通い合う心
かくて、あるやうありて、しばし旅なる所にあるに、ものして、つとめて、
「今日だにのどかにと思ひつるを、便なげなりつれば。いかにぞ。身には山隠れとのみなむ」
とある返りごとに、ただ、
思ほえむ垣ほにをればなでしこの 花にぞ露はたまらざりける
など言ふほどに、九月になりぬ。
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『わたくしもこのように結婚生活というものをするようになったのですが、そのうちにとある用事が出来たために、しばらくよそのところで暮らしておりました。それでもあの人は私を訪ねてまいりまして、その翌朝、
「今日だけでものどかに、夫婦水入らずに過ごそうと思っていたのに、あなたは都合がつかない御様子。これはどう言うことでしょう。まるであなたが私を避けて、その身を山奥に隠そうとしているように見えるのですが」
などと恨み言をおっしゃるので、そのお返事に、ただ、
思ほえむ垣ほにをればなでしこの 花にぞ露はたまらざりける
(思いもかけぬ山奥の家にいる私に、撫子の花におかれた露がそのままたまることなく消えてしまうように、あなたのお姿もここから消えてしまうようですね)
などと言ううちに、九月となりました』
ご新婚のころは殿もお方様のもとに毎日通われ、お二人ともご夫婦で過ごす時間をそれはそれは大切になさっており、殿は特にお方様のそばを離れるのを惜しく思われていらっしゃった。
まだご結婚から日の浅い九月のある日。どうしてもお寺に参らねばならないとお母上様に言われたお方様は、「ほんの数日のことなので」と殿にお願いをしてある山寺にお出かけになられた。
ところが殿はお許しをくださったにもかかわらず、お方様と逢えぬ夜に我慢ができず、夜も更けてからお方様を訪ねていらっしゃった。暗く恐ろしげな山道をお方様に逢うことだけを頼りに寂し気な山寺まで足を運ばれたのだ。殿はどれほどご愛情が深いのだろうかと私たち侍女は感激でいっぱいになったものだ。
私も思いがけず助政と逢えてうれしかったのだから、お方様はどれ程喜ばれたことだろう。山寺という神聖な場所にも関わらず、私たちは男女の情愛の深さに酔いしれずにはいられなかった。
「あの時は私たちも驚きながらも喜んでいたのですが、殿はこのようなお可愛らしい我儘をおっしゃっていたのですね」
お方様が書いた殿のお言葉に私が思わず微笑みながら言うと、お方様は、
「さすがに新婚でしたしね。今思えばあのように人目につくことをして、時姫様などとても心苦しく思われただろうと思うのですが」
と、お言葉は大人らしい思慮深いことを言っているが、その頬が赤らむのは抑えられずにいる。それに、当時のお方様にしてみれば時姫様に申し訳ない思いがちらつきながらも、それ以上に殿に誰より深く愛されているという実感に大いに満足されたことだろう。だが、それがお方様に殿への期待を大きく膨らませ過ぎてしまったのは、皮肉なことだが。
「お母上様から時姫様にお気遣いするようにと、口酸っぱく言われていたころでしたしね」
「ええ。今なら母がどれ程私のことを心配しての言葉だったかよくわかります。時姫様のことは母以外にわたくしに進言できる人はいませんでしたから。時姫様を貴ぶ心がなければあの人との仲をつつがなく続けることなどできないことが、当時のわたくしにはわかりませんでした。それどころか自分のおごり心や無遠慮にさえも、気づかずにいたのです。母だけがそんなわたくしをたしなめてくださったのです」
お方様は後悔という苦いものをかみしめるようにおっしゃった。この時の山寺行きは、実はお母上様がこちらにばかり通う殿に時姫様との時間を与えようと配慮されてのことだったらしい。しかし肝心の殿はお方様に夢中で、お方様も私たち侍女もお母上様の深いお心に気づく事が出来なかった。
さすがに乳母である我が母は私たち侍女の浮かれようをとがめていたが、それもあまり強くは言えなかった。何しろ最終的にこの縁を結ぶことを決定したのは、我が母とお母上様だったからだ。乳母は主人に乳を与え、ご成長を見守り、良縁を結ばせるのが仕事だ。その御夫婦仲が良いことをいさめるようなことを言うわけにはいかなかったのだろう。
「お方様のせいではありません。殿のご愛情に浮かれて、思慮が足りなくなった私たち女房の不手際だったのです。それにもかかわらずお方様は時姫様とお心を分けられるようになられたのです。お母上様もきっと、そのことを喜んでおいでだと思います」
私がそういうとお方様も、「そうだとよいのですけどね」と、感慨深そうにしていらっしゃる。
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つごもりがたに、しきりて二夜ばかり見えぬほど、文ばかりある返りごとに、
消えかへり露もまだ干ぬ袖の上に 今朝はしぐるる空もわりなし
たちかへり、返りごと、
思ひやる心の空になりぬれば 今朝はしぐると見ゆるなるらむ
とて、返りごと書きあへぬほどに見えたり。
なた、ほど経て、見え怠るほど、雨など降りたる日、
「暮れに来む」などやありけむ、
柏木の森の下草くれごとになほ頼めとや漏るを見る見る
返りごとは、みづから来て紛らはしつ。
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『月の末ごろに引き続いて二晩ばかりあの人が姿を見せない時がありました。届く文にも歌の一つさえありませんでしたので、お返事に、
消えかへり露もまだ干ぬ袖の上に 今朝はしぐるる空もわりなし
(消えかかるような私の想いは袖の上を濡らす涙でさえも乾いてはおりません。さらに今朝は空まで涙雨にしぐれているので、どうしようもない気持ちでおります)
と、歌を差し上げました。するとあの人から急ぎ折り返しのお返事に、
思ひやる心の空になりぬれば 今朝はしぐると見ゆるなるらむ
(私があなたを思う心が空に通じたから、今朝は空も私に代わって涙にしぐれているのでしょう)
と言って来て、こちらが返事も書き終わらぬうちに、あの人がお見えになったのでした。
また、しばらく経ってあの人が姿を見せるのを怠るほど雨が降った日に、「夕暮れには来る」と言ってきたときだったでしょうか。
柏木の森の下草くれごとになほ頼めとや漏るを見る見る
(柏木の森にいらっしゃる立派なお立場のあなたなのに、夕暮れごとに「私を頼れ」とおっしゃるのですか。木陰から漏れた雨水に濡れる下草のような私は、またもお逢いできずに期待外れの目を見るでしょうに)
と、歌を差し上げました。お返事はあの人自身がおいでになったので紛らわされてしまいました』
「殿はあれほど情熱的でしたのに、お方様はずいぶん御非難めいたお歌を贈られていたのですね。お方様に見劣りしないお歌をお返しするのは、当時の殿にはご負担もおありだったでしょうに」
いや、これは本気で歌を求めているのではなく、求めていたのは殿のご訪問でお方様が甘えていらっしゃったのだ。とはいえ歌才に恵まれた美女と誉れ高いお方様。殿の御出自が良いだけに、対抗できる歌を求められるのはなかなか大変だったに違いない。
「対抗心が強い人ですから。わたくしの歌に挑み心を見せてくれましたし、わたくしもそれを楽しんでいたのです。あの人もお返事がつらくなりそうな時は、差し上げた歌が届かぬうちに飛んできてくれましたし」
お方様は懐かしそうに目を細められる。そして、
「あの頃は本当に幸せで……。私もずっとこんな日々が続くものだと思い込んでいたのです。あまりの幸福感にあの人に他の妻がいる事や、多くの女性がいることなど忘れてしまっていたのです」
というと、細めた目に陰りを宿らせられた。こんなお方様の表情を見るとこちらも申し訳なく思う。冷静に状況を判断することもなく、私たち傍周りの者までお二人の新婚気分に酔いしれてしまっていた。
この時お方様に殿のご愛情に甘えるばかりではなく、そのお心に感謝するようにご注進していれば、こうも極端にお方様も殿にばかり御執着なさらずに済んだかもしれないのに。
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かくて、十月になりぬ。ここに物忌なるほどを、心もとなげに言ひつつ、
嘆きつつ返す衣の露けきに いとど空さへしぐれ添ふらむ
返し、いと古めきたり。
思ひあらば干なましものをいかでかは 返す衣の誰も漏るらむ
とあるほどに、わが頼もしき人、陸奥国へ出で立ちぬ。
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『こうして、十月となりました。私が物忌みとなったのを、じれったいといいながら、
嘆きつつ返す衣の露けきに いとど空さへしぐれ添ふらむ
(お逢え出来ないことを嘆きながら衣を裏返しに来たというのに、その衣も涙で濡れてしまいました。それなのに空までもわが心に寄り添って、涙の雨にしぐれているとは)
と、歌をくれました。お返事は、とても古い言い回しとなってしまいました。
思ひあらば干なましものをいかでかは 返す衣の誰も漏るらむ
(互いが想う恋の火があれば衣も乾きそうなものなのに、どういうわけでしょうか。どちらの裏返した衣も同じ涙にぬれてしまうなんて)
などとやり取りをしているうちに、私が頼りとしている父が、陸奥国に出立しました』
殿のご愛情はとても分かりやすいものだった。高貴な方は物忌みという一定期間身を慎んで、邸の奥にこもっていなくてはならないしきたりがある。体調不良や夢見が悪い時、暦に定められた期間や占いの結果などで物忌みが行われるのだが、女性の場合は月経の期間も物忌みとなる。
物忌み中は邸の御簾をおろし、居場所を屏風や几帳で取り囲み、風も陽も遮り邪気を入れないようにする。食べ物も香草や魚などを避け、身も清らかに精進する。男君はもちろん、訪問者も受け入れることはできない。
お方様が寺にいた数日さえも耐えられなかった殿なのだ。初めての物忌みはさぞかしじれじれと明ける日を待ち焦がれたことだろう。このお歌も相当文のやり取りをした挙句に贈られたのかもしれない。お方様にお尋ねすると、
「そうですね。あまり書き過ぎてもはしたなく思えて気が引けますから。けれど、このときはわたくしも、あの人と同じくらいに逢えないことがもどかしかったのです。あまり深く考えることなくお返事してしまったものですから、随分古風な言い回しの歌になってしまったのです」
お方様はそうおっしゃるけど、この歌はとてもお二人の気持ちを正直に詠まれているように思う。お二人のお心はこんなにも通い合っておられたのだ。
けれどそんな中でお方様のお父上……倫寧様が陸奥国の国司として任官することになった。官を得るのは本来なら喜ばしいことなのだけれど、陸奥国は遠すぎた。何しろお方様はとても寂しがり屋な方で、お身内が自分から離れることが苦手でいらしたのだ。
その寂しいお心は一層殿への執着心を募らせた。それが殿の重荷になることなど、当時のお方様には思いつく事が出来なかったのだ。