後始末
地面にその巨体を横たえている炎亜竜。
口腔よりでろりと吐き出された、力ない長い舌。縦長の瞳孔をもつ両の眼にも、虚ろに見開かれているだけ。
その大きな口の周りは内側から破裂したように、無惨な傷口を晒している。
また、体の所々には大人の指よりも大きな穴が無数に開いている。当然ながら、それは炎竜の頑強な鱗を何らかの方法で貫いたという証拠でもあった。
そんな炎亜竜の姿を確認し、ゲンガルの街を中心とした一体を治める領主のジョルジュ・クローリア男爵は、目を見開いて驚愕を露にしていた。
時間的には、レイジとマーオが炎亜竜を倒してから二日が経過している。チャイカからレイジたちが炎亜竜を倒したことを知らされたクローリア男爵は、兵士や人足たちを引き連れてこの山岳地帯まで赴いてくれた。
そして、男爵が率いてきた兵士や人足たちもまた、横たわる炎亜竜の姿を見て仰天している。
ちなみにクローリア男爵への連絡手段は、チャイカの姿を空中投映できる小型の端末を男爵に預けておいたのだ。
「ほ、炎亜竜をこんなにあっさりと……わ、我が配下の兵たちが……あ、あれほど苦戦した炎亜竜を……」
眼球が零れ落ちそうなまでに見開かれたクローリア男爵の目が、炎亜竜の遺骸からゆっくりと横へとずらされていく。
やがて彼の視界に入ったのは、一人の青年。緑と茶色の斑模様というよく分からない柄の外套を着た、金色の髪の青年だ。
「ま、まさに……まさにあなた様は……神が遣わした勇者様……」
クローリア男爵はその場に跪くと、深々と青年に向かって頭を下げた。
それを契機にして、男爵の背後にいた他の者たちもまた、青年に向かって跪き平服する。
目の前に展開されたそんな光景を見て、金色の髪の青年──レイジは、困りきった笑みを浮かべることしかできなかった。
困りきった顔のレイジが助けを求めて背後へと振り返れば。
アーベルは心酔した表情を浮かべ、目を輝かせてレイジを熱く見つめていた。
「さすがは勇者ランド様。こうも容易く炎亜竜を倒してしまわれるとは……」
今にもクローリア男爵と同じように跪きそうだ。それにげんなりとしたレイジは、アーベルから少し離れた所に佇んでいるサイファへと目を向けて──何となく目を逸らした。
二日前、炎亜竜を倒したレイジとマーオは、すぐに麓で待っていたサイファたちと合流した。
炎亜竜を倒したこと自体はチャイカから知らされていたようだが、レイジの無事な姿を改めて確認したサイファは、両目一杯に涙を湛えたまま、彼に駆け寄ってその胸の中に飛び込んだのだ。
突然のことに驚いて固まるレイジ。にまにまと楽しそうに二人を見つめるチャイカとマーオ。いつの間にかレイジの足元まで来ていたラカームも、ぱたぱたと尻尾を左右に振りまくっている。
当のサイファはレイジの身体を抱き締めつつ、自分の額をレイジの胸に擦り付けていた。
そんな中、アーベルだけは不機嫌そうな顔つきでレイジとサイファの様子を見ていたが、レイジもサイファも、そしてマーオもラカームもそれに気づいていない。
それからだ。サイファの姿を見る度に、レイジの体調に変化が現れるようになったのは。
彼女の顔を見ると、心臓の鼓動が僅かに速くなる。彼女が傍にいると、体温が若干上昇する。
それらの体調の変化は、レイジの網膜内に具体的な数字として表示されるため、気のせいだと思うこともできない。
なぜサイファの姿を見る度に、自分の体調に変化が現れるのか。それを理解できないレイジは、ついつい彼女の姿を見ると目を逸らしてしまう。
そんなレイジをマーオやチャイカ、ラカームは微笑ましく見守り、当のサイファはちょっと残念に思いながらも、レイジが自分を意識してくれるのが嬉しくもあり。
「あの二人、なかなかいい雰囲気じゃありやせんか、精霊の姐御?」
「そうですねー。レイジ様はこれまでずっと一人で育ってきたので、他人との付き合い方ってものがまだ理解しきれていませんし。多分、『友情』と『恋愛感情』の違いが今ひとつ判っていないのでしょうね。でも、サイファさんを意識し始めたのはいい兆候です。ここは余計な手出しをせずに静かに見守りましょうー」
「合点でさあ」
と、周囲が勝手にそんな会話をしていと知る由もなく、レイジとサイファの間にはぎこちなくも温かい空気が流れるようになっていた。
「さあ、皆さんで炎亜竜をちゃちゃっと解体して、ゲンガルの街まで運んでしまいましょう。現場の指示はクローリア男爵さんにお願いしますねー」
「ははっ! お任せください、精霊様!」
チャイカに応えたクローリア男爵は、背後に控えていた兵士や人足たちに早速指示を出し始める。
そもそも彼らがここに連れて来られたのは、レイジが倒した炎亜竜を解体し、街まで運ぶためだ。炎亜竜の巨体をレイジたちだけで解体し、街まで運ぶのはさすがに難しい。そこで、クローリア男爵に応援を寄越してもらったというわけだった。
クローリア男爵自らが現場で指示を出していることもあり、炎亜竜の解体は順調に進む。
血の臭いに誘われて他の野生動物や魔獣が近寄らないよう兵士たちが周囲を固める中、人足たちはてきぱきと炎亜竜を解体し、麓に停めてある馬車へと運ぶ。
もちろん、レイジとマーオ、そしてサイファも解体作業を手伝う。
だが、アーベルだけは解体作業を手伝うことはなかった。支配階級にいる彼にしてみれば、そのような作業をするなど考えてもいないのだろう。そして、それは当然のことなのである。
逆に解体を手伝うと言い出したレイジに、アーベルは明白に顔を顰めたほどだ。
しかし、レイジに手伝いを止めろとまでは言わない。勇者と認めているレイジのやることに、口出しするつもりはないらしい。
炎亜竜の解体にかかった時間はほぼ一日。どうやらクローリア男爵は魔獣の解体に慣れた人足を集めてくれたようで、予想以上に解体は進み、日が暮れる前には作業は終了したのだった。
「では、解体した炎亜竜は、私が責任をもって処理いたします」
その日の夜、山岳地帯の麓の草原に設置した野営場の天幕の一つで、レイジはクローリア男爵から炎亜竜討伐の報酬を受け取った。
そして、倒した炎亜竜の各種素材の販売もまた、クローリア男爵に一任する。
素材を手に入れても相場をよく知らないレイジより、クローリア男爵に任せた方が適正な価格で処理してくれるだろう。
もちろん、素材販売で得た利益は、一部の手数料などを除いて全てレイジのものとなる約束である。これでレイジたちも、人間領でしばらく活動できるだけの資金を得たわけだ。
「炎亜竜の素材を売りさばくまでしばらく時間が必要となりますが……その間、ゲンガルにご滞在されますかな? もしもご滞在されるなら、是非我がクローリア家にお越しくだされ」
「そうだなぁ……」
クローリア男爵の申し出に、レイジは腕を組んで考え込む。
今回手に入れた炎亜竜の素材を売り払うにしても、早々すぐに売れるというものでもないらしい。
なんでも炎亜竜の素材のような珍品は、オークションのようは方式で売るのが常だとクローリア男爵は説明してくれた。
オークションとなると、素材の価格はより釣り上がるだろう。しかし、オークション方式は予め参加客を集める必要がある。著名な好事家や炎亜竜素材の武具を望む騎士や傭兵など、関係各所に招待状などを送って参加客を集めるわけだが、郵便のシステムが未発達なこの世界のこと、招待状を送るだけでも時間がかかる。
後の販売を全てクローリア男爵に任せて旅立ってもいいのだが、そうすると売上金を取りに再びゲンガルまで戻らなくてはならなくなる。
それを考えると、しばらくこの街に滞在した方がいいのかもしれない。
「チャイカはどう思う?」
「そうですねー。後から売上金を受け取りに戻る手間を考えれば、ここはしばらくこの街に滞在してもいいんじゃないですか?」
「アーベルさんは?」
「私としましては、一日でも早く勇者様を帝都へご案内したいのですが……勇者様がご滞在を望まれるならば、私は勇者様のお言葉に従う次第です」
「俺もそのオークションの様子を実際に見てみたいしな……じゃあ、しばらくお世話になるけど……いいですか?」
レイジがゲンガルの街に滞在することを決めると、クローリア男爵の顔が一気に輝いた。
「お、おお、そうですか! では、精一杯のおもてなしをお約束しましょうぞ!」
「いや、別にそんなに気張らなくても……普通の客人待遇でいいんだけど……」
なぜか妙に気合いの入っているクローリア男爵に、レイジは苦笑を浮かべるしかなかった。
結局、レイジは二ヶ月ほどゲンガルの街に滞在することになった。
オークションが開催されるまで、レイジやチャイカが想像していたよりも遥かに時間がかかったからだ。
ちなみに、人間領や魔族領では「月」や「週間」という表現はされていない。国や地域によって様々な表現方法が用いられているが、レイジとチャイカは最も慣れ親しんだ「月」と「週間」を用いていた。
そして、オークション当日。
今日までに数多くの人々がゲンガルを訪れていた。
貴族や豪商などの好事家。騎士や傭兵、そして、転売を目論んでいるのか商人らしき者もいる。
会場となるのはクローリア男爵の屋敷。その大広間で、炎亜竜の素材を巡るオークションは行われるのだ。
レイジたちは、部屋の片隅のテーブルを占拠してその様子を窺っている。
椅子に座っているのはレイジとアーベル、そしてオークション主催者のクローリア男爵。
サイファとマーオは表向き奴隷扱いなので、レイジの背後に控えて立ったままだ。
開催時間が迫るにつれ、大広間は人で埋まっていく。
招待客以外にも噂を聞きつけて足を運んだ者もいるようで、大広間は既に満員に近い。
「思ったより盛況だな」
「ええ、今回は珍しい炎亜竜の素材……しかも、その炎亜竜を倒したのが最近噂になっている勇者ランド様ということもあり、より多くの人々が詰めかけたようですな」
「実に素晴らしい。これを機にランド様の偉業がより広く伝わることでしょう」
出品される炎亜竜の素材は、ある程度の纏まりごとにオークションにかけられる。
小さなものは爪や牙、大きなものになると炎亜竜の頭丸ごとなど、当然ながらそれぞれで値段も異なる。
レイジは物珍しそうに広間の中を見回す。
彼がこれまで通ってきた人間領は、辺境に属する地域ばかりだった。そのため、身分の高い人々がこれだけ集まるのを見たことはない。
「なるほど……あれが人間の貴族か……」
〈はやり文化レベル『3』だと、貴族が着る衣服といえども、縫製技術がまだまだ未熟ですねー〉
クローリア男爵以外に初めて目にする貴族たち。そんなレイジの呟きに、彼の頭の中でチャイカの声が返答した。
尚も会場内をきょろきょろと見回していたレイジは、丁度大広間に入ってきた人物を見ておやっという表情を浮かべた。
「あれ? あれは……」
オークションの会場に入ってきた大柄の男性。レイジはその男性に見覚えがあったのだ。
「な、なあ、サイファ。あれって……」
「は、はい……あれは私の故郷の村にいた……バーラン兵長さんです」
レイジに言われ、サイファもまたその人物を見て驚きを露にした。
二人の視線の先。そこにいたのは、以前に彼らが世話になったバーラン兵長に間違いなかった。




