そして、舞い降りる
サイファが連れていかれたのは、村長の屋敷ではなく神殿の前庭だった。
もともと、この神殿はサイファの家でもあった。彼女を引き取った老司祭と一緒に暮らしていた場所である。
しかし、その老司祭が亡くなると、代りに中央から派遣されてきた司祭にサイファは問答無用で神殿から追い出されてしまった。
「神聖なる神殿に魔族が暮らすなど……神の代理人たる司祭として、許すわけにはいかん」
神殿から追い出されたサイファは、村外れの廃墟同然の納屋を宛てがわれ、以後はそこで暮らすようになる。
そんな、かつての家であった神殿の前庭に連れてこられたサイファ。
今、神殿の周りには、魔族の襲撃による怪我人で溢れ返っていた。
身体のあちこちに裂傷を負った者、腕や足を失った者、中には腹を裂かれて内臓がはみ出している者までいる。
村の女性たちが負傷者の看護に追われ、忙しそうに走り回っている中を、まるで連行されるようにサイファは歩く。
途中、村の女性や負傷者から、憎しみの篭もった視線を投げかけられる。逃げることもできないサイファは、それに耐えるしかない。
そうやって歩くサイファたちの視線の先に、村長のバモンと兵長のバーラン、そしてこの村の司祭のグルーガの三人の姿が見えた。
「ば、バーラン兵長! ま、魔族の襲撃はどうなっている?」
怯えた表情を浮かべ、落ち着かない様子で視線をあちこちに走らせるバモン。その彼の傍らでは、数年前にこの村に派遣されてきた司祭のグルーガが、やはり不安そうな顔でバーランを見つめていた。
「どうやら、今は小休止ってところのようだな。あいつらも生き物である以上、延々と戦い続けることはできないのだろうよ」
「む、村に入り込んだ魔族はどうなったっ!?」
「そっちはどうやら全部倒せたようだぜ。もともと、村に入り込んだ魔族の数は多くなかったしな。あと、火事の方も俺の部下と村の連中が協力して火を消し終わったところだ」
バーランが見たところ、今回の襲撃に参加している魔族は、ゴブリンやコボルトなどの下級魔族がほとんどのようだ。
そのため、数こそは多いが何とか戦線を持ち堪えることができた。
しかし、数は立派な力である。このまま攻められ続ければ、先に力尽きるのは間違いなく人間側だろう。
「……しかし、これで連中には指揮官が存在することがはっきりしたな。ゴブリンやコボルトが、小休止なんてことを一々考えるわけがねえからな」
ゴブリンやコボルトなどの下級魔族は、おしなべて知力が低い。その彼らが一斉に休止をするなど普通なら考えられない。
ならば、ゴブリンやコボルトに休止を命じる指揮官が、敵には存在するのだろう。
「な、ならば、その指揮官さえ倒せば、残りの魔族は引き上げるのではないですかな?」
そう口を挟んだのは三十代後半の男性──司祭のグルーガだった。
バーランの言葉に僅かな希望を見出したのか、その顔には先程とは違って歓喜が浮かんでいる。
「どうかな? 連中を纏めている指揮官という存在が失われたら、逆にてんでばらばらに行動するんじゃねえか?」
下級魔族が軍隊のようにしっかりと統制が取れているとは思えない。指揮官が失われれば確かに逃げ出す奴もいるだろうが、逆にこちらに攻めてくる奴だっているだろう。
「指揮官を倒して効果的なのは、相手の統制が取れている時に限るってもんだぜ、司祭様よ? 相手に指揮官がいるからって、十分に統制が取れているかどうかまでは判りゃしねえからな」
そう続けたバーランの言葉を聞き、グルーガは再び顔色を悪くし、聖印を握り締めて神への救いの祈りを捧げ始める。
「……神よ。今こそ我らに御身の救いの手を差し伸べたまえ……」
そんなグルーガを横目で見ながら、バーランはふとあることに思い至る。
──そういや、あの司祭の教団……レシジエル教には有名な伝承があったな。確か、苦しい時に神が救い主を遣わすとか。それが本当ならば、是非とも今すぐ、その救い主とやらを遣わせて欲しいものだぜ。
「村長! サイファを見つけました!」
バーランが伝承について考えていると、横から村人の声が聞こえてきた。
彼がそちらを見ると、数人の村の男たちが半魔族の少女を連行でもしているかのように歩いてきた。
半魔族の少女は後ろで腕をねじ上げられ、その痛みに顔が歪んでいる。よく見れば涙も浮かべているので、男たちは手加減することなく少女の腕をねじ上げているのだろう。
しかし、少女に憐れみの視線を投げかけるのはバーランだけだった。
村長のバモンと司祭のグルーガは、まるで親の仇でも見るような憎しみの篭もった目で少女を睨みつける。
「サイファ……っ!! この裏切り者がっ!!」
バモンは無言でサイファを睨みつけたまま、つかつかと彼女に近づく。村長の顔が怒りに歪んでいるのを見て、サイファをここまで連れてきた村人たちが慌ててそこから離れた。
立ち尽くすサイファに近づいたバモンは、右腕を勢いよく振りかぶると、そのまま振り下ろす。
彼の拳は見事に少女の頬を捉え、その衝撃でサイファが地面に倒れ込む。
「おまえが魔族を村に引き入れたんだろうっ!?」
「ち、違いますっ!! わ、私はそんなことはしていませんっ!!」
地面に倒れたまま、サイファは必死に弁明する。
「嘘をつけっ!! だったら、どうして急に魔族が襲ってくるんだっ!?」
「そ、そんなの、私が知るわけがないじゃないですかっ!!」
殴られた頬を抑えつつ、サイファは叫ぶ。
だが、バモンは彼女の態度に更に苛立ちを昂ぶらせ、倒れたままでいるサイファを蹴り飛ばそうとする。
もちろん、サイファだって黙ってされるがままではいない。反射的に身体を動かし、バモンの蹴りを何とか躱した。
だが、その背中を不意に衝撃が襲う。
何ごとかと首を巡らして背後を見れば、村長ではなく司祭のグルーガが彼女の背中を踏みつけていた。
「穢らわしい魔族め……貴様など、私がここに来た時に村の外に放り出せば良かったんだっ!!」
グルーガはサイファを踏みつけた足を持ち上げ、再びその華奢な背中へと何度も落とす。
「ぐ……ぅ……っ!!」
連続して背中を襲う衝撃に、サイファが苦悶の声を漏らした。
苦悶に喘ぐ彼女の姿を、村長を始めとした周囲にいた村人たちが、にやにやと醜悪な笑顔を浮かべて見つめている。
ただ一人、バーラン兵長だけが複雑そうな顔をしていた。
「バモン村長。この薄汚い半魔族の息の根を止め、その屍を村の外に晒しましょう。そうすれば、魔族も怖れをなしてこの村から撤退するやもしれませんぞ」
ぐりぐりとサイファの背中を踏み躙りながら、大きく肩で息をするグルーガ司祭が提案する。
「いいだろう。まったく、従順に儂たちに従っておれば、これからもこの村で飼ってやったというのに。馬鹿な奴だ」
怒りに満ちた村長の視線が、地面に倒れるサイファからバーラン兵長へと移動する。
「バーラン兵長。この魔族を殺せ」
「……本当にいいのか?」
「構わん! 早くしないとまた魔族の攻撃が始まるかもしれないだろう!」
苛立たしそうな村長の声。確かに、村長の言うようにいつ魔族の攻撃が再開されるか分からない。
迎撃の指揮を取らねばならないバーランは、いつまでもここにいる訳にはいかないのだ。
納得しきれない思いを抱えながらも、バーランは腰に佩いた剣を抜く。
銀色に輝く剣がサイファに向けられ、そしてその剣が彼女の身体へと振り下ろされようとした時。
まさにその時だった。
周囲に雷鳴が響き渡ったのは。
雲一つない青空の下に響き渡る雷鳴。
それと同時に、バーラン兵長が手にしていた剣が、何かに勢いよく弾き飛ばされる。
からん、と渇いた音を立てて地面に転がる兵長の剣。
そして、その場に居合わせた村人たちは見た。
突然、空から奇妙な風体の人物が舞い降りたのを。
その人物は緑と黄緑と茶色をてんでばらばらに配色した奇妙な外套を纏い、頭から同色のフードを目深に被っていた。
そのため、顔はよく判らないが、その背格好からしておそらくは男性。それもまだ年若い青年と呼べる年頃の男性だろう。
その奇妙な風体の人物は、地面の横たわった半魔族の少女を庇うかのように、村人たちに対して真っ正面から対峙して立っていた。
装備を整えたレイジは、すぐにサイファの後を追うつもりだったが、肝腎の彼女の村の位置が判らないことに改めて気づいた。
先程まで立ち上っていた煙も、この時点では消し止められたのか既に見えない。
「チャイカっ!! まだ村の位置は判明しないのかっ!?」
〈待ってください。現在、監視衛星からの情報を元に……判明しました! 村の座標をレイジ様の補助脳に転送します〉
チャイカから送られてきた座標情報を元に、レイジは森の中を疾走する。
そして森が途切れてようやく村が見えてくると、レイジはブーツに仕込んであるガス圧式のブースターを作動させた。
ブースターと言っても、自在に空を飛べるようなものではない。
せいぜいが跳躍距離を伸ばしたり、逆に高所から飛び降りた時にその衝撃を和らげるぐらいのものでしかないが、今はそれで十分だった。
ブースターを作動させたレイジは、一気に村の中へと飛び込み、そのまま手近な家屋の屋根へと着地する。
レイジはそこで周囲を見回すと、再びブースターで跳躍。今度は村の中でも一番大きな建物──神殿の屋根へと飛んだ。
そして、彼はそこで見る。地面に倒れたサイファと、そのサイファに向かって剣を振り上げる兵士らしき男性を。
レイジは腰から九ミリ口径のオート拳銃を引き抜くと、男性が持つ剣を正確に撃ち抜く。
彼の眼にインストールされた照準器が、精密に男性の剣だけを捉える。オート拳銃から吐き出された弾丸は、狩人に忠実な猟犬のように正確無比に男性の剣に噛みついた。
突然剣を弾き飛ばされ、驚きの表情を浮かべる男性を余所に、神殿の屋根から再び跳躍したレイジは、そのまま倒れたサイファの傍らへと舞い降りるのだった。