獅子身中の虫
とある宿場町でレイジたちの元を訪ねてきた、ガネラという名前の女性神官。
短いながらも鮮やかな赤毛と、やや青味の強い灰色の瞳をした、小柄でありながらも肉感的な女性である。たっぷりとした神官服の上からでも、彼女の肢体が実に官能的であろうことは、男なら誰でも容易に妄想できるだろう。
そんな彼女のぷっくりとした魅惑的な唇から言葉が零れ、レイジたちは驚愕の事実を知らされた。
「あ、アーベルさんが……?」
「はい、勇者様……。残念なことに、アーベル高司祭はこちらに向かう途中で賊に襲われて……共の者たちと一緒に……」
神官服の袖で目元を隠し、肩を細かく震わせながらガネラは言う。
その姿は、アーベルが死亡したことを悲しんでいるとしか思えない。それほど、ガネラの演技は見事だった。
しかし。
〈注意してください、レイジ様。彼女の体温や発汗状態に変化が見受けられます。ただし、この変化は感情の起伏に伴うものではなく、嘘を吐いた時に見受けられる典型的なパターンです〉
〈なんだって? それじゃあ……〉
突然脳内に響いたチャイカの声なき声に、レイジの頬がぴくりと動く。
悲しむ演技を続けるガネラだが、それが演技に過ぎない以上、悲しみによる感情の起伏はなく、嘘を吐いた時と同様の体温や発汗状態の変化を示している。
レイジの視覚を通じてガネラのコンディションをスキャンしたチャイカは、ガネラが嘘を吐いている、すなわち、レイジの目の前で悲しんでいるのは演技であると看破していた。
〈彼女が演技を……どうする?〉
〈しばらく泳がせましょう。このガネラって人が演技をしているのは確かですが、なぜ演技をしているのかまでは判りませんから〉
〈判った。サイファやマーオたちには後で説明しよう〉
「……アーベル高司祭が神の御許に召されたのは悲しい事実ですが……いつまでもその悲しみに囚われ続け、神の御子たる勇者様のお世話を蔑ろにするわけにも参りません。よって、アーベル高司祭の後任として、この私がレシジエル教団より遣わされました。どうぞ、何なりとお命じくださいませ」
悲しみつつも使命を果たさんとする気丈な女性を演じ続けるガネラ。彼女がレイジに接してきた目的が何なのか、それを探るため敢えてガネラを迎え入れることにしたレイジだった。
夜。
完全に闇に閉ざされた帝都の中を、音もなく走り抜ける影たちが存在した。
屋根から屋根へと飛び移り、物陰から物陰へと移動する。数にして三つほどの影は、人々が寝静まった夜の帝都を駆け抜けていく。
途中、見回りの衛士などとも出くわすものの、見事に気配を殺して衛士をやり過ごす。時には道端で寝入っている酔っ払いなどの近くを駆け抜けるも、まるでその存在を感じさせない。
そんな影たちが目指すのは、帝都キンブリーの中央付近に位置する大きな建物。帝城と比べても遜色がない見事なその建物は、レシジエル教団の総本山であるレシジエル教中央神殿である。
優美ながらも武骨なイメージもある帝城と比べると、レシジエル今日中央神殿に感じられるのは繊細さだろうか。神の家であり、帝都に住まう住民たちの信仰の拠り所であるレシジエル今日中央神殿は、荘厳ながらも訪れる者を排斥するような印象はない。見る者にどこか安堵を感じさせるのがレシジエル神殿であった。
そのレシジエル教中央神殿に音もなく迫る、三つの影たち。影たちはレシジエル教中央神殿を取り囲む壁を難なく乗り越えると、そのまま神殿の建物へと近づいていく。
元々、不特定多数の者が訪れる神殿である。そのため、神殿を囲む壁は決して高くはない。また、侵入者を防ぐ罠のようなものもない。見張りの戦士こそいるものの、その警備は厳重とは言い難いものである。
だが、これは仕方がないだろう。神殿とは迷える信者たちを温かく迎え入れる神の家なのだ。砦としても機能する帝城とは最初から建築思想が違うのだから。
影たちの頭には、完全な神殿内の構造が入っている。一般の信者は立ち入りできないような場所に関してまで、彼らはしっかりと把握していた。
これらは、神殿の内通者よりもたらされた情報である。その情報を元に、影たちは難なく神殿への侵入を果たす。
神殿の中に入り込んだ影たちは、一瞬の停滞もなく移動を開始する。彼らが目指すのは、神殿の最奥に存在する宝物庫。そこに、影たちが求める物が密かに安置されているのだ。
内通者よりもたらされた情報には、神殿内の警備状況も含まれている。
情報通りに動く見回りの戦士たちの死角を突き、影たちは一切の音を立てることなく神殿の最奥へと進んでいく。
影たちはそれほどの時間を経ることもなく、目的地である宝物庫へと辿り着く。物陰に潜み、息と気配を殺して彼らは宝物庫の扉をじっと見つめる。
さすがに、ここには警備の戦士が配置されている。この場にいる戦士たちは扉の両脇に彫像のように立ち、鋭い視線をの周囲へと向けていた。
影たちは言葉を発することなく、指先だけの小さな合図で意思の確認を図る。
そうして意思の確認を図った後、影たちは吹きつける風の如く動き出す。
一切無音のまま、見張りの戦士たちへと肉薄し、その首に極細の針を突き立てる。針が余りに細すぎるため、出血は殆どない。しかしこの針には猛毒が塗られており、戦士はかひゅっと肺の息を吐き出して毒に抗えずに即座に死亡した。
瞬く間に見張りを片づけた影たちは、そのまま宝物庫の扉を開ける作業に移る。当然ながら、扉には鍵がかけられており、罠も仕掛けられている。
影の二人が周囲に油断のない視線を巡らせ、残る一人が鍵と罠の解除を試みる。明りのほとんどない暗闇の中、影は迷いなく指先を動かし、鍵と罠を解除した。
僅かな軋みと共に宝物庫の扉が開かれると、影たちはするりとその中へと忍び込んでいく。
宝物庫に収められている財宝には目もくれず、影たちは宝物庫の奥を目指す。そして、そこで影たちは目的の物を見つけ出した。
宝物庫の最奥、周囲より一段と高くなっている台座に安置された、剣の柄だけのようなもの。影の一人が注意深くそれへと近づき、台座より剣の柄を取り上げた。
影はそれをじっくりと眺め、目的の物と間違いないことを確信し、他の影へと頷いて見せる。残りの二人はそれを見て、素早く撤退を開始する。
やがて夜が明けると同時に、宝物庫の前に二人の戦士が倒れていることが発見され、宝物庫に何者かが侵入したことがアルミシア大司教の元へと知らされ、そして宝物庫から唯一消えた物が何であるのかを知らされた時、彼女はその顔色を青くさせるのだった。
時間は僅かに巻き戻り、まだ夜が明ける少し前のこと。
レシジエル教中央神殿から脱出した影たちは、帝都の外れにある一件のボロ小屋へと駆け込んだ。
三人の影が音もなく小屋の中に入ってきたことに気づき、小屋の中で待機していた男性は、驚きのあまりに腰を浮かし、驚愕を顔中に貼り付かせた。
だが、影の一人が言葉もなく差し出した物を見て、その顔から驚愕が消え去り、代わって笑みが浮かび上がる。
「お、おお、間違いありません。これこそ、勇者ランドが所持していた光の剣。私はこの剣を、辺境の村で確かにこの目で見たのです」
小屋の中にいた男──レシジエル教中央神殿より追放されたグルーガ元司祭は、狂気さえ感じさせる笑みを浮かべた。
「くくくく、これさえあれば、皇帝陛下の望みは叶ったも同然。ささ、一刻も早くこの光の剣を皇帝陛下の元へとお届けください」
入手した物が目的の物であることを確認した影たちは、再び音もなく小屋を後にした。
光の剣の使い方は、影の仲間がレシジエル教団の高司祭より情報を得ている。その高司祭は、無警戒に情報を喋ったあと、その仲間に殺されたらしい。
「これで……神の御子から託された光の剣を失ったとあれば、あの忌わしいアルミシアのクソババアは失脚するだろう……そうなればその後は……失脚したクソババアの後で教団の最高位である大司教の座に就くのは、皇帝陛下の後押しを受けるこの私だ……あ、あは、はははは、ははははははははははははっ!!」
誰もいない街外れの小屋の中で、グルーガは狂ったような哄笑を上げる。
人気のない郊外の小屋の中、狂気を孕んだ哄笑は夜が明けるまで続けられていた。
影たちによってレシジエル神殿より盗み出された光の剣は、キンブリー帝国の皇帝の元へと届けられた。
目の前にある剣の柄だけのような物を見て、アルモート皇帝はにやりとした笑みを浮かべた。
「ほう、こいつが噂の光の剣か……どれどれ」
アルモートは光の剣を取り上げると、事前に得ていた情報通りに操作する。
起動スイッチが入ったことで剣の柄から光が迸り、光は刃を形作る。ヴヴヴヴ、という微細な振動音と共に発生した光の刃を見て、アルモートの顔に浮かんでいた笑みが更に大きくなった。
「なるほど……確かに刃が光でできている……こんなことができるのは、確かに神々だけだろうな……」
アルモートは再び剣を操作し、発生していた刃を消滅させた。
「くくく。これさあれば、この俺が神々より遣わされた者……すなわち、この俺こそが勇者というわけだ」
「反対に、光の剣を失ったランドとやらは、勇者の名を騙る偽者……というわけですな?」
傍らに立つ宰相の言葉に、アルモートは楽しげに頷いて見せる。
「まったく、ランドって奴も馬鹿な奴だ。大切な神々の剣を、ほいほいと他人に預けるなんてな」
アルモート皇帝の思惑。それは勇者ランドに成り代わり、彼自身が神々より認められた勇者として名乗りを上げることだった。
そうすれば、これまで勇者ランドが成し遂げた偉業を、自分がやったことにすり替えることもできる。
通信手段が殆ど限られている現在のファンタジー・アースであれば、その程度の情報操作は難しくはない。これまでの勇者の偉業を、さもアルモートがやったことのように吹聴すればいい。
「残る勇者の証……『精霊の乙女』の手配はどうなっている?」
「現在、見目のいい少女を選び出し、それらしい演技ができるように教育しております。付け焼き刃ではありますが、人目に晒す機会を最低限にすれば誤魔化せるかと。同時に、神秘性を増すことにも繋がりましょう」
後はレシジエル教団の伝承に見た目を合わせればいい。そうすれば、アルモート自身が神々が遣わした勇者ということになる。
勇者としての名声を以て、魔族領を含めた全地域に存在する国々の頂点に立つこと。それがアルモートの最終的な企みであった。
「して、陛下。その光の剣、陛下の身を証し立てる他に、使い道がありますぞ?」
「他に使い道だと?」
訝しげに眉を寄せるアルモートに、宰相は表情を変えることなく告げた。
「その光の剣は、これまで勇者ランドが肌身離さず持っていた物……ならば、その剣を媒介にして呪詛をしかけることも可能なのではないでしょうか」
「なるほど……その手があったか……」
宰相の話を聞き、アルモートは口元をきゅっと吊り上げた。
「よし、早速あの女……《魔女》の元へ向かう!」
玉座より立ち上がったアルモート。そして、その彼に向かって慇懃に腰を折る宰相。
二人はそれまでいた部屋を出ると、帝城の中で最も闇が蟠る場所を目指して歩き出した。
帝城の闇の中で息づく、《魔女》に会うために。




