第88話 新年度
― 佐奈side
『ふうん。それでアレハンドロの首もバアルの首も持ってこなかったの。随分とあちらに譲歩したんだね』
バティンの発言に室内は静まり返り、マルコシアスの隣にいたアニカ姉様が視線をずらす。ホンジュラスのギャング討伐は正直言って私からしたら成功だと思ったけど、バティンは自分のお願いが聞き入れられなかったことが気に食わなかったらしい。
88 新年度
私は関係ないけど、そういえばバアルの死体が欲しいとか言ってたような……契約者の子供の死体は使い道なんてなさそうだったけどな~どうなんだろ。
関係ない私までこんな反省会みたいなので怒られたような気になって面白くな~い。てかこれって全部ルーカスが悪いんじゃないの?
当の本人は腕を組んで我関せずって顔をしているしさ。
「バアルが死んだことは契約石の反応もなくなったし確認済みよ。あの後、私とマルコシアスで確認に向かったもの」
『で、最終的にあいつがどうなったかは拓也君からの話を聞くだけでこっちにちゃんとした情報は届いていないってことじゃないか。可笑しいなあ、僕はそんな風にしてくれってお願いしたっけ?』
「悪かったわよ。けど、最終的にはうまくいったしホンジュラスの現大統領もイルミナティが手を下したとハッキリと演説で語ったじゃない。これ以上私たちにどうしろって言うの」
アニカ姉様ってこういう時でも格好いいな~。池上君ならぜーんぶパイモンに説明任せて後ろに隠れちゃうだろうに、こうやって自分の言葉で言い返せるんだもん。私もアニカ姉様みたいな格好いい人になりたいな~。まあ英語で会話されて半分も聞き取れてないんだけどね!アガレスに翻訳してもらってなんとかわかるって感じ。
ん~まあバティンのしたいこともわかるんだけど。イルミナティの存在感を大きくしたいのよね。まあそれは分かる。今でもかなり存在的には大きくなっているけど、本気出せば国を乗っ取るほどの悪魔ですら殺せちゃうってことを全ての人にアピールできる格好の舞台だったに違いないわけだし。
『佐奈、止めておくれ。パーマがかかってしまうよ』
今回の件では関係のない私は話に参戦する必要もなく、暇すぎてアガレスの髪の毛で編み込みをして時間を潰す。隣に座っているリーンハルトだって全然興味ないのか本を読んでるし、私たちが呼ばれる意味ってあったのかな。
神出鬼没のジョシュアは相変わらずいないし、てかあいつが契約者の子供にとどめさしたって聞いたけど、なんでいないのよ。怒られるのってあいつじゃないの?ガアプはなんであんな放蕩息子みたいなのと契約したんだろう。あんな戦争狂、世界各地の紛争現場を渡り歩いているなんて頭おかしい以外の何物でもない。
まだ終わりそうにない反省会にため息をついた私を見て、今まで黙っていたリーンハルトが本を閉じて顔をあげた。
「バティン、僕帰っていい?こんな話を聞くくらいなら学校の課題をしてた方がマシだよ」
『本当に君はそういう所はマティアスに似てないね。興味のない事にも少しは耳を傾けないと真のリーダーになれないよ』
「そこの役立たず達の失態だろ。だから僕に任せてくれたらよかったんだ。どうせ契約者に同情なんてして、せめて最後は……なんてくだらない事をしたんだろ」
「餓鬼が首突っ込む場面じゃねえっつーの。口だけでどうせお前は何もできないよ」
あーあ……言い返しちゃった。
自分たちに対する侮辱に黙っていられなかったのか、ルーカスが悪態をつき、リーンハルトの目つきが鋭くなる。
「は?でくの坊。今なんて言った?お前より僕が劣っているって?随分な口をきいてくれるな」
「恵まれた環境で育ったお前にホンジュラスの人間の相手なんてできるはずがない。俺とアニカ、ジョシュアがあの場面では一番適切な人選だっただろう」
「お前?僕の邪魔したの。ホンジュラスに行くことを止めたの、お前だよね?僕から仕事奪っておいて失敗して帰ってきたんだ。この役立たずめ」
『おいリーンハルト、てめえこそ何様だ。悪魔手に入れて調子に乗ったか?』
『……口を慎めよキメジェス。わしの契約者に対する侮辱のツケをここで支払うか?』
『こっちのセリフだわ。ルーカスに対する侮辱のツケ、ここで支払わせてやってもいいんだぜクソジジイ』
もー面倒くさーい!フルカスとキメジェスまで喧嘩になっちゃったじゃない。喧嘩になるんならさー面倒だし私帰っていいよね。バティンもニコニコして止める気配ないし、マルバス姉様とヴァレリーに丸投げするつもりなのかな。マルバス姉様、頭抱えてるけど。ガアプなんて寝てんじゃん。足組んで目を瞑って大人しくしてるけど、あれ絶対寝てるだけだし。
『止めろ。そんなことをしに俺たちは集まったわけじゃない。バティン、貴様も要件を言え。俺とアニカ、ルーカス達に説教するために呼び出したわけじゃないだろう』
マルコシアスが釘をさし、争いに発展しそうだった二人の動きが止まった。すこーしだけ、二人の喧嘩を見て見たかった気がするけどなあ。
バティンは表情を変えずに頷いた。
『そうだね。ちょっとしたお説教と、必要事項を伝えたかったんだ。リーンハルト、君もうすぐグッドフライデーだよね』
バティンの的外れな問いかけにリーンハルトは眉間にしわを寄せながらも頷いた。グッドフライデーってあれよね。イギリスの学校が四連休になる奴だっけ?学校が休みの日に何かさせるつもりなのかしら?
『少し、調べてほしいことがあるんだ』
「なんで僕が……下調べなんて今回の仕事を失敗した役立たず共にさせればいいじゃないか」
「……どんな育てられかたしたら、こんな傲慢な子になるのかしら」
「黙れアニカ。卑しい身分の成り上がりめ。僕に対等な口を聞くな」
「成り上がりと思っていただけるのならまだマシね。少なくとも今は地位があるってことなんだから」
アニカ姉様さすがの切り返し~。相手から思ったような反応を得られなかったリーンハルトは舌打ちをして乱暴に椅子に腰かけた。こういう所はまだお子様なのね~
でも、リーンハルトにしてほしいことって何なんだろう。
***
「おいブス止めろ。必要以上に僕にくっつくなよ」
「だーってリーンハルトは日本の地理なんてわからないでしょ~?迷子にならない様にしないと危ないじゃなーい。可愛いから誘拐されちゃう」
「思ってもない事言うな」
文句ばかり言ってるけど、大人しくスイーツを食べている姿は普通の男の子なんだけどなあ。リーンハルトは初めての日本の原宿に興味津々でスイーツを口いっぱいに頬張っている。バティンのお使いでリーンハルトは今日、日本に来たのだ。
腕にはフルカスの契約石のオブシディアンのバングルをはめて。あのマティアスの孫だと言うことはネット上では噂になっているリーンハルトだけど、まさか日本に来ているなんて普通誰も思わないだろう。
誰一人疑うことなく素通りしていく。本当にどこまでも平和ボケしていて反吐が出るような素敵な国。これほどイルミナティの影響力が増している状況でも日本は無関係だと思い込んでいる。どこか遠い国が巻き込まれている程度の認識なんだろうな。
目の前に、こんな脅威がいると言うのに。
「で、佐奈、お前は見たことがあるのか?」
「ん?ないよ。池上君だけしか見たことなーい。でも、バティンが顔を知ってるから大丈夫だよ。資料もらったでしょ?」
「そうだな。なんで僕がこんなお使いのようなことをしないといけないんだよ。しかも相手は一般人だ。やってられないよ」
「でもバティンはどうしてもあの子を手に入れたいんだって」
その理由は言わなくてもわかるでしょう?あの子を手に入れたら予言を行う際に非常に便利だから。対人に対する能力であれほど強力なものはソロモンの悪魔の中でも珍しいから。
「向こうが僕を知ってるんじゃないか?」
「どうだろうねー池上君は言ってなさそう。巻き込みたくないとか思ってそう。可愛いよね」
「巻き込みたくない、ね」
リーンハルトはそう言って小さく笑った。この子がこんな表情をするのは分かっている。
「……妹ちゃん、まだ元気ない?」
「まあ、あいつは元々人見知りだし、要領が悪い。僕みたいにはできないさ」
リーンハルトの妹って、確か今は引きこもりなのよね。理由は簡単。マティアスが表舞台に出て、ネット上でマティアスの個人情報が拡散されてリーンハルトも妹ちゃんも晒されちゃったから。妹ちゃんはそれが原因でクラスメイトから酷いいじめに遭って不登校になってしまったらしい。
リーンハルトのように要領よく、完璧に物事をこなせない妹ちゃんはマティアスの孫という立ち位置から抜け出すことができず、心を病んでしまったのだ。
「わかるだろ佐奈。奴らは常に矛盾している。本人を攻撃することができないくせに、自分より弱い立場の人間には平気で攻撃を仕掛けるのさ。それが匿名なら歯止めをかけず、良かれと思っている馬鹿までいる。いつだって不満を抱いて自分と違う他者を認めはしない」
妹ちゃんのことをリーンハルトは可愛がっていた。こんなサイコパスでも家族に対する情は人一倍あったから。妹ちゃんを傷つけた奴らを、リーンハルトは絶対に許さないだろう。
「無理はしないようにね。きっとストラスが警戒している。簡単には接触できないかもしれない」
「話が違うんだけど。ストラス以外の何かが護衛しているんじゃなかったの?それを探れって言ってたよね」
スイーツを食べ終わり、リーンハルトが立ち上がる。
「まあ、さっさとお仕事しないとね。グッドフライデー終わりに予言を流すらしいし」
「あー。そういえばそうだったね。ホンジュラスのせいで流れちゃったもんね」
先を歩いて行くリーンハルトの後を追いかけた。さて、私は私のお仕事をしないと、ね。池上君を近づけさせないようにね。
***
拓也side -
とうとうこの日が来てしまった。
ホンジュラスとネパールでの悪魔討伐で全くゆっくりできなかった春休みが終わりを迎えた。今、俺は始業式が始まる学校に向かって歩いている。ついに高校生最後になる三年生に進級し、人生の一大イベントであるクラス替えの張り紙が張られるのだ。
神様どうか光太郎と同じクラスにしてください!!それが無理なら上野とか立川とかジャストとか……とにかく仲いい奴一人同じクラスにお願いします!!!
学校に到着した俺は生徒でにぎわうクラス分けが貼られている掲示板に足を運ばせた。張り紙の前は生徒がごった返しており、とてもじゃないけどすぐに確認できる状況ではなさそうだ。
周りには嬉しそうに高い声を上げている女子と、クラスが離れたことに落胆する声、様々だ。できれば俺も斜め後ろの女子同様、歓喜の声を上げたい。頼む頼む頼む!!
「おーい、池上」
肩をトントンと叩かれ振り返ると、ジャストと立川がいた。
「お前の教室3-6だってよ。ついでに見といてやったぞ」
「え、お前らは!?」
「俺と立川は3-8な。国立理系のクラスが3-6~8だから、お前も一緒かもと思ったんだけどなー」
最初の望みが砕かれた。うげえええ。立川とジャストとクラス離れるのかよおおお!!
光太郎は!?上野は!?この二人は俺と一緒じゃないの!?二人とも3-7とかなら泣く。もう俺は受験の鬼になるわ。
「でもよかったな。上野と広瀬、3-6だったぞ。流石に仲いい奴が一人だけ3-7とかはなくて安心したわ」
「でもウケるのがさ、桜井達全員同じクラスだったからな。3-10。どんな確率だよ。すげくね?桜井と藤森、オガちゃん、三人とも3-10だぞ」
「池上も広瀬と上野とクラス一緒だし、大した確率じゃねえだろ」
「まあそれもそうか。ほんっとジャストいてくれてよかったわーさすがに二年の時につるんでるやつと全員離れるとかマジ勘弁」
「いやマジそれな」
良かったああああ!!光太郎と上野と一緒だ!!三年生になって友達作りに励む必要はなさそうだ。二人と教室に一緒に向かい、3-6の前で分かれる。教室にはすでに上野がおり、俺を見つけるや否や光の速さで近づいてきた。
「うわーん!!拓也マジ良かった―――!!俺本当に一人だったらどうしようかと……三人グループになるけど俺ハブんないでね。広瀬とずっと一緒に居て俺を放置しないでね」
「何お前可愛い。しねえって。つかそこそこ顔見知りくらいクラスに居んじゃないの?」
入って教室を確認すると男女合わせて数人知り合いがいる。向こうもこっちに気付いて手を振ってくれて振り返すと、人見知りの上野は気まずそうに、会釈をして俺の腕を掴む。
「お前と違って俺はコミュ障なんだよー!!このクラスでやっていけるかなあ」
「いけるだろ。友達作り手伝ってやるよ」
なんだこの会話は。
遅れてやってきた光太郎にも上野は飛びついており、光太郎も俺と上野がいてよかったと安堵している。
「松本さんのクラス見た?3-2だって。仲のいい橘さんとはクラス違うっぽいけど、他に仲のいい子が一緒だから大丈夫っぽい」
あ、そうだ。澪のクラス確認するの忘れてた。立川たちに連れられてここに来たから。
「あと、進藤さんも一緒」
「え、拓也の彼女一緒なん?よかったじゃん拓也」
ふざけんな!!なんであいつと同じクラスなんだよ!!良かったじゃんじゃねえよ上野よお!!
進藤さんはまだ来ていないようで、彼女と仲のよかった女子もそういえば同じクラスのようだ。最悪だ、またしてもあの女に振り回されないといけないのか。イルミナティからの連絡なんてルーカス通して聞けばいいんだし、必要ないわけだし、本当に頭にくる。
「そろそろ担任きそうだな。じゃあ俺は自分の席に行くわ」
光太郎が手を振って自分の席に向かい、俺は上野ともに席に着く。担任はすぐに教室に入ってきて、最終学年だとか受験が控えているとか脅すようなことばかり言ってきて新学期早々嫌気がさす。でも、そうか。もう高校生活も今年が最後なのか……
***
「直哉、良く似合ってるじゃない!大人になった感じねー」
「えーそう?なんか変じゃね?動きづらい」
『そういうものですよ。拓也とそっくりですねえ』
新学期のあとに入学式と言うのは付き物だ。新学期初日の学校が終わり、今日は二日目の登校だ。しかし池上家は違う行事の話題で持ち切りだ。
朝起きて制服に着替えてリビングに入った俺の目に飛び込んできたのは、綺麗に着飾った母さんと、どこかソワソワしているストラスがしきりに直哉をほめちぎっていた。その後ろ姿は今まで見慣れない格好で、今日と言う日が自分たちの中で一年の始まりのようにも感じる。
「あ、兄ちゃんおはよう。どう?今日から俺も中学生だぜー!俺の制服姿どうよー!」
学ランを着た直哉は俺を見つけるや否や腰に腕を当て偉そうにふんぞり返る。自分と全く同じ姿の直哉を見て、思わず噴き出した俺に当の本人は目を丸くしている。
いや、だって、これさ~~~……!
「直哉、お前マジもう可愛すぎー!!ぶかぶかじゃねえか!!まだまだお前は小さいんだなあ!!」
いきなり抱きしめられ、頭を撫でまわされた直哉は望んだ反応を返さない俺に憤慨し、両手で思い切り突飛ばし顔を真っ赤にしている。
「俺はこれから背が伸びんだよ!!だから、大きめなの買ってんの!!」
「だから可愛いっつってんじゃん。似合ってねえとか言ってねえんだからさ~」
「そんな回答ほしいんじゃねえよ!!」
「おい逃げんなよ。お兄様が可愛がってやるからよ」
「うっせ!くんな!!はーなーれーろ――!抱き着くな――!!」
直哉を羽交い絞めにする形で抱きしめると腕の中でじたばた暴れて逃げようともがいている。中学生になったといえど、俺との対格差は未だに歴然で、簡単に力で抑え込めてしまう。でもあと二年もしたら、これも同じくらいの力と体格になるのかもしれない。
可愛がるのもラストシーズンなのかもしんねえな。
俺と直哉のやりとりを微笑ましそうに見ていた母さんとストラスが朝ご飯を食べろと促し席に着く。
「拓也、お母さん直哉の入学式に一緒行くから。夕飯は外で皆で一緒に食べましょう」
「集合場所教えてくれたら行くよ。現地集合で良くね?それまでどっかで時間つぶしとく」
少し早めに出ていった母さんと直哉を見送り、俺とストラスだけが残された。と言っても、俺も学校があるわけだからゆっくりしている暇はなく、用意された朝食をさっさと済ませ皿を片付ける。
ストラスは感慨深そうに直哉が出ていった玄関を見つめていた。
『……なんだか、あっという間ですね。直哉はこの間まで小さかったのに』
まるで久々に顔を見た親戚のような反応に小さく笑う。不老の悪魔にとっては人間の成長なんてあっという間なんだろうな。こうやって、時間がたっていくんだ。
「最後の審判が近いとか言ってもさ、案外悪魔の時間間隔がずれてて実は千年後とかかもな」
『だったら、いいんですけどね』
もし、そうだったら、俺とストラスはいつまで一緒に居られるのかな。死ぬまでが無理ってことは分かっている。でも、わかれる未来も見えてこない。このあいまいな関係はどこまで続くんだろう
皿を洗って片づけて鞄を手に持ち玄関に向かう。律儀に見送りについてきたストラスの頭を撫でて、行ってきますと告げた。
そこに脅威が迫っていることを、その時の俺は気づけなかったんだ。