型破りな求婚
さて、あはつけかりしすきごとどものそれはそれとして、柏木の小高きわたりより、かく言はせむと思ふことありけり。例の人は、案内するたより、もしは、なま女などして、言はすることこそあれ、これは、親とおぼしき人に、たはぶれにも、まめやかにも、ほのめかししに、「便なきこと」と言ひつるをも知らず顔に、馬にはひ乗りたる人して、うちたたかす。「誰」など言はするには、おぼつかなからず騒いだれば、もてわづらひ、取り入れて持て騒ぐ。見れば、紙なども例のやうにもあらず、いたらぬ所なしと聞きふるしたる手も、あらじとおぼゆるまで悪しければいとぞあやしき。ありけることは、
音にのみ聞けば悲しなほととぎす こと語らはむと思ふ心あり
とばかりぞある。「いかに。返りごとはすべくやある」など、定むるほどに、古代なる人ありて、「なほ」とかしこまりて書かすれば、
語らはむ人なき里にほととぎす かひなかるべき声な古しそ
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『さて、当時のわたくしには文通する気にもなれないような好き者達から、取るに足りない恋を歌った文が贈られることもありました』
そうそう。まだ姫と呼ばれていたころのお方様は、それは輝くばかりの美貌の持ち主だった。そしてその美貌は今もそれほど衰えたとは思えない。
そりゃ、二十以上も下の裳着(成人式)を迎えられた姫などと比べればさすがに若さの違いはあるけれど、御装束の染や仕立てがお得意なだけあって襲の着こなし、襟を滑らせる肩の線の見せ方などは若い方よりずっと優れていらっしゃる。
部屋のしつらい(インテリア)も屏風や几帳の野筋(垂らす紐)の色、茵の色などを調和させ、実によく整えられている。しぐさ、身のこなしも優美で、それもごく若いころから兼ね備えていらっしゃった。亡くなったお方様のお母上が大変古風な方だったので、そういう点では厳しくていらっしゃったからだ。
それだけに独身時代のお方様の御評判は、とてもとても高かった。おまけにお歌まで得意なものだから、多くの殿方がお方様に恋文を競って贈ってこられた。こちらが相手にしそうもないような人でさえ、
「美女で名高く美的感覚に優れ、歌の名手と呼ばれる姫だ。脈がなくてもひょっとしたら気まぐれに、見どころのある歌の一つも返してくるかもしれない」
などと軽々しいことを考えて、お方様のもとに多くの恋文が届いたのである。
「あの頃は本当に多くの恋文が、日に何通も届いて困ったものでした。親も通さずに女童に無理やり押し付けるような無作法者も多くって」
……もっとも、その多くの文は私たち女房に握りつぶされたんだけど。
私が思い出にふけりながら言うと、深窓の奥様であるお方様は
「あら、そんなに文が届いていたの? 知らなかった」と驚かれる。
「当然でございます。お方様のお目に触れた文はほんの一部。そのようなはしたない人の文など、お方様にお見せできませんもの」
「でも、無作法という点では殿もあまり良い作法だったとは言えませんしねえ」
お方様はそういってため息をつかれる。確かに殿からの求婚はもっと、作法も何もあったもんじゃなかった。私は返事に困って続きを読むことにする。
『それはそれとして、「柏木」と呼ばれる兵衛府に勤められていらっしゃる、右兵衛佐兼家様という高貴なお家柄の方から、このようにおっしゃりたいのだろうな、と思わせる……求婚を匂わせる……ことがありました。普通、求婚をする人はわたくしの案内役となる乳母のような人、もしくは侍女などに伝言させて来るものですが、この方は我が父と思われる人の見当をつけると、冗談のようにも、真剣なようにもほのめかせてきました』
「……親に文を贈る許可すら取らずに侍女にいきなり文を押し付ける人もどうかと思いますが、確かめもせずに『たぶん、あれが親だろう』といった程度の判断で冗談交じりに求婚するというのも、真剣さを感じにくいものです」
お方様は少しイラッとなさったような声でそうおっしゃる。
「まあまあ。そんな風におっしゃられては、殿がお気の毒です。殿もあの頃はとにかく若くて(当時兼家は二十六歳)いらしたし。ほかの方は『著名な歌人の娘で歌の名手』の歌を人に自慢したくて寄ってきたのでしょうが、殿はお方様ご自身をお気に召していらっしゃったから、あまりお父上にご関心がなかったそうですよ」
私は殿に気をまわしてそう言ったが、お方様は、
「わたくしもまだ十九でしたわね。あの方は若いといっても右大臣、藤原師輔様の御子息。歌人とはいえ受領でしかない我が父倫寧のことなど、本当は目の端にも入らなかったのでしょう」と、不満そうだ。
「ですが、殿もお家柄が良いだけに気苦労をされたはずですし、兄上の兼通さまとの御不仲も有名で出世を激しく争っていらっしゃいましたし」
「それでも新たな女性を探す暇だけはあるようですね。わたくしもそうやって見つけた一人となってしまいましたが」
お方様は皮肉たっぷりにそう言った。それも仕方がない事。お方様は殿の最初の妻ではない。殿がお方様に求婚されたときは、すでに時姫様とおっしゃる藤原中正様の娘を妻に持っていて、男のお子様までいらっしゃったのだから。その後も殿は次々と新しい通い先を作ってはお方様を悩ませている。でも
「そのようなおっしゃり方、なさらないで下さい。殿にとってお方様は特別です」
「……ええ、わかっています。いいから続きをお読みなさい」
お方様にそう促されて、私は続きを読む。
『そんな適当な様子に我が母が、「あちら様の家格が高すぎて、うちの姫ではつり合いが取れないのでは」と心配しているにもかかわらず、そんなことは知らないよといった顔で馬に乗った従者を使い、我が家の門を叩かせています。それもうちの家人に「どなたでございましょうか」と声をかけさせるのも戸惑うほどに騒ぎ立てるのです』
これまた随分殿を持ち上げた印象の書き方だこと。確かに嘘は書いていないけど、何だか殿が颯爽と門前に現れて、威厳たっぷりに激しく門を叩かせ、高らかに求婚の文を携えて来たみたいに思える。ちょっとばかり夫自慢が混じってしまっている。
「この、殿の強引さがもとで、お方様は文を受け取らないわけにはいかなくなりましたものねえ。若い我儘な貴公子というのは、どうしようもないものですね」
私は笑いながらそう言ってしまう。だって、現実はそんなに華々しくはなかった。今思い返せば失礼ながらあの殿の行動はなかなか可愛らしく、あんなに必死な訪問者を私はほかに見たことがない。
その時の従者は殿に散々せっつかれた挙句、馬上のままドンドンと荒々しく門を叩き、
「開けてください! どうかお開けください! わが主人はどうあっても文を渡すようにと申しております。お文をお渡しできなければ、我々従者は気のふれた主人に何をされるかわかりません。どうか、どうか、文をお受け取り下さい!」
と、よそでは聞いたことがないような大騒ぎをしていた。ほとんど泣き声だった。
「笑い事ではありませんでしたよ。おかげでわたくしはあの方をお断りできなくなってしまったのですから」
お方様はそう言って難しいお顔をされる。時の右大臣の子息がおおっぴらに求婚していると騒ぎ立てたのだから、そりゃあ世間は好奇の目を向けるに決まっている。そんなことをされたらこっちは相手の顔を立てながらこっそり判断するなんてできない。結局非常に断りにくい形にされてしまった。
でも今の言葉がお方様の本音とも思えない。お方様は殿の若さと強引さに驚きながらも、その情熱に惹かれていらっしゃったに違いない。だってその時、「こんなに必死だなんて……」と、お方様がこっそりつぶやいたのを私は耳聡く聞いてしまっている。
ただ、届いた文を見た時にはそんなご同情の気持ちも吹き飛んでしまわれたけど。
『届けられた文を見てみると、書かれている紙も普通恋文に使う美しい女性好みの紙ではない、全く無粋なものですし、欠点すらないと評判の筆跡も本当にご本人が書いたのかしらと疑いたくなる、あり得ないほどの悪筆です。これでは全く妙な気持ちにさせられてしまいます。そこには、
音にのみ聞けば悲しなほととぎす こと語らはむと思ふ心あり
(お噂を聞くだけでは悲しいですね。ほととぎすのわが身にも、お目にかかって語り合いたいと思う心があるのですよ)
とばかり歌が書かれています。わたくしが
「どうしましょう。お返事を差し上げるべきかしら」
と相談すると、古風な考えである母は
「そうなさるべきでしょう」とおっしゃります。
昔気質な母からすれば多少奇妙な恋文であっても、お相手の家柄を考えてかしこまったお返事をするべきだと考えたらしく、わたくしに返事を書かせます。わたくしは、
語らはむ人なき里にほととぎす かひなかるべき声な古しそ
(語り合いたいと思う人などここにはおりませんよ。ほととぎすさん。なんのかいもなく、心のお声も古びてしまうでしょう)
という歌をお返ししました』
「まったくあの文にはあきれました。こちらを家柄の違いで追い詰めるようなことをしておきながら、これほど型破りで失礼な文。こんな求婚をする殿方の話をわたくし、知りませんもの。あの時は母上のご心配をもっと深く考えるべきでした」
お方様はそう悔しそうにおっしゃる。
「でも、お方様に文を贈るために殿も随分思案を巡らせたとおっしゃっていたではありませんか。自分の歌では普通の方法だととてもお返事はもらえない。ましてや本音を漏らす文など返してはいただけないだろうと、できるだけ型破りで印象深い方法をえらんだと」
後にそう白状した殿のお言葉は、私には偽りがないように思える。殿の御実家の家柄なら、家格にものを言わせて強引に文をこちらに押し付けることもできたはず。古風なお方様の母上様が折れるほどの家柄の差。それに頼ることなくお方様へ自らお文を差し上げようとするお心は、まぎれもなく殿の誠意の表れだったと思いたい。
殿は単純に求婚のお文をお方様に押し付けたかったのではない。心底お方様のお心のありようを知りたくていらしたのだと。でも、お方様は不快そうに、
「あのように騒ぎ立てられては、返事をしないわけにはいかないではありませんか。あまりの出来事にしばらく世間の語り草とされてしまったのですよ。いくら印象深くても、こちらへの配慮が欠け過ぎています」
と、眉をひそめられる。当時の悔しさを思い出されたらしい。
「でも、結局お文のお返事を返されました」
私がお方様の表情をうかがいながらそういうと、お方様は、
「無礼な態度にふさわしい歌をお返ししたまでです」と無表情を装いながら言う。
「でも、返されたんですよね。本音のお歌を」
私がそう繰り返すとお方様はお顔をほんのりと赤らめて、プイッと横を向かれてしまう。そして慌てて扇で顔を隠された。
かわいい。こういう意地の張り方をするお方様は、本当に子どものように可愛らしい。
そして、そういうお心が辛辣なお返事の歌を殿に贈らせたのだろう。そして殿はお方様の魅力に気づき、一層激しくお方様を求めてしまわれたに違いない。