第8話 復讐は終わらない
「始まったな」
パイモンが一言つぶやいて緊張が走る。俺は何も感じないけど、確実に何かを感じ取ったセーレ達の表情も変わる。多分悪魔が現れたって事なのかな?
でもそれならどうにかして中に入らないと。固く閉じられた扉を開けるためには最悪も覚悟しないといけない。
8 復習は終わらない
「どうすんだよ、でも門も閉まっちゃってるし……内側からじゃなきゃ開けれないだろ?」
『そうですね、少し待っていてください』
ストラスが羽を広げて俺の腕から飛んでいき、内側から門の鍵を開ける。そっか、ストラスってこんな使い道もあるんだな。知らなかった。門を開けてパイモンが中に入る。でもここを入れたって屋敷の扉の鍵がかかっているはずだ。今回はストラスだって入れない。
結局ここまでしか行けないんじゃないか?心の中の疑問だから何も言わないけど、多分パイモン達がやってくれるはずだ。
「澪、俺の傍を離れないでくれ。君は俺が守る」
「心配いらないわアスモデウス、澪は私が守る。あなたなんかの力は借りない」
「ヴ、ヴアルちゃん……」
ヴアルはアスモデウスを睨みつけて澪の手を取る。あまりにも攻撃的な口調に澪もたじたじだ。ヴアルの警戒心は相当なもんだな。普段のお気楽な姿からは想像もできないほど鋭い言葉を投げかけられたアスモデウスは眉を少ししかめて聞いて、小さな声で「分かったよ」とだけ返事をした。でもアスモデウスよりヴアルが守ってくれた方が俺としても安心だ。やっぱりアスモデウスに澪は預けられない。
まさかの扉の鍵は開いており、中からは金属がぶつかる音が聞こえて来る。その音を聞いてビビってセーレの後ろに隠れた俺と一歩下がった澪以外は表情を崩す事はなかった。
「やっぱり俺達の考えは間違いなかったみたいだね」
「そうだな、面倒な事になった……」
この事態をパイモンとセーレは何となくだが感づいてたようだ。でも金属がぶつかるって事はラウリかレイラが悪魔に抵抗してるって事なのか。い、意味が分からない!分からない事だらけだよ!
『拓也』
「ストラス、話があんま見えないよ!訳がわからない……」
慌てて自然と大きくなってしまった声を聞いて、ストラスはまず俺を落ち着かせてから言葉を紡いだ。中から聞こえる金属音で気が気じゃないけど、まず今の状況を理解しなきゃ、どうにもならない。
チラチラと屋敷に視線を送りながらも、耳だけはストラスの言葉に集中した。
『レイラにラウリが契約していた悪魔の影響が出ていないと言いましたね』
「あ、うん」
『私達の結論ではレイラもソロモンの何かしらの悪魔と契約している、そう結論付けました。恐らく今の状況はラウリとレイラの契約悪魔たちがお互いに戦っているのでしょう』
「それって……」
『ラウリはレイラを振り向かせる為に悪魔と契約し、レイラはラウリの契約悪魔の支配下に陥らない為に悪魔と契約した。ここまでお互いに騙し合う夫婦もそういないでしょうね』
じゃあラウリとレイラ、それぞれが悪魔と契約してたって事だよな……だからレイラに悪魔の力が効いてなかったんだ。契約してた他の悪魔が力を打ち消していた。
そこまでしてレイラはラウリと結婚したくなかったって事だよな?そこまでして……
「でもどうしてそこまで……」
『レイラと言う女性を調べましたが、彼女の父親は小さな子会社を経営しておりまして……その受注の四割近くがラウリの父親の会社が注文しています。彼女に好意を抱いていたラウリはそこにつけこんでレイラを脅し、無理矢理結婚までもって行ったようです。しかしラウリの父親はレイラを手に入れた途端、注文を賃金の安い海外で受注したため、結果レイラの父親の会社は潰れ、借金に苦しんだ挙句、借金返済の糧にする為に保険金目当てで父親が自殺する事態になっています』
目が丸くなった。レイラが悪魔と契約してまでラウリの支配下になりたくなかった理由……それはラウリが自分の家族を滅茶苦茶にした張本人だったからだ。
ストラスの話にアスモデウスの表情が変わる。拳を握り締め、辛そうな物になっていく……そっか、サラもそうだったんだよな。他の男と結婚したくないから、アスモデウスと契約した。結局いつの時代だって変わりゃしないんだ。
『その過去を調べた時、レイラが悪魔と契約していても可笑しくないと思ったのです。ラウリの会社で働かさせられるのも彼女にとっては耐えられない程の屈辱だったでしょう』
どうしてそういう人間が存在するんだ。
そんな奴がいるから憎しみに走った人間が悪魔と契約する。その人間が起こした事件によって他の奴がそいつを憎み、連鎖してしまうんだ。
「“恋は盲目”って良く言うわね。自分の幸せの為なら平気で他を犠牲にするんだもの」
ヴアルの言葉が胸に突き刺さった感覚がした。パイモンが扉を開けるのを見て息を飲む。中がどんな状況が分からないけど、きっと泥沼っぽい感じなんだろうな。
ドアを開けた先はもう別世界だった。乱雑に物が散らばり、壁は剣によって切りつけられた跡がたくさん残っている。余りの惨状に言葉を失った。後ろを振り返ったらヴアルと目が合い、ヴアルは頷いて澪の手を強く握った。
パイモンとセーレの後を進んで行ったら長い廊下の先に二人の赤い鎧を着た男が見えた。
間違いない、あいつらだ。
「ゼパールは分かってたけど、まさかもう片方がベレトとはね」
「中々手ごわいのに出会ったな」
セーレとパイモンがそう言うんだ。間違いなくあいつらは強いんだろう。足を引きずってる悪魔がゼパールって言ってたから見分けはすぐについた。でもゼパールは結構傷を負ってるのに、ベレトって方はピンピンしてる。それを見るから相当強いって言うのだけは分かった。
二匹の悪魔の後ろには倒れているラウリと、それを見下ろすレイラ。ラウリはピクリとも動かず、最悪を想像してしまう。大丈夫なのかよ……
助けようとして走り出した俺の首根っこをセーレが掴んで後ろに追いやる。ちょっ!首しまってる……
『(ゼパール、邪魔が入った様だ。動けるか?奴らを排除しなければならん)』
『(主を失った今、貴様と争う必要性は無くなった。協力しよう)』
二匹の悪魔が俺達に振り返る。いきなりの第三者の乱入にもレイラは何も言わない、完全に悪魔に任せている感じだ。どういう神経してんだよこの女は……
ゼパールとベレトはアスモデウスに視線を向けて顔を顰めた。
『Menen ulos huhupuheiden seitsemän kuolemansyntiä ihmisiin.(七つの大罪が人間の戯言に付き合うか)Hitto...(忌々しい……)』
『後悔はしてない。俺がどんな罰を受けようが君には関係ないよベレト』
『小僧が……調子にのりおる』
何だか偉く上から目線だけど、このおっさんは一体何者なんだろうか。かなりの猛者って感じだけど……
そんな事よりラウリは大丈夫なのか!?
「ストラス、ラウリは大丈夫なのか?」
『特に外傷がある様には見えませんが、恐らくベレトに何らかの魔術をかけられています。予断を許さない状況かもしれません』
「じゃあさっさと倒さなきゃいけないんだな。ベレトって強いのか?」
『ええ、上位の悪魔です。七十二柱の中でも古参に分類され、堕天使です。元の階級は座天使に所属していた猛者です。剣士ですが、相手の魔術を無効化する魔法に優れています。貴方の魔法は今回役に立たないと言っていいでしょう』
まあ俺はいつだって役に立ってないけどさ。じゃあ今回俺は後ろで待機してていいって事なのか?隙を見てラウリを助けに行かなきゃいけない。ゼパールとベレトはパイモン達に任せてもいいよな。
澪の隣まで後退して状況を静観する。
澪はアスモデウスが前線に上がっていったのを心配しており、ヴアルはその状況が面白くないらしく険しい顔をしてる。
「ストラス、パイモン達があいつらを追い詰めたらラウリの所に行きたい。通訳頼むぞ」
『分かりました。しかし大丈夫でしょうか……ベレトとゼパールが相手では、パイモンとヴォラク、アスモデウスがいたとしても』
「七つの大罪なんだ。大丈夫だろ、あいつは」
「そんな事言わないで拓也。アスモデウスだって危険を冒してるんだから」
澪にぴしゃりと言われて少しだけ腹が立った。なんだよ、あいつは強いんだ。心配しなくてもすぐに倒してくれる。
返事をしない俺にストラスとヴアルが気まずそうに俺と澪のお互いに視線を送り合っている。そしてパイモンとヴォラク、アスモデウスが剣を抜き、ゼパールとベレトに斬りかかった。
足を引きずっているゼパールは動きが遅いし、ベレトにやられた傷がある。多分あいつはそんな大した奴じゃないだろうけど……ベレトが全く動かないのが気になる。
アスモデウスがベレトに剣を振り下ろした瞬間、ベレトが一瞬で剣を構え、簡単にアスモデウスの攻撃を防いだ。そして体を回転させる事で攻撃をいなし、カウンターの様な居合抜きをかました。
アスモデウスは急いで離れたが、袖が切れており、腕からは血が流れている。あまりにも一瞬の間に行われた攻防に何が起こったかも正直ついていけない。
後ろから澪の悲鳴が聞こえたが、アスモデウスは大丈夫だと言うように手をヒラヒラ振る。良かった、傷は酷くなさそうだ。
『流石だなベレト、相変わらず見事な居合抜きだ』
『小童が。七つの大罪とはいえ、我が力、十分通用する』
どうやらベレトは相手から斬りかからせてカウンター攻撃するタイプみたいだ。無駄に動かない分タチが悪い。
『アスモデウス、加勢に回るか?』
『平気だ、先にゼパールを倒してからでいい』
パイモンはゼパールと戦っていた腕を止めてアスモデウスに視線を送る。どうやらあっちは余裕みたいだ。やっぱりベレトにやられた傷が痛かったんだろうな。ゼパールは既に立っているのもやっとの状態で、容赦の無いヴォラクに追い詰められて全身に傷を負いながらも戦っていた。
『憎らしや……憎らしや、主も守れず我は朽ちるか』
『所詮落ち武者みてえな悪魔だもんなお前!大人しく成仏しろよ!』
ヴォラクとパイモンに追い詰められたゼパールにアスモデウスを相手にしてるベレト、お互いに余裕がないはずだ。今ならいける!走り出した俺をゼパールとベレトが剣を向けたけど、そこはすかさず助け船を出してくれた。
悪魔たちの間をすり抜けてラウリを支え起こす。倒れている人間は全体重をかけてくるから上手く持ち上げられず四苦八苦する俺をレイラは邪魔する事も無く助ける事も無く見下ろしているだけ。
後ろからはガキンガキン剣がぶつかり合う音が聞こえてヒヤヒヤして集中できない。とりあえずラウリが怪我してないか確かめないと!
ストラスが言った通り、外傷はない。気を失ってるだけなのか?一体何があったのか?
「En ole tehnyt hänelle mitään.(彼には何もしてないわ)Se on tuhlausta.(何しても無駄よ)」
レイラが面倒そうに告げて大げさに溜め息をついた。その表情には光がなく、暗く闇に沈んでいるような感じだ。どうしてこんな事を……でもラウリは死んでいる訳じゃない、ますます分からない。そしてレイラの後ろに俺達を屋敷の中に案内した使用人の姿を視界にとらえた。
そいつはこんな信じられない状況になってるのに、表情一つ変えない。こいつも何かを知ってるんだろうな。ただ、今尋問する余裕はない。早くあいつらを倒してもらわないと!
その時、ガシャンと言う派手な音を立てて、ゼパールが倒れ込んだ。どうやらパイモンとヴォラクがやってくれたようだ。後はアスモデウスがベレトって奴を倒してくれたら……
ベレトはやっぱり強いって言われてるだけある。アスモデウス相手によくやってるよ、でも流石に少しずつ苦しくなって来てるみたいだけど。
アスモデウスもベレトも所々に傷を負っているが、二人は表情一つ変えずに戦っており、澪が顔を青くして見守っていた。
お互いに距離を取って、再び剣を向け合う。でもゼパールを倒した事で手が空いたパイモンとヴォラクもそれに参加し、流石に三対一の状況じゃベレトも不利は必死だった。
どんどん追い詰められて、最終的にはアスモデウスによって剣をはねられて膝をついた。
『ぐっ……くそっ』
『殺すのは本意じゃない。大人しくする事だ』
喉元に剣を突きつけられれば反抗する気力もない。とにかく早くこいつたちを返さなきゃ……そう思ってパイモン達に言われたまま召喚紋を描いて行く。
レイラは逃げない様にセーレが見張ってるけど、その顔には薄い笑みが張り付いていた。
意識を失くしているゼパールと悔しそうに膝を付いているベレト、流石に二匹相手だっただけにパイモン達も少し疲れたみたいだ。
「Anna kivi sopimuksen.(契約石を渡すんだ)」
セーレが手を差し出せば、レイラはクスクス笑ってセーレの手に契約石を差し出した。セーレが確認して、召喚紋に入っているベレトに投げて渡す。
『拓也、あなたはゼパールの契約石を探してください』
「あ、うん」
ストラスに言われた通りゼパールの契約石って言われてる物を探す。するとポケットから黒色の石がついたバングルが出てきた。これなのかな?
「ストラス、これ?」
『はい、オニキスのバングルがゼパール、ヒスイの指輪がベレトの契約石です。これで地獄に戻せますよ』
恐る恐るポイっと契約石を召喚紋に投げて少し離れた所に避難。レイラは協力的だった、悪魔を返す儀式にも文句一つ言わずに黙って従った。その顔には未だに笑みが張り付いており、悪魔を失ったことに対する不満や不安は全くなさそうだ。
ラウリは気を失っているから仕方なくパイモンが代行で儀式を行ったけど……どうしてレイラは笑ってる?罪悪感も焦燥感も感じない、一体何なんだ?
悪魔を返し終わって静寂に包まれた屋敷は不気味な雰囲気が漂っていた。アスモデウスは澪を守る様に前に出て、ヴォラクが俺の盾になる様に前に出た。
その時、ずっと黙っていたレイラが口を開いた。
「(お礼を言わなければなりません。ありがとうございます。貴方達のおかげで望みが果たせました)」
「(何を言っている?)」
「(厄介払いができて嬉しいと言う事です。さぁ、お帰りになってください。後処理は私が引き受けましょう)」
レイラとの会話を訳してもらってヴォラクの後ろから静観する。レイラが警察に言おうとしている節は無い。だとしても何で笑える?
パイモンはこれ以上聞いても意味は無いと判断したらしく、何も言わずに踵を返した。
「え、帰るのか?」
「そうですね、帰りましょう。あまり関わらない方がいい……悪魔より悪魔の様な女だ」
「人間なんて所詮そんなもんさ。悪魔と天使の意志を半々で受け継いでる存在なんだから」
丁寧に俺達を見送ったレイラ、最後まで笑みを絶やさず不気味な女だった。
そして翌日、パソコンで調べたフィンランドの記事でラウリが入院したけど命に別条はない。しかし軽度の記憶喪失が認められた、そう書かれた記事を見つけた。記憶喪失と言っても日常生活に支障は無く、レイラの事も婚約の事もハッキリ覚えていたようだ。じゃあ一体レイラは何のためにラウリを攻撃したんだ。
***
? side -
― 彼女の復讐はようやく一つの形を完成させた。あとは、それを育てるだけ。
「ふふ……全てが上手く行ってる。経過は順調だってお医者様が言ってた。あいつもそれを喜んでた)」
「(……そうですか。でもそれはもしかしたら……)」
「(違う。“これ”は絶対に違う。それだけはわかる)」
少しだけ膨れた腹を撫でる手は優しさを宿していない。狂気にも似た微笑みを張り付ける彼女は美しく、また酷く残酷なものであった。夫が襲われ、悲劇の妻となった彼女について回るのは同情と言う名の優しい加護。彼女はこの屋敷に守られて、外に出る事は無くなった。
そして彼女は夫に対する復讐の第一歩を遂げた。目の前にあった死と言う名の安楽で直結な復讐の道を取らず、彼女は何十年も先の死んでも死に切れないほどの復讐を与えようと決意した。
自らがこれから何十年も復讐心を覚え続け、流される事なく、罪悪感に駆られる事もなく。それに耐え抜いて最後の最後に復讐を果たすのだ。
そして今日、俺はここを出て行く。
「Miten voit mennä ulos tänään?(今日ここを出て行くんですってね)」
「(はい。……俺、夢がありますから)」
「(画家だっけ?叶うといいね。それだけを願ってる。そして可愛い子を見つけて幸せになってね)」
彼女は残酷な言葉を平気で吐く。彼女を愛していた俺の気持ちさえ、彼女はいとも簡単に見抜いて利用したのだ。そしてそれに気づいて敢えて騙された俺は生粋の馬鹿なんだろう。
自らが永遠に忘れる事の出来ない過ちを犯し、さらに永遠に消せない証拠まで残してしまったのだ。でもそれでもいいと思えた、これで彼女の何かを永遠に俺の物にできると一瞬でも思えたから。
彼女は膨れた腹を撫でる。その目は慈愛など微塵も宿っておらず、加護が必要な小さな命さえ復讐の道具として見ているのだ。
これが壊れた女の最後の姿なのかもしれない。
「(これからずぅっとね……ずぅっといい夫婦を演じ続けるの。おしどり夫婦って周りに言われるほど尽くしてあげるの。でもあいつが死ぬ前に教えてあげるんだ。この子どもはお前の子どもじゃないって、お前の家で働いていた使用人との子どもだって)」
ラウリが悪魔の力を借りて彼女を愛でようとしている事に気付いた彼女は逃げようとしていた所、都合良くもう一匹の悪魔と出会った。そしてラウリの魔法を悪魔の力で跳ね返し、ラウリを愛している振りをし続けた。そんな彼女にとって指輪の継承者たちが来たのは最高の幸運だった。
ラウリの悪魔に対する記憶、自分に対する悪魔の記憶、全てを消去して貰い、悪魔を厄介払いできたんだ。彼女の望みは果たせたに等しい。
ラウリは自分が悪魔と契約していた事も、彼女が悪魔と契約していた事も記憶にない。愛する妻を守ろうとする善良な夫に変わるだろう。だが彼女は記憶を持っている、彼女は復讐を忘れない。
これが彼女の計画だったのだ。血の繋がってない子供を夫の子供と偽って、溺愛させて、最後は血が繋がってないと言う事を自分か、相手が死ぬ前に打ち明ける。
彼女の望みは彼を楽に死なせない事。心が焼け死ぬほどの憎しみと絶望を与えながら殺す事。もう彼は安らかな死さえ約束されない。
一方的に愛を囁き、一方的に愛したつもりでいて、そして会社も全て奪われて人生を終えるのだ。
「Joten odota.(だからね、待っててね)Kun olen vapaa menemään omalle paikalleen.(自由になったら貴方の所に飛んでいくから)En tiedä mitä vuosikymmentä myöhemmin, tuolloin tulkaa hajottaa minun ex-vaimo.(何十年後になるか分からないけど、その時は奥さんと別れて私の元に来て)」
彼女の最後の拠り所が俺なのだ。
その言葉はどんな言葉よりも甘美で、それだけで全てを投げ捨てられる。
「Lupaan.(約束します)Kun tulin te kaikki olette valmis...En valita omaisuuden ja kaiken, mitä voit heittää pois koko perheen ja perheen.(貴方が全てを終えて俺を迎えに来た時に……俺は家も家族も財産も何もかも全て捨てて貴方を選ぶと)Chimashou helvettiin yhdessä.(二人で地獄に落ちましょう)」
二人ならどんな所でも怖くない。クスクス笑った彼女がこれほど美しいと感じた事はない。もう俺は逃げられなかったのだ。あの日、彼女をこの手で抱いた日から。
それまでは普通の人間として過ごそう。そして貴方が迎えに来たら、その時に全てを貴方に捧げよう。狂って堕ちて行くのも悪くない。そう考えている自分が酷く滑稽だったけれど、不思議な事に後悔などは微塵も沸かなかった。
どうやら狂っていたのは彼と彼女だけじゃなく、俺もそうだったようだ。
「Kun aika tuli, voisin olla sinun kanssasi...Uskon, että ensimmäistä kertaa minä todella rakastan tätä lasta.(その時が来て、ヴァルトと一緒になれたら……初めて私はこの子を心から愛せる気がするわ)」
「Me too...ensimmäistä kertaa, tunnen, että lapset voivat tuntea, että heidän lapsensa.(俺も……その時に初めて、その子どもが俺の子どもだと実感できる気がしますよ)」
その未来を願ってやまない。