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第87話 ギャング討伐5

 至る所から悲鳴と銃声が響いている。ここもいつ壊されるか分からない。ロケットランチャーとかこの場所に打ちこまれたりしないよな。これだけ大規模な戦いが起こっていると言うのに、アレハンドロの表情に焦りは見えず、口元に笑みを浮かべている。どうして、仲間が死んでいっているのにそんな表情ができるんだ。こいつは、仲間を何とも思ってないのか?こんな危ないことをして、沢山の人を殺して、こいつは一体何がしたいんだ!


 こいつの我儘な願いのために、どれだけの人が犠牲になったと思っている!?


 「(バアル、全て殺そう。こいつらを殺して首をバティンに送り付けてやるんだ。俺らにもう歯向かえない様に)」



 87 ギャング討伐5



 アレハンドロが銃をこちらに向けて容赦なく引き金を引く。その流れに躊躇は一切なく、他人を傷つける行為に後ろめたさを全く感じていない。こちらに向かってきた銃弾はヴアルが爆発で相殺し、なんとかなったけど、問題はバアルの方だろ。


 首のない胴体を操り人形のように動かして、バアルが剣を持って突進してくる。


 『拓也、下がって。ヴアルは契約者を頼む。こっちの援護は考えなくていい。俺が殺す』


 アスモデウスが剣を抜き、室内に激しい金属音が響く。でも相手は剣を四本も持って振り回してるんだぞ。剣一本のアスモデウスって圧倒的に不利なんじゃ……


 俺の不安は勿論的中しており、バアルの攻撃を一度防ぎ、さらにもう一撃をかわしても残り二本の腕から振り下ろされる剣を前に、相手の懐に入ることができずアスモデウスは後退を強いられている。どうしよう、こういう時こそ魔法での援護が必要なんじゃないか?でもヴアルは俺を守ってくれるためにここにいるし、どうしたらいいんだろう。


 こっちはこっちで何発も繰り出される銃弾をヴアルが爆発で相殺し、隙を見て相手に爆発をお見舞いするも、向こうは結界をはって防いでいる。


 「結界とか、はれるんだ……」

 『悪魔の力に目覚めたら使えるようになる奴もいるわ。でも、思った以上に結界が固い。そんなに魔力提供を受けてるの?』

 『そりゃ、ここは相手のテリトリーだからね』


 距離を取ったアスモデウスが隣に来る。相手のテリトリーってなんだ?パイモンみたいにあいつも空間を作れるってことなのか?


 『あいつはこの建物全域を自分のテリトリーにしてる。なんでギャングの奴らが籠城戦してるか分かる?バアルのテリトリー内に居たいからだよ。あいつの能力知ってる?』


 バアルの、能力?ネットで事前に調べたけど、相手を透明にするってことが書かれてた、けど。まさか……

 ヴアルの表情が歪み、アスモデウスが頷く。


 『この建物内全てがバアルのテリトリーだ。奴らが建物から一歩も外に出ずに籠城戦をしているのはバアルの能力の加護が欲しいから。奴の能力の一つは自分の体を不可視や透明にさせること。銃弾なんて当たらないよ』


 じゃあ、この中にいるギャング達に攻撃がほとんど届いてないっていうのか!?それじゃあこっちのジリ貧じゃないか!!


 『だから、一刻も早くバアルを仕留めないといけない。ヴアル、君の攻撃は心配しなくても通る。俺たち悪魔の攻撃ならね』

 『じゃあ、純粋に結界を壊さないといけないってことよね』


 ヴアルの目つきが変わる。今までサポートに回っていたけど、そういえばヴアルと初めて会ったときは普通にヴォラクと戦っていた。本来ヴアルだって戦闘ができる悪魔だったんだ。


 『そうね、子供だから、人間だから、できるだけ怪我をしない様にって思ってたけど……そうよね、あんた澪と拓也を傷つけたんだものね。なんで私、あんたに手加減なんてしてるんだろう』


 ヴアルが指をさしてアレハンドロの周囲を包囲するように爆発する。結界をはっているとしても先ほどとはあまりにも規模の違うヴアルの攻撃に結界は次第に崩れていき、アレハンドロの体を巻き込んだ。


 「(いってー!!)」


 悲鳴が聞こえ、体が震える。煙から姿を出したアレハンドロは体の半分にやけどを負っており、左手はだらんと垂れていて指一本動かさない。今のヴアルの爆発で左上半身が焼けただれたんだ。


 痛みで本来なら動けないはずなのに、アレハンドロは自分の体なんか労わる必要がないとでも言うように、銃を捨てナイフに切りかえる。近接戦闘する気か?


 かがんだアレハンドロを見逃さずヴアルが追い打ちをかけたが、それと同時に飛び出したアレハンドロは速く、ヴアルの爆発による風圧を受けても全く体勢を崩すことなくまっすぐこちらに向かってきた。


 「ヴアル、結界を!」

 『わかった!』


 アレハンドロの手がヴアルに伸びる。しかし間一髪のところでヴアルが結界をはり、結界に手を置いてこちらを覗き込むアレハンドロは笑っている。あまりに不気味な子供にヴアルも自分も表情が曇る。


 「(ねえ~出てきてよ。ねえってばー)」


 どんどんと結界を叩いて出て来いと訴えるアレハンドロは端から見ても正気じゃない。しかし彼の後ろから首のない人間が三つ歩いてきて結界を取り囲む。首から血を流しながら結界を叩いてくる死体はホラー以外の何物でもなく俺は腰を抜かして座り込んでしまった。


 「(ねーねーこの結界壊しちゃうよー?いいの?)」

 『(壊せるもんなら壊してみなさいよ)』


 ヴアルがそう告げた瞬間、すさまじい衝撃が結界に与えられた。首のない死体は一人は斧を、一人は大きな石を、もう一人は鉄アレイで、結界を攻撃しているのだ。その攻撃があまりにもすさまじくヴアルも流石の状況に表情を歪めている。


 「(バアルが言ってた。人間の体ってすごいんだって。普段は脳が制御してて本来の力の十パーセントしか使えていないって。でも死んだら、そんなのもう関係ないよね)」


 さらに後ろから首のない死体がまた二人増えて、計五体に囲まれる。


 「ヴ、ヴアル、どうしようこれ!攻撃しないと……!!」

 『なんなのこいつら。一体どういうこと?結界を壊せるわけなんてないのに……この無意味な攻撃に何の意味がある』


 確かにいくらすごい攻撃だと言っても、ヴアルの結界を壊せるまでは至っていない。このまま結界の中に居れば不気味だけど安全ではある。時間を稼いでヴアルの援護を無くして、アスモデウスを倒そうとしているんだろうか。


 アレハンドロが言っていた。脳が制御しているって。でもその制御がなく肉体がボロボロになるくらいの力で結界を攻撃し続けている死体はどんどん見るも無残な形になっていく。ボキボキと全身の骨が折れる音が響き次第には立っていられなくなるほどになり、結局結界が壊せないまま全てが崩れ落ちた。


 あまりにグロテスクな光景を俺は途中から見ることも怖くなり耳を塞ぎ蹲っていた。しかし結界への攻撃が止み、アスモデウスとバアルの戦う音だけが響き、恐る恐る顔を上げると未だに睨み合っているヴアルとアレハンドロがいた。


 「(ねえ、結界……本当に壊さなくていいの?)」


 顔を上げたアレハンドロの笑みは歪んでいる。まるで、こっちに忠告をしているように、追い詰められているのはお前らだよとでも言うように。笑いながらアレハンドロがナイフで結界を傷つける。黒板をひっかくような嫌な音が響き、耳を塞ぐ。アレハンドロの言葉の意味が分からず、何のことかすらヴアルに問いかける暇もなく、結界に入ったヒビを見て言葉を失った。


 「は?」

 『嘘、でしょ?』


 ヒビはみるみる範囲を広げ、結界が少しずつ崩れていく。なんで、結界が崩れんの?どうして?そんなことある!?


 崩れた結界の前で、至近距離でヴアルと向き合っているアレハンドロが笑い、背筋が凍る。


 『拓也下がって!!』


 腰が引けて動けない俺を置いていけないヴアルがアレハンドロのナイフを腕で受け止めた。ヴアルの腕から血が噴き出し、声もあげられない俺はその光景を黙って見ているだけ。

 しかしヴアルがアレハンドロの額に指を置く。


 『(これで、終わりよ)』


 その瞬間、ヴアルがアレハンドロの顔を直接爆破して、アレハンドロがその場に膝をつく。


 「(あー痛い、マジでいてえ~~~あーこれ、俺死んじゃうのか)」

 「生きてる……マジで?」

 『この、化け物め……!結界を張るタイミングがうまい』


 すぐにとどめを刺した方がいいんだろうか。契約石を壊せば、バアルは殺せる。この子供が身に着けているであろう契約石を探すんだ!

 そう思い、手を伸ばした俺を遮りヴアルが俺を少し離れたところに避難させる。


 「ヴ、ヴアル……腕が」

 『平気よ。このくらいすぐに治るわ。あいつ、バアルにかなり近づいている。油断しないで』


 アレハンドロは痛い痛いと蹲り膝をついている。自分より幼い子供が痛みで苦しむ姿を見るのは辛く、距離を取ったヴアルがとどめを刺そうと手を伸ばした瞬間、アレハンドロが顔を上げた。視線をまっすぐこちらに向け、口元は未だに弧を描いている。

 

 「(痛い、けど……あの時ほどの痛みじゃない)」


 傷だらけの腕がナイフを握ると同時にヴアルが指をさしてアレハンドロを捉える。その瞬間、俺には何が起こったか分からなかった。


 「(この痛み、いずれ君のものだ)」


 爆発音が響き、目をつぶる。次に目を開いたときにはアレハンドロはもう死んでいる。あまりにも悲しい結末が待っていると思っていたんだ。しかし現実は俺の想像とは全く違った。目を開いたときに理解できない状況に目が丸くなり口が開く。ドサリと鈍い音を立てて膝をついたのはヴアルだった。


 全身焼けただれ、左上半身はやけどで黒く焦げて煙が出ている。


 「え、ヴアル……?」


 想像を絶する痛みなんだろう。ヴアルは返事をすることもできず、その場に蹲り肩で切るように息をしている。額からは汗が噴き出ており、何をしていいか分からない俺に、アレハンドロが近づいてくる。


 「ひっ!」

 「(お兄さん、その指輪、ちょーだい。指切り落として置いて行ったら見逃してあげる。それとも、そこに転がってる悪魔のようになりたい?)」


 何を言ってるんだ?まったく理解できない。スペイン語分かるわけねえだろ!!


 目の前まで迫ってきたアレハンドロの足をヴアルがつかむ。その手が赤く光っていき、ヴアルがアレハンドロの足を爆破しようとしたとき、ヴアルの背中にナイフが突き刺さり、背中から爆破されたヴアルが悲鳴をあげた。


 『ぐ、ああああああああ!!!!!』

 「(うわ~痛そう。でもこれ、君が俺たちに与えた痛みだよ。可哀想に……だから忠告しただろ?この痛みはいずれ君のものだ)」

 「ヴアルに触んじゃねえ!!」


 アレハンドロを思いきり突き飛ばしてヴアルを抱き上げて距離を取る。全身を爆破されたヴアルは苦しそうで、表情をゆがめて必死に呼吸をしている。どうしよう、ヴアルをこんな目に遭わせてしまった。あの時、結界が壊れた時に俺がもっと早く動けていたら、腰なんて抜けて立ち上がれないから俺を庇って攻撃を食らったんだ。


 どうしよう、パイモンはここにはいない。自分で振り払ってきたくせに、助けてほしいと思っている。ここに駆けつけてくれないかって。


 「う、うぐ……」


 駄目だ泣くな。怖くても泣くな。決めたのは俺だろ。止めに入ってくれたパイモンの制止を無視してここに来たんだ。なんで、こんな時まで、誰かが助けてくれるとか思ってるんだ。


 「パイモン……助けてよ。ここに来てよ」


 思わず漏れた本音と涙にヴアルが目を開く。


 『拓也、私を置いて安全なところに……こいつの足止めは私がするから、早く』

 「(可哀想だね。暴力を振るう俺が勝って何も悪くないあんたが死ぬ。でもそれが世界でしょ?弱いと、何も守れないんだよ)」


 アレハンドロの後ろにはまた数体の死体が歩いてきた。俺たちを逃がすつもりもないようで、少し離れた場所でバアルを相手にしているアスモデウスはこちらに来れそうもない。


 降ろせと言うヴアルの発言に首を横にふり後退するも、向こうがじりじりと近づいてくる。どうすればいいんだ。なんでこいつはヴアルの爆破の能力が使えたんだ?意味が分からない。あのからくりを解かないとこっちから攻撃ができない。


 『拓也!』


 一瞬の隙をついてバアルから距離を取ったアスモデウスがアレハンドロに斬りかかる。しかしその刃は庇うように出てきた死体たちによって阻まれ、死体たちは一刀両断された、地面に沈んでいく。


 「(あ~これはダメだ。一撃食らったら俺死ぬ。バアルーこいつは任せるって言ったじゃん!)」

 『(すまんな。この肉体にガタが来てな。替えの肉体に寄生していたら逃げられた)』

 「(ガタくるの速いよね。軍人の体使ってもこれだもん。そこら辺の人間のなら数秒だろうなー。まあいいや。死体はまだたーくさんあるし)」


 なんだよこいつら。意味が分からない。

 涙が引っ込まない俺の肩を掴み、アスモデウスが少し距離を取る。


 『ヴアルの状態は酷そうだな……休ませた方がいい』

 「じゃ、じゃあどうすれば……」

 『俺で二人を相手にするしかない。あいつらがストックしている死体を全て殺してアレハンドロを先に仕留める』

 「アレハンドロがどうしてヴアルに勝てるんだよ!あいつ、爆破の力使ったんだぞ!」


 アスモデウスはアレハンドロが持っているナイフを指さす。カラクリはあれだとでも言うように。


 『あいつのナイフ、バアルの持ち物だ。多分、自分の食らったダメージがあのナイフにストックされる仕組みになってるんだろう』

 「じゃあ、ダメージを与えれば与えられるほど反射されるってこと……?」

 『多分ね。動かしている死体に与えたダメージもナイフに蓄積されるようだ。既に数体の死体を切り殺した。どれだけ蓄積されてるか分からないが、発動条件は恐らくあのナイフに切られることだ。あいつのナイフには絶対に触れるな』

 

 確かに結界が壊れるときもヴアルが爆破された時も、事前にナイフで攻撃を受けた。全部、あのナイフの力なのか。

 触れるなって言ったって……でもカラクリがわかっただけマシだ。それでもアスモデウス一人で立ち回るなんて無理だよ。だって今でもこんなに押されているのに……


 『パイモンがいればな……容赦なくあの子供を一撃で殺したんだろうけど……君は優しすぎたねヴアル』


 苦しそうに息を吐くヴアルの額を優しくなでて、アスモデウスは俺に後ろに居ろと告げて剣を再び手に取った。でもこれだけの人数、無理だろ。セーレに連絡してヴォラクに来てもらう?いや、きっと時間がかかる。まずセーレが連絡に気付いてくれないと意味がないし、じゃあ一度撤退するか?それも駄目だ、建物がバアルのテリトリーとか言っていた。長期戦になれば先に崩れるのは反ギャング組織の方だ。それもできない。じゃあやっぱり、今ここで……


 心臓が痛いほど鳴っている。あいつの手の内を知らないとはいえ、ヴアルがここまでされた。銃もナイフも使う相手に俺が適うとも思えない。でも、こいつを許すわけにはいかない。笑いながら傷つくヴアルを見ていた。絶対に許せない!!


 建物の隅にヴアルを横たわらせ顔を上げる。相手は既に銃をこっちに向けており、笑みを浮かべている。一撃で仕留める。せめて、苦しまない様に、一撃で……


 アレハンドロが引き金を引いて銃弾がこっちに向かうけど、全て灰になって消えていった。バアルとアスモデウスが眩しそうに目を細め、アレハンドロは銃を下げて真っすぐとこちらを見つめており、その表情からは笑みが消えている。


 サタナエルの炎を手に宿して、立ち上がった俺にアレハンドロは銃が効かないことを瞬時に察してナイフに切りかえた。そんなナイフ、消し炭にしてやるよ。一撃だって食らわない。全てを焼き尽くしてやる。


 「(すごい、俺もそんな力ほしいなあ。さ、第二ラウンド、しよっか)」


 炎を恐れることなく、アレハンドロはナイフをくるくる回してゆっくりと近づいてくる。相手は人間だ、悪魔じゃない。運動能力だって俺とそんなに変わらないだろう。突き飛ばせたんだ、力は俺の方が上だ。問題は……


 アレハンドロを取り囲むように首のない死体がこちらに近づいてくる。こいつらだ。


 襲い掛かってきた死体に炎を噴射して一瞬で灰にする。何も残らず消し炭に変わった死体を見て、アレハンドロが目を見開く。


 「(すごい、すごい力だ……その力があれば、俺はきっと、全てを変えられる……!)」


 なにかを呟いて、アレハンドロの姿が消える。は!?どこだ、どこにいるんだ!?


 そういえばバアルの能力が確か透明にするとか何とかだった。じゃあ姿を消したってことか!?


 あのナイフで刺されたら一発KOだ。それだけは避けないといけない。


 炎を辺りにまき散らし、近づけない様にガードするしか道がない。ヴアルにあいつが近づかないようにしないと。ヴアルは戦える状態じゃない、人質にでもされたら……!


 次から次に襲い掛かってくる死体を灰にしていき、アレハンドロの攻撃を警戒する。そしてその攻撃は想像もつかないところから迫ってきた。


 『拓也、上だ!!』


 アスモデウスの声が聞こえ、顔を上げると、ナイフがこちらに向かってきた。


 「う、うわ!!」


 慌てて炎を噴射すると、地面から土ぼこりが舞い、ナイフを持ったアレハンドロが姿をあらわした。


 「めんどくせ~バレてーら。アスモデウス、だっけ?お前邪魔だね」

 『ふん、次は仕留める』


 なに、何が起こってんの!?


 『拓也、俺が援護する。バアルの奴、アレハンドロの援護に回った』

 「え、アスモデウス?なにこれ、どういうこと!?透明になれるだけじゃないのかよ!」

 『バアルの体見たらわかるだろ。下半身が蜘蛛だぞ』


 あ、もしかして……

 目を凝らしてみるとアレハンドロの背中に細い糸が着いている。蜘蛛の糸か……?あれでアレハンドロを操作したっていうのか!?

 バアルはカエルと猫の舌から生えている手で蜘蛛の糸を操っている。


 『拓也、俺の指示通りに動け。大丈夫だ、その炎があればアレハンドロに負けるはずがない。浄化の剣、だせるか?』


 まさかアスモデウスもバアルもそれぞれを援護しながら戦うのか?そんなことって可能なの!?


 再びアレハンドロの体が透けていき、バアルが手を動かしていく。しかしその腕はアスモデウスの攻撃のより防がれた。四本ある手のうち二つがアレハンドロのために使われるのなら、個人的に戦うのはアスモデウスもやりやすくなっただろう。


 再び姿を消したアレハンドロを俺がとらえることは不可能だ。アスモデウスに任せるしかない。


 どこにでも飛び出せるように、片手に浄化の剣を出し、もう片方の手にサタナエルの炎を出して待機する。向こうだってこの炎を食らえば一発なんだ。確実に仕留められる位置からしか攻撃をしてこないだろう。


 アスモデウスは視線を動かし、バアルの手の動きから行動を予測している。


 『拓也、左だ!炎を放射しろ!』


 相手の姿が見えず言われたとおりに炎を放射すると、アレハンドロが避けたのだろう地面を土煙が舞う。土煙を頼りにどこに移動したかを追いかけるけど、すぐにそれも見失ってしまう。


 『かまいたちの詠唱しながら炎を出し続けろ!』


 無理だろそれ!やったことねえよそんなの!!

 でも言われたままするしかない!相手は人間だ。威力が弱くたっていいんだ。


 「どこからくる……」


 一向に相手から攻めてくる気配はない。しかし次の瞬間、アスモデウスの声が響き慌てて顔を上げた。視線の先にはこちらに銃を向けているバアルがいた。


 「うげ!!」


 慌ててサタナエルの炎を噴射した瞬間、マシンガンを連射し銃弾がこちらに飛んでくる。危なかった。そうか、バアルだって攻撃してくるんだ。油断も隙もねえ。


 『拓也!後ろだ!!』


 再度アスモデウスの声が響き、慌てて後ろを振り返った瞬間、脇腹に鋭い痛みが走り蹲ってしまった。嘘だろ、まさか、刺された!?


 『拓也!!躊躇するな!炎を広範囲に撒き散らせ!あの子供を殺せ!!』

 『た、くや……ッ!』


 言われた通りに炎を噴射しようとした手が止まる。あまりの痛みに腕を動かすことができなかったから。


 「(この痛み、あんたのもの)」


 体を引き裂かれるんじゃないかと言うほどの痛みが全身を襲い、立っていられずに地面に這いつくばって痛みに耐える。痛い、痛い、痛い!!!全身が引き裂かれる!!


 首元がプツっという音を立てて切れる。首が胴から離れていく!?そんなの嫌だ!死にたくない!!


 「嫌だ!!死にたくない!痛い痛い痛い!!助けて、死にたくない!!パイモン助けてよ!!!」


 どこにいるのパイモン、謝るから。勝手なことをしたこと、謝るから!助けてよ!!


 首から血が流れ、ねじ切られるような感覚が広がっていく。腹部からもじんわりと血が滲み、死を覚悟する。しかし、これ以上、傷口は広がらず鈍い痛みが全身を駆け回るが、何とか呼吸ができている。


 何が起こったのか分からず、顔を上げると全身傷だらけのヴアルが俺の治癒に当たっていた。


 『油断、しないで……ッ!私も少しだけなら、治癒ができる、けど……私の治癒が追い付かないッ!早く、あいつを倒さないと!!』

 「ヴアル、でもそんなことしたら!!」


 ヴアルだって酷いケガなのに、俺の治療なんてしていたら自分の怪我が治らないだろ!!


 『何言ってんのよ!パイモン助けてって子供みたいに泣いてたくせに!くそ、進行が速い!!でも、全てリセットされたはず。また、あの死体を使って時間を稼いでくるわ』


 ヴアルの言った通り、距離を取ったアレハンドロの後ろには数体の死体がいた。またこの死体でダメージを溜めて一気に放出する気なんだろう。ヴアルが俺の耳に顔を近づける。その表情は苦しそうで、ヴアルも時間がないことを分かっている。


 『……かまいたち、一回でいいから使えそう?絶対に拓也は私が死なせない。きついだろうけど、一度だけかまいたちを使って』


 涙でぐしゃぐしゃの顔で頷く。ヴアルは小さく笑って俺の頭を撫でた。


 『絶対に死なせないわ。何があっても!』

 「(しぶといね~苦しいの、続くの嫌でしょ?もう諦めちゃいなよー)」


 アレハンドロがこちらを指さして死体に合図をする。


 襲い掛かってくる死体に悲鳴が出たけど、全身が痛む体は動きそうにない。でもヴアルに言われたことだけは絶対にしないといけない。泣いているせいで上手く剣にイメージを吹き込めない。それでも、やらないといけない。


 『みんな死ね』


 ヴアルの小さく、冷たいつぶやきが聞こえた瞬間、周囲が一斉に爆発していく。その爆発はアレハンドロも巻き込み、あいつが笑っているのを感じる。


 「(学習しないなあ。この痛みは返ってくるのに。死因が爆死ってなんかいいね。まずは貴方からね)」

 『(私は死なない。死んだとしてもお前だけは道連れにする。絶対に、許さないッ!!)』


 アレハンドロの表情がピクリと動く。笑みを浮かべていた表情は一文字に変わり、愉快そうに細められていた目は見開かれた。


 「(なんで許さないの?俺が酷いことしたから?)」

 『(私の大切な人たちを傷つけたからよ)』

 「(そうだね。でもね、それは君が弱いから悪いんだよ)」


 周りの死体が木っ端みじんに吹き飛んで、ナイフにダメージが蓄積されたのだろう。アレハンドロは再び一歩前に踏み出す。バアルの戦闘スタイルが変わり、アスモデウスが一気に距離を詰める。


 今度こそ、殺される!!


 『拓也、落ち着いて。私がいる』


 ヴアルが俺の頭をなでて、イメージを吹き込めと耳元でささやく。首から流れた血が地面に落ちる。痛みがどんどん酷くなり、ヴアルの限界が近づいているのかもしれない。剣を握って顔を上げた。ここで、役に立てないでどうするんだ!


 『拓也、打って!!』


 ヴアルの掛け声とともに、かまいたちが四方八方に飛び散る。


 『アスモデウス!!』


 ヴアルの声に反応したアスモデウスが飛び出し、バアルに剣を向けた。


 四方八方に飛び回るかまいたちを全て避けることはアレハンドロには不可能でバアルの力がいるんだろう。しかしアスモデウスはこのタイミングで俺とヴアルをサポートすることなく、バアルを仕留めることにシフトした。


 アスモデウスの激しい猛攻にバアルは押される一方で、その瞬間は訪れた。


 『ぐう!!』


 アスモデウスがバアルの腕の一本を切り落とした。猫の舌から繋がっていたバアルの腕が切れ、アレハンドロを操作していた糸が宙を舞う。その腕がバアルから離れた瞬間、子供の悲鳴が聞こえ、地面に何かが倒れこんだ。


 かまいたちが当たったことで利き腕をなくしたアレハンドロが痛みでうずくまっていた。ヴアルが追い打ちをかけるように爆破を数発アレハンドロに向け、その衝撃で片足が宙を舞い、悲鳴と飛び散った血に目を瞑った。アレハンドロは痛みで戦える状況ではなくなり、苦しそうにしている。


 『あとは、貴方の治療。ナイフで受けた傷はまだ消えない。私が全力で補助する。痛いけど、ごめんね』

 「でも、ヴアル……」

 『拓也が死んだら私がパイモンに殺されちゃう』


 おどけてそう言うが、全身からは血の気が引き、顔も真っ青で今にも倒れてしまいそうだ。

 アレハンドロは苦しそうに息を吐き、立ち上がり銃をこっちに向けた瞬間、その手から銃が弾き飛び、アレハンドロの指が吹き飛んだ。


 「(時間かかりすぎだね。まあ、もう終わりかな)」


 ジョシュア!?なんでここに!?

 ジョシュアは後ろに山積みになっている死体に手榴弾を一つ投げて死体を木っ端みじんに吹き飛ばし、俺とヴアルの姿を見て、口角を上げる。


 「(可哀想に。助かるといいね。じゃあ俺はバアルの結界を破壊してくるよ。ガアプも教えてくれりゃいいのにさあ~ぜんっぜん攻撃通んねえからなんでかなって思ったら、ここ、あいつの結界内だったのね。まあこんな大規模な能力の結界は近くにタリスマンがあるはずだ。それを破壊すれば構成員に銃弾が貫通する。俺たちの勝利だ)」


 ジョシュアは蹲っているアレハンドロに近づき声をかける。


 「(全てなくなるよ。ギャングも何もかも壊滅だ。君が本当に望んだ世界はきっと来るよ。俺たちは似ている。ねえアレハンドロ、君の死が君の望んだ世界の礎になるはずだ。だから、安らかに。彼の元に逝きな)」


 かまいたちが目に当たったのか、アレハンドロの目が潰れている。これを自分がしてしまったのかと今更ながらに心臓にナイフを突き立てられたような感覚に襲われ、どう対応していいか分からない。ジョシュアはすぐに立ち上がり、銃を持って走り去っていった。


 しかしアレハンドロはジョシュアに何を語りかけられたのか知らないが、声を出して笑った。


 「(あは、あはは、はははは!!俺が死んで、世界が変わるの?なにそれ、そんなわけないじゃん!何も変わらないよ!だから俺が変えるんだ、何もかも全部殺して、俺が王様になるんだ!!)」


 アスモデウスはバアルと未だに戦っている。しかし、腕を一本失ったことと、今寄生している肉体が使い物にならなくなってきたこと、替えの死体をジョシュアが全て吹き飛ばしたことで動きが鈍くなっている。


 それでもアスモデウスの剣を弾き飛ばし、その体を剣で引き裂いた。


 「アスモデウス!」

 『っ!』


 一瞬膝をついたアスモデウスだったが、すぐに体勢を整えて弾け飛んだ剣を握り直し前線に復帰する。


 アスモデウスによって切り裂かれた死体は見るも無残なことになっており、使い物にならなくなった死体を捨てたバアルは腕一本だ。


 バアルが切り離された手を蜘蛛の糸のようなもので拾い、縫合を始めるも、それを待っているほどアスモデウスはお人よしではない。激しい攻防戦が繰り広げられ、俺とヴアルはもう手伝える状況じゃない。


 それにこんな激しい打ち合いに参戦できる実力もなく、アスモデウスを見守るだけだ。


 一瞬の隙をつき、アスモデウスの剣がバアルの腕を捉え、再び腕を切断した後にさらに剣を突き立てる。


 『死ね』


 アスモデウスの剣がバアルの顔を貫通し、地面に突き刺さった。バアルの下半身である蜘蛛の部分がびくびくと動いているが、アスモデウスは剣から手を放し、ある場所に向かった。地面に転がっていたバアルのナイフを手に取り、それをバアルに向けて突き刺した。


 『全ての痛みは、お前のものだよバアル』

 『グガ、ギ、ギャアアアアアアア!!!!!』


 聞くも堪えない断末魔が響き渡り、バアルの体が砂になって消えていく。


 静まり返った室内に遠くから響く銃声だけがクリアに耳を突き刺してくる。勝った、のか?ナイフも消え、アスモデウスは剣を地面から抜いた。


 『悪魔本人が死んだけど、契約石のエネルギー次第で復活が早まる。破壊しないとな』


 何かを察してアスモデウスが顔を上げた。


 『バアルのテリトリーが消えていく。ジョシュアがタリスマンを破壊したんだろう。ナイフが消えたんだ。これ以上、傷は広がらないと思う』


 その言葉にヴアルは安堵したように笑い倒れこんだ。全身が痛んでいる体に鞭を打ち、倒れているヴアルを抱きかかえた。気を失っている?


 「ヴアル……?」

 『かなり無理をさせたようだな。少しこのままにしておこう。それより、契約石を探そう。アレハンドロは虫の息だ。話せるか分からない』


 小さく肩を揺らしているアレハンドロは生きてはいるけど、もう長くはないだろう。自分のかまいたちが原因で人が死ぬ。分かっていたことなのに、あまりの罪悪感が襲い掛かり、体が震えた。


 アスモデウスは無言でこの状況を見ていたけど、アレハンドロが小さな声でこちらに何かを問いかけてきて、俺たちは顔を上げた。


 「(みんな、死ぬの?)」

 『(……そうだな。君たちの負けだ。全員死ぬだろう)』

 「(ふーん……そっか)」


 アスモデウスに何を話したか教えてもらう。アレハンドロは自分が死んでしまうと言うのに、反応が落ち着いていて負けたことに関しても悔しくなさそうだった。


 「(ねえ、伝えてくれない?)」

 『(誰に)』

 「(新しくトップになる人に。もうポルフィリオのような人を、絶対に、作らないって)」

 『(ポルフィリオ?)』

 「(俺の、部屋……ここから繋がってるとこに、あるから。契約石も、全部。もう、全部終わりにして)」


 アスモデウスが警戒するように俺とヴアルにここに居ろと言って、隣の部屋に向かう。アレハンドロは戦える状態じゃないし大丈夫だとは思うけど、彼の願いは……本当に国を手に入れることだったんだろうか。俺には、この子の願いを聞く資格なんて、ないんだろうけど……


 アレハンドロの側に腰を下ろす。アレハンドロは泣いている。肩を震わせて、こんな子供が冷たい地面に横たわって、誰にも抱きしめてもらえないまま一人で死のうとしている。アレハンドロの行いからしたら当然の報いだろう。でも、それでも、この子の最後がこんな死に方……いいわけがない。


 「もう、いいんだよ」


 腕を切り落とされ、目も潰されたアレハンドロを抱きしめた。この子は、もう死ぬ。全身を切り裂かれ、絶え間なく流れる血と少しずつ冷たくなっていく身体。この子の最後が、こんな冷たい地面で終わることが悲しくて、着ているパーカーでアレハンドロを包み、膝の上に寝かせた。


 目元が赤く染まっているアレハンドロの瞳から透明な液体が血に混じって零れ落ち、この子が泣いていることがわかる。


 「(ポルフィリオ、会いたい。会いたいよ)」


 うわごとのように誰かの名前を言い続けている。痛くて苦しくて、逃れられない死が目の前に来ている。最後だと分かるのかもしれない。アレハンドロはぽつぽつと何かを話している。それはあまりにも小さくか細い声で、口元に耳を近づけてやっと聞き取れる程度の声だった。目を覚ましたヴアルも這いつくばって隣に来て、アレハンドロを覗き込んだ。


 「(ポルフィリオ、何が正しいんだろうね。本当に僕が悪いの?でも、誰も君を助けてくれなかったよ?正しいことをしても殺されちゃうんだよ?でも、それでも、僕が悪いの?)」

 『……この子、死んじゃうね。どんどん話し方が幼くなっていく。混乱してる』


 カタカタと手が震えている。その手はもう冷たくなりかけていて、血が通っていないことがわかる。


 「(僕は君がいれば幸せだった。でも君がいなくなってから不幸だ。ずっと不幸)」


 何を言っているか分からない俺とは対照的に、これ以上は耐えられないとでも言うようにヴアルがアレハンドロを抱きしめて、彼に話しかける。


 『(アレハンドロ、貴方はとっても悪いことをしたわ。でも貴方がいて幸せだった人もいたはずよ)』

 「(僕は、君とまた二人で、暮らしたいよ。家なんかいらないよ。毎日のパサパサのパンと、一本の水と、豆の煮もの……ボロボロの布と穴ばっかりあいてる屋根代わりのビニール、毎日ゴミを拾って君と一緒にご飯を食べて、二人でくっついて眠る。それだけで、良かったのになあ……)」


 “会いたいよ。ポルフィリオ”


 アレハンドロはもう、言葉を発さなかった。


 ***


 アレハンドロside -


 ―― アレハンドロ。


 その名前を付けてくれた人は、僕の大切な人だった。


 僕は物心ついたころから一人だった。育てられないからと言う理由で両親に捨てられた。四歳のころからホームレス生活だ。右も左もわからない子供だ。大人たちに殴られて蹴られて犯された。尻からいっぱい血が出て、それが原因で熱が出て道端で倒れても、汚い格好の子供は嫌煙されるように放置され、誰も助けてくれなかった。


 助けてくれたのは九歳年上の少年だった。


 ポルフィリオと名乗った少年は甲斐甲斐しく僕の世話をしてくれた。家は人が住んでいない廃墟の隅っこで屋根の代わりにごみ袋がかけられていた。穴が開いていて雨も風も防げないけど、ぼろぼろの布を体に巻いて一晩中抱きしめてくれ、なけなしのお金で買った腐っていないパサパサのパンとペットボトルに入った水をくれた。


 勢いよく食べて後日腹を下した。でもそんな状態を一週間耐え抜いて回復した僕を彼は心から喜んでくれた。回復したら優しいこの人と離れなければいけないのかと項垂れた僕に、彼は一緒にここで暮らさないかと言ってくれた。


 一人ぼっちだった僕に家族ができた。彼は自分のことをポルフィリオだと言い、自分の名前が分からない僕にアレハンドロと言う名前をくれた。


 今まで “汚い餓鬼、ゴミ” それしか呼ばれたことのなかった僕は名前をもらえたことが嬉しくて嬉しくて、天にも昇るような気持ちだった。


 ポルフィリオはゴミ捨て場でいつも働いていた。働くと言ってもきちんとした仕事と言うわけではなく、ゴミ捨て場の中に落ちている金属やプラスチックなどを集めて業者に売るのだ。一日かけて袋いっぱい集めても換金してもらえるお金はわずかで、何の味もしないパンとペットボトルの水を二人で分けて、時折豆の煮込んだものを買って来てくれる。大した食事でもないけど、ポルフィリオと食べるパンはいつも美味しくて、大きくもないパンを大切にちぎってゆっくり食べた。


 ポルフィリオと一緒に生活して二年。六歳になり、そろそろ自分でお金を稼がないといけないと思ってきた。ポルフィリオにおいしいご飯を食べさせたい。パンと豆の煮込みと、あとはお肉があれば最高なんだ。僕の分まで働いてくれているポルフィリオに恩返しをしないといけないから。


 でもどんな仕事をすればいいか分からなくて、本も読んだことのない僕は字が読めない。六歳で働かせてくれる所なんて真っ当な所にはなくて、ポルフィリオの手伝いをするようになった。二人で集めれば倍は稼げるはずなのに、僕は足を引っ張って一日中ゴミを拾っても手に入るお金は少し増えただけだった。でも少し増えただけのお金をポルフィリオはとても喜んで、大切にお金をためて一週間に一回だけの贅沢でお菓子やジュース、運が良ければお肉も買ってくれた。


 僕は毎日ポルフィリオと一緒に居られて幸せだった。ポルフィリオも僕と一緒に居られて幸せだと言った。血が繋がっていなくても、僕とポルフィリオは家族だった。


 「アレハンドロ、お前、本は読んだことあるか?」


 ある日、ポルフィリオが手にボロボロの雑誌を持ってきた。路上に捨てられている週刊誌のようなものだった。


 首を横に振った僕にポルフィリオは隣においでと手招きして、雑誌を広げる。雑誌の中身は夢のような写真がたくさん載っていた。綺麗な服にキラキラしている時計、おいしそうな食べ物の作り方、楽しそうに笑う親子の写真、どれも自分には経験のない世界が広がっていた。


 「この料理はパスタっていうんだよ。イタリアの料理だね」

 「……ポルフィリオ、字が読めるの?」

 「うん。読めるよ」


 ポルフィリオはすらすらと雑誌の内容を読み上げた。僕が気になることを聞いたらなんでも答えてくれた。ポルフィリオはとても賢いのだ。


 「ポルフィリオはなんでそんなに頭いいの?」

 「頭なんてよくないよ。でも、俺は十歳まで学校に通っていたから、最低限の読み書きと計算はできるんだ」


 “学校” - その言葉に胸がときめいた。自分には縁のない場所にポルフィリオはいたのだ。いつだって羨ましかった。母親に手を引かれて学校に通う子供たちが。それを見ることしかできない自分が惨めだった。


 ポルフィリオは昔を懐かしむように目を細めて、字をなぞる。


 「……俺の家は普通の家だったんだ。警察官の父と主婦の母、俺より三歳年上の姉……俺が十歳の時に殺された。父さんが働いている警察署がギャングの幹部を捕まえたから報復されたんだって。俺はその時、学校の合宿で家に居なくて俺だけ助かったんだ。ギャングはどこまでも追いかけてくる。報復を恐れて親戚は皆、俺を引き取ってくれなかった。遺産だってきっと取られたんだろうな。それからこうやって隠れて生活してる」


 ポルフィリオの膝に頭をのせる。ボロボロの布が二枚、体にかかり頭をなでられた。布は今日干したばかりだからお日様のにおいがした。


 「ギャングはお金が沢山もらえるって言ってた」

 「うん、もらえるよ。でも綺麗なお金じゃない。人から奪ったお金だ。正しい使い方じゃない。アレハンドロ、ギャングには入ったらダメだ。できる限りのことは俺が教えてあげる。お金に目がくらんで、汚いことはしたら駄目だ。俺と約束してね」

 「……でも、沢山働いても全然お金もらえないよ。ポルフィリオ、毎日真面目にやってるのに、お金増えないよ」

 「俺はもうすぐ十六歳になるんだ。十六歳になったらレストランとかの求人も出てくる。それまでにお金を頑張ってためて、最低限の身なりができる服を買って面接に行くよ。俺が頑張ってお金を稼ぐから、少しボロいかもだけど、いつか屋根のある建物で一緒に暮らそうな」


 僕は、ポルフィリオと一緒ならどこでもよかった。でも、ポルフィリオが幸せなら僕も幸せ。

 幸せには終わりが来ると言うことを、その時の僕は知らなかったんだ。


 ***


 「ギャングに入るのを拒否した報復ですって……可哀想に」

 「路上で生活していた子供でしょう。身なりは汚かったけど、スリもしないし、週に一回ためたお金であそこの店の一番安い肉を買っていくのよ。あの店の店主もいつも気にかけて少し多めに渡したら喜んで頭を下げているのを見たわ。この間十六になったばかりよ。あの肉屋で来月から働く予定だったらしいのに……」


 僕たちの家の前は知らない人たちで埋め尽くされていた。一日中、ゴミを拾ってお金に換えてもらって、今日はいつもより少し多くお金がもらえたんだ。だから僕は生まれて初めてポルフィリオにプレゼントを買ったんだ。いつものパンを頼まれていたけど、ポルフィリオだけ砂糖とミルクがたっぷり使われた甘くておいしいパンを買ったんだ。僕の分のパンに使うお金が無くなってしまったけど、ポルフィリオがお肉屋さんで働くことが決まったから、そのお祝いに買ったんだ。


 それなのに、僕たちの家の前は見世物小屋のように人が殺到して、警察の人が沢山うろうろしてる。


 「アレハンドロ君!」


 お肉屋さんのお姉さんが泣きながら僕を抱きしめた。


 「ポルフィリオが……ギャングに殺されたの」


 頭をガツンと殴られたような衝撃だった。ポルフィリオはもう、あの場所に居ない。僕の、たった一人の家族……

 僕の家の前にいる人たちは好き勝手に話をしている。なんで、ポルフィリオを助けてくれないの。大人はどうして、僕たちをいつも見殺しにするの?


 「あの路上生活の家の子、元は警察官の息子だって。ほら、事件になってたでしょ?警察官の家が報復にあってるって。あの子も探されてたみたい」

 「ギャングに入ったら許してやるって言われたらしいわ。だから、一緒に暮らしている子供を殺したらギャングの仲間入りだって。入る条件が人を殺すことって言われてるでしょうあそこ……それを断って殺されたって」

 「遺体……かなり酷いらしいぞ。相当拷問を受けていたそうだ。爪が全部はがされて舌も切られて、目も潰されていたらしい」

 「ええマジか。警察、捕まえられるのか」

 「無理無理。あいつらもギャングと癒着してるからな。あれもただのパフォーマンスだろ。捕まえる気なんてさらさらないよ。誰かギャング何とかしてくれよ。怖くておちおち外も歩けねえよ」

 「よせよ。どこで聞かれてるのか分かんねえんだぞ。外で文句は言うな」


 大人たちは僕たちを助けてくれない。いつだって見て見ぬふりだ。ねえポルフィリオ、どうしてなのかな。どうして何も悪いことしてないのに、僕たちはこんな目に遭うのかな。


 ポルフィリオは悪いことをしたら駄目だって言ってたけど、悪いことをした奴らは捕まらないって言ってるよ。でも、ポルフィリオはもう戻ってこない。


 どうしようポルフィリオ。このパン、ポルフィリオに食べてほしくて買ったのに。


 その日、僕は一生分の涙を流した。


 彼がいなくなってから、何もかもがどうでもよくなった。前は二枚だけで平気だったのに、布を巻いてもどこかが冷えていてとても寒い。おかえりとおはようを言ってくれる人がいない。一人で食べるパンは、冷えていて美味しくない。


 僕は七歳でまた一人ぼっち。時々お肉屋さんのお姉さんがご飯を持ってきてくれるけど、治安のよくないこの街で僕みたいなのに優しくするとタカられる。だから、そんなに僕に優しくしたら駄目なんだ。


 あの日から僕はずっと考えている。正しいってなんだろうと。


 ポルフィリオは何も悪いことをしていない。でも殺された。でもポルフィリオを殺した奴は今も笑って生きている。ギャングだって言っていた。この世界は暴力をふるう方が勝つ世界なんだ。ポルフィリオのような優しい人はこの国に生まれちゃいけなかったんだ。もっとどこか遠くの綺麗な場所で生まれるべきだったんだ。


 きっと、優しいだけではこの国では生きていけない。学校に通うことだってできないし、お腹一杯ご飯を食べることもできない。


 でも、僕は死にたくなかった。死にたいと思ったけど、死ぬ勇気がなかったんだ。だから、僕は悪いことをしてしまった。


 「俺についてくれば、いくらでも飯を食わせてやるぜ」


 お腹が減って、お金がなくて、そんな僕でも命が惜しかったんだ。こんなごみのような命、この世界では何の価値もないのに、僕は死にたくなくて一番大切な人との約束を破ったんだ。


 ギャングに入って最初は泣いてばかりだった。入ったことを後悔すらした。人を殺してしまった日は三日間悪夢でうなされた。でも、段々平気になってくるんだ。ご飯を食べるためには、お金を稼ぐためには、誰かを殺さないといけないってわかってしまったから。


 僕みたいな馬鹿は誰かを傷つけないとお金をもらえない。他人が持っている幸せを奪うことでしか生きられないんだ。そんな生き方をきっとポルフィリオは最低だと罵るんだろうけど、それでも僕は死ぬのが怖かった。


 段々犯罪行為が平気になって、何もかもが麻痺してきて、同じような奴らに囲まれた僕は少しずつ壊れていって、気づけばギャングの少年達の中でも殺した人数が抜きんでて多くなっていた。殺した人間の数はステータスで、殺せば殺すほどお金がもらえて皆から尊敬された。


 そして次第に忘れていった。彼と過ごした一番幸せだったころの時間と、彼との約束を。


 ***


 『汝は、非常に面白い。ここは不思議な場所だ。お前たちの魂は極上だ。放っておくには惜しい』


 化け物は僕たちの日常を無茶苦茶に壊していった。


 契約をしたいと告げてきたのは向こう。先に殺しにかかったのは僕で呆気なく負けたのも僕。負けたのに僕は殺されず、その化け物の言うとおりにすることにした。


 そいつはバアルと言った。僕を契約者にして対価と引き換えに願いを叶えてくれるんだと。僕の願いはなんだろうか。


 ウキウキして考えていた。お金持ち?ギャングのボスになる?嫌いな奴を皆殺しちゃう?


 沢山考えながら街を闊歩する。体に入っている入れ墨のおかげで僕がギャングだとみんなが認識して顔を背けて逃げるように去っていく。この街を僕のものにしちゃおうか。こいつらは皆奴隷で、僕が王様になるんだ。そうだ、それがいい。そんで、こいつらからお金を取って遊んで暮らすんだ。


 願い事が決まり、早速バアルにお願い事をしようと決めたとき、足元に落ちているものが視界に入った。それはボロボロの冊子の端切れで、冊子の破れた数ページが落ちていた。


 何の気なしに拾ったそれをめくると文字と写真が載っている。僕はいまだに文字が読めない。読む必要がないから。だからこれが何を書いているのか全く分からない。


 別に分からなくていいんだ。わかる奴に聞けばいいんだから。でも、僕は、彼を思い出してしまったから。


 「バアル、君ってさ、何でもできる?」


 アジトに戻った僕はバアルに問いかけた。この存在をまだみんなは知らない。僕だけの秘密の存在。


 『なんでも、とは?内容による』

 「……大切な人がいたんだ。もう、殺されちゃったけど」

 『復讐か?喜んで引き受けるぞ』


 違うよ、復讐なんかじゃない。復讐しても彼が戻ってこないことはわかっているんだから。


 ねえ、ポルフィリオ……僕の、本当の願いは ――


 ***


 拓也side -


 『拓也、動けるか?……死んだんだね、その子』


 俺の膝の上で動かなくなっているアレハンドロを見て、アスモデウスが眉を下げる。アレハンドロの側を離れるのが辛く返答ができない俺にアスモデウスは見てほしいと言った。


 『この子の本当の願い、想い、全てが置いてあったよ』


 契約石と一緒にね。


 アスモデウスの言葉に俺はアレハンドロをヴアルに預け、隣の部屋に足を運ばせた。


 「……本」


 アレハンドロの部屋は沢山の本で埋め尽くされていた。テーブルに置かれている紙にはぐしゃぐしゃのスペイン語が書かれており、ここで字の練習をしていたことが伺えた。自分では読めない字をアスモデウスに読んで貰い、内容に衝撃を受けた。


 『僕の名前はアレハンドロです。僕は学校に行きたいです。僕が王様になったら、この国の子供たちを皆学校に行けるようにします。子供たちを捨てる親がいないようにします。僕たちはみんな、普通が大好きです。普通になりたいです。みんなお腹が減るから人を殺します。だから沢山食べ物を食べれるようにします。大人たちは子供を助けてくれません。だから僕たちがこの国を変えます。僕たちはギャングに入りたいわけじゃないです。馬鹿だから、生きるために人を殺します。だからみんなが学校に行けるようになって僕みたいな馬鹿がいなくなれば、幸せになれると思います』


 あまりにも拙い内容だが、アレハンドロの全ての想いが詰められている手紙に俺もアスモデウスも何も言うことができなくなってしまった。アレハンドロは、一人で字を勉強してこの手紙を書いたんだ。アレハンドロが本当に望むものは国なんかじゃなくて、普通の子供として学校に通える人生だったんだ。


 あんなにむごいことをしたギャングの構成員たちほとんどは仕事があれば、生活できるお金があればギャングに入らなかったんだ。アレハンドロの手紙はいくつも書かれており、みんな口には出さないが、普通を羨ましいと思っている。自分の子供には学校に行かせてあげたい。勉強したい。と言った、内容が書かれていた。


 この子たちの幸せを奪ったのは大人だ。大人は誰もこの子たちを助けなかった。


 ああ、どうしよう。胸が苦しい。


 ― だってこの子は、リヒトと同じだ。


 「僕には家族がいます。僕にアレハンドロと言う名前をくれた人です。僕は物心ついたときから家族に捨てられて一人だった。そんな僕を助けてくれた人。彼はギャングに殺されました。優しくて賢い人です。僕は彼が望む国を作りたいです。学校に行って、ご飯を食べて、僕たちみたいな子供がいなくなる国を作りたいです。でも僕は彼との約束を破りました。ギャングに入ったらダメと言われたけど、お金と食べ物が欲しくてギャングに入ってしまいました。だから、僕が王様になってギャングを全部無くします。でも僕はきっともう普通にはなれないから、自分で今度こそ死のうと思います。怖くて死ねなかったけど、もう、死にたくないなんて言いません。僕はアレハンドロと言う名前をもらうまではずっとゴミ、汚い餓鬼、それ以外で呼ばれたことがないです。でもゴミのような命でも、どんなに汚いと皆から罵られても僕は、彼のために、生きたい。ポルフィリオのためなら何でもできる。ポルフィリオに優しい世界を作るんだ。たとえその世界に僕がいなくても」


 手紙を読み終えた瞬間に涙があふれ泣き崩れた俺と、複雑そうに歯を食いしばり手紙を握りしめるアスモデウス。


 苦しい、つらい、悲しい。


 アレハンドロは方法が分からなかったんだ。いや、こうするしか方法がなかったのかもしれない。どこまでもあの子の願いは両親のいる普通の子供への憧れ。みんなが普通に戻りたいと思っていた。でも戻る道をお互いに奪いあっていた。


 アレハンドロが悪くないなんて言わない。でも、こんな手紙を書かれて同情しないわけがない。国を乗っ取るなんて大それたことをする理由が学校に通いたかったから、大好きだった家族のためだったなんて。そんなことのためにすることじゃないだろうと部外者は言うだろう。でもアレハンドロたちにとっては、こうでもしないと自分たちの運命が変えられないのだ。


 机に置かれていた本は全て読まれた痕跡があり、その横には字の練習をした紙がいくつも散らばっていた。


 ここで一人で字の練習をして、大切な人のための訴えをしていたアレハンドロの心の傷があまりにも深く、この子をこんな目に遭わせた奴が許せなかった。


 『生まれてすぐの悪人なんて、いるわけがないよな。この国がアレハンドロを作った。彼をここまで狂わせたのはこの国だ』


 アスモデウスは手紙を大切にまとめ、俺に持たせてテーブルに置かれていた王冠を叩き割った。粉々に砕けた王冠は砂になって消えていき、バアルが完全に消滅したことを理解した。


 「それ、契約石?」

 『カーネリアンの王冠。あいつの契約石だ。拓也、パイモンの所に戻ろう。今から面倒なことになる』


 ギャング達は崩れていくだろう。バアルが殺されたことを理解して、アレハンドロが死んだことも知れ渡るだろう。ここが潰されて、アダム副大統領が大統領に就任して、それから?この子はどうなる?この子たちはこの国のせいでギャングに手を染めた。


 本当に、これが最善の策だったんだろうか。


 答えが見えずに、全てが終わりに近づいていて、何をすればいいのか分からない。アレハンドロを、せめて彼をポルフィリオと言う少年の隣に埋葬してあげたい。この子がしたことは許されることじゃないけど、この子の気持ち、願い、苦しみ、知ってしまったら、同情しない訳がない。


 アスモデウスと再び大会議室に戻ると、アレハンドロを膝で寝かせたヴアルと、彼の頭をなでているジョシュアがいた。


 「(お疲れ様。もう君たちは撤退していいよ。色々根掘り葉掘り聞かれるのも大変だろ。後は俺に任せて)」

 『(この子、どうするつもり?)』


 アスモデウスの問いかけにジョシュアは小さく笑う。


 「(俺個人としては恨みはないけど、組織の人間は許さないだろうね。死体を晒して辱めくらいは与えるかもしれない)」


 そんなの、許せるわけないだろ!!


 「そんなことするな!絶対に、死んでからも痛めつける必要なんてないだろ!!」

 「(それをしないと納得しないのは国民だ。どんな事情があれ、こいつが全世界を混乱に陥れたことは間違いないんだから)」


 だからって……この子をこんなに歪ませたのはこの国だ!!家族に捨てられて、食べるものもお金もなくて、皆から嫌われて、じゃあこの子にどんな道があったっていうんだ!誰にも声をかけずに野垂れ死ぬ道?それをこんな小さな子に強要させるのかよ!!


 今にも飛びかからんばかりの俺を制止してアスモデウスがジョシュアに手紙を渡す。アレハンドロの大切な思いが書き綴られた数枚の紙を受け取ったジョシュアは表情に影を落とした。


 『(この子をどうしようと、この国の勝手だ。ジョシュア、君の言うことは最もだ。だから君はこれをアダム副大統領に渡してくれ。主犯格のこの子の想い、願い、悲しみ、怒り、全てを理解したうえで、この子をどうするか……それを決めるのは確かに俺達じゃない)』


 手紙を読んだジョシュアがアレハンドロの額を優しくなでた。


 「(……馬鹿な子だな。どこまでも、本当に……)」


 建物内から悲鳴が聞こえる。ギャング達が崩壊していってるんだ。ジョシュアはアレハンドロを大切に抱きかかえ、俺たちに出口に行けと促した。


 「(手紙、渡すだけなら約束するよ)」

 「イルミナティから首を持って来いって言われた。ジョシュア、お前、首を持ってくとかしないよな」


 ジョシュアは笑って首を横に振る。


 「(死体に鞭を打っても、意味のないことだからね。じゃあね拓也、また、今度どこかの戦場で会えることを願っとくよ)」


 アスモデウスが人間の姿に戻り、今にも気を失いそうなヴアルを抱きかかえた。悪魔の姿の方が体力は戻るけど、みんなの前に出るから人間の姿にならないといけないヴアルは、最後の力を使い人間の姿に戻り、アスモデウスの肩に額を乗せた。


 アスモデウスの後ろを走り出口に向かうと、裏口は既に反ギャング組織に占拠されており、中から出てきた俺たちは甲斐甲斐しく世話をされた。その場でヴアルは体中に包帯を巻かれ、できるだけ安全な場所にすぐに搬送しようと話が上がっている。


 「(彼女は大丈夫です。俺が責任をもって彼女を守るので)」


 拘束されたら面倒だとでも言うように、アスモデウスが組織の申し出を断り、応急処置を済ませたヴアルを再び抱き上げた。もう銃弾は飛び交っておらず、ギャングが完全に負けたことを意味していた。


 次から次に建物内に入ろうとする人たちの波から逃れ、俺たちは澪とパイモンがいる場所に向かった。


 「拓也……ヴアルちゃん、アスモ……!」


 泣いていた澪はヴアルを見て血の気が引いたように顔を真っ青にして駆け寄った。意識を失っているヴアルは澪の呼びかけに反応することなく、ぐったりとアスモデウスに寄りかかっている。泣きながら何度も謝る澪にアスモデウスは首を横に振った。


 「パイモン、ごめんなさい」


 黙っているパイモンの前に向かい頭を下げた。しかし顔を上げた瞬間、思い切り顔を殴られよろけてしまう。慌てて間に入った澪が俺を庇い、二発目が飛んでくることはなかったが、パイモンの表情は険しく、歯を食いしばっている。感情を制御しようと必死になるあまり呼吸が荒く、瞳は今にも決壊しそうなくらい揺れている。こんなパイモンを始めて見た。


 「どれだけ、貴方は……私の信頼を裏切れば気が済むんですか!!?」


 大声で怒鳴られ肩が跳ねる。悪いことをしたことは分かっている。でも、あの時はこれが最善策だと思ったから……結局は泣いてパイモンに縋ってしまっていたわけだけど。


 「貴方は、俺の契約者だ!!俺の見えない所で殺されるのなどあり得ないし、俺のあずかり知らない場所に向かうことだってあり得ない!!貴方と契約しているのは、アスモデウスでもヴアルでもない、俺だろう!?勝手な事をするな!!」


 胸ぐらを掴まれて怒鳴られて、自分が悪いのもわかっているし、謝らなきゃいけないことも分かっているのに、どこかで怪我はないか、頑張ったねと褒めてほしいとか思っている自分がいて、まるで父親に認められるのを待っている子供のような感覚に陥り、自分の頑張りを認めてもらえず頭ごなしに叱られたことが理不尽に思え、声を上げて泣いてしまった。


 「だって、だって……どうすればよかったんだよお!!ああするしかなかったじゃん!俺と澪だけ残っても何もできないし、ジョシュアたち先行っちゃってるし、俺だって何も考えてない訳じゃないのに!!パイモンはいつも怒ってばかりだ、俺のやること全部否定する。大嫌いだ……」


 ぐすぐすと泣いて蹲り顔を隠した俺の頭上でため息が聞こえる。ああこれ呆れられた。契約破棄されたらどうしよう。嫌われたくない。


 でもどうしても謝罪の言葉が口から出てこなくて、泣いている俺の頭が引き寄せられ、パイモンに抱きしめられていた。


 「……よく聞いてください。貴方はまだ子供だ。十七歳だ。自分では大人になったつもりでいるのかもしれないが、世間でいえばまだ無知で世界を知らない。自分の周りの幸福が世界に溢れていると信じて疑わない。主、貴方の日常が世界のスタンダードではない。貴方の感覚はこの場所では理想論だ。だから傷つかない様に、自分の感覚とのズレを見極めて行動しないといけないのに、貴方はいつもそれができない。自分より恵まれない人間がいれば同情し、救おうとする。相手からすれば貴方は理想論を語る偽善者にしか映らないのに……貴方のやることを否定したいわけじゃありません。でも、貴方はその結果傷ついて、いつも泣いている。前にも言ったでしょう。セーレとストラスだけじゃない、私も……貴方が泣くと苦しくて辛い。笑っていてほしい。貴方を守りたいんです。だから、私から離れないで。私も貴方を理解しようとはします。約束して、貴方を守るのは私たちの役目でしょう」


 いつになく優しく諭されて、ようやく涙でぐしゃぐしゃの顔をあげた。やっと口から出てくれた謝罪にパイモンはこの話は終わりにしようと言い立ち上がり手を差し伸べた。


 「頑張りましたね」


 今までかけてもらったことのない言葉に今度こそ本格的に俺の涙腺は決壊し、滝のように流れ落ちる涙を拭うこともせず、その手を掴んだ。


 ***


 その後、ルーカス達とは結局落ち合えず、ヴアルの怪我のこともあるしで、連絡だけを入れて俺たちは日本に戻った。ホンジュラスの件はこちらでも大々的に報道されており、ギャングが壊滅したこと、アダム副大統領が新たに大統領になることが報じられ、日本からも見舞金として政府が経済支援を行うことを発表していた。


 日本のテレビにもアダム副大統領の会見が報道され、遠く離れたホンジュラスの事件に皆が胸を痛めていた。


 会見に現れたアダム副大統領は数枚の紙を握りしめていた。見覚えのあるその紙は原稿ではなく、アレハンドロの手紙だった。


 「ギャングの攻撃から私を守ってくださった国民には感謝しかありません。この混乱した状況で大統領を務めさせていただくには、力不足な部分は否めませんが、私がこの国を再建してみせます。きっと五年十年では追い付かないかもしれない。しかしホンジュラス国民が幸せになれる礎を作りたい」


 アダム副大統領の発言に会場は拍手に包まれた。壊滅したとはいってもギャングの生き残りはいるし、経済で大打撃を受けているこの状況をすぐに打開できるはずもないだろう。


 でも、アダム副大統領ははっきりと立て直す礎を作ると明言した。その言葉に希望を見出した人たちの拍手だろう。


 そして、手にアレハンドロの手紙を出した。


 「……今回のギャングの首謀者の手記です。彼の動機はこの国への不満と絶望。全ての子供たちが学校に行け、お腹一杯ご飯を食べられ、暖かい布団で大切な人と一緒に眠る。それが首謀者の少年の願いでした。そして、現状の国ではそんな未来が決して来ないことに絶望し、今回の件に臨んだ。許されることではありません。彼の自分勝手な願いにホンジュラスの国民がどれだけ犠牲になったかを忘れるわけではありません。しかし、彼を生み出したのは我々大人だ。全ての人間が、最初から悪人なはずがない。私たち大人が、この少年を作り出した。だからこそ、彼の望む国を作らなければいけない。何年かかるか分からない。だが、その世界を必ず実現して見せる」


 副大統領の話を聞いていた記者が手を上げる。


 「その首謀者は死亡が確認されたと言うことですが、悪魔の方も死亡は確認されたのですか?」

 「情けない話ですが、悪魔の討伐に関してはイルミナティが手を下したと聞いております。あちら側で会見が行われるでしょう。首謀者の少年の遺体は我々が回収し、この手記に記されている家族と言われていた少年の墓で一緒に眠っています。他に、今回の件で亡くなられた犠牲者にも我々が今できる最大限の礼節を払って送りたいと思います」


 アレハンドロは、大切な人と一緒に眠ることができたんだ。ジョシュアはちゃんとアダム副大統領にあの手紙を届け、そしてこの人は理解してくれた。アレハンドロの心の闇を。それだけが救いだった。


 せめてあの子が、大切な人と一緒に眠れるように。それだけを祈っている。

 

 その日、指輪が見せた夢なのか、アレハンドロの夢を見た。年上の少年と手をつないで薄い布を二枚体に巻いて寄り添ってパンを食べていた。砂糖がまぶされた小さなパンを半分ずつ分けて嬉しそうに食べている姿は、きっとアレハンドロの本当の望みだったんだろう。




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