第91話 拡散する悪意2
「ここが、そのホテルなんだよな」
タイ、バンコク中央部にあるチャオプラヤ川沿いには高級ホテルが林立しており、その一角にそびえたつ巨大なホテルの前に立ちすくむ。
ヴァレリーさんにもらった情報だとこのホテルで間違いないみたいだけど、こんな高級ホテルを転々としているんだろうか。今はいてくれるといいんだけど。
拡散する悪意2
タイでも有数の高級ホテルの前は当たり前のようにガードマンがおり、このあたり一帯が富裕層のエリアなのか、周辺を歩いている人たちの身なりは清潔で品があるように感じる。
今回、潜入調査になるのではないかということで光太郎とシトリーに着いてきてもらい、後は俺とストラス、セーレとパイモンのメンバーだ。
「光太郎、このホテルすげえな。お前このホテルに泊まったことある?」
「は?あるわけねーだろ」
「えー中学の時にタイに旅行で行ってたじゃん。変な象の置物とお菓子くれたじゃん」
「変なとか言うな。歓喜天ていう良く知らんけどすげー神様なんだぞ」
正直置物とかいらねーって思った記憶あるわ。光太郎だってよく知らんとか言って俺の土産になんでしたんだよって感じだし。
俺と光太郎がくだらないやり取りをしている間に、シトリーがパイモン達と何やら話して流れを決めている。ここら一帯は観光地にも近いため人通りも多く比較的安全だろうと皆が言っており、潜入はシトリーとパイモンだけでやるようだ。俺と光太郎とセーレとストラスはここで待機ってわけだ。
あんなホテルの中を歩ける自身もないし、でも一点気になることが……
「ストラス大丈夫?暑くない?」
リュックの中に入っているストラスに声をかける。四月とはいえ、タイはかなり暖かくリュックの中にいるストラスはきついのではないかと思ってしまったからだ。
一応中に保冷剤や水筒やら、凍らせたタオルやらは入れているけど、長時間大丈夫かな。
今のところは快適なのかストラスは何事もなさそうに頷いた。
『お陰様で今は少し肌寒いくらいですよ。この時期で良かったですよ。本当に』
マジでこの時期で良かった。これが夏だと思うと吐き気がする。暑さ半端ないっしょ。
話がついたのかシトリーとパイモンが頷きあって振り返る。今から二人が潜入するという現実味が湧いて気を付けてなんて安易な言葉しか出てこない。
「状況次第で悪魔との交戦もあり得ます。安全な場所で待機していてください。セーレ、ストラス、頼んだぞ」
『了解です』
「無理はしないでね」
その言葉に二人は頷いてホテルに足を進めていった。
とりあえずこの場は暑いし、日陰に移動して二人を待つ。ここら辺一帯がバンコクの市街地で観光地になっているため歩いている人間は多く、ストラスをリュックから出してやれないのだけが可哀想だ。
早く帰ってきてくれないかなーなんて思いながら、光太郎とセーレと雑談に興じる。二人が戻ってきたのは三十分ほどたった後だった。
***
「え、いない?」
戻ってきたパイモン達から知らされた内容に目を丸くする。ヴァレリーさんが嘘の情報を教えてきたとかはないよな。いや、流石にそれはないか。あの人も困ってるって言っていたし……じゃあもうホテルをチェックアウトして移動してしまったんだろうか。
そのまさかのようでパイモンは契約者がホテルを後にしていると告げた。
「シトリーの力を使ってホテルの授業員から顧客リストをいただきました。ダニエル・リーは三日前にこのホテルをチェックアウトしています」
ぐあああ!やっぱりかよおお!!もうどこにいるか分かんねえよ!またヴァレリーさんに頼んで探してもらうか?でも相手の居場所ってリアルタイムで分かるんかね。あの時はブログが更新されたばかりで分かったくさいけど。
「どうする?ルーカスに連絡する?」
俺の問いかけにパイモンは首を横に振る。
「いえ、空港に行ってみようと思います。契約者が居場所を転々としているのなら空港の乗客名簿に出国履歴が残っているかもしれない。搭乗便を調べて、その国に向かいましょう」
「おー美人なCAちゃんのアドレスゲットできちゃう奴か!」
「警察に捕まりたいのなら好きにしろ」
あまりにも冷たいパイモンの返答にシトリーは手遊びをしている。
ここから空港までは人が多いため、ジェダイトは使わず高速バスで移動することになり、短い時間だが何となく観光気分になって少しだけテンションが上がる。観光客ばかりの高速バスに乗り込んで空港に行くまでの間、途中で買ってもらったお菓子やらを食べて光太郎と景色を眺める。バスが空港に着くまでの間、ストラスはリュックの中で爆睡していた。
***
「おータイの空港でかくね?」
一時間以上が経過し、無事に空港についた俺たちはターミナルに入る。空港内にはこれから旅行に行く人でごった返しており、四月とは思えないほどの人の多さだった。
空港では無料Wi-Fiが飛んでいたため、パイモンからアジア各国の航空会社を調べてくれと頼まれて、光太郎と二人で調べているとあまりにも膨大な数の航空会社が出てきてめまいがする。
「え、これ全部調べるの?」
「いえ、インドネシア、フィリピン、マレーシア、シンガポール、くらいでいいでしょう。そうですね……韓国と中国、台湾、香港も入れてください。航空会社は大手航空会社のみでいいです」
それでも十社ほどが引っかかりパイモンに一覧を見せると、パイモンはシトリーに画面を見せる。
「とりあえずしらみつぶしにするしかないな。カウンターに向かって職員を一人こちらの駒にしよう」
「うーい。任せろ」
シトリーが臆することなくカウンターに向かっていき、受付の男性職員に何かを話しかけていると、相手の表情がどんどん変わっていきシトリーの術中にはまっていっているのが見てわかる。
問題はここからだよな。シトリーは簡単に任せろって言ったけど、顧客リストを拝借するのって滅茶苦茶やばいんじゃねえのかこれ?
「顧客リストとかもらえんのかな」
「データを保管している場所があるはずなので、そこに向かえれば、ですかね」
職員が誰かに連絡をし、奥から一人の中年男性が姿を現した。その男性にもシトリーは力を使い、二人は奥に消えていく。
俺達はその様子を黙って見ているしかなかった。
***
「うーい。余裕だぜ。三日前にシンガポールエアの搭乗履歴があった。航空チケットもトランジットで取ってねえらしい。一旦帰国してるな」
一時間弱、空港で時間を潰していた俺たちの元にシトリーが戻ってきた。後ろにいる職員の男性は親しげにシトリーに手を振り、業務に戻っていく。
やっぱこいつすげえな。マジで顧客情報ゲットしてきたのかよ
「流石にデータだからな。頂戴はできなかったけど、搭乗履歴は確認させてもらえた。シンガポールにいるな」
「そっか。じゃあ今からシンガポールに向かった方がいいね。多分、自宅に帰ってるってことだよな」
セーレはそういうけど、相手の自宅ってわかるんだろうか。流石にそこまでは分からない気もするんだけど。ただシトリーは抜かりないとでも言いたげに笑う。
「おう。ちゃーんと個人情報は全て抜いておいたぜ。パスポートナンバーに顔写真、登録住所もな。悪用させてもらいますかね~」
やっぱりシトリーの能力って怖い。対人においてラウムは能力的に最強格だと聞いてるけど、シトリーも諜報に置いては最強格で間違いないだろう。戦闘であまり目立たないから分からなかったけど、こいつ実はめちゃくちゃ有能なんだよな。
シトリーは褒めろよとでもいうように光太郎の頭を指でつついてちょっかいをかけ、それがウザかったのか、光太郎はシトリーの足を踏んづけて距離を取った。
***
シンガポールはタイと同じく蒸し暑い場所だった。
高級ホテルが立ち並ぶCBDエリアと言う場所には俺でも知っている船の形を模した屋上プールがついているホテルが見え、感動のあまり写真を撮りまくっている俺の横でパイモン達が何かを話しあっている。
契約者の男は随分と裕福な生活をしているらしく、高級住宅街の一角にそびえたつ高層マンションの一室に住んでいるんだそうだ。ここからだとタクシーを利用し三十分程度の道のりらしく、タクシーでクレジットが使えるため全員のれる大型車で移動する。
途中で木の形を模したモニュメントや高層ビル群が視界に入り、興奮している俺を隣に座っていた光太郎が解説してくれる。契約者探しをしている最中だけど、今のところはプチ観光のようになっており、正直言って楽しい。
目的の場所には二十分少しで到着した。
「うわ、でけえ……」
明らかにお金持ち御用達ってかんじの高級マンションに圧倒される。シトリーの情報ではこのマンションの二十九階に住んでいるらしく、早速入り口にいるガードマンやコンシェルジュに力を使って話をつけていた。
シトリーの力で容易にマンション内に入ることができ、入館許可証でエレベーターを操作する。まさかこのカードがないとエレベーターですら反応しないとは思わなかった。お金持ちって本当にセキュリティがすごい所に住んでるんだな。
「悪魔、どんなんかな……」
エレベーターを待っている間にぽつりと漏れた言葉に鞄の中のストラスがひょっこりを顔を出した。
『わかりませんが、残っている悪魔は少数です。イルミナティに関係している悪魔でもなさそうですし、そうなると残っている悪魔は強力な力を持つ者ばかりです。簡単にはいかないでしょう』
「契約者もこの状況を楽しんでるしね。じゃなきゃあんなブログ載せはしないよ」
ストラスとセーレの言葉に頷く。確かに契約者がまともな人間なら、こんなことしたりしないよな。あのおっさんはとんでもないことをしているって自覚がないのかな。こんなところに記者としてのプロ意識ださなくてもいいんだけど。
エレベーターが到着し、目的の階に到着するまで誰も言葉を発さず、妙な緊張感が漂っていた。好戦的な悪魔だったら、この場所で戦闘も十分ありえるのだ。そうなったら、どうすればいいんだろう。今回は光太郎もいるし、なんとか被害を出さずに収束させたい。
エレベーターが二十九階に到着し、目的の人物の部屋の前でたたずむ。インターホンを押すのが正直言って怖いが、シトリーが俺と光太郎を自分の後ろに下げさせてパイモンに合図を送る。それを確認したパイモンがインターホンを鳴らした。
「……出ないな。留守か?」
再度インターホンを鳴らしたが、相手からの返事はなく扉は固く閉ざされたままだ。お陰で緊張していたのが空回りして力が抜けてしまった。ここで待っていたら戻ってくるだろうか。
「んータイミングわりいな。出直すか?」
『しかしあの男はアジア各国を転々としているのでしょう?時間を空けるとまた移動するかもしれない。本当にシンガポール便に搭乗していたのですか?』
「してたよ。乗り継ぎでの利用じゃねえってデータで見たし。あーお前!俺がしくったって思ってるだろ!!」
シトリーが鞄からストラスを奪い羽交い絞めにする。バタバタ暴れるストラスをシトリーから取り戻すため俺も争いに参加し、ギャーギャー騒ぐ俺達に振り返ったパイモンの視線が痛い。
「静かにしろ。マンションから突き落とすぞ」
「……ごめんなさい」
「主には言っていません。そこの低知能の馬鹿男に言っています」
俺だけぇ!?とシトリーが大声を出したため、パイモンはマジでシトリーの頭を思いきり殴り、シトリーは頭を抱えて蹲った。
「ここで待っていても埒が明かない。移動の激しい男だ。交代で見張るしかないだろうな」
「(ダニエルなら暫く帰らないわよ)」
後ろから声が聞こえて、乱入者にぎゃあ!と声が出て俺と光太郎が飛びのくと、中年女性が立っていた。どうやらダニエルの隣に住んでいる女性のようで、手には買い物袋を持っている。
慌ててストラスを鞄に隠している間にセーレが女性に話しかけた。
「(お知合いですか?俺達、彼の仕事仲間で、急に連絡が取れなくて困ってたんです。シンガポールに帰るって連絡だけは受けてたんですけど)」
「(あら、そうなの?ダニエルはここで一人暮らしだから、時々私の家で夕飯をご馳走しているのよ。彼は仕事でタイに行くって言ってたけど、もう帰ってきてたのね)」
女性はにこにこ笑いながら、話してくれているけど、詳しい事情は知らなさそうだ。
セーレはこれ以上収穫もないだろうと話を切り上げようとしたところ、女性の言葉に全員が表情を歪めた。
「(ダニエルはシンガポールにいくつか家があるみたいだから別の所に行ってるのかもね。ここは彼の仕事場兼オフィスだから)」
「(え、じゃあ住んでないんですか?)」
「(ええ。打ち合わせや、大手記事の入稿前に使ってるくらいかしら。このマンションを使ってるのなんて年に半分もないわよ)」
やられた。とシトリーがつぶやく。何がどうなっているのか話を聞くと、どうやら相手はシンガポール国内にいくつも家を持っているようだ。相当な金持ちなんだな。このマンションを仕事用で買うとかそんなのありなのか?
セーレが詳しいことを聞いているが、女性は首を横に振る。
「(セントーサ島で二か月程度バカンスしながら過ごしたり、サウスエリアやウエストエリアにも家があるって聞いたことがあるわ。詳しくは知らないんだけどね)」
「(そう、ですか。ありがとうございます)」
セーレが頭を下げると、女性は笑って手を振り、家に入っていった。
「面倒だな」
「ちくしょーこの家も複数所有物件の一つかよ。そんな金持ちなのかあのおっさん」
シトリーが腹いせに一発玄関を蹴飛ばし、舌打ちをする。これって結局振出しに戻ったってことだよな。
ダニエルがまたいつ移動するか分からないし、どうするべきなんだろう。相手の他の家を探していたんじゃ、逃げられてしまうかもしれない。
「あ、もうこんな時間か。俺そろそろ帰んねーと」
光太郎の言葉に時計を見ると、時刻は十八時半になっており、今日は一旦解散という話に落ち着いた。
***
「あ、拓也おかえり」
「ただいまー」
家に帰った俺を出迎えたのは母さんだった。奥の部屋からは話し声が聞こえ、ストラスが鞄から顔を出すと、母さんが口元に指を当て少しだけ隠れていてほしいとお願いする。暫くすると一人の青年が出てきた。
青年の後ろを直哉が追いかけて、青年はこっちに気づき頭を下げた。その人は今月からうちに来ており、今日が三回目だった気がする。
「じゃあ、俺はこれで失礼します。直哉くん、宿題きちんとな」
「陽向先生ばいばーい!」
あ、陽向先生来てたんだ。直哉は中学生になり家庭教師をつけることになった。塾は面倒くさくて嫌だと言う直哉に、まだ一年生だからということで家庭教師で様子を見ることになったのだ。
四月から直哉の家庭教師をしてくれている陽向先生は有名大学に通う大学生らしい。なんか家庭の事情で本当は三年生だけど、休学してるからまだ二先生らしい。
モデル顔負けのイケメンである陽向先生の登場にミーハーの母さんは喜んでおり、既に一回夕飯を家で食べていくように声をかけ、その際に俺にも親切にしてくれた。
直哉も優しい陽向先生に懐いており、次の授業が終わった後は夕飯に連れて行ってほしいと懇願している。
「あ、拓也くんこんばんは」
「陽向先生、お疲れ様です。気をつけて帰ってくださいね」
「……その陽向先生って言うのやめて。なんかむず痒い」
「えーでも直哉の先生だし。じゃあ陽向さん?」
「うん、そっちのがいいかな」
陽向さんはそう言って恥ずかしそうに笑う。笑った顔もイケメンだ。読者モデルとかしないのか?と聞いたことあるが興味ないらしい。けど、大学でもイケメンで有名らしくスカウトもされたことあるんだそうだ。それなのに陽向先生はそういったことに興味もなく女性からの声も面倒そうに扱っていた。
「せんせー!今度テストで90点とったら、富士急連れてってよ!」
「先生ごめんなさいね。直哉、先生に甘えないの!」
「大丈夫です。じゃあ直哉君のテストの結果を楽しみにしようかな」
「任せてよー!先生が教えてくれたから満点取っちゃうもんねー!」
「直哉君は将来大物になりそうだ。頼もしい」
テストで好成績とったらご褒美!とはしゃいでいる直哉に陽向さんは笑っている。いいなー富士急とか俺も行きてー今度光太郎誘っていこうかなー
でも陽向さんたちも高速バスか何かで行くんだろうか。もんもん考えている俺に陽向さんが顔を向ける。
「拓也くんも一緒どう?俺も湊っていう友人連れてくるから。行くとしたら元々レンタカー借りる予定だから三人より四人のほうが有り難いんだ。あ、でも受験生だっけ?あんまりこういうの誘わない方がいいのかな」
「いや、誘ってください。行きますんで」
即答した俺に陽向さんはおかしそうに笑う。くそー本当に何してもイケメンだな、ずるい。直哉ーお前絶対テストでいい点とれよ。俺も富士急行きたいんだからな!
「拓也君は塾に通ってるの?」
「え?あーまだ通ってはないんですけど、六月から通う予定にしてて……友人が通ってる予備校なんですけど、そこに。○○駅の三番出口の前にあるんですけど」
「あーあの大きいとこ?あそこ、結構いいらしいよ。クラス分けがかなり細かくされててレベルに見合ったクラスにしてくれるんだって」
そう、俺は光太郎が通っている予備校に今度から通うようにしていた。別にまだ何をしたいとか、そんなのはいまいち定まってないんだけど、なんとなく行きたいなって思う大学くらいは漠然としたものだけどある。そのため、受験生になった今年から流石に俺も塾に行くようにしたのだ。
英語と化学はストラスに教えてもらっているし、世界史に関してはヴォラクたちから豆知識を聞いたことで結構成績あがったし、数学と物理に関してはパイモンが教えてくれている。既に家庭教師がいるような状態だけど、受験対策はやっぱりプロに任せるべきだろう。
てかマジでパイモンって天才だと思うんだよね。あいつ物理の教科書を読んだだけでマジである程度理解してたからな。エントロピーとかエンタルピーとかちんぷんかんぷんだけど、あいつマジで分かってるくさかったからな。
でも陽向さんからもお墨付きをもらったため、光太郎と同じ塾にして正解だ。
まあ光太郎は最高難易度のクラスで俺は中間のクラスだけどね!!
「分からないとこあったら陽向さんに聞いていい?」
「え、拓也君って理系だよね。俺、経済学部だから物理とか化学はあんまり……数Ⅲなら何とか……いやーでも数Cはどうかな。んーそれでいいなら聞いてもいいけど、あんまり当てにならないかも。でも、俺の友人の湊が理工だから、それこそ物理お手の物だし、分からない所教えてくれたら俺も聞いとくよ」
俺の図々しい問いかけに母さんが大げさに手を振る。
「先生悪いわ!直哉だけじゃなくて拓也の面倒まで!二人分のお金払わないといけなくなっちゃう!」
「あはは、このくらい大丈夫ですよ。あ、拓也君、受けたい大学決まったら教えてよ。参考書、多分あいつ持ってると思うから、あげるよ。三年前のだけど、それでよければ」
「え、すげえ助かるんですけど。参考書クソ高いっすもん。あー湊さんって人?」
「うん、でも真希ちゃんが今年受験って言ってたから使うのかなー。あ、真希ちゃんってあいつの妹ね。確かあの子も今年受験だったから……とりあえず、俺も手伝うから分からない所とか相談して」
「ありがとうございます!」
陽向さん優しすぎん?直哉の家庭教師なのに、俺の面倒まで見てくれるとか。
陽向さんが手を振って玄関から出て行き、姿が見えなくなったことを確認したストラスが鞄から顔を出したことで直哉の意識がストラスに向かう。
「ストラス!あそぼ!」
『えーもうご飯ですし、私はお腹が減りました』
直哉の頭に移動したストラスは嫌そうな顔をするもんだから、その顔に母さんが笑う。皆が笑って、なんだか最近落ち込むことが多かったけど、前の日常が目の前にあるような気がした。
***
「シンガポールってあんまり広くないんだな。これで家がいくつもあるって超金持ちなんだろうな」
夕食後、携帯でシンガポールについて調べている俺の隣に父さんが腰かける。今回の悪魔の件はすでに家族に報告済みで、ブログについても父さんは目を通している。
父さんに今回の契約者のことやシンガポールのことを話していると、父さんが口元を抑えて誰かと連絡を取っている。連絡を取り終えた父さんが俺に画面を見せてきた。
「その契約者のこと、出版社の友人に聞いてみたよ。一度コラムでダニエル・リーを担当したことがある人間が社内にいるらしい。掛け合ってくれるとのことだ」
「え、父さんマジで?」
まさかのコネクションに俺もストラスも目が丸くなる。ダニエル・リーはジャーナリストや著者としても活動しており、過去に紛争地域での取材から感じた内容を本にして出版していたらしく、その際に父さんの知り合いが務めている出版社がコラムを掲載させてもらうために取材をしたことがあるようだ。
「メールアドレスも分かっているようだから、連絡を入れてくれるらしい。理由を聞かれたが、正直細かいことは言えなかったけどな。適当にごまかしておいたよ」
「ありがとう父さん!シトリーに連絡する!マジで助かった!」
「連絡を返してくれるかは分からないけどな」
会う約束さえ取り付けられたら、あとはどうとでもなるはずだ。シトリーに連絡して状況が進展してくれるのを待つ。父さん曰く、数日はかかると思うとのことだったので、それまではのんびりさせてもらおう。
何も、起こらないことを期待して。