんな歌を贈られていますけど、この頃は殿のことを一番ご信頼していらっしゃったのですよね」
と、お方様に問いかけると、お方様は、
「この頃だけに限ったことではありません。わたくしは常にあの人をご信頼申し上げていたのです」
と言い返される。そのほんの少し前にはお父上様のことで頭がいっぱいだったろうと思うが、そこはあえて口に出さずにおく。
私たち傍付きの人間にさえ分かりやすいお方様のお心だ。それが殿に届かぬはずもなく、殿もお方様をほほえましく思ってくださっていたらしい。その辺は助政からも、
「若殿も、こちらの女君がお父上を恋しがって泣かれていたころは『あの泣きっぷりにはさすがに参った』と頭を抱えていらっしゃったが、近ごろはご自分を恋しがって泣かれる姿に『なんの欲目もなく、純真に慕われるというのは、やはり男として気分がいいものだな』とほほ笑むようになられたよ」
と聞いていた。助政が『女君』と呼ぶのはお方様に敬意を表しての事。私もお方様の一番良いところはその純真なお心にあると思う。
純粋にご自分に正直で……正直すぎてわがままが過ぎるのが問題だけど。しかし助政は、
「なあに。それでいいんじゃないか? 若殿もわざわざ女君の本心を確認してからご結婚なさったくらいだ。そう言う本心をぶつけてくださる手ごたえのある方だから、若殿もお気に召しているんだろう。こちらでは余計な気遣いをする必要もなく、くつろいでいらっしゃるし」
と、あまり問題にしていない様子。
「……ここだけの話、よそで殿は気を使われているの?」
私もお方様同様に、あまり邸の外へ出歩く機会は多くない。だからよその邸のことはかすかな噂程度にしか知らない。まして殿の他の女性のことなど知る由もないのだ。
「んー……。若殿は大殿(藤原師輔)に似て温和で寛大なところがあるからあまり表に出さないが、結構勘が良くて人の裏を見てしまうんだ。だから妻のもとでも内心気を使っていると思う。時姫様はお心優しく気づかいのできる人なんだが、婿として最初の通い先だったから気を使わないわけにはいかない。他の戯れのお相手は、殿の援助をアテにしているから変に卑屈だったり、やたら遠慮されたりでとても本心からくつろぐことなんてできない。逆に刺激を求めているんだと思う」
助政は今、邸内に割り当てられた私の曹司にいる。同室の母は気を使ってお方様のもとに上がっていて、私たちは二人きり。しかもともに枕を並べてくつろいでいる所だ。そこで私が「ここだけの話」として聞いているので、助政もちょっと口が滑らかになっている。
「刺激ねえ。殿のお父上様の九条殿は公明かつ優美なお人柄と言われているけど、反面女性の話ではよくない噂も聞くのよね」
「内親王盗みの話か? 確かに異例な話だが、大殿ほどの方であればある程度は仕方がない。むしろ三人もの内親王に次々亡くなられて、お気の毒なことじゃないか」
九条殿は異例なことに内親王様を三人も娶っていらっしゃった。それもご自分のお立場を利用して、強引に内親王様のご寝所に入られてのことだったとか。
「それはそうなのだけど勤子内親王様がまだご存命のうちに、同じ西宮に住まわれていた妹君の雅子様の寝所に通われていた噂があるじゃないの。本来なら内親王様なんて、絶対に手の届かないはずの方なのに……噂は本当なの?」
「さすがに俺だって大殿の昔の恋の真相まで知らないさ。ただ大殿も若殿も恋に情熱的なところは似ているのかな……」
「ちょっと待ってよ。男にとっては『情熱的』も『刺激的』も同じような感じかもしれないけど、女にとっては大違いよ!」
「お前の言いたいことはわかるが、若殿ほどの家を背負っていて責任だけは果たしながら女は少ないままでいろって訳にもいかない。それじゃ、男君は責任の重さにつぶれちまう」
私には男の責任や政のことはわからない。私だってお方様のために責任をもってお仕えしているつもりだけど、助政に言わせれば
「俺たちが主人に仕える責任と、高貴な男君が家格を背負う責任とは比べ物にならない。そもそも邸一つ整えるのと、内裏の政務じゃ全然違う」
のだそうだ。そして助政に心底困った顔をされると、私も黙り込んでしまう。
「私にはよくわからないわ。お方様にももっとわからないと思う。あんたは殿の文遣いなんだから、間違ってもよその女の影なんかこの邸でちらつかせたりしないでよ」
私は助政にそう言い含めておいた。しかし私の心配をよそにこの邸に朗報がもたらされる。
--------お方様、ご懐妊。
もう邸中が歓喜に沸いて、大喜びとなった。お母上様は涙ながらに喜んで、あちこちの寺に安産祈願を申し付けた。お父上様も遠く離れた陸奥国から滋養に良い特産物を塩漬けにして贈って下さった。
気分が悪いとわがまま三昧のお方様を、姉上様がいろいろと慰めてくださったり、お母上様がお産の心得を色々とご指導なさったりした。
もちろん殿のお喜びも大変なもので、初めての子と言うわけでもないのに、ご気分がすぐれないお方様を優しく慰めてくださり、励ましてくださったりした。
そして、お方様は八月の末に無事、健やかな男の子をお生みになられた。男の子と聞いてお方様はほんの少しがっかりなされたようだが、生まれたばかりの子のお顔を目の当たりになさると、そんな憂いも消えてしまわれた。お祝いの産養いの品があちこちから届くのも華やかである。
本当の所、男のお子様はすでに時姫様がお産みになっていらっしゃるので、できれば殿の初めての女のお子様を生んでいただきたかった。
もちろん男の子は家の跡取りとなる大事な存在だが、すでにおひとりいらっしゃることを考えると、将来殿がご出世なさった時に……できる事なら、帝の外戚を目指される希望のために……姫君を儲けておきたかったのだ。
だがこんな素晴らしい、お可愛らしい男の子を授かり、お方様も殿も本当に幸せそうになさっている。 どうなるとも知れぬ未来のことより、今邸中の皆が幸せであることの方が、ずっと重要に思えた。
殿はお方様と生まれたばかりの若君を気にかけて、毎日しげしげと通われた。そしてお方様との仲も睦まじく、人の母となったお方様もお心和やかになられて、本当にお幸せそうなご様子で過ごされていた。
殿が、つまらない忘れ物をするまでは。
*****
さて、九月ばかりになりて、出でにたるほどに、箱のあるを手まさぐりに開けて見れば、人のもとに遣らむとしける文あり。あさましさに、
「見てけり」
とだに知られむと思ひて、書きつく。
疑はしほかに渡せる文見れば ここや途絶えにならむとすらむ
など思ふほどに、むべなう、十月つごもりがたに三夜しきりて見えぬ時あり。つれなうて、
「しばしこころみるほどに」
など、気色あり。
『さて、九月ごろになりまして、あの人が出て行ったときに、文箱があるのに気が付きました。あの人が忘れて行ったものであろうかと思い、なんとなく手慰みに開けて見ると、誰か他の女性のもとに贈ろうとしたらしい内容の文が入っています。あまりのことに、
「わたくし、あの文を読みましたのよ」
とだけでも知らしめようかしらと思いましたので、その文にこう書きつけました。
疑はしほかに渡せる文見れば ここや途絶えにならむとすらむ
(他の女性にお渡しする疑いのある文を見つけたということは、あなたがここへ来ることは途絶えようとしているということなのですか)
そんなことを思っているうちに、思った通り、十月の末ごろに、三晩仕切りを置いたようにあの人が来ない夜がありました。それなのにあの人はつれない態度で、
「しばらくあなたに逢わずにいられるか、試みようかと思いまして」
などと白々しい事を言っているのです』
ああ、あの時は私もすっかり油断していた。何よりお方様もご出産直後で、本当にご夫婦仲が睦まじくていらした時だったから。当たりたくはないけれど、助政も気が緩んでいたんだと思う。
あの日、殿を御見送りし、ほっと息をついている所に助政が血相を変えてやってきた。
「文箱! 殿の文箱はないか?」
「文箱がどうかしたの?」
「頼むからそれを女君に見せないでくれ! 大変なことになる!」
助政の異常な慌てぶりにただ事ではない何かを感じ、私は急いでお方様のもとに向かった。するとお方様はあろうことか殿の文箱を開いて、中をご覧になっておられた。しかも息をしておられないのではないかと言うほど、身体を硬直されている。
「お方様。いかがなさいましたか……」
そう言いながら私もその文を見ると、見まがうことなく殿のご筆跡で、どこかの女性に向けた愛の言葉が書きつけられていた。これはいい訳のしようもない物だった。
お方様の癇癪は大爆発。私たちが懸命になだめても、その声は少しも届いておられないようだった。大騒ぎする私たちを見てまずいと思ったのか、助政がこっそりとその場を離れようとすると、お方様がそれをしっかと見とがめて
「どこに行くのです! 殿の忘れ物を取りに参ったのでしょう!」
と、声を荒げる。
「は……っ、はい! その文箱をお返しいただけると……」
助政が恐る恐るいうと、怒り狂うお方様はお体を震えさせている。
「返す? とんでもない! この汚らわしい文を返せば、お前はこれをどこかの恥知らずな女に持っていくのでしょう? そんなこと……そんなことは……」
その時、ふとお方様は文に目を止めて、少し考えられてから、
「筆を持てっ!」と私に命じられた。
大急ぎで筆をお渡しすると、『疑はしほかに渡せる……』の歌を書きつけ、箱にしまうと、
「これを持ち帰りなさい。他の女に渡せるものなら、渡してごらんなさい。できなければこれをあの人に渡すのです。返事はあの人自身の口から聞きましょう」
助政は真っ青になって文箱を受け取り、殿のもとへ急いだ。
それからは殿が来て大騒ぎとなったが、お方様の癇癪は収まらなかった。お怒りが解けぬまま殿はお帰りになり、それからひと月以上殿は欠かすことなくお方様に通ったが、産後と言うこともあってか、お方様のご機嫌は良くならなかった。
私だって不機嫌だ。こんな文をお書きになって、よりにもよってこの邸にお忘れになる殿も殿だが、それに気が付かない助政も助政だ。こんなことが起きないように、女の影など見せるなと注意してあったのに。男たちはこちらを見くびっているのではないかと疑いたくなる。
それは私だけではなかった。殿の従者とこちらの侍女と良い仲になっている者も少なからずいるものだから、この邸の女たちは皆私と同じような心境だった。同朋意識も相まって余計に男たちの軽率さが許せなくなってしまっていた。よくない事と知りながら、感情に任せて受け答えにも棘が混じってしまう。
そんな対応に殿もお疲れになったのか、通う足が一夜空き、二夜空きを繰り返していたが、十月の末頃、とうとう三日続いてお越しにならない夜があった。おそらくほかの女性と結婚なさったのだ。
それでも殿は素直に謝られるならともかく、お方様への愛情を失ったわけではなく、逢わずにいられるか試しただけと言い訳をして、一層お方様のご不興を買ってしまわれたのだった。