魔族の夜襲
太陽が完全に山の稜線の向こうに沈み、辺りが漆黒に支配された頃。
森の中から、いくつもの人影が滲み出るように湧き出してくる。
無論、それは夜襲に備えて休息していた、パジャドクに率いられた魔族の部隊だ。
魔族の軍は、夜陰に紛れて村へと近づいていく。
どうやら、愚かな人間どもは夜間の歩哨さえ立てていなようだ。昼間に襲撃があったばかりだというのに、何とも暢気な連中だ。
パジャドクは心の中でほくそ笑むと、部下たちに突撃の命令を下そうとした。
だが、その時。
夜の静寂を打ち破る、小さな雷鳴が轟いた。
たーん、という音がパジャドクの鼓膜を打つ。
遠くから聞こえる雷鳴のようなその音に、思わずパジャドクの足が止まった。
「雷鳴……? い、いや、空は晴れている。雷鳴が聞こえるわけがない……」
夜空に瞬く星々を眺めながら、パジャドクは首を傾げる。
と、その直後に彼の傍らにいた部下の一人が、突然もんどり打って地面に倒れた。
「どうしたっ!? 何があったっ!?」
「あ、足が……いきなり足をやられました……」
倒れた部下が苦しそうに告げる。見れば、確かに彼の片足から血が流れ出ている。
そして、再びたーんという雷鳴。
いや、雷鳴は何度も連続して響いた。そして、その雷鳴が響くたびに、パジャドクの部下たちが次々に倒れていく。
「ま、まさか魔法による攻撃か……だが、魔素の揺らめきは感じられないぞ……」
魔法は魔族が開発した技術である。かつて、まだ魔族と人間が争いを始める前、魔法は人間にも伝播したが、それでも魔法を扱う技術はいまだに魔族の方が遥かに優れている。
それというのも、魔族は魔素との親和性が極めて高い。そのため、人間よりも魔族の方が魔素を効果的に扱えるのだ。
また、人間が内包する魔素よりも、魔族の内包する魔素の方が容量に優れるという一面もある。
そして、魔法を使えば周囲の魔素は必ず揺らぐ。人間はともかく、魔素との親和性が高い魔族であれば、魔素の揺らぎは確実に感じられる。
その魔素の揺らぎを感じられないということは、彼らが受けている攻撃は魔法によるものではない、という証だ。
「な……何が起こっているのだ……?」
全く理解できない状況に、パジャドクは部下が次々に倒れていくのを、ただ見ているしかできなかった。
レイジは今、村の中の一軒の家の屋根の上に陣取っていた。
村外れに建つその家の屋根からは、闇に紛れて近づく魔族たちの姿がよく見えた。
逆に魔族からは、やや距離があることと角度的に、レイジの姿はまず見えないだろう。
レイジは慣れた手付きでレバーを引き、次弾を藥室へと装填する。
彼の手元にあるのは、5.56mm口径の多目的ライフルだ。
射撃方法を単発に設定すれば、ちょっとした狙撃も可能である。もちろん、本家本元のスナイパーライフルに比べれば射程と精度は格段に落ちるが、それでも比較的近い距離からの狙撃ということ、そして何より相手が狙撃に無警戒ということもあり、今はこの多目的ライフルで十分だった。
二脚の銃架で銃の重量を屋根に預け、レイジはいわゆる「依託射撃」で安定した狙撃を行っていく。
レイジの眼には、照準器以外にも暗視機能──いわゆる、ノクトビジョンもインストールされている。
夜目が利くのは、魔族だけの専売特許ではないのだ。
照準器と暗視機能を併用し、レイジは伏せ撃ちの姿勢で次々に魔族を撃ち抜いていく。
彼が狙うのはゴブリンやコボルトと言った下級魔族。更に狙うのは主に足のみで、無駄に殺すようなことまではしない。
〈やっぱり、知的生命体の命を奪うのは躊躇いますか?〉
〈俺はここではあくまでもイレギュラーで、そんなイレギュラーの俺には人間と魔族のどちらが正しいかなんて判断つかないからな〉
〈そもそも、戦争なんてもの自体が、どちらの陣営も自分たちが正しいと思ってするものですしねー〉
〈俺としても人間と魔族、どちらかに荷担するつもりは今のところないし。今回はサイファの自由を確保するという、あくまでも個人的な理由なんだ。俺の個人的な理由で、魔族とはいえ知的生命体の命を奪うわけにはいかないさ〉
〈そうですねー。怪我を負わせた魔族の方々は、責任を持って後でしっかりと治療しましょう〉
脳内でチャイカと交信しつつも、レイジは狙撃を続ける。
下級魔族の最大の武器はその数だ。そのため、先ずは下級魔族を無力化することをレイジは選択した。
それ以外の中級魔族や指揮官クラスならば、交渉の余地だってあるだろう。特に戦力の大体数を占める下級魔族を無力化した後ならば、降伏勧告にも応じるかもしれない。
数個のマガジンが空になるまで撃ち続けたレイジは、下級魔族の殆どを無力化した。
〈…………ふう。狙撃なんて初めてだけど、何とか上手くいったな〉
〈一定の戦闘スキルデータはレイジ様の補助脳にインストールされていますからね。とはいえ、それはあくまでも基礎データのみ。建物で言えば土台だけの状態です。それ以上は実際にレイジ様が技術を上げていかなくてはなりません〉
レイジはチャイカの言葉に無言の頷きで応えつつ、魔族の無力化に成功したことを確認すると、次に小型の拳銃らしきものを夜空に向けて構える。
ぽん、という気の抜けた音と共に、打ち出された何かが夜空へ登り、そして弾けた。
レイジが夜空に打ち上げたもの。
それは夜中に太陽を召喚する、魔法の弾丸であった。
ぱん、という軽い音が響くと同時に、夜空に小さな太陽が出現した。
小さな太陽は瞬く間に闇を駆逐し、周囲を明るく染め上げる。
そしてそれは、夜陰に乗じて村に近付こうとしていた、魔族たちの姿をはっきりと照らし出す。
とはいえ、魔族の殆どは足を撃ち抜かれて倒れている。立って周囲を見回しているのは、ほんの数体に過ぎない。
「な、なんだ、これは……ま、まさか、夜中に太陽を召喚したとでも言うのか……そ、そんな……そんな魔法があるはずが……」
先程の謎の雷鳴といい、今の太陽の召喚といい、パジャドクは完全に混乱していた。
遮蔽のない場所で棒立ちになっているその姿は、屋根の上のレイジからはっきりと見えていた。
「あれが魔族の指揮官か」
レイジは魔族の指揮官──パジャドクの姿を視認すると、ブースターを数回使用してその近くまで跳躍する。
パジャドクにしてみれば、突然空から人間が降ってきたようなものだ。
思わず驚愕に目を見開くパジャドクの前で、空から降ってきた人間──レイジは、流暢な魔族の言語でパジャドクに語りかけた。
「降伏しろ。大人しく降伏すれば、怪我人には手当てを施し、無駄に虐殺はしないことを約束しよう」
「に、人間が魔族に情けを施すと言うのか……? そ、そんなことが信じられるわけがないだろうっ!!」
パジャドクの巨躯が、更に巨大化する。
実際には戦闘の興奮のために、全身の筋肉が盛り上がって巨大化したかのように見えただけだが、その迫力は威圧感十分。
「俺は魔族八魔将の一人、《灼熱》のパジャドク! 貴様が何者かは知らないが、その首へし折ってくれるわっ!!」
パジャドクは、背負っていた巨大な鈍器──モールを構える。
魔素を操作、すなわち魔法を発動させ、パジャドクは己のモールの先端部分を発火させた。
モールの先端が激しく燃え上がり、その熱が周囲の景色をゆらゆらと歪める。
「食らうがいいっ!! 我が奥義、灼熱鈍殺大旋風っ!!」
パジャドクは燃え上がったモールを豪快に振り回す。
燃え上がったモールの先端が、空中に赤い残像を描きながらレイジに向かって振り下ろされる。
それが命中すれば、モールの重量と炎の高温により、人間が無事に済むはずがない。
振り下ろされたモールが、唸りを上げてレイジへと迫る。
──殺った!
どう考えても、人間には躱すことも受け止めることもできない速度と質量。パジャドクは内心で勝利を確信した。
だが。
不意に、手の中の重量が軽減した。
そのことにパジャドクが疑問を感じるよりも、彼が驚愕に目を見開く方が早かった。
パジャドクは驚愕の表情を貼り付けたまま、まじまじとレイジの手元を見る。
自らの得物である巨大なモールを、一瞬で破壊したそれを。
「ひ……光の……剣……だと……?」
そう。
パジャドクのモールを破壊したもの。それはレイジの手元から伸びる、一振りの光り輝く神々しい剣だった。
レイジが持つ光の剣。その正体はレーザーを電磁収束させた武器──いわゆるレーザーブレードだ。
パジャドクのモールが頭上に迫った時、レイジは人間離れした速度でそれを回避し、そのまま腰の後ろから引き抜いたレーザーブレードでモールの柄を焼き斬った。
パジャドクのモールは発火の魔法に耐える柄まで金属の特注品だったが、レーザーブレードはそれ以上の高温で以て柄を焼き斬り、モールの先端を斬り飛ばしたのだ。
斬り飛ばされたモールの先端が、くるくると回転しながら明後日の方へ飛んでいくが、その場の誰一人としてそれを見ている者はいなかった。
それほど、レイジの持つ光の剣の存在が強烈すぎたのだ。
「もう一度言う。降伏しろ」
光の剣──レーザーブレードをパジャドクに向けて構え、レイジは再度降伏勧告をした。
「おいおい……嘘だろ……?」
その光景を見て、バーランは思わず呟いた。
遠方より魔族を倒した雷鳴の魔法。
小さいながらも、夜に太陽を召喚するという信じられない事実。
そして、あの青年が手にする光の剣。
聖典に記された勇者の伝承には、次のような一節がある。
右手には神の代行者たる証、裁きの雷鳴。
左手には神が鍛えし宝剣、光の剣。
まさに、青年の今の姿は聖典に記された伝承そのもの。
バーランは村長に言われて半魔族の娘を殺そうとした時も、先程の雷鳴とよく似た音がして、彼の剣が弾き飛ばされたことを思い出した。
おそらくは、あの時も青年が雷鳴の魔法を使ったのだろう。あの時彼が手にしていた奇妙な筒のようなものは、雷鳴の魔法を使うための補助具に違いない。
「……あの兄ちゃん……本当に勇者様だったのか……」
ここまで伝承通りで、しかも神の宝剣たる光の剣まで見せられては、いくらバーランと言えどもその事実を疑うことはできなかった。
あのように刀身が光輝く剣、いや、光そのものを集めたような剣は、人間どころか魔族でさえ鍛えることはできないだろう。
まさに神が鍛えし宝剣。その神の宝剣を所持する青年が、神の使徒たる勇者以外の何者であろうか。
「やっべぇ……本物の勇者様に随分と失礼な態度を取っちまった…………平謝りしたら何とか許してもらえるかね?」
バーレンの心の中は魔族に勝利できそうだという喜びよりも、どうしたら勇者様に許してもらえるかという不安の方が大きかった。