流星
漆黒の夜空を、きらきらと瞬く星々が飾る。
村外れに建つ粗末な自宅の窓から夜空を眺め、偶然深夜まで起きていた少女は、漆黒の闇を切り裂く一条の光を見た。
「流れ星…………?」
白い光の尾を引くその流星は、少女が見つめる中、どんどんとその輝きを増していく。
「も、もしかして……流れ星がこっちに来るの……?」
少女がそう呟く間にも、流星はどんどんと大きくなり、輝きもそれに伴って強くなっている。
やがて流星は、少女のその黒曜石のような瞳の中を横断し、窓の上──頭上へと消えて行った。
そして、地響きにも似た震動と、大きな音が少女の元へと到達する。
「……な、流れ星が……落ちた……?」
夜にも関わらず、村のあちこちから声が聞こえてくる。どうやら先程の震動と音で、眠っていた村人たちも目を覚ましたらしい。
きっと明日は大騒ぎになる。
そう考えながら、少女は粗末なベッドへと潜り込み、そっと目を閉じる。明日に備えて早く寝なければならない。
しかし、閉じた目蓋の裏側に、先程目撃した大きな流れ星が何度も何度も繰り返し現れて、彼女が寝入りついたのはかなり後のことだった。
翌朝。少女が予想していた通り、村は大騒ぎだった。
村の中心の広場に全ての村人が集まり、早朝からがやがやとけたたましく話し合っている。
彼女が広場に来た時には、既にほとんどの村人が集まっていた。
村人の輪の中に、少女もこっそりと加わる。
しかし、その周囲にいた村人たちが、少女に気づかないわけがない。
村人は傍に来たのが少女だと気づくと、露骨に顔を顰める。中には、舌打ちする者までいる。
少女は周囲から向けられる視線に、怯えるように下を向く。しかし、この場から逃げ出すわけにはいかず、周囲の冷たい視線を受けたまま、聞こえてくる声に集中した。
「……とにかく、昨夜の音と震動が一体何だったのか、その原因を調べねば!」
広場の中心に据えられた台の上、そう声高にそう叫んだのは、この村の村長であるバモンだった。
「調べるのはいいけどよ、バモン村長。それを誰がやるって言うんだ?」
「決まっているだろう、バーラン兵長。あんたら兵士たちは、この村を守るために国から派遣されているんだ。昨夜の音と震動がこの村に危険を及ぼすかどうか、それを調べるのはあんたらの仕事だろう?」
村長にそう言われた、革鎧に腰に剣を佩いた男が、露骨に顔を顰めた。
「村長が今言ったように、確かに俺たちは国からこの村を守るために派遣されている。だから、俺たち兵士が全員村を空けるわけにはいかないんだ。俺たちが昨日の原因を探るのはいい。だが、村人にも協力してもらうぞ?」
革鎧の男──バーランがそう言うと、今度はバモン村長が顔を顰める番だった。
「……仕方ない。村からも人手を出そう」
見るからに不承不承と言った感じに、バモン村長が頷いた。
そして、村長は台の上から集まっている村人を見回す。
村人は誰もが忙しい。育てている作物や家畜の世話など、日々生きるための仕事を抱えている。村人の中で、暇な者など一人もいないのだ。
さて、誰に兵士と共に探索をしてもらおうか。誰に命じても不満が出るのは明白だが、この仕事を誰かに押しつけないわけにはいかない。
村長の視線が集まった村人たちの中を巡り、やがてぴたりとその視線が止まる。
俯いたままの、少女の上で。
「サイファ!」
「は……はい……っ!!」
突然名前を呼ばれ、少女が驚いた表情と共に顔を上げた。
「おまえが兵士たちと一緒に行け。いいな?」
「あ、あの……私も今日はいろいろと仕事が……」
「儂の言ったことが聞こえなかったのか? 全く、親のいないお前を村全体で育ててやっているんだ。少しぐらいは普段の恩返しをしたらどうだ?」
「…………はい……判りました……」
少女──サイファは再び俯きながら、小さな声でそう呟いた。
村長に命じられるまま、サイファは昨夜の震動と音の原因を探ることになった。
村長に探索を命じれられた時、サイファは夕べ目撃したことを村長に話そうとした。だが、いくら彼女が話しかけても、村長はまるで聞く耳を持たない。
「命じられた通り、さっさと兵士と共に探索に行け! おまえの話を聞いているほど、儂は暇じゃないんだ!」
そう怒鳴られて、サイファは村外れへと足を運んだ。
この村の外れには、国から派遣されてきた兵士たちの屯所がある。
と言っても、派遣された兵士は兵長のバーランを含めても八名だけ。しかし、辺境の小さな村の警護ならば、この人数でも十分だった。
サイファは屯所に着くと、扉を数回叩いてからそっとその扉を押し開いた。
「あ、あのー……村長さんに言われて、お手伝いに来た者ですが……」
彼女が屯所の中に声をかけると、そこにいた数名の男性──兵士たちが一斉に彼女へと振り向いた。
「……あの村長、本当に一人しか寄越さなかったのかよ……」
兵士たちの中心にいた中年の男性──バーラン兵長が忌々しそうに床を踏み鳴らした。
「……まあ、いないよりはマシか。おい、ガッド、ランガ」
名前を呼ばれて、兵士の内の二人が返事をする。
「おまえらはあの娘と一緒に、昨日の騒ぎの原因を探ってこい」
「へい」
「承知しやした」
返事をした兵士たちは、革鎧を身に着けて短槍を手にする。
「じゃ、行ってきやすぜ」
「おう」
バーランは振り返ることすらせず、ただ、ぱたぱたと手を振るだけで部下の声に応えた。
「さて、夕べの騒ぎの原因を探れと言われてもよ?」
「ああ、どこから手をつけたものか……」
村の中を歩きながら、二人の兵士──ガッドとランガが困った顔をする。
そんな二人から少し離れた後ろを歩きながら、サイファはおずおずと前を行く兵士たちに声をかける。
「あ、あの……兵士さん……」
「ああ? 何んだよ?」
二人の兵士の内、ひょろりと背の高い方──ガッドが苛立たしそうに振り返った。
「あ、あの……私、夕べ見たんです……」
二人の兵士に睨み付けられながらも、サイファは夕べ見たことを話していく。
「わ、私の家の上を通り過ぎたようなので……おそらく、その流れ星は村外れの森の中に落ちたのでは……」
「……ンだよ? どうしてそれをもっと早く言わねぇんだ?」
「い、いえ……村長さんに話そうとしたのですが……聞いてもらえなくて……」
サイファの話を聞いたガッドは訝しそうに彼女を見る。と、不意にその顔ににやにやとした下卑た笑みを浮かべた。
「なあ、あんた。もしかして……俺たちを誘っているのか?」
「え? さ、誘う……?」
「だってそうだろ? 流れ星は俺も見たことあるが、その流れ星が落ちたなんて話は聞いたこともねえ。そんな嘘をでっちあげてまで俺たちと森へ行きたがるってことは……要は俺たちと、森の中でイイコトをしようって魂胆なんじゃねえのか?」
下卑た笑みを浮かべながら、ガッドは粘ついた視線でサイファの全身を見る。
浅い褐色の肌と宵闇色の髪を持った、まだまだ幼さが残るものの将来を期待させる容貌の持ち主。それがサイファだ。
黒髪は真っ直ぐに背中の中ほどぐらいまで伸ばされ、二つの黒瞳は黒曜石のごとき輝き。そして何より特徴的なのは、そのやや細長く先端の尖った耳だろうか。
その特徴は、魔族の中でも闇エルフと呼ばれる種族のそれと類似する。
「聞くところによると、魔族の女って奴は総じて淫乱だって言うじゃねえか。だからあんたも俺たちと……」
「ち、違いますっ!! わ、私はそんなことは考えていませんっ!!」
サイファは両腕で自分の身体をかき抱くようにしながら、数歩後ずさる。
「はン、どうやら。聞くところによると、あんた、そのためにこの村で育てられたんだろ?」
好色な目で全身を見つめられ、それでも反論できなくて、サイファは拳を握り締めながら地面を見る。
親のいない彼女が、この村で育てられている理由。それはガッドが言う通り、将来村人共有の「娼婦」となることが決められているからだ。
娯楽のほとんどない辺境の村では、親のいない子を養う代りにそのような目的に用いることがままある。
今年で十五歳になり、日々身体が大人の女性へと成長しているサイファは、遠くない未来に「娼婦」として村人に利用されることになるろう。
今まで彼女が「娼婦」として利用されなかった理由は、一番最初の「客」となることが決まっている村長が、幼い子供には興味がないからに過ぎない。
「おい、その辺で止めておけ」
もう一人の兵士──小太りでガッドよりはやや年上──のランガが、相変わらず好色な目をサイファに向ける同僚を窘めた。
「半分とはいえ、その娘には魔族の血が流れているんだ。そんな半魔族の女なんか抱いて、呪われても知らないぞ?」
「は、それもそうだな」
そう吐き捨てたガッドは、そのまま背を向けて歩き出す。
「とは言え、この娘の言葉ぐらいしか手がかりがないのは確かだ。森へ様子を見に行ってみるか」
「仕方ねえなぁ。おい、半魔族!」
「は、はいっ!!」
「俺たちは俺たちで森の中を探すから、おまえはおまえで勝手に探せ。おまえが森で村の男どもと何をしようが勝手だが、俺たちの邪魔だけはすんじゃねえぞ!」
「…………はい……判りました……」
辛辣な言葉を投げかけられても、サイファは何も言い返すことなく、ただただ俯くことしかできなかった。
二人の兵士たちと別行動を取ったサイファは、一人だけで森の中へと分け入った。
森とはいっても、普段から何度も入ったことのある森である。
茸や木の実、薪用の木材など、森から得られる恵みは辺境の村にとっては極めて重要だ。もちろん、森で採れる野生動物も貴重なタンパク源である。
そんな慣れ親しんだ森の中を、サイファは憂鬱な気分でとぼとぼと歩いていく。
彼女が冷遇されているのは、何も今日が初めてではない。
物心ついた時から、彼女は村人たちから冷たい目で見られていた。
今から十五年ほど前、村にある小さな神殿の前に置き去りにされていた赤子。それがサイファだ。
彼女の両親が誰なのか、まるで判らない。
小さな村なので、誰かが妊娠したり出産すれば、あっと言う間に村中に広まる。それを考えると、彼女の両親は村人ではないのだろう。
丁度それぐらいの時期、この辺りには魔族の出没が相次いだことがある。おそらくはどこかの女性が魔族から乱暴を受け、その結果に身籠ったのだろう。
自ら生んだ子を殺すのも忍びなく、かと言って手元で育てる勇気もない。そんな女性が、辺境の村の神殿にこっそりと置き去りにしたのではないだろうか。
それがサイファを拾った老司祭の考えだった。
老司祭はサイファを育てることにしたのだが、彼女の存在はすぐに村中に知れ渡ってしまう。
先程も言ったが、小さな村だ。ちょっとした変化でも、それが伝播するのはあっという間である。
神殿の前に捨てられていた赤子。それだけならば、あまり問題にはならなかっただろう。
しかし、その赤子が魔族の血を引くとなれば、話は別だ。
当然、彼女のことを知った村人たちは、魔族の血を引く赤子など殺してしまえと主張した。
それでも、老司祭は頑なにその意見に反対する。
「例え魔族の血を引こうとも、生まれたばかりの赤子に何の罪があろうか。この子は私が責任を持って育てよう」
村長とは別の権力者と言える司祭にそこまで言われて、それでもまだ赤子を殺せという村人は、少なくとも表面上はいなかった。
だが、やはりサイファに対して、村人たちは冷たい。彼女の味方は、育ての親である老司祭だけ。それでも、サイファは真っ直ぐに育っていく。
しかし、村で唯一サイファの味方だったその老司祭も、数年前に寿命を全うして神の元に召されてしまった。
それからの村での彼女の存在が、どのようなものかは想像するに難しくはない。
様々な家の農作業を手伝い、家畜の世話をし、時には奴隷のように扱き使われて。
それでも何とか生きてきた。生きることを許されてきた。
例え、将来的に村の全ての男たちから「娼婦」として扱われようとも。
これまで育ててもらったのだから、その恩に報いなければならない。サイファはいつもそう思っていた。
「それに……例えこの村を飛び出しても……どこも行く所なんてないし……ね」
どの土地へ行ったとしても、半魔族であるサイファを温かく迎え入れてくれる場所なんてありはしない。
下手をすると奴隷として捕えられ、どこかに売り飛ばされるのが関の山だ。
ならば、少しでも自由のあるこの村にいた方がマシだろう。
近い将来に訪れる絶望的な未来に憂鬱な気分になりながら、それでも言いつけを守ってサイファを森の中を、落ちた流れ星を探しながら歩いていった。
この時、彼女はまだ知らない。
この森の中で、彼女の運命を大きく変える出会いが待っていることを。