砂の王子様 1
✟
「ねえ、聞いてよ、螢」
「聞いてもいいけど、姉上。俺をその名で呼ぶのはやめろよ」
「まだそんなこと言ってるの? それは良い名よ。父上の大切な弟の名だもの」
「でも、瑚族はみんな鳥の名なのに、俺だけ虫ってのが嫌だ」
沙海の深奥、瑚族連衡の宗都・湧のとある邸。
15になる砂色の髪の少年は不満そうに口を尖らせた。
「それにさ、みんな、俺のこと『王子』と呼ぶのも腹が立つ。からかわれてるみたいで」
「だから、それも」
二つ違いの姉は辛抱強く弟を諭した。
「あなたが父上の弟に似てるせいよ。彼は正真正銘の王子様だったんだから」
「嘘だろ? 弟が王子なら父上も王子ってことになる。あの父上が?」
「あら、本当よ。今は無き、沙海の美しい小国の王子様だったそう」
熱心に語る姉の横顔を見つめて弟はため息をひとつ。
「王子はともかく──俺も黒い髪に生まれたかったな」
「そうなの? 変わってあげられたらいいのに。私は何色でもかまわない。何処かへ行くわけじゃないから」
まずいことを言ってしまった。慌てて螢は言った。
「さあ、話を聞かせて、月針。今度はどんな夢を見たのさ?」
姉娘の月針は生まれつき足が悪くて自由に出歩くことができなかった。
その代わり特別な力を持っている。
彼女は不思議な夢を見るのだ。夢で見たことは実現した。
夢告、夢占、現代の科学者ならプレコグニッションの類に分類するかも知れない。
「私は見知らぬ国にいるの。そこで素敵な宝物を見つけて家に持ち帰るのよ。その宝物はやがて私達種族に富と幸福をもたらすわ」
月針の見る夢の出来事は簡潔である。
目覚めた後、夢の中の体験は〈詩〉としてその唇に残される。
「へえ? じゃ、俺が現実の世界で、その宝物とやらを見つけてやる!」
螢はいきり立った。彼は王子さまではなく英雄と呼ばれたいのだ。父のように。
座りなおすと弟は姉をせっついた。
「歌ってみて! 憶えるから」
姉は歌って聞かせた。
「 良き獣に導かれ
叔父に誘われて 赴く国
王僕達の侍る 柄杓の水際で
色とりどりの かけた モザイクが 告げる
宝物の名を 聞け 」
「うあっ?」
ちょうど回廊を曲がったところで武人は跳び出して来た少年に弾き飛ばされてしまった。
「失敬! 峰雀将軍! 俺、急いでるんで──」
「こら、螢! そんな挨拶があるか。ちゃんと謝罪しなさい!」
気づいた父がやって来て叱った。
「戻って来たらその時にするよ! 今は一刻を争うんだ。じゃ!」
見る見る小さくなって行く後姿。父は黒髪を掻き揚げて嘆息した。
「全く……」
「ますますそっくりになってきますね、須臾王子と」
立ち上がって埃を払いながら峰雀は笑った。
「それだよ。見た目はともかく──性格まで似すぎて困ってるのさ」
「血の気の多いところ?」
武人はニヤリとした。
「それはしかたがない。どっちに似ても一緒ですよ。須臾王子だろうと月王子だろうと」
苦笑する父の頬に煌く片笑窪。
✟
さて、砂漠を疾走する螢だった。
馬上、姉から聞いた詩を暗誦して考えてみた。
「〝良き獣〟って何だろうな? 沙海で出会うとしたら砂土竜か砂鼠、赤狐も──」
刹那、目の端を銀色が走った。
「今のは狼じゃないかっ!」
興奮して螢は叫んだ。
「何て幸運なんだ! 飼ってみたいと思っていたんだ。あれを手に入れたなら友達に自慢できる!」
ごめん姉上。この際〝良き獣〟は後回しだ。
もはや、宝探しのことなど何処かへ飛んで行って螢は素早く弓を番えた。
「殺さない程度……チャッと掠って驚いて足が止まったところを捕まえる……」
だが、砂漠の狼は賢い。少年が追って来るのを知っているのか肩越しに振り返って確かにニヤリと笑った。
急にスピードを上げたと思ったら一段高くなっている砂の丘の向こうに消えた。
「逃すもんか!」
手綱を引き絞って大跳躍。父の自慢の技を少年も披露した。
──と、何かが、何処かが、狂ったか。
バランスを崩して螢は馬の背から放り出された。
まずい、と思ったのも束の間。一回転して落下する。
(レ? 地上までこんなに長かったかな?)
薄れる意識の中で螢はそんなことを考えていた。
額に冷たい水が注がれた。
「!?」
目を開けると眼前に人影。水筒を傾けて水をかけてくれている。
「気がついたな? 派手に転がったわりに怪我はしてないようだ。安心しな」
「俺は死んだのかな?」
恐る恐る螢は尋ねた。
「自分が二人にダブって見えるんだけど……」
「うん。そのこと、俺も薄々気づいてた」
眼前の少年も認めた。
「確かに俺達ちょっと似てるかもしれない」
ちょっとどころか……!
螢は起き上がると改めて訊かずにはいられなかった。そのくらい二人はそっくりだったのだ。
「転がった時、分裂した……とかはないよね?」
瓜二つの少年はきっぱりと否定してくれた。
「いや、それはない。俺は最初からここにいて、おまえの方が降って来たんだ。そら、砂丘の向こう側からゴロゴロと」
それから、白い綾羅を纏った少年は言った。
「俺の名は須臾王子。おまえは?」
「…………」
螢は口篭った。
名を教えたくない。嫌いだから。と明かすと須臾王子は吹き出した。
「へえ? そんなとこも似ているな。俺も自分の名が大っ嫌いさ!」
「俺達、生き別れた双子の兄弟かも知れない……」
「ありえるな」
言下に王子。
「どうも俺の母上は本当の母じゃない気がする。だから、どこかに本当の家族──弟がいても全然驚かないよ」
こうして、急速に仲良くなった二人だった。
遠乗りに来たという王子に螢は自分が旅に出たあらましを語って聞かせた。
聞き終わると王子も興味を持ったらしく身を乗り出して言う。
「この広い沙海で巡り会ったのも何かの縁だ。俺で良かったら力を貸すよ」
「じゃ、一緒に謎を解いてくれる?」
その前に、と王子は言うのだ。名無しだと凄く不便だからさ、俺が何かいい名をつけてやろうか?
「鳥の名がいいんだけど」
しばらく空を見て考えていた王子が振り返った。
「燕鷹なんか、どう?」
鷹の一種だ。小型で俊敏、愛嬌のある円らな目を持っている。
悪くない、と螢は嬉しくなった。
「それにしても──羨ましいな!」
姉の夢告について詳細に語ると、王子は言った。
「俺は兄ばかりだから。そんな不思議な力を持った姉上、俺も欲しいよ」
考えて欲しいのは姉のことより〈詩〉の意味だった。
「1行目はもういいよ。〝良い獣〟だろうが何だろうが、どうせ獣はどれも大した違いはない。その次、〝叔父に誘われて赴く国〟だ」
「……俺の国なら、すぐそこだ。行ってみるかい?」
叔父じゃなくて王子だが、この際目を瞑るか。螢改め燕鷹は思った。
沙海で人と出会うだけでも珍しいのに、その相手の国へ招かれる機会なんてそうザラにあることじゃない。
試したところで損にはならないだろう。
念のため訊いてみた。
「その国に〈帝国人〉はいないよね?」
王子は血相を変えて怒った。
「失礼なことを言うな! 俺の国に帝国人なんて一人もいるもんか!」
アットノベルスに長い間捨て置かれていたこの作品を拾ってくるよう背中を押して下さった創作仲間様に心から感謝いたします!
本当にありがとうございました!