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風変わりな旅人



 森の中を、サイファは歩く。

 だが、周囲を見回しても、特に変わった点は見当たらない。

「……本当に流れ星が落ちたのなら、何か変わった点があるはずなんだけど……」

 例えば、木々がなぎ倒されているとか、地面に大きな穴が開いているとか。

 実際に流れ星が落ちた所など見たことはないので、全てはサイファの想像でしかないのだが。

 そのような変化を探しながら森の中を歩いていたサイファは、だんだんと喉の渇きを覚え始めていた。

 今日は天気もいい。季節的にもこれからどんどん暑くなる時期なので、彼女が渇きを覚えるのも当然だろう。

 森の中を熟知しているサイファは、森の中を流れている川を目指すことにした。

 今いる場所から、川までは遠くはない。川に着いたら、ついでに少し水浴びでもしよう。

 冷たい水の気持ちよさを想像し、少しだけ気分が浮き上がったサイファは、足取り軽く川を目指した。




 しかし、サイファのささやかな楽しみは達成されなかった。

 なぜなら、川には先客がいたのだ。しかも、なんとも奇妙な風体の先客が。

 その先客は、背格好からおそらくは男性だろう。

 おそらくと言うのは、その人物がサイファに背中を向けていることと、全身を奇妙な外套のようなものですっぽりと覆い、はっきりと性別が判断できないからだ。

 緑と黄緑と茶色をてんでばらばらに配色した奇妙な外套は、サイファが初めて目にするものだった。

 そしてその人物は、川の淵に向かって何かを投げ込んでいるようだ。

 手元から伸びる細長い棒と、そこから淵へと向かって伸びる糸。糸は目に見えないぐらい細いが、陽光を受けて時々銀色に輝くので、何とかそれが糸だと知れる。

 どうやら、釣りをしているらしい。

 だが、釣りをしているにしては、少々おかしな点もある。

 この辺りの川に棲む魚は、流れの早い場所を好む習性がある。今、その人物が釣り糸を垂れているような、流れの緩やかな淵にはまず魚はいないのだ。

 もう少し下流に行けばこのような淵に棲む魚もいるが、この辺りにいる魚は全て流れの早い場所にいる。

 それを知らないということは、この人物は旅人だろう。少なくとも、サイファの村の住民ならばこの場所で釣りはしない。

 得体の知れない旅人に近づくことを躊躇ったサイファは、すぐにその場を離れようとした。

 自分に魔族の血が流れていることは、肌の色や尖った耳を見ればすぐに判る。自分が半魔族だと知れれば、どんな酷いことをされるか知れたものではない。

 喉は渇いているがここは諦めて、別の場所で水を飲もう。

 そう判断して彼女が今いる場所から離れようとした時、それまでじっと川を向いていたその人物が、不意に彼女へと振り向いた。




〈レイジ様。背後に誰かいます〉

 突然響いた声に、レイジと呼ばれた人物はぴくりと小さく身体を揺らした。

 しかし、彼の周囲には彼しかいない。しかも、その声が聞こえているのは彼だけだ。

 その声は耳から聞こえたというわけではない。言ってみれば直接脳に届いたような、しかし、彼にしてみれば馴染みの感覚であった。

〈何だって? 確か、チャイカの事前調査では、この辺りに集落はないはずだろ?〉

〈いやー、どうやら、調査に漏れがあったようですねー。おそらくこの近くに、極めて規模の小さな村でもあるんでしょう〉

〈おいおい……ここを降下ポイントに選んだのは、この近辺に集落はないってチャイカが言ったからだろ……〉

 どこかお気楽な調子の声にぶつぶつと文句を返しつつ、レイジは背後を振り返った。

 そこには、確かに人がいた。

 浅い褐色の肌と漆黒の髪をした、まだ成人前と覚しき年頃の少女だ。その恰好からして、旅の途中でたまたま通りかかったという様子ではなさそうだ。

 どうやら、チャイカの言うように規模の小さな集落が近くにあるのだろう。

──自分以外の人間なんて初めて見たぞ。

 突然のことではあったが、レイジは夢にまで見た「他人」との遭遇に、心の中に湧き上がる歓喜を必死に抑えつける。

 そうでないと、今にもその少女に向かって走りだし、思いっ切り抱き締めてしまいそうだ。

 もちろん、初対面の相手にそんなことをすればどうなるか、レイジにもよく判っている。現に、問題の少女は、怯えたような目でじっとレイジを見つめているし。

──まあ、こんな恰好をした奴がいたら、誰だって怪しむよな。

 レイジは改めて自分自身の恰好を思い出しながら、内心で苦笑する。

 今、彼は頭から緑と黄緑と茶色を出鱈目に配色したコート、すなわち迷彩柄のコートで全身を覆っている。

 その姿は、ここの住民からすれば奇異以外の何者でもないだろう。

──恐がられる前に、こちらから友好的な態度を示しておいた方がいいよな? でも、俺にできるかな? 他人との交流なんて初めてだし……

「やあ、いい天気だな」

 努めて作り出した明るい調子で、レイジはその少女に声をかけた。




「やあ、いい天気だな」

 突然声をかけられて、サイファは驚いてしまった。

 見ず知らずの人物から、こんな陽気な挨拶をされたのは初めての経験である。

 大抵の者は、彼女に魔族の血が流れていることに気づくと、あからさまに顔を顰めるのだから。

 奇妙な外套の男性──声から男性だと判明した──の表情は見えない。頭から被ったフードが顔を隠しているからだ。

 しかし、何とか見える口元は、笑みの形に曲がっていた。

「あ、は、はい……」

 男性の明るい雰囲気に釣られて、サイファは逃げることも忘れてつい、返事をしてしまう。

「この辺りの集落の人かな?」

「そ、そうですけど……あなたは……?」

 それでも完全に警戒を解くことはなく、サイファは探るように男性に尋ねる。

「俺か? 俺は……まあ、旅人ってところだな」

 ひょいと肩を竦めるその男性。そして、口元の笑みは更に大きく。

 男性の態度は、たまたま顔を合わせた見知らぬ者同士にしては、やや親しすぎるかもしれない。

 だが、これまで他人からそんな態度を取られたことのないサイファは、知らず知らずの内に徐々に警戒を緩めていく。

「釣り……しているんですか……?」

「そうだよ。こういう川には魚がいるんだろ? 俺、生きた魚……いや、本物の魚なんて初めて見るから、ちょっと楽しみなんだ」

 そう言いつつ、男性は再び川に向かって竿を振る。

 振られた竿の先端から銀色の何かが飛び、淵の中央付近にぽちゃんと落ちる。

 竿の手元にある糸巻きらしきものの把手を男性が回すと、糸巻きがぐるぐると回転して糸を巻き取っていく。

 その様子を、サイファは首を傾げながら見ている。

「……何を……しているんです?」

「何って……釣りだよ?」

 男性は糸を完全に巻き上げると、糸の先に付けているものをサイファへと掲げて見せた。

 それは銀色の小魚を模した玩具か何かで、先端が三方に飛び出した厳つい針が二つも付いていた。

「えっと……竿と糸と……糸巻き? は判るんですけど……糸の先に付いているそれは何ですか?」

「これ? これはルアーだよ。疑似餌って奴」

「るあー? ぎじえ?」

 サイファは男性が何を言っているのか丸で判らない。だけど、そんな玩具の魚を投げて、この川にいる魚が釣れるわけがないことだけははっきりと判る。

「い、いくら何でも、そんな玩具の魚で本物の魚が釣れるとは思えませんけど……それに……」

 サイファは男性の持っている竿を改めてよく見る。

 釣竿はその先端に糸を結びつけて使用するものだが、男性が手にしている釣竿には小さな輪がいくつも付いており、糸はその輪を通って手元の糸巻きに繋がっているようだ。

「変わった釣竿ですね。初めて見ました」

「……そうか。ここの文化レベルは平均『3』だもんな。リールやリール竿なんてまだまだ存在しないか」

 男性はサイファには聞こえないような小さな声で、何ごとかを呟いた。

 その後、何やらぶつぶつと呟いていた男性が、再び外套の奥からサイファを見る。

「君さえ良かったら、正しい釣りの方法を教えてくれないか? もしも魚が釣れたら、お礼に半分あげるから」

「え? ええ、いいですけど……」

 男性の声に思わずそう答えた時、サイファは自分が何をしにこの森に来たのかを思い出した。

「あ、あの……」

 そう言えば、目の前の男性の名前を聞いていない。

 サイファがどう切り出したらいいのか判らずにまごついていると、それを悟ったのか男性の方から言い出してくれた。

「あ、悪い。まだ名乗っていなかったね。俺はレイジ。君は?」

「わ、私はサイファ……って言います。そ、それでレイジ……さん? レイジさんはいつからこの森に……?」

「俺なら昨日の夕方頃この森に着いて、夕べはこの近くで野営していたけど……それがどうかした?」

 昨日の夕方からこの森にいたというレイジの言葉を信じるならば、もしかすると彼もこの森に落ちた流れ星を見ているかもしれない。

 そのことをサイファが尋ねると、レイジは腕を組んで何やら考え込む。

「うーん……夕べはすっかり寝入っていたからなぁ。少なくとも、俺は流れ星なんて見ていないな。それに音や震動も気づかなかったし」

「そう……ですか……」

 明白に落胆するサイファ。そのサイファに、レイジは心の中だけで謝罪する。

「じゃあ、悪いけど釣りの方法を教えてくれないか? 俺が知り合いから聞いた方法だと、どうやら全く釣れないみたいだし。ったく、チャイカの奴、いい加減なことを教えやがって……何が『旧二十世紀から二十一世紀ぐらいに存在したと言われる伝説のルアーを極限まで再現した逸品ですから、爆釣間違いなしです!』だよ……」

 相変わらずレイジの言うことには理解できない部分が多い。だが、少なくとも彼が悪い人間ではないと、サイファは徐々に確信しつつあった。

「えっと……針は持ち合わせがありますし、竿は森の中で手頃な枝を見つければいいとして……糸だけ少しレイジさんのものを使わせてもらってもいいですか?」

「もちろんだ。好きなだけ使ってくれ」

 村の中で冷遇されているサイファは、時々食べる物にさえ困ることもある。そんな時は森の中で食べられそうなものを探すのだが、季節によっては木の実や茸が手に入らない時期もある。

 そんな時、彼女の胃袋を支えてくれるのがこの川の魚だ。

 縫い針を自分で加工した釣り針と、裁縫用の糸を寄り合わせて強度を上げた糸を使って魚を釣り上げ、それを食べて飢えを凌いでいたサイファは、釣りの腕前ならちょっと自信がある。

 腰にぶら下げた小袋の中には、いつもの習慣で今日も釣り針は何本か入っている。

「じゃあ、ちょっと竿になりそうな枝を探してきますね」

「なら、俺も手伝うよ。どうせなら、釣りの本当の方法をしっかりと覚えたいからね」

 と、レイジは奇妙な色合いの外套のフードの奥で柔らかく笑った。




 レイジとサイファは、森の中で手頃な枝を見つけて切り落とし、その先端にレイジからもらった糸を結ぶ。

「うわぁ……この糸、こんなに細いのに凄く丈夫……しかも、透明な糸なんて初めて見ました……」

 レイジがリールから糸を少し抜いてサイファに渡すと、彼女はその糸を見て目を丸くした。

 そりゃそうだろう、とレイジは驚くサイファを見て内心で苦笑する。フロロカーボン製のレイジの糸は、本来ならばここにはまだ存在しないものなのだから。

 その糸とサイファの針を使い、彼女は何匹かの魚を瞬く間に釣り上げた。

 餌は川辺の石の下にいる虫。ここいらにいる魚は、この虫を主に食べているのだ。

「おお、凄いな、サイファは! こんなに簡単に魚を釣り上げるなんて、サイファは天才なんじゃないかっ!?」

 きらきらと鱗を輝かせる魚を見て、レイジは大はしゃぎ。

 そして釣り上げた魚は、レイジが持っていたナイフを借りてサイファが捌き、その場で火を起こして焼き上げた。

「レイジさんのナイフって、すごく良く斬れますね。私、びっくりしました」

「単一分子構造のナイフだからな。ちょっとした金属でも斬れるさ」

「それにさっき薪に火を着けた道具……あれって、もしかして魔封具ですか?」

「いや、単なるオイルライターだよ。特別なものじゃない」

 やっぱり、レイジの言うことはよく判らない。

 それでも。

 誰かと親しく食事するという楽しい一時を、サイファは久しぶりに味わっていた。

 思い起こせば、彼女が最後に誰かと食事をしたのは、唯一の味方だった司祭様がまだ亡くなる前。

 数年振りりに体験した楽しい一時に、サイファは心からの笑顔を浮かべるのだった。




 もう、サイファの中にレイジを警戒する気持ちは一欠片も残っていないことに、この時の彼女はまだ気づいていなかった。


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