第76話 聖地つぶし 3
リヒトが再び弓をセットしてこっちに向けてくる。横にいる鞭を持った奴は確か光太郎が言っていたメキシコにいたって奴だったはずだ。あの鞭は金属酸化の鞭、だっけ?メフィストとかいう悪魔がどうだとかって言ってた気がする。それだけでもルーカスに伝えておかなくちゃ。
俺とルーカスは武器があるとして進藤さんはどうやって戦う気なんだろう。進藤さんは地面に何かの魔方陣を作り、その中から茶色い槍を取り出した。アガレスの力だとしたら、あれは土でできているんだろうか。一本の槍が六本に分裂して進藤さんを守るように側を浮遊している。
なんだよ、アガレスの力めちゃくちゃ使えんじゃねえか。小さな地震起こすだけかと思ってたから戦えないんじゃないかって思ったのは間違いだった。とにかく、足手まといにならないようにしないといけない。殺さないといけないんだ。こいつらを人間だと考えるな。悪魔だって思うんだ。じゃないと、心が壊れてしまいそうだ。
聖地つぶし3
にらみ合いが続く中、ルーカスが手をかざして何かを呟けば、光と共に何かが現れた。
「(ティクドシェ、援護しろ)」
『(やれやれ、またお前か。キメジェス様のお気に入りだからとこき使いおって全く)』
ルーカスなに出したんだ!?キメジェスの使い魔か!?
「キメジェスはすべての言語を教えるだけじゃなくて、アフリカの悪霊や霊を使役できるのよ。ルーカスもその能力に目覚めてるの。とはいっても、扱えるのは一部みたいだけどね」
それでも戦力が増えるってのは有難いよ。
ティクドシェって奴は後ろ姿だけでは小さな老人といった感じだけど、その手は血で真っ赤に染まった斧をもって、顔も体も血で赤くなっている。正直不気味すぎる姿だ。召喚されたときは若干不機嫌だったにもかかわらず、すぐに鼻歌を歌いながら陽気に斧を揺らす。
『(誰がわしの生贄になるかの?そこのお前よ、わしと勝負せんか?なに、どちらかが死ぬまでの簡単な勝負じゃよ。へっへ)』
なんだよこいつ。気持ち悪すぎるだろ。
若干後ろに下がった俺に焦点を合わせるかのようにリヒトと銃を持った女性が照準をずらす。おいおい俺を狙ってんのかよ。少し離れたところではパイモンたちは天使と戦っている。あっちに助けは求められない。澪は震えて座り込んでいるし、俺だってこんな調子だ。
そのまま均衡状態が続くのかと思ったけど、銃を持った女性が発砲したことで静寂は崩された。こっちに向かって撃たれた銃は音しか聞こえず、まさか弾がこっちに向かっているなんて全く分からない。
でも銃弾が足元に転がり、ティクドシェが目の前に舌なめずりしながら斧を持っているのを見て背筋が震えた。今、ティクドシェがいなかったら俺絶対撃ち殺されていた。あの女、何の躊躇もなく俺を撃ってきた!
女性は悔しそうに舌打ちをして再び銃を構えた。
「人間だろうとお構いなしね。やばーん」
こんな状況だけど進藤さんはケタケタ笑って、指を女性に向ける。その瞬間、土の槍が四本女性に向かって飛んでいき、それを女性が銃でバラバラに破壊していく。その間にルーカスも走り出し、リヒトも矢を進藤さんに向けて放ち、混戦状態になった。向こうの鞭と剣を持っている男二人もこっちに向かって走ってくる。
どうしよう、どうすればいい!?
頭が混乱してうまく考えられない。でも鞭の男、あいつをルーカスにあててはだめだ。あのサバイバルナイフが使い物にならなくなる。
「ルーカス!あの鞭の男は俺がやる!」
「了解。俺は剣の方に行く。(ティクドシェ、そこに座り込んでいる女を守っとけ)」
『(おいおい戦わせてくれんのかよ~!)』
ルーカスが方向を変えて剣を持っている男に向かって走っていく。それを確認して、振るってきた鞭を何とか剣で防いで弾き飛ばした。やっぱり、俺の剣ならこいつの鞭でも問題ない。
男は全く錆びることのない俺の剣に表情をゆがませる。
横ではルーカスが早速剣の男と金属音を立てて戦っている。ってかあんな剣どこでゲットしてくんだよ!サバイバルナイフとかは分かるけどさあ!
ルーカスの方に意識がそれた一瞬に真横で大きな音がして弾かれた矢とバラバラに砕けた土が服にぶつかって地面に落ちた。俺また撃たれたんだ。今度は弓で。進藤さんがいなかったらこの矢は俺に突き刺さってただろう。
「あ、ありがとう進藤さん」
「感謝してね。さて……ガキ、よっぽど殺されたいみたいだなあ」
進藤さんが再び土の矢を作り、女性とリヒトに向かって矢を発射する。向こうでもすごい音を立てながら戦っているんだ。なんとかこいつは俺が倒さなきゃいけない。
「(なぜ、人間であるお前が悪の化身である悪魔に肩入れをする?)」
話しかけられたけど、英語だからほぼわからない。デビルって単語は聞こえたから悪魔と手を組んでクソ野郎って言ってるんだろうか。大きく深呼吸して剣を相手に向ける。
「中谷を連れ戻すんだ。殺さなきゃ……進めない!」
走り出した俺に男が鞭を振るう。それが腕に当たって死ぬほど痛いけど、立ち止まれない。座り込んだらそれこそ負けみたいなもんだ。なんとか防げるところは剣で防ぐけど、体中を鞭で叩かれて腕は真っ赤に腫れて蚯蚓腫れができる。
「拓也!」
澪の悲鳴が聞こえて、心配させないためにも一刻も早くこの男を倒さなければいけないと心を奮い立たせる。そんなに距離はない筈なのに、相手の所にたどり着くまでに随分と長い時間がかかったように感じる。
多分、向こうの射程範囲外まで近づかれたんだろう、鞭をはなてる様に男が距離をとる。今だ!
「行け!」
剣を男に向ければ竜巻が剣から現れて男を襲う。男は手を前に突き出し、結界のようなものを張って竜巻に備えている。そんなもんまで使えんのかよ!
結界で竜巻を防いだ男は再び鞭を振るった。俺結界とか作れねえのに、ダメだ。このままじゃ負ける……!
『わお。自分の意志で出せるのか。すごいなあ。サタナエルそのものだ』
手のひらから出した真っ白な炎が相手の鞭を一瞬で炭にしていく。武器がなくなった男が残りの鞭を引っ込めて一歩後ろに下がる。やっぱり、シトリーたちの報告通りだ。こいつメキシコにいたって奴だよな。あの時も鞭が厄介なだけで本人は大したことないって言っていた。俺でも、この炎があれば倒せる。
男を庇うように女が銃をこっちに向けて銃弾を放ったが、炎を少し強く放出すれば銃弾は一瞬で炭屑になり、こっちまで届くことはなかった。
「降参してください。殺したくはないんです」
日本語が通じないのなんか分かっている。でも雰囲気で察してくれれば。
炎を前に突き出して威嚇すれば男が苦い表情のまま固まっている。でも鞭を地面にたたきつける姿からは降伏や友好の意思表示は感じない。じゃあ、どこまですればいい?殺すまでするのか?
心臓が嫌な音をたてる。自分の意志で、人を殺す。それが超えてはいけない一線だということは分かる。そんな俺に助けられても中谷だって嬉しくないかもしれない。でも、こいつを殺さなくちゃ中谷を救い出せないというのなら ― こいつが中谷を救うことに協力をしてくれないのなら。
「あんたとは分かり合えない。人殺しになったって、俺は中谷に会いに行く」
多分雰囲気で察したんだろう、鞭を握り締めて男が睨みつけてくる。こいつを早く倒して、澪を励ましに行ってあげたい。怖くてきっと泣いている。
「進藤さん、援護して」
「私もそんな余裕ないんだけどお……今の池上君ならいいよ。沢山殺そうね」
「拓也……?」
ケタケタ笑いながら進藤さんを守るように浮遊している土の槍が笑い声に反応するように揺れる。銃撃をしている女性は不気味に笑う進藤さんに表情を歪めながらも再び銃を構えた。リヒトの矢をティクドシェが払い、ルーカスはこっちに援護できそうもない。
この緊迫した状況が動いたのは、進藤さんの一言だった。
「見切ってんの。それが六発目」
女性が替えの銃弾を補充しようとした瞬間、進藤さんが土の槍を女性に向かって発砲する。槍は真っすぐ女性の肩を貫通し、手に持っていた銃は地面に転がった。
「その銃、六発しか入んないでしょ。ねえ、分かってんのよぉ。お前が、なーんの役にも立たない木偶の坊だってこと。ふふ、ふふふ……きゃははは!!簡単に殺してなんかあげなーい!」
進藤さんが再び槍を女性に向かって放つ。一本はリヒトが相殺したが、残りの二本は腹部と足に命中する。
「出血多量で死ぬのってきついらしいよ。そのまま死になさい。じわじわと死に近づく恐怖を感じながら……ふふ!」
うめき声をあげて倒れこむ女性を見て高笑いをしたのち、進藤さんはこっちに援護すべく視線を戻す。
本当にサイコパスだなこの女。でもそれは一緒なのかもしれない。だって俺も、この人を殺そうとしている。結界なんか全てぶっ壊して、全て燃やし尽くしてやるんだ。ジリジリと近づく俺と相反するように男は一歩一歩後ろへ下がっていく。他の喧騒なんて聞こえない。俺と目の前の男だけの世界に変わっていく。
「(悪の化身が……世界を崩壊にもたらす悪が……)」
「少しだけ何言ってるか分かるよ。俺のこと悪魔だって言ってんだろ?俺から見ればお前らだってそうだよ……なにも救うつもりもないくせに、きっと分かり合えない。だから」
― ここで死ねよ。
その一言と共に振り下ろした右手は何かに掴まれて行き場をなくす。座り込んだ男が目を丸くし、ずらした視線に見知った姿をとらえ、殺意が一瞬で消えていく。
「止めて拓也!拓也が傷つくの、見たくない!」
腕をつかんでいたのは澪で、後ろから進藤さんの舌打ちも聞こえてくる。でも今この間にも目の前の男は状況を打破するために行動を起こそうとしているんだ。殺さないと、中谷に会いに行けない!
その瞬間、男の首が体から離れていき、目を見開いたまま胴体から強制的に離された頭は地面に転がった。
『(ぎゃははは!これだこれだ!!)』
ティクドシェが転がった男の頭を踏みつけて高笑いをしている。腕をつかんでいる澪が震えているが、それを慰める余裕は俺にはない。冷静な頭はこの状況ですら作業のように認識して、次にするべきことを探している。
あいつだ……
振り返った先にいる少年と目があう。
小さな悲鳴をあげて弓を再びこっちに向けてくるけど、腕も足も意識していなければ今にも倒れてしまいそうに震えている。再びともったサタナエルの炎に肩をふるわせる澪とリヒト、戦い続けているルーカス、愉快そうに笑っている進藤さん。ああ、何かが壊れていく。
恐怖を通り越して怒りに変わっていく感情がリヒトを殺せと訴えている。
「お前、逃がす気ないよ。お前もここで死ね」
「(ひっ……)」
『(いいよリヒト、交代だ)』
後ろからリヒトを抱き込むように一体の天使が現れた。リヒトは安心したかのようにその場に座り込み、既に息をしていない女性の亡骸を呆然と見つめている。天使は身の丈ほどの鎌を手に持ち、上空からこちらを見下ろしている。
『僕は“サリエル”。お手合わせを。サタナエルの子供』
天使を殺さないといけないのか。俺にどこまでの力があるか分からない。サタナエルの力を過信しすぎているんだろうな。
パイモンたちは残りの天使との戦いで忙しそうだ。こいつを殺さないと、先に進めない。迷っている場合でも怖がっている場合でもないのかもしれない。だって、逃げられる状況ではないのだから。思いに反応するようにあふれ出た光のような炎に一瞬まぶしそうに目を細めながらもサリエルは笑った。
『いい切り札だね。本物には遠く及ばないけど……その炎ぶつけるだけで大抵のやつは殺せるだろうさ』
「あんたも殺せるのか?」
『ははは…………調子になるなよ餓鬼が』
サリエルが鎌を大きく振り下ろした瞬間、地面が割れ衝撃と土煙りのような物に吹き飛ばされそうになる。足を踏ん張ってそれに耐え、後ろにいる澪に怪我がないかを確認するために後ろを振り向いた瞬間、冷たい刃物が首にあたった。
『それで僕に勝つ気だったのか?指一本動かすな。僕の質問にだけ答えていればいい』
背後から聞こえてくる不機嫌を隠さない声と、少しずれただけで首に食い込み痛みが走る鎌に冷や汗が出た。澪の悲鳴も聞こえ、今自分が置かれている状況を理解する。でもこんな事で止まるわけにはいかない。炎を放射しようと手に力を込めた瞬間、腕に激痛が走り蹲った背中と足にも同時に痛みが走りうめき声が出る。
『お前、随分知能の低い猿のようだ。お前の言語に合わせてやっても意味が理解できないか?次は首をはねるぞ』
「俺のこと、生かしたいんじゃないのか?殺していいのかよ……っうぐ」
『黙れ。二度目はないぞ』
さらに首に鎌が食い込み、痛みに表情がゆがむのがわかる。抵抗する意思を手放せば鎌が首から離れ視線をずらすことであまりにも鋭利な鎌を視界にとらえることができた。進藤さんと澪が見守る中、サリエルという天使は抑揚のない淡々とした声で質問をぶつけてくる。
『お前、今この状況をどう見ている?イルミナティへの協力は何を思ってしている?』
「どっちにも、着く気なんかねえよ……中谷を返せ。お前らが天界に連れて行ったことは知ってるんだよ!」
『ナカタニ……ああ、ラファエルが寵愛している餓鬼か。そいつの行方を知ってどうする?』
「決まってんだよ。連れ戻すんだよ」
『何から?』
「お前らからだ!」
サリエルは大きく笑い、手に持っている鎌をゆらゆら揺らす。
『なら、もっと頑張らないとねえ。ここのゲートは通してやれないよ。なにがあってもな』
くそっ!どうすりゃいいんだよ。指一本でも動かせば冷たい鎌が喉元に触れる。このままじゃジリ貧だ。
その時悲鳴が聞こえ、ルーカスが剣を持った男にとどめをさしている姿が見えた。その姿は返り血を浴び、ルーカスの赤茶の髪を汚している。
殺した……リヒト以外全員……
恐怖で泣きじゃくる澪も無表情でこっちを見ている進藤さんも、殺気を隠さないルーカスも、何もかもぐちゃぐちゃだ。向こうでは派手な音を立ててパイモンたちが天使と戦っている。お互いが全滅するまで終われないんだ。
手を強く握った俺に反応するように鎌が首に当たる。でもこいつは本当は俺を殺す気なんかないんだろうな。ただ脅すだけだったんだろ?まだ俺はお前らにとって利用価値があるもんな。
首に切り傷ができるのも気にせず振り返ったけれど、鎌が首を切断することはなかった。サリエルは表情を崩し、忌々しそうに俺を睨みつけた。
『……傲慢で自分の価値を理解してる ― 気に食わねえんだよ。お前みたいなやつ』
「まだ俺に価値があるってことだろ。お前は俺を殺せない」
舌打ちをして鎌を握りなおしたサリエルに戦う気はなさそうだ。こいつらの目的が何かは知らない。けど、まだ俺はこいつらにとっては利用価値があり、殺す対象にはなってないってことだ。なら、好きに動ける。
サタナエルの炎を思い切りサリエルに向かって放射する。これで黒こげになっちまえ!!
「……って、やっぱ無理なんだよなあ」
『まあいいさ。とりあえず、あっちの試合でも観戦したら?お前は弱くてやる気も失せた』
なんだとこいつ!?
もう一度サタナエルの炎を出そうとした矢先、ルーカスが攻撃を仕掛けるも簡単に防がれ吹き飛ばされてしまった。
「ルーカス!」
先ほどまで冷静だったルーカスの目は血走っており、歯を食いしばりながらサリエルを睨みつけている。そんなルーカスにサリエルは何かを話しかけるけど、英語でもないその言葉を俺は理解ができない。
『(お前のこと知ってるよ。なんの嫌がらせでイルミナティに入ったのかは知らないが、お前に出来ることは何もないよ。あの日も、今もな……)』
「サリエル……!」
ルーカスが声を荒げた瞬間、目の前を何かが横切りルーカスの足に突き刺さる。痛みにうめく声が聞こえ、確認するために動かした視線の先には震える弓を構えたリヒトがいた。そんなリヒトを見逃すはずのない人物が指を動かすと、土の槍がリヒトの腹部に命中し、涙を流しながらリヒトは痛みで蹲った。
「進藤さん……」
「馬鹿な子ね。本当に。黙ってたら、生きて帰れたかもしれないのにね」
殺してやると思っていた。憎いと思っていた。でも、直哉と同じくらいの子供が痛みと恐怖に震えて泣いている。ルーカスの足を矢で打ち抜いた。許されるわけないのに、なのにどうして……!!
気づいたら立ち上がってリヒトの前に立っていた。リヒトは痛みに震えて泣いている。腹部からにじみ出た血が服を汚していく。
泣いているリヒトの前に膝を着くと、それまでの態度が一変し、ナイフを構えてきた。でもそのナイフが届くはずもなく、一瞬で炭になったナイフにリヒトは目を丸くした。
「無理だよ。そんなの、俺にはきかない」
日本語がわかるわけでもなく、リヒトはただ表情を崩し掴みかかってきた。今この手を握り返せば一瞬で燃やすこともできるんだろうなと頭で考えたけど、当然そんなことをする気は起らなかった。ルーカスには進藤さんが駆け付けて様子を見ている。
澪のことも心配なのに、なんなんだろうな本当に。小さい子供に泣きながら掴みかかられて、あやすこともできず、この原因を作ったのは自分たちなのだ。本当に因果応報ってあるんだな。
「(どうして、俺から全部持っていく……なんでまた、俺を一人にするんだよ!!何もないんだよ、なんで俺から全部奪うんだよ!!あんたも、あいつも!!!)」
気づいたらリヒトを強く抱きしめていた。サタナエルの炎は消え失せて背に回した俺の手はリヒトを傷つけない。泣きじゃくるリヒトに何かを与えることもできず、俺達はきっと平行線のままなんだ。
「ごめん。きっと、俺が君を不幸にしたんだな」
「(死ね、死ね……死ね!!お前らみんな死んじまえ!!)」
悪いことを言われているんだろうなということだけは分かる。でも、それ以外は何もわからない。どうすればよかったんだろうな。どうすれば、この子を救うことができたんだろうな。こんな道に進ませることなく、幸せにできたんだろうな。
そう思っていたのに急にリヒトに突き飛ばされて尻もちをつく。サリエルから受けた傷の痛みですぐに起き上がれない俺に矢を持ったリヒトが近づいてくる。
「(……死ねよ)」
涙を流して矢を俺の脳天めがけて振り下ろすリヒトにサタナエルの力を使うことなんてできず、目を瞑った瞬間に爆発音が響き、目の前には吹き飛ばされているリヒトがいた。
「リヒト!?」
何が起こったか分からずに背中の痛みなんて構っていられずにリヒトを抱き上げる。ヒューヒューと浅く息をするリヒトは俺が見たって分かる。もう助かりはしない。なんで、誰がこんなことを……!
でもこの力を持つ悪魔は俺の知っている悪魔で、でもそいつは日本にいて……じゃあ、この力は。
「やっぱり、あんたヴアルの力を使えるようになってたんじゃない。出し惜しみしてたってわけ澪ちゃん」
恐る恐る振り返った先には泣き崩れている澪がいた。澪が、リヒトを……
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」
ガタガタと震えている澪を励ますこともできず、サリエルは黙って俺達を眺めていた。俺はついに澪まで人殺しの世界に足を踏み込ませてしまったのだ。
「(リヒト)」
シャビエルが俺からリヒトを抱き上げ、その額にキスをする。
「(殉教しなさい。貴方は、私の腕の中で愛を与えられて死ぬのだ。貴方は、幸せな子だ)」
「(……俺、姉ちゃんと母ちゃんのとこに行けるの?沢山悪いことした。俺、救われる?)」
何もできない俺を無視してシャビエルに泣いてすがりつくリヒトの頭を撫でてシャビエルは頷く。それに笑みを浮かべたリヒトはシャビエルの胸に顔をうずめた。
「(俺、次産まれるときは、普通の家が、いいなあ。ご飯沢山食べれて、学校行って、母ちゃんと父ちゃんがいて、姉ちゃんがいる家……贅沢な、願い、なのかな……)」
リヒトの腕がだらんと下がり、呼吸が一瞬止まった。シャビエルの目が伏せられ、空気が震えているのを感じる。シャビエルはリヒトをゆっくりと床に寝かせて、こちらを振り返る。その目からは涙が流れ、強く握られた拳は怒りで震えている。
「(この子は救いを求めていた。わかるか?この世界は平等じゃない。君のように太陽に愛された世界に生きている人間もいれば、本に出てくるような惨めな生活を送る人間もいる。ここまで世界は傲慢で、醜く、汚れていることをお前は知りもしない。お前が私たちのする事を否ということは、リヒトのように幼い子供が全てを失って憎しみに走る世界を是と言うことだ。お前はメシアではない!!)」
シャビエルが大声を出した瞬間に突風が襲い掛かり、吹き飛ばされた俺はルーカスにキャッチされてなんとか事なきを得た。シャビエルは怒りに狂った目でサリエルに視線を向ける。
「(私に宿りなさい。彼を殺します)」
「(……依り代とはいえそれは無理な相談だ。あんたの肉体が耐えられない)」
「(貴方は直接彼に手を下せないのでしょう。ならば私がやります。リヒトがかなえられなかった望みをかなえるために、全ての人間が平等に幸せになる世界のために、こいつは殺さなければならない!)」
サリエルは何を思ったのかため息をついて急に日本語で話し出す。
『……これでお前が死ねば、バティンの予言通り、か。面白くないね。ただ、リヒトはここで死ぬべき人間ではなかった。僕もさすがに彼の生い立ちには同情してるんだ』
「俺には同情してくれないんだお前」
『拓也、お前に同情とかするわけないだろう?お前はこいつらのメシアになるはずの存在だったはずなのに。なあ拓也、僕は別に君の考えを否定するわけじゃない。まだ幼い君は審判から周りの人間を救う術さえあればいいと思っているんだろう』
それは図星だった。だって、世界の顔も名前も知らない人間のために戦えるかと言われたら、声を大にしてはい。なんてことは俺は絶対に言えないからだ。でも、だから、俺は契約者を救えないのかもしれない。
『綺麗ごとをいう気はない。ただお前はリヒトを見て何を思ったんだ?あの子を見て同情したのであれば、お前は今生きているこの世界に矛盾は感じないのか?口では世界平和なんて大義名分を唱えているのにリヒトのような子供は世界に億単位で存在する。親兄弟に棄てられて一人で生きている子供なんて腐るほどいるんだ。そしてその世界はきっとこれから先も変わらない。変えることなんてできない』
その問いに答えることはできない。リヒトに同情しないわけがないだろう。だってまだあんなに小さいんだ。直哉と同い年くらいなら小学生だぞ。そんな幼い子が家族みんな死んで一人ぼっちになったなんてかわいそうに思わないわけないだろう。でもそれを、誰も救わなかった。
そうだ、誰も、リヒトを救わなかった。俺は、こんな傷だらけになってリヒトを見殺しにした奴らを審判から救いたいのか?そんな訳ない。死んじまえとすら思う。
『拓也、君が最後の審判をどう想像しているかは想定しているよ。人類が滅亡すると思ってるんだろう。まあ大部分はそうだけど、正確には違う。滅亡はしない。神を信じる純粋な心の人間がみな平等に過ごす世界からやり直すのさ。まあ要はアーミッシュみたいなもんだ。それも、君は否定するのかい?』
その質問に今までの色々な感情が押し寄せて、答えにもなってないことを大声で荒げてしまった。
「わかんねえよ。こんなの分かる訳ないだろ!?ふざけんなよ!リヒトをここまで追い詰めた奴らなんかぼこぼこにしてえよ!!でも、できねえんだよ。できねえんだから仕方ねえだろ!?矛盾しか感じねえよ!!幸せになってほしいのに、なんでこんなことになっちまったのか……俺は確かにまだ子供で、世界の人たちなんか知らなくて、契約者を見ていつだって矛盾を感じてたよ!!なんで苦しんでいる人たちが悪魔と契約して、苦しめてる奴らはのうのうとしてんだよって思ってるよ!だけど、しょうがねえだろ!?俺はそれでも、大切な人たちがいるんだから!その人たちに幸せになってほしいんだから!!俺が守れるものなんてたかが知れてるんだよ!全部守れる訳ねえだろ!?」
その返事にサリエルはため息をついて鎌を握った。
『やっぱりお前は、メシアにはなれないね』
サリエルはその言葉を残して姿を消してしまった。でもシャビエルの空気が変わり、冷たい殺気をひしひしと感じる。
「この怪我で、二回戦か。気をつけろ拓也、シャビエルがサリエルを体の中に取り込んだ。お前にはもうできない芸当だな。ウリエルをお前もよべればいいんだけどな」
軽い冗談のように言ってるけど、実際それを笑って返す余裕はない。体中は痛いし泣いて目はヒリヒリするし、なんでまだ戦わなくちゃいけないんだろう。なんで俺たち戦ってるんだろうな。あんな小さい子を殺してまで、俺達がしないといけないことっていったい何なんだ?
「ルーカス……お前平気なの?なあ、辛くないの?リヒト死んだんだよ。俺達が殺したんだよ。お前分かってる?子供殺してんだよ俺達!なあ!!」
「大人が死ぬのは良くて子供が死ぬのは駄目なのか?」
ヒュッと呼吸が一瞬できなくなった。
「誰が死んだって同じだ。ただ、お前みたいに泣いて悲しむ奴がいるだけリヒトは最後幸せだろ。お前さっきも言ったな。自分に守れる人間なんてたかが知れてるって。俺も同じだ。俺に守れる人間なんて一握りだ。だからだ」
サバイバルナイフを握りルーカスは立ち上がる。逃げずにシャビエルと対峙するルーカスの背中を見て、どうしてここまでまっすぐ戦えるのかと尊敬すら抱いてしまう。
「俺の大事な奴を傷つけようとするこいつらは生かしては置けない。道徳も人権も、そんなのくそったれだ。それを言うならな、リヒトみたいな子供をこんな前線に送り込んだこいつらが一番クソだ。ヴァチカンで大事にしときゃ良かったのに、愛だのなんだの言って戦わせてるんだ。とんだ詐欺師だろうがよ。俺は同情はしない。ただ、幼い子供をこんな前線に追い込んで結果殺すところまでもっていった目の前のきれいごと並べるおっさんをぶっ殺してえんだよ」
戦えないならそこにいろ ― 冷たくそう告げられてルーカスは歩いて行ってしまう。澪は未だに謝罪を繰り返して泣いている。ヴアルの力に目覚めてるなんて知りもしなかった。俺は、今まで本当に何をしてきたんだろうな。
「池上君、私って結構感受性豊かな子供だったのよ。それこそテレビでホラー番組見たら一週間は家の中を一人で動けなかったくらい」
「進藤、さん?」
「初めて小学校四年生の時にね、パパが家でつけてたドキュメンタリー見てびっくりしたの覚えてる。私と同い年の子が売春しながら生きてるの。一回の行為で百五十円だって。ふざけてるよね。私のお小遣いより少ないのよ。パパに聞いたわ。この子の親はどうしているの?って。パパはこういった。世の中は貧富の差があって、この子は貧しい世界に生きてるって。すごいよね。外野ってそれだけで片づけちゃうのよ。ビックリしちゃった」
進藤さんはケタケタ笑ってる。相変わらず感情が読み取れない表情で。
「その時に思ったの。この世界は一度洗濯したほうがいいって。ぜーんぶ洗い流して綺麗にしなきゃ、あの女の子、幸せにならないんじゃない?って。でもさ、エクソシストのやり方は気に食わないよね。結局自分たちの奴隷のみ生きさせるの。そうじゃないわ。悪い奴らをぜーんぶ殺せばいいの。大人も子供も。それがきっと一番きれいな世界になるんだわ。だから、世界は一度、壊れるべきなの。私たちイルミナティによってね」
何が正しいのかわからない。何を信じればいいのかわからない。俺はこの二人のようにきっと強い決意みたいなものがない。助けてもらいながら、導いてもらいながら来たんだ。この二人のように自分の意志でイルミナティに入ったわけでもないし、悪魔と契約したわけでもない。だから、俺はすぐに立ち止まるし、ふさぎ込んでしまう。
もう、何もする気も起きないよ。俺はただ、立ち上がることもできずにルーカスと進藤さんの背中を見つめるしかできないんだ。