(1)はじまり
「ねぇ、話を聞きたくない?」
安っぽい赤いドレスを着た女が言った。
俺と、俺の連れのルディが旅人の集まる大衆食堂に入ると、かならずこういった連中に声をかけられる。俺は女をちらりと見てからルディに視線を向けた。ちょうど、同じように俺を見たルディと目があう。
「聞くわ」
ルディは俺の意見を聞かずに答えた。
「先払い」
女は手の平を広げて俺に見せた。俺は荷物の中からわざと高額紙幣を取り出して、女の手の平に乗せた。女は満足そうに頷いて、それをポケットに捻じ込む。おおかた、自分の予想があたっていたことに対する満足だろう。
それも仕方のない事だった。二十歳そこそこ、いかにも剣士といった風情の俺と、十五、六のろくに武器も防具も身に付けていない少女が一緒に旅をしている場合、その関係の多くは主従だ。つまり、ルディは自分専用の護衛をつけて旅をしているどこぞのお嬢様で、金の払いが良い、と判断されたのだった。
女は俺たちの脇に椅子を一つ引き寄せて、話し始めた。それは、勇者の話だった。今からおよそ200年前、世界は魔女を名乗る一人の女の手によって恐怖のどん底に突き落とされた。魔女は人間であるにも関わらず、世界を憎み、人間を憎んでいた。今となっては詳しいことは分からないが、おそらく魔女は非常に腕の良い魔道士だったのだろう。信じられない奇跡を数多く起こすことが出来、その全てを人間を傷つけることに使った。その暴走を止めたのが、勇者であるという。
女が語るのは、子供から大人までこの世に知らぬものなど誰もいない、有名な英雄譚だ。
勇者は魔女と相打ちになり、決して帰って来ることはなかった。けれども、世界を救ったその業績は大きく、いまだに伝説として語り継がれている。
――しかし、その戦いに二つの裏切りがあったことを俺は知っている。一つは魔女の側に。もう一つは勇者の側に。その裏切りによって戦いはあっけなく幕を閉じたが、その代償として裏切り者は呪いをその身に受けることとなる。
「ちょっと、聞いてる?お兄さん」
女が俺の前のテーブルに手を着いた。俺は、はっ、と我に返る。見ると、ルディも俺に視線を送っていた。
「悪い。聞いてるよ」
俺は女に微笑みかけた。
「そう?じゃあ続きを話すけど」
女は再び話し始める。
「その時、勇者の使っていた武器は、生きた武器だったというわ。今では常識になっている生きた武器も、当時は信じる人が少なかったそうよ」
生きた武器は、勇者が発見したというのが定説だ。だから彼の英雄譚には必ず、生きた武器の話が出てくる。生きた武器が一体いつから存在したのか、それを最初に使ったのが本当に勇者だったのか。その真実を知っている者に、俺は今まで出会ったことがない。生きているといっても、武器が歩いたり、語ったりするわけではないのだ。最も、ごく稀に、武器の声を聞ける人間がいるというのは知っている。しかし、その人達ですら真実を聞き出せたという話を聞いたことはない。なぜか、使える人間と使えない人間がいる武器。なぜか、声を聞ける人間と聞けない人間がいる武器。だからそれらは、誰からとも無く『生きた武器』と呼ばれるようになった。
「ありがとう。おもしろかったよ」
話し終えた女に、俺は礼を言う。
「本当かしら?」
女は疑わしそうな目を俺に向けたが、その口元にはすぐに笑みが戻った。
「お兄さん、名前は?」
俺に聞く。
「ランベルだ」
俺は答える。正確にはフランベルク。ルディはいつも俺を、ランベルと呼ぶ。
「お嬢ちゃんは?」
女はルディにも聞く。
「ルドヴィカよ。お姉さ。」
ルディが笑う。肩にかかる真っ直ぐな紺色の髪と、灰色の大きな瞳がきらきらする。俺の、金の髪と蒼い目の隣に並ぶと、その奥行きがいっそう際立つ。これはひいきめなのかもしれないが、ルディは非常に美人だと俺は思う。まだ幼さこそ残っているが、将来は絶対、誰もが振り向く美女間違いなしだ。
「そう。では、ランベルとルドヴィカ。この街のはずれの街道の入り口の隅に、武器屋が店を出してるわ。そこに行くと良いわよ」
女はウインクをした。
「え?」
俺は思わず聞きかえす。
「ランベル。私が生きた武器の話をしたときに、視線が一瞬、自分の武器へ泳いだわ。あなた、生きた武器が使える人間ね」
「や、その……」
当たりだった。俺は、生きた武器に嫌われることが極めて少ない。ルディの視線がちくちくと痛い。
「お金、たくさんくれたからそのお礼よ。幸運を祈ってるわ」
言うと、女は俺たちのテーブルを離れていった。律儀に、椅子を元の位置に戻していく。
「意外に良い情報をくれたわね」
ルディが、皿に残った肉をほおばりながら言った。
「嫌だったか?英雄譚?」
俺が聞く。
「いえ、おもしろかったわよ。伝説って色々な形になるわよね」
ルディは心底感心しているようだ。
「だな。――しかしお前と居ると、本当に情報収集には困らない」
俺も、やっと残りの食事に手を付け始める。
俺はルディと旅をするまで、情報を集めるのは、酒場が一番だと思っていた。俺が前に一緒に旅をしていた男は、腕はたつが頭の回転はあまり良い方ではなく、おまけに酒が大好きですこぶる人が好かったものだから、情報収集が絶望的に下手くそだった。その当時の俺は、男に意見が出来る立場では全くなく、主従といっても差し支えない関係だった。なので俺は、男が繰り返した酒場での情報収集しか知らずに育ったのだった。
しかし、大衆食堂というのも意外と侮れない。旅人の集まる大衆食堂には、必ず先ほどの女のような芸人が居るし、芸人というのが意外に冒険者から話を聞きだすのが上手だったりするのだ。芸人の話の多くは、今のような英雄譚、勇者の伝説、そして、滅びたどこかの国の話である。ルディはそこに、小さな話の変化を見つけるのが楽しいようだったが、俺は正直もううんざりだった。しかし、お金をつめば、サービスで本業以外の情報を語ってくれる。俺とルディのペアは特に人目を引くので、やりやすく、俺達はすっかり大衆食堂での情報収集を習慣としていた。
女のくれた情報に従って、俺たちは街のはずれを目指すことにした。
「おい、あれじゃないか」
遠くに人影を発見して、俺は思わずルディに声をかける。
「きっとそうだわ」
言って、ルディの歩幅が大きくなる。
それは、街道のすみに木の机と小さな木の丸い椅子をちょこんと置いただけの露天商だった。椅子の上に座る男もまた、ずいぶんと歳をとって干からび、すっかり小さくなっていた。けれども、その枯れ木の様に細い手足に刻まれたしわは、大木のそれと同様に見えたし、すっかりくぼんだ薄墨色の目には確かな力強さを感じた。俺は、少なからずその目に好感を抱いた。
「武器が入用かね」
俺たちが近づいてきたのを見てとったのだろう。武器屋が聞いた。
「そうなの。ちょっと見せてもらえる」
ルディがまるで、友達に話しかけるかのような気楽さで言って、微笑んだ。別に武器が入用なわけではないが、この場合そう言っておいた方が都合が良いことくらいは俺でも知っている。
「好きなだけ見て行きなさい。ここは武器屋だ」
武器屋が返した。ルディはお愛想の笑顔を武器屋に見せてから、俺の胸倉をつかんでぐいっと自分の方に俺の顔を引き寄せる。
「ランベル。選んで。とびきり上等なのを頼むわ」
俺とルディの身長差はおよそ30センチ。耳打ちをしたいのならこうする他ないのだが、手招きをするくらいのかわいさはあっても良いと思う。これでは見た目通り、いかにも主従関係な風を強調しているだけになってしまう。俺とルディは、決して、決して、主従関係ではないのだ。どこへ行っても主従と思われるし、俺たちもそれを利用しているわけだが、俺とルディの間にそういった契約が交わされたことはただの一度もない。
「ほら、ランベル。悩むことないでしょ。早く」
もっとも、ルディに全く逆らえないという点では、あるいみ主従といえるのかもしれない。
ルディに急かされて、俺は真剣に武器屋の武器達と向き合った。とりたてて、変わった武器は無いように思える。剣、槍、弓、ナイフ。どれもどこにでもあるデザインだし、材質もありきたりなものだろう。しかし、一番端に置かれたナイフに関しては違っていた。錆が全体についていて、刃こぼれも目立つ細いナイフ。一見、一番役にたたなさそうだが、わずかばかり違和感のある空気をまとっている。ただのぼろいナイフにはまとえない空気。
「じいさん、これを」
俺はその、錆びたナイフを指差した。ルディがかすかに微笑むのが見える。
「これ、売ってもらえるのかしら?」
俺の指したナイフをすかさず手にとってルディが聞いた。武器屋の表情は極めて読みにくかった。しかし、くぼんだ目は確かにまばたきを繰り返している。
「言い値で買うわ。いくらなら売れる?」
ルディが重ねて聞いた。
「お嬢ちゃん。悪いがそれは売れない」
武器屋がぼそぼそと言った。
「知ってるわ」
ルディが微笑むんだ。今度はお愛想ではない。
「この武器、生きているね」
俺が聞くと、武器屋は頷いた。
「情報目当てだな。隣の町で、一番大きな屋敷を訪ねるといい。生きた武器を使える人間を探している」
武器屋は、ルディの手から愛おしそうに錆びたナイフを取り上げた。最も、生きた武器というのは、見た目と切れ味が比例しない。あんなに錆びたナイフでも、普通の武器からは想像もできない切れ味をはっきしたりするのだ。
「残念。私達、長期の仕事は探してないわ」
ルディが言う。大きな屋敷で生きた武器の使い手を探しているなら、用心棒が欲しいということだろう。
「いや、長期の仕事じゃない。確か、盗まれたものを取り返して欲しい、ということだったと思う」
すかさず武器屋が否定した。俺とルディは顔を見合わせた。それはおあつらえ向きだ。
「ありがとう。いくら?」
ルディが聞く。五本の指を立てた武器屋に、ルディは素直にお金を払った。生きた武器を使える人間を集めたい場合、武器屋にその情報を預けるのは、よくある手段である。
「ルディ?あのナイフは良いのか?」
俺は声をひそめて聞いた。
「いいわ。大事にされて、幸せそうじゃない」
ルディも小声で返す。
「そのうち、困ったことにならないか?」
「そんな意識、残ってないわ。だから、持ち主にも告知は必要なしよ」
「そっか」
俺は安堵の息を吐いた。
ルディは、生きた武器の声を聞くことのできる、珍しい人間の一人である。一般的には知られていないが、生きた武器はまれに、持ち主の心を侵食したり、持ち主恋しさに武器以外の形を取り出すことがある。ルディのような人間は、それを未然に防いだり、持ち主の理解を仰いだりするわけだが、今回はそれも必要なさそうだ。
「それよりも心配なのは盗まれた武器のほうね」
「え?」
「それが生きた武器だったら、まずいわ」
ルディは表情を険しくした。
「盗まれたっていう事実が、武器と持ち主に影響を与えないと良いんだけど」
ルディの口から小さく息がもれる。
「急ごう」
俺はルディの背中を押した。