burst balloon編 第一話
バーストバルーン編 第一話
人の愛って何なんだ。可変的に変わるもの? 不変的に変わらないもの?
人の嘘って何なんだ。自分のために付くもの? 他人のために付くもの?
人の命って何なんだ。人の愛から生まれるもの? 神様からの贈りもの?
本当の答えは分からない。
でも、ボクは知っている。
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朝のチャイムが校内に鳴り響く。
その音を耳にしたことによって、下駄箱で唯一、靴を履き替えていた学生――栗原伊織は、ローファーを下駄箱に投げ入れ、先ほどよりもさらに慌ただしい足取りでその場を後にした。
チャイムが鳴り終わる寸前に、彼は教室になんとか滑り込むことに成功する。
彼は深く息を吐いた後、額の汗を拭いながら席へと着く。
安堵の表情とともに、まだ遅刻していないという誇りのようなものを感じ、少しほくそ笑んでいる。
「何笑ってんだよ」
「いてっ」
雄三はノートで作った筒で伊織の頭を軽快に叩く。
「どうせ『まだ遅刻してねえ。やったー‼︎』とか思ってんだろ。あのなあ、お前、遅刻してるのとほとんど変わらないからな」
「そうそう。言っちゃえば全部遅刻と同じ。ね、凪ちゃん」
雄三と唯の言葉に凪咲はくすっと笑っている。
そういえばと思い出したように唯は凪咲に問いかけた。
「栗原くんの家から凪ちゃん家、近いじゃん。これから待ち合わせして一緒に登校すれば? そしたら少しは遅刻癖が直るかも」
唯の話を聞いた凪咲は少し時間を置いた後、ゆっくりと口を開く。
「で、でも……それでわたしも遅刻するの、やだし……」
伊織以外の全員が笑う。
突っ込んでも自分の傷口を開くだけだと理解している伊織は、机にぐったりと体を倒している。
担任が教室に入ってきてホームルームが始まった。
凪咲が学校へ来るようになってから約一週間ほどが経過していた。
彼女は、最初は机から目線をそらすことさえできなかった。しかし、雄三と唯、そして伊織の気さくさにより、徐々に人の顔を見て会話ができるようになっていた。
雄三と唯に自己紹介をするときにノートを使うか迷った凪咲だが、伊織の励ましもあり何とか口頭で自己紹介することができた。かなりの時間がかかったが、そのことによって自信がついたのだろうか、今までノートを一度も使っていない。
話す時もまだ、間を置いてゆっくりとでないと話せない。時々噛んでしまったりもして会話が止まってしまうこともしばしばだ。それでも、自分の想いをしっかりと言葉に乗せて話せるようになってきていた。
もちろん課題も山積みである。
三人以外には喋ることはもとより、顔をちゃんと見ることさえもできていない。しかし、伊織はそれでもいいと思っていた。今は無理でも凪咲が努力している限り、時間が解決してくれるに違いないと。
お昼が終わり、午後の歴史の授業が始まった。
ほとんどの学生は、授業をろくに聞いていない。寝ている者やコソコソと喋っている者、携帯をいじっている者……しっかり授業を聞いているのは全体の二割ほどだろうか。
その中に、凪咲はいた。
彼女は黙々とノートにペンを走らせている。
伊織がいびきをかきながら寝ていることに気が付くと、彼女はペンで脇腹を突いた。
「ふぁっ」
大きな声を出したことでクラスの何人かが彼を振り向く。が、寝言だったのだろうと解決させてすぐに自分達のしていた作業へと戻る。歴史の先生も、気にせず授業を続けていた。
伊織は今にもひっつきそうな瞼のまま、後ろの席に顔を半分傾ける。
「なぁ、なんだよほぉ。あぁ、あの肉まん、食い損ねた……」
凪咲は何もなかったかのようにノートをとり続けている。
伊織は肩で深くため息をした後、またすぐに自分の世界に戻ろうと机に額をつけようとする。凪咲は伊織がお辞儀をすると同時に脇腹をまた小突く。
「んーもお、なんだよ……。歴史は試験の出るポイント、最後に教えてくれるから大丈夫だって」
そういいながら伊織が振り向くと、凪咲の手のひらには四つ折りにたたまれたノートが乗っていた。
内容はこうだ。
『もうすぐゴールデン・ウィークだけど、予定あるの?』
ノートの左上にスラリと書かれた文字。スペースからしてとてもアンバランスだ。
伊織は大きくあくびをし、左手で頭をくしゃくしゃに掻きむしりながら、その一文をぼんやりと眺めている。
「ごーるでんういーくぅ?」
彼は寝ぼけたままの状態で振り返りながら呟く。
寝ぼけていたために、彼はとても大きな声を出してしまったらしい。それを見かねた先生は、咳ばらいをして牽制をする。
伊織から発せられた興味深いワードを耳にした唯は、携帯をいじるのを止め、横目で見ながら聞き耳を立てていた。しかし、二人が手紙でのやり取りをしていることを知ると、むすっとした表情で携帯に視線を戻す。彼女の親指は不要なほどの強さで携帯をタップし続けていた。
伊織は凪咲の記した文章の下に、行間からはみ出た大きさの文字で内容を書くと、それを折りたたみ、自分の頭の辺りにそれを持った指を差し出す。
凪咲は何一つ表情を変えずに、彼の指先にあるものを人差し指と親指で掴み、手元で広げた。
『ゴールデン・ウィークはDPBで仕事があるんだ。誰かの護衛をするとか何とかで』
やり取りは同じように繰り返されていく。
『一日も暇ないの?』
『まだ分んないな』
『ふーん』
伊織は一番下に書かれた文字を読みながら見えない何かを探すようにノートを透かしている。
――は? それだけ?
伊織の頭の中にはハテナマークが浮かんでいる。彼には今のやりとりに一体何の意味があったのか、全く理解ができなかった。
すると、伊織は脇腹を突かれると同時に、新しい手紙が来たことに気がつく。
『そういえば、お父さんがお礼を言いたいっていっていたわよ』
伊織はそれを見て凪咲の父親がDPBの東京総本部に勤務していることを思い出した。
『凪咲のお父さん、総本部に勤務してるっていってたよな。通り名とかあるの?』
『鋼鉄の巌』
「こ、こうてつのいわおぉ?」
伊織はびっくりしたのか大声を出してしまった。
すかさず先生は注意をする。
「栗原くん、あと十分で授業が終わるからもう少しだけ静かにしていなさい」
「……はい」
伊織は興奮しながらノートにペンを走らせ、すかさず紙切れを後ろに投げ入れる。
『なあ、鋼鉄の巌って言ったら、「中央」の有名な特別捜査官の名前だぞ』
ある一定の実力を認められた者は通り名を授けられることが決まりになっている。対象は東京総本部に勤務し、総本部管轄下で業務をこなしている「中央」と呼ばれるエリート集団。各本部の総隊長及び本部に在籍している本部隊長と副隊長。各支部で指揮をとっている隊長。その他隊長格でなくても勲章を四つ以上与えられたものも対象となっている。
DPBに在籍する者にとってその名で呼ばれることは名誉なことであり光栄に値するのだ。故に、通り名が定着してしまって、逆に本名が陰に隠れてしまうこともザラであった。
伊織は凪咲の父親が「中央」の人間な訳がないと、事務職員かなんかだろうと勝手に決め付けて、ジョークのつもりで通り名を訪ねたが、本当に通り名を持っている隊員だったのだ。伊織は今さらながら、渋谷と言われてもピンと来ない訳だと一人納得すると同時に、自分のみじかなところにエリート集団の娘さんがいることにドギマギしていた。
『ふーん』
『ふーんて‼︎ 鋼鉄の巌、妖刀の玉木、黒豹使いなんかはDPBで超有名だぜ』
『あんま興味ないや』
チャイムが鳴る。
それと同時に、伊織は体の向きを後ろに向けて、彼女の机に体を乗り出す。
「お、お、お、お前、なんでそんな大事なこと言わなかったんだよ⁉︎ なんか分からないけど、めちゃくちゃ緊張しているぞ、自分」
凪咲は冷たい視線を伊織に送っている。シャープペンシルの先を机に当て、ノックをして芯を中にしまう。
「あのさ……お前って、やめてよ」
「ん? ああ、ごめん。凪咲」
そのやり取りを聞いていた唯は、とてもふて腐れていた。と同時に、よからぬ妄想も膨らましている。
――ゴールデン・ウィーク? めちゃくちゃ緊張している? もしかしてデート……?
唯はお尻の辺りがソワソワとするような不思議な感覚に包まれていた。
学校の後、伊織がDPB駒丘支部に着くと、隊員は番場だけしかいなかった。番場は何やら資料を読みながら難しい顔をしている。
「――おう、伊織くん」
「あれ、理緒奈さん。他の皆さんは、出動ですか」
「ああ。一、二週間はほとんどが私一人だろう」
「最近、結構忙しいですよね」
「そうなのだよ。横浜でオーバーアビリティ・リングを装備した能力者が増えている件なのだが、駒丘で最近盛んに指輪が取引されているという情報が入ってな。もしかすると製造場所など近くにあるのかも知れないと、京浜本部と力を合わせて当たっているところだ。――それに、うちは伊織くんを抜いて隊員が四人しかいないから大変なのも事実だ。だから、事実上、私が一人で駒丘での常務をこなさなくてはならない」
支部は隊長、副隊長が一名ずつと上級隊員、一般隊員を合わせた数が二名以上で構成されている。
四名という最小構成人数でやりくりしているのは、京浜管轄内では駒丘だけだ。普通の支部は基本、二十名前後で構成されていることからも分かる通り、駒丘がどれだけ異質なのかが分かるだろう。
なぜなのか。それは駒丘という地形に触れなくてはならない。北は川崎、南は横浜という比較的おおきな町の間に位置する駒丘は、国の大々的な区画整理に伴い最近定められた町である。川崎と横浜を繋ぐ町として認識されていた。
二つの都市にはいくつかに分けられた大規模支部が存在しており、駒丘はいたって平和で管轄範囲が狭いというのが一つ目の理由だ。
そしてもう一つ。それは駒丘の隊員たちは並外れた経験と実力を備えている、総本部の者たちに匹敵するほどの隊員達だということだ。全てのものが駒丘の町に対して思い入れがあり、異動や昇進を断って居座っている。そんなワガママが許されるくらいの連中が川崎と横浜の中間地点を守っているのだ。
故にDPB内では駒丘支部はちょっとした有名支部であり、一目置かれた支部であった。
しかし、大きな都市に挟まれているということもあり、影響を受けるということも否めないのが事実なのだろう。そして今回、大きな事件に町が絡んでいる可能性があり、てんわやんわして人員が回っていない、という状態になっているのだ。
「総本部での申請が全く降りないから人員を増やすこともできない。今回は京浜本部が一斉調査に入ったために人員を確保できたからよかったものの……元はと言えば、京浜の上の奴らが申請の後押しをしてくれないのがいけないんだ。調子のいいことを言っていつもはぐらかしやがって、あのじじぃ……」
番場はぶつくさ言いながら分厚いファイルをデスクの中に投げ入れる。
「じゃあ、俺にも何か手伝わせてくださいよ」
伊織は目を輝かせながら懇願する。すると、番場は椅子をくるりと回して伊織の方に体を向けて指を立てる。
「だめだ……と言いたいところなんだが、猫の手も借りたくてな。実は、太田隊長からも伊織くんに任務を任せるように言われている」
「ほ、ほんとっすか。頑張ります」
伊織はガッツポーズをして、大声を出して喜ぶ。が、喜びも束の間、早速牽制が入る。
「ただし、私の言うことをちゃんと守ること。そして、言われた任務だけをこなすこと。この二点をしっかり守れよ。あと、学行にも影響のないように」
「はい。ありがとうございます‼︎」
「それじゃあ、説明していくからここに座って」
伊織は初めてまともな任務が与えられることになり、心底とてもワクワクしている。しかし、伊織がそのような気持ちを抱けたのも今だけだった。
真っ青に澄みきった空。
鳥たちは悠々とその天空を駆けまわっている。
彼らは何処へ行くのだろう。列を成し、彼らの目指す目的地へ向けて羽を広げて優雅に羽ばたく。
彼らの横には赤い風船が一つ、浮かんでいた。
ぷかぷかぷかぷかと浮かんでいる。
それを見た鳥たちは、不思議に思っていた。こんなに横に動く風船なんてあるのだろうかと。こんなに高い標高で割れないなんてどうしてだろうかと。
風に揺られているわけではない。ゆらゆらと進んでるのだ。
その風船は鈍い音とともに割れちった。
破裂ではない。
爆発が起きた。
鳥たちは無残にも風船の爆発に呑まれ、遠い場所へと旅たった――。