勇者の昔語り
深夜の森。
周囲は完全に闇に包まれたそこは、野生動物や魔獣のテリトリーである。
闇の中、例え目には何も映らなくても、そこかしこに彼らの息吹は確かに感じ取ることができた。
下草や落ち葉を踏む音、呼吸音、仲間を呼ぶ鳴き声、そして、暗闇の中できらりと光る眼。
そんな夜の森の中で一か所だけ、皓々と赤い炎が揺らめいていた。
真紅の炎は周囲を朱色に染め上げ、そこだけ結界のように闇の侵入を阻んでいる。
そんな炎の結界の中、三人の男女の姿があった。
「やっぱり、夜と言ったらこうやって焚き火を囲むのが王道ですな」
上機嫌でそう言ったのは、禿頭でこめかみ辺りから二本の角を生やした大柄な男だ。
彼はその巨躯に似合わない器用な手付きで焚き火の炎をかき混ぜ、その炎で焼いていた肉の刺さった串を取り上げた。
「お、これはもう食えますぜ、アニキ」
「ありがとうな、マーオ」
「いえいえ、これぐらいどうってことありやせんよ。ほら、サイファも食え」
「ありがとうございます、マーオさん」
マーオに手渡された串を、レイジの隣に腰を下ろしたサイファは嬉しそうな顔でかぶりついた。
「確かに、キャンピングユニットは便利だけど……こういう食事もいいよな」
「わたくしとしては、四輪車の近くでの焚き火は遠慮して欲しいですけどねー。焚き火の炎で赤外線センサーが半分以上無効化しちゃってます」
レイジの傍らに浮かびながら、チャイカは彼らの背後に鎮座する四輪車と、それに接続されたキャンピングユニットを振り返った。
当然ながら、キャンピングユニットには小さいながらもキッチンが備え付けられている。
小さくても機能的なキッチンは、焚き火で肉を炙って食べるより手軽に調理を行えるだろう。
しかし、こうして皆で炎を囲みながら食べる食事は、キッチンで料理したものを食べるのとはまた違った美味さがある。
だからこうして、レイジたちはわざわざ外で火を熾し、夜の森の中で食事をしているのだ。
食事を終え、使った食器なども洗って後片付けした後。
なんとなく、レイジはキャンピングユニットの中には入らず、まだ燃えている焚き火の傍に腰を下ろしていた。
夜空を見上げる彼の目には、満天の星空が映っている。
焚き火の赤い光以外にほとんど光源がないので、夜空に瞬く星がよく見える。
それは、レイジにとっては見慣れた光景でもある。
彼が物心ついてから、決して開くことのない窓の向こう側に見える景色は、常に星の海ばかりだった。
見慣れた星空を見て、レイジはちょっとだけ懐かしさを覚えた。
「ここに……チャイカが命名したこの惑星……『ファンタジー・アース』に降り立ってから、まだどれだけも経っていないんだけどなぁ……」
誰に聞かせるでもない呟き。レイジは手近な地面に落ちていた木の枝を拾い上げると、それで焚き火を掻き回し、そのまま枝を炎の中に投げ込む。
ぱちんと音をたてながら、投げ込まれた枝がゆっくりと燃えていく。
レイジがじっと炎を見つめていると、かさりと枯れ葉を踏む音がした。
もちろん、その接近にレイジは気づいていた。そして、誰が近づいて来たのかも。
炎から視線を上げ、レイジはその人物へと振り向く。
「あ、あの……レイジさん……」
「どうしたんだ、サイファ?」
「え、えっと……チャイカさんが、これをレイジさんに持って行って欲しいって……」
そう言ってサイファが差し出したのは、温かそうな湯気と芳香を立ち昇らせるカップだった。
その中身はコーヒー。もちろん、この惑星には本来存在しないものだ。
サイファの手にはカップが二つ。レイジは彼女が差し出したカップを受け取ると、サイファに隣に腰を下ろすように勧めた。
「いいんですか……?」
「ああ。丁度、話し相手が欲しかったところなんだ」
微笑むレイジの隣に、嬉しそうにサイファは腰を下ろす。
彼女の顔がやや赤く見えるのは、焚き火の炎をせいなのか、それとも別の要因があるのか。
「マーオさんが、えっと……『きゃんぴんぐゆにっと』の『きっちん』で、この『こーひー』を淹れてくれました」
「そっか。そういや、マーオの奴もすっかりコーヒーを気に入っていたな」
「はい、私もこの『こーひー』は好きです。最初は苦く感じましたけど、今ではこの苦みが美味しく感じます」
コーヒーと言っても、かつてのように原料のコーヒー豆から抽出するようなものではなく、コーヒーに見た目も味もそっくりにした合成品である。
だが、昔は世界的──レイジの先祖が住んでいた惑星──に広く愛飲されていた本物のコーヒーなど知るよしもないレイジにとって、コーヒーと言えばこの合成コーヒーのことなのである。
そして、自身も合成コーヒーを気に入ったらしいマーオは、あの巨体に似合わず実に手先が器用で料理なども得意のようだ。
サイファももちろん料理はできるし、その腕前はなかなかのものだが、それでもマーオの作る料理はサイファを凌駕していた。
レイジもその補助脳の中に、料理のスキルデータはダウンロードされている。
しかし、それはあくまでも「知識」でしかない。実際に経験を積まないと、本当に美味い料理はできないのだ。
そんなとりとめもない会話をしながら、互いの身体が触れるか触れないか、という微妙な距離を保ちつつ、サイファはレイジに尋ねる。
「何をしていたんですか?」
「星を見ていたんだ」
「星……ですか?」
夜空を見上げるレイジに倣い、サイファも無数の星が輝く漆黒の空を見る。
「私も……村にいた時は、よくこうして空を見ていました」
故郷の村では、殆ど虐待に近い待遇だったサイファ。
ある日、夜遅くまで仕事を押しつけられ、納屋のような家に一人でとぼとぼと帰る時。
空を見上げれば、そこにはいつもきらきらと輝く星空があった。
それから、彼女はよく星空を見上げるようになったのだ。
「そう言えば……あの時も星空を見ていたっけ……」
サイファは思い出す。
ある日、自宅の窓からたまたま見上げていた夜空。その夜空を横切り、村外れの森に落ちた流れ星。
その流れ星を見た後、彼女はレイジと出会い、そしてそこから彼女の人生は激変したのだ。
「あの日……村はずれに流れ星が落ちるのを見ていなかったら、こうしてレイジさんと一緒に旅に出ることもなく、今でも村で暮らしていたんでしょうね」
懐かしそうにそう言うサイファの隣で、レイジは苦笑を浮かべる。
あの時サイファが探していた流れ星とは、レイジがこの地表に降りるために使った降下ポッドなのだ。
そう言えばそのことをサイファに説明していなかったな、とレイジは改めて思い出した。
「あー、あのな、サイファ」
「はい?」
「サイファが見たっていう流れ星……実は、俺がこの惑星に来るために使った降下ポッド……まあ、この前の降下シャトルのようなものなんだ」
「え……えええええっ!?」
「サイファに出会った時、そんなことを説明しても理解できないと思ってとぼけた返答をしたんだけど……ごめんな」
「じゃ、じゃあ……レイジさんはあの流れ星に乗って来たってことですか?」
「ま、まあ、そういうことだな」
サイファの目が大きく見開かれる。
流れ星に乗って来たということは、それはつまりレイジが空の向こう──神界からやって来たということを意味する。
──やっぱり、レイジさんは神々が遣わした本物の勇者様なんだ。
サイファは改めて、レイジが普通の人間ではないことを実感した。
「あ、あのー……レイジさん……?」
ちょっと言いづらそうに、舞い踊る焚き火の炎を見つめながらサイファは言葉を紡いでいく。
「レイジさんが育った所って……どんな所だったんですか?」
神様のいらっしゃる神界って、どんな所なんですか?
そんな疑問を直接口にすることが、何となく憚られて。
それでも疑問を押さえることができなくて。
言葉を選びながら、サイファはレイジに尋ねた。
「んー、俺が育ったところ……か」
レイジは首を傾げながら、何と説明したらいいのかと頭を悩ませる。
でも、この際だから本当のことをサイファに話したい。
そう考えながら、レイジは腕を上げて真っ直ぐに夜空を指さした。
「俺が生まれて育った所は……あの星空の向こうなんだ」




