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第74話 聖地つぶし 1

 怒りなのか恐怖なのか分からない。震える腕に力を入れて深呼吸を繰り返す。修学旅行から帰ってきて、どうやって家族に接していたのかが良くわからない。上手く笑えていたのかも……


 澪が来ていないマンションで旅行中の一連の状況の説明を受けたパイモンとストラスが眉間にしわを寄せて話を聞いていた。


 室内にいるのは俺とパイモン、ストラス、ヴアル、シトリーだけだ。



 74 聖地つぶし1



 『そのような大胆な行動をバティンが?結局澪はどうされたのですか?』

 「教えてくれないんだ。いや、教えてはくれたんだけど話しただけだって。それ以外は何もないっていうんだ。ヴアルは何も聞いてないのか?」


 ヴアルも首を横に振ってしまえばお手上げだ。アスモデウスも何も知らないって言っていた。でもあのバティンのことだ、ただ話すだけで終わるはずがない。もし澪が操られてるってなったらどうするんだ。


 うなだれた俺の横で苛立ちを抑えられないシトリーが八つ当たりするように強い口調で口を開く。


 「冗談じゃねえぞ。ここまでコケにされて奴らとそれでも協力関係だのなんだの築かねえといけねえのか。光太郎が俺の能力に目覚めてる。対人に関しては俺の能力は使い勝手がいい。光太郎まで狙われちまう」

 『落ち着いてください。今はまだ彼らを敵に回すわけにはいかないのです』


 そうだけど、そうだけどさあ!そんなんで納得できるわけないだろ!?いつまでこんな状態が続くんだよ。もう疲れたよ……

 セーレもシトリーも精いっぱい守ってくれたと思う。でもそれ以上の奴らを仲間に引き入れている。どうすればいいっていうんだよ……


 「正直手詰まりです。事態をひっくり返すには打開する物が足りなさすぎる。澪の件についても考えておきます」

 「考えるばっかりで何も解決してくれないじゃないか」


 ついポツリとつぶやいた俺の頭をストラスが羽毛ではたく。痛くはないけど、口から出てしまった気まずさが全身を襲う。


 「……ごめんパイモン」

 「気にしていません。仰る通りですので。とりあえず私たちに任せてください。澪のことはヴアル、頼んだぞ。精神面はお前が支えてやれ」


 澪はどうして俺に頼ってくれないんだろう。俺が頼りないからなのか?こんなうじうじ悩むだけで解決する力がないからだろうか。多分全部なんだろうな。

 漏れたため息にパイモンが一瞬だけ視線を向けてすぐに戻す。


 「主、進藤佐奈からの連絡はないのですか?奴らの言う聖地つぶし。恐らくそろそろと思いますが」

 「まだそういうのは……」


 そういえば確かに言われてなかったな。でも進藤さんは近いうちに聖地つぶしをするとは言っていた。もう来るのか?


 ***


 なんでこんなことになったんだ。縮こまった俺を目の前にいる進藤佐奈はくすくす笑っている。半ば誘拐されるかのように学校帰りに進藤さんに連れてこられて、良くわからない内に悪魔たちに囲まれた。


 俺を囲んでいる悪魔は三人。アガレスとキメジェスはわかる。あともう一人は誰だ?身構えた俺に進藤さんは攻撃する意思がないことを証明するように両手をひらひらと振って見せた。


 「池上君、紹介するね。今度聖地つぶしをするメンバーなの。アガレスとキメジェスは知ってるでしょ?彼はムルムル。イルミナティに協力してくれているの」


 ゲームで見たことがあるグリフォンってやつだ。それに乗っている鎧を着た悪魔がムルムルってやつなのか。ニュージーランドでも進藤さんの口から出てきた悪魔だ。


 ムルムルは会釈し、鼻息を荒くするグリフォンをいさめるように頭を撫でた。


 『貴殿が指輪の継承者か。我が名はムルムル。その御力、是非とも我らにお貸ししてほしい』


 随分と低姿勢で話しかけてくれる奴だな。キメジェスは面白くなさそうに、これまた見たことない獣に頬杖をついて見ているだけだ。


 ムルムルの自己紹介が終わって進藤さんの隣に立っていたアガレスが口を開く。


 『さて、自己紹介はこれくらいでいいだろう。聖地潰しについてだ。三月の初旬、ちょうど一週間後、スペインに向かう。悪いが戦えないメンツを連れてこられても困る。悪魔はこちらで指定させてもらうよ。アスモデウス、パイモン、ヴォラク。この三人だけにしてほしい』

 「なんであんたが決めるんだよ」

 『合理的に考えてだ。ヴアルの爆発は魅力的だが若干火力不足。シトリーも本来は諜報活動がメインだろう?今回は荷が重い。セーレとストラスは非戦闘員だ。上記の三名が相応しいとの判断だ。まだ不安があるのならばもう一人くらいまでならばこちらから出すが』


 セーレが来ないってことが気に食わないのかキメジェスがわかりやすく不機嫌を露にして舌打ちをする。その音に反応して肩を震わせた俺を庇うようにムルムルがキメジェスに口を開く。


 『貴殿のその態度、何とかならんのか。我らは今共闘しているのだぞ。場を乱す行動は慎みたまえ』

 『うっせえなあ。別にいいだろ。共闘はちゃんとするよ。でも気に食わねえ相手に媚びを売る気はない』

 「ごめんね池上君。キメジェスったらセーレのこと大好きだから取られちゃって悔しいのよ。可愛いよね」

 『馬鹿にすんなっつーの佐奈。おい、てめえがどんな手使ったかは知らねえけど、セーレの優しさに付け込んだのは間違いねえ。ぜってえてめえからセーレは返してもらうからな』


 セーレは物じゃないし、お前だってセーレに依存してるもんじゃないか。あまりの言い草に俺も口をグッと結んだもんだから、キメジェスとの間で火花が散る。流石にこの状況が長く続いても面倒だと思ったのか、アガレスが進藤さんを連れて一歩後ろに下がる。


 『喧嘩をするのは構わんが、私と佐奈は帰らせてもらうよ。では継承者、来週の金曜日の日本時間二十時にサンティアゴ・デ・コンポステーラのモンテ・デル・ゴゾ(歓喜の丘)においで』


 は?ちょ、この状態の俺を置いてくのかよ!?勝手に誘拐しておいて、どこかも場所がわからないのに置いていかれても困る!連れて帰れと訴えればアガレスは首を傾げ、キメジェスと話があるのではないのか?と的外れなことを言ってくる。こんな奴と話なんてねえよ!絶対話通じないし!


 首を横に振れば、ならば一緒に帰るかとアガレスは呑気に告げる。最初からそうしろってんだ。


 アガレスの描いた魔法陣の中に入り、進藤さんと目が合う。


 「意外。もっと怖がるかと思ってたけど」


 怖いに決まってるだろ。何言ってるんだ。

 その思いを込めてに睨みつければ進藤さんはクスリと笑った。


 「天使、沢山殺そうね」

 「……頭おかしいよあんた」

 「今頃気づいたの?」


 いや、知ってた。

 光に包まれて、あまりの眩しさに目を細めたら気づけばマンションの前にいた。周辺に人はおらずアガレスの姿も見当たらない。


 「じゃあね、池上君」


 進藤さんはそれだけ告げて背を向ける。マンションに飛ばされたってことは俺にこのまま相談に行けってことだよな。でも進藤さんがいなくなって悪魔から解放されたことで一気に体の力が抜けてその場に座り込んでしまった。どうやら俺が思っていた以上に体は悲鳴をあげていたみたいだ。


 「……格好わりい」


 両手で口元と鼻を覆い深く息を吐く。正直かなり怖かった。悪魔三匹に囲まれて多分それぞれ戦闘に特化した悪魔で、絶対に俺一人では敵いようもない奴らばっかりで……生きた心地がしなかった。


 「拓也ったら玄関でどうしたの?」

 「寒くねーの?んなとこ座っちゃってさ」


 二人でお菓子でも買いに行っていたのかヴアルとヴォラクが俺を見つけて近くに歩いてくる。


 腕を引かれてやっと足に力が入った。ヴォラクに支えてもらうとか情けない。


 みんなに伝えないと。特にヴォラクには一番に。ヴォラクの手を握り返した俺に本人はきょとんとした顔で見上げてくる。


 「聖地つぶし、来週で決まった。ヴォラク、絶対に中谷に繋がる情報を手に入れよう」


 ヴォラクとヴアルの目が丸くなる。怖いけど、やっとここまできた。聖地に赴けば、管轄している天使に会えば、中谷のことが分かるかもしれない。もうそれだけのために協力するようなもんだ。絶対に、中谷を連れ戻す。


 ヴォラクは真剣な表情で口元に弧を描く。


 「任せちゃってよ。天使も悪魔も全部ぶっとばしてやる」

 「頼りにしてるぜ」


 ヴォラクに手を引かれてマンションに向かう。あいつらの言うこと聞くのは悔しいけど、確かに今回は契約者を探したりするわけでもないし、シトリーは無理に連れて行かなくてもいいだろうな。アスモデウスを連れて行くのなら澪を守ってほしいしヴアルだって残る必要がある。少し不安だけどストラスも。あいつに直哉を見てもらわないと。


 俺とヴォラクとパイモンとアスモデウス、四人であいつらに合流する。


 玄関を開けてヴアルとヴォラクがどかどか入っていき、リビングに通される。俺たち三人の緊張した面持ちにその場にいたアスモデウス、パイモン、シトリーは怪訝そうに眉を寄せた。


 「どこのコンビニ行ったら、そんな殺気立って帰ってくる事件が起こんだよ」

 「聖地つぶし、来週で決まったって。詳しくは拓也に聞いて」


 茶化したシトリーを軽く流してヴォラクがソファに腰掛ける。三人は一斉に俺に視線を寄越して説明を求めてくる。


 「進藤さんから連絡来たよ。来週の金曜日の日本時間二十時にスペインのモンテ・デル・ゴゾだったかな?そこに来てくれって」

 「そうですか」


 パイモンは淡々としているけど、表情が若干こわばっているように感じる。ピリッと空気が固まったような感覚を感じて思わず息をのんでしまう。ほかにも言うことはあったから深呼吸して残りの情報を伝える。


 「向こうはアガレスとキメジェスとムルムルって奴が行くらしいんだ。向こうから悪魔は指定されてパイモンとヴォラクとアスモデウスの三人が来いって」

 「まあ、妥当な人選ってやつ?俺を入れてるのは見る目あるね」


 ヴォラクはふふんと得意げだ。パイモンとアスモデウスも納得したんだろうな。お互いに視線を向けて頷いた。


 「わかりました。貴方と離れている間、セーレとストラスには行動は控えてもらいましょう。しかし澪は連れていく必要が出てきますが」


 え、澪行かなきゃいけないのか!?確かにアスモデウスの契約者は澪だし、スペインは悪魔が契約者と離れて行動するには距離的にアウトだけど……でも契約石の中にあるエネルギーを使えば何とかなるんじゃないのか!?


 「で、でも契約石使えば……」

 「無理だと思うな。相手が天使ってなると簡単にはいかないと思う」


 アスモデウスも澪が来ること自体は快く思ってないんだろう。苦い表情で自分にも言い聞かせるように呟く。澪には来てほしくない、でもアスモデウスにはどうしても来てほしい。何か他に方法はないのか?やっぱりアスモデウスが俺と契約するのが一番いい方法なんじゃ……澪を守りたいくせに危ないところに連れて行くなんて本末転倒じゃないか。


 「やっぱり、アスモデウスは俺と契約したほうが良かったんじゃないか?澪を連れて行くなんて……」

 「それはそうですが、もう相手にも澪がサラの子孫だということは知られています。今契約を破棄したとしても澪が狙われる可能性がなくなるわけではないかと」


 そりゃ、そうだけど……

 黙ってしまった俺のせいで室内に気まずい空気が流れて嫌な雰囲気だ。でもその状況で今まで何も言わなかったシトリーが顔をあげた。


 「俺も参戦すんなって言われてんのか?エクソシストとか対人なら俺が一番被害少なく解決できんだろ。向こうの面子で感情操作できる奴いねえだろ」

 「そんなの多分関係ないんだよ。イルミナティはエクソシスト協会と対立してる。わざわざ助けてあげようとか思ってないと思う」

 「……むしろ俺は邪魔ってことか?」


 シトリーはこっちに視線を向けながら話をする。多分、俺のこと心配なんだろうな。なんだかんだでシトリーはいい奴だから、いざってときは盾になってくれるつもりでいるんだ。


 「てか今回って人間いんの?天使だけじゃないの?」

 「いるだろうね。聖地は天使が降臨する場所。天使の使途は必ずいる。エクソシストが正直どこまで戦えるかは知らないけど、彼らも天使の力を一部使える人間がいると思う」

 「天使のお告げによる加護って奴か。面倒くさいなー。あいつら悪魔の能力に目覚めた人間も集めてんだろ?シトリーは来ないほうがいいんじゃない?光太郎、絶対に狙われると思うけど。側にいてあげなよ」

 「そりゃ分かってるけどよ」


 なんだかこっちでも揉めはじめて収拾つかなくなってきた。でもこの会話を聞いているとジワジワと実感が湧いてきて心臓が激しく動き出す。来週、天使たちの聖域に乗り込む。俺をこんな目に合わせた奴らを倒せる。でもみんなが話していた通り人間が出てきたらどうしよう。俺は絶対に殺せない。でも進藤さんは殺すって言ってた。


 とてつもない恐怖が襲い掛かって、でもみんなに心配かけたらいけないとは分かってるし、ばれない様に深く呼吸をする。


 「主、こんなことを言うのもなんですが、家族には今回告げていたほうがいいですね。勿論貴方を何があっても守るつもりでいます」


 もしかしたら死ぬかもしれないってことだよな。絶対に守り切れる自信がないって。今までそんなこと言われたことないのに、これが天使と戦うってことなのか?怖い、行きたくない、嫌だ、死にたくない、殺したくない。中谷を連れ戻したい、審判を止めたい。いろんな気持ちが溢れてきて、言ったらいけないと思っていた一言がポツリと口からこぼれた。


 「……怖い」


 ああ、出てしまった。じわじわと体を侵食するように恐怖が襲う。怖い怖い怖い!


 「パイモン、怖い。行きたくない。まだ、死にたくない」


 パイモンがソファから立ち上がって俺の前に膝をつく。何も言いはしないけど表情は困惑している。


 「どうしよう。ごめん、ごめん。怖いんだ、ダメなの分かってるけど怖い、行きたくない」


 ボロボロ涙まで溢れてきて、膝を抱えてしまう。情けない話だけど怖いんだ。今までと規模が違うような戦いに行かなきゃいけない。逃げたらいけないってわかっているのに怖くてたまらない。


 しゃくりあげて泣く俺にみんなの表情は見えない。でもいつもは厳しいパイモンが困ったようにこっちに来るんだから、普通じゃないことだけはわかる。


 「こんな時、あなたに気の利いた言葉をかけられない私はダメな奴ですね。何を言っても気休めにすらならないでしょうね。本来ならこんなこととは無縁に生きているはずだったのに」


 優しい口調に顔を上げると、やっぱりパイモンが眉を下げて困っている。

 鼻を鳴らして何とか涙を引っ込めようとする俺にパイモンは怒るわけでもなく淡々と告げる。


 「一週間、考えてください。それで行きたくないのならば、それでも構いません。どうせ私たちが行かなくても奴らが天使を抹殺する。世界に貴方の存在がばれても私とストラスとセーレは最後まで貴方のそばにいます」


 あのパイモンが逃げ道をくれるなんて今までなかったのに。本当にやばいことに首を突っ込んでいくんだな。最期を迎える前ってこんな気持ちなのかな?一人でいたくない、一瞬たりとも。誰かのそばにいたい。


 目をこすって息を大きく吸う。肺が笑うかのように呼吸が途切れ途切れだけど。


 「帰るよ。また、連絡する」

 「そうしてください。送りますか?」

 「ううん、いい。シトリー、光太郎には絶対に来させないで。澪には、そっちから伝えて。俺からはうまく言えない」

 「わかりました」

 「お、おい拓也……」


 シトリーが戸惑っているけど、言葉を遮って鞄を肩にかけて玄関を出た。外の冷たい空気が頭を冷やしていくように感じる。大きく息を吸い込んで真っすぐに前を見る。

 母さんたちにはどう伝えよう。死んじゃうかもしれないってことも、何もかも。


 「池上君」


 女の子特有の高い声が聞こえて振り返ると進藤さんがいた。どうしてここに。また俺を不愉快にさせるようなことでもいいに来たのか。


 でも進藤さんの耳にいつもつけられているはずのアガレスの契約石がない。進藤さんは一体何しに来たんだ?


 「少しだけ池上君のこと気になってね。アガレスいたら本音話せないでしょ?励ましてあげようと思って」

 「……いらねえよ」


 家の方向に体を向けて歩き出した俺の後を進藤さんがついてくる。会話もないまま一定の距離を保ったまま進藤さんはついてくる。


 「家までついてくんな」

 「一人になりたくないんじゃないの?うざくても私がいたほうが気が紛れるでしょ?」


 そもそもの原因はそっちのくせに。進藤さんは憎たらしかったと思ったらこんなに気を遣ってくるから憎みたいけど憎めない。振り回されてるのが悔しい。


 「進藤さんは、怖くないのか?」

 「あ、やっぱり怖いんだ」

 「当たり前だろ。死にたくないんだよ俺は。人だって、殺したくない」

 「多分、私の考え理解できないと思うよ。私も自分のことサイコだって思うもん」


 一応、自覚はあったんだな。人通りのいない住宅街で立ち止まって振り返った先には、戦いとは無縁な女子高生がそこにいた。

 進藤さんは相変わらず表情が読み取れない無機質な笑みを顔に張り付けている。それが一番嫌いなんだ。


 「俺は、進藤さんのこと嫌いだ。最低な奴のくせに急に優しくなる。突き放すくせに助言して助けてくる。矛盾ばっかりだ」

 「言ったでしょ?池上君のこと好きなんだって。好きな子はいじめたいの私」

 「性格腐ってんね」

 「言われなくても自覚してる」


 進藤さんはけらけら笑って、空を見上げる。何の変哲もない、雲が少しあるだけでいい天気だ。そういえば、こうやって進藤さんと二人で話す機会なんてなかったな。


 「大丈夫よ。私たちきっと負けない」


 なんでそう言い切れる。負けなくたって死んでしまうことはあるかもしれないのに。


 「なあ、進藤さんは怖くないのか?さっきの質問に答えてない」

 「怖いよ。でもね、仕方ないことじゃない。得体のしれない恐怖と高揚が体の中を駆け巡ってるの。でも私にはアガレスがいる。私はここでは絶対に死なない」

 「随分と信用してるんだな」

 「池上君だってそうでしょ?ストラスたちだって悪魔なのに、そんなの無視して仲良くやってる」


 何も答えない俺に進藤さんは隣に来て腕を引く。そのまま家の前まで歩き、手を離された。


 「池上君の気持ちわかるわ。殺される ― その恐怖とそれ以上に不安なのね。澪ちゃんがアスモデウスの物になって、シトリーが広瀬君を貴方から引き離しちゃう未来を想像してる。弟君だって、何かに狙われてるんでしょう?中谷君もいなくなっちゃったし、一人になっちゃうの怖いのね。でも私は貴方のそばにいるわ。辛い時だけ来ればいい。きっと貴方のこと、私なら全て理解してあげられる」


 嘘ばっかりだ。俺の本当の気持ちを知ってるならイルミナティに所属してこんな嫌がらせのようなことをしてこないだろう。口を一文字に結んで睨み付けても進藤さんは笑みを張り付けたままだ。本当にどこで間違えたらこんな性格になるんだろうな。


 進藤さんは笑って手を振って背中を向ける。そのまま黙っていればよかったのに、今までせき止められていた言葉が急に喉から出てきて、空を切った。


 「でも、俺はあんたのこと嫌いだ」


 振り返った進藤さんはやっぱり笑っていた。


 「私は貴方のこと好き」


 進藤さんが去っていった後に家に入る。母さんになんて言うか分からないまま頭を抱える。その時、洗面台から直哉の驚いたような声が聞こえて顔をのぞかせると、なぜか頭から水をかぶった直哉がいた。


 「お、おいどうしたんだよ直哉。どうやったらそんななるんだ?」


 直哉はこっちを見て目を丸くした後、恥ずかしそうに笑って頭を掻いた。


 「水道の蛇口に手が当たって顔にかかったんだ。俺、大輝にゲーム返してもらう予定だから行ってくるね!」


 直哉は濡れた髪の毛を軽くタオルで拭いただけの状態で慌てて脱衣所を走っていった。せめて髪を乾かしてから行けばいいのに。

 母さんは買い物に行ってるんだろう、誰もいない部屋に一人取り残されると、奥からストラスが顔をのぞかせた。


 『直哉は随分と慌てていましたが』

 「大輝君のところ行くんだってさ。良くわかんねえよ」


 ストラスには聖地潰しのことはまだ言ってないから知らないはずだ。ストラスなら何て言うかな?母さんと父さんに伝えろっていうかな?でも言ったら絶対に母さんたちは俺が行くのを許さないだろう。そんなんなら仕事だってやめて家族でどこかに逃げればいいとか言い出しそう。

 絶対に言えないよな。


 「ストラス、聖地つぶし、来週行くんだって」


 ストラスが明らかに動揺した。まだ片足になってから完全に慣れたとは言えないストラスは、尻もちをついてしまい、その場で見上げてくる。


 「行くのは俺と澪とパイモンとヴォラクとアスモデウス。あとは留守番しとけって」

 『私も行きます』

 「イルミナティの方が来るなってさ。向こうはアガレスとキメジェスとムルムルが来るみたいだ」

 『なぜ奴らの言うことを聞く必要があるのです。あなたと澪が行くと言うのに私がここにいていい筈がない!』


 確かになんで言うことを聞かなきゃいけないんだろうな。別に無視すればいいのに。でもストラスはきっと無茶をする。俺と澪の盾になって死んでしまうかもしれない。そんなの嫌だ、ストラスがいなくなったら多分もう耐えられない。こいつがいない世界なんて苦しいだけだ。


 「パイモンは母さんたちに今回は伝えておけって言ったんだ。多分絶対に守り切るって自信ないんだろうな。でも俺は言わなくていいと思ってる。言ったらきっと聖地潰しに行かせてもらえない」

 『それは……』

 「だからストラスに頼みがあるんだ」


 自分の部屋に行ってルーズリーフを取り出す。なんて書いたらいいか分かんないけど、どうしようかな。万が一が起こった場合は、本当に申し訳ないけど光太郎に直哉たちのことは頼むしかないのかもしれない。


 なんだろ、こういうの映画とかで見たことあるけど、自分がするってなると良くわからない。


 「遺書って書いたことないからわかんねえな」

 『……私にそれを渡せというのですか?』


 俺が死んだら、ストラスが渡してほしい。どこに置いているかは伝えておくつもりだ。帰ってこれたらそれでいいんだ。でも何を書いていいかわからず、とりあえず感謝の気持ち的なものを書いてみる。


 案外感謝の気持ちがあったんだなってくらいペンが進んであっという間に書きあがった。書いている途中で零れそうになった涙を飲み込んで折りたたむ。ストラスは複雑そうな顔で何も言わない。


 「もし、俺が向こうで死んだら渡してほしいんだ。俺も死ぬ気はないけど、もしかしたらがあったときに母さんたちが何も知らないのは辛いから」

 『私になんと辛いことを命じる主なのでしょうね』

 「ごめんな。ストラス、直哉のこと任せたよ。最後まで守ってあげて」


 ストラスは返事をせず俯いて隅っこで蹲ってしまった。でもなんでだろうな、怖いし苦しいけど、進藤さんのあの一言で救われたような気もするのは。負けないって言われた。あの言葉がどれほど心強かったか分からない。悔しいけど、俺はあの子に救われた。


 「俺は絶対に負けない」

 『拓也?』


 顔を上げたストラスに頑張って笑って見せる。


 「何が何でも生き延びてやる」


 ***


 日本とは違うカラッとした空気が覆い、日本よりもはるかに暖かそうだ。


 俺はパイモンとヴォラク、アスモデウス、澪とスペインに来ていた。まだ進藤さんたちの姿は見えない。周囲は観光客でにぎわっており、写真を撮っていたり手を組んで祈っている人がいたりと様々だ。


 「イースター近辺だしね。一般人は多いか。面倒な日を指定しやがって。しっかし嫌だなーここ。天使の臭いが強い。すぐには慣れないよ」


 ヴォラクが舌打ちをして周囲の観光客を睨みつけている。


 澪は所在なさげに視線をさまよわせ、アスモデウスの腕を握っている。修学旅行から澪の態度が若干余所余所しい気がする。バティンのせいかとも思ったけど、澪からそういった発言はない。悪魔に何かされたのなら報告をするはずなのに、それがないってなると原因は何なんだろう。俺は何か怒らせてしまったのかな?


 「澪、大丈夫?」


 問いかければ、澪は何かに気づいたように顔をあげてアスモデウスから離れて俺のそばに来る。やっぱり何か可笑しい気もするけど、具体的に言えないから何とも言えない。


 「怖いけど、平気。あの子、まだ来ないね」

 「そうだな。自分から指定しといて遅刻とかふざけてるわ」


 震えている澪の手を握ると、澪が小さく笑って握り返してくれた。そのまま五分程度待っていると、進藤さんたちがやってきた。アガレスたちも人間に化けることができるようだ。老人と黒人の少年と屈強なガタイの男性が目の前に来る。


 進藤さんとキメジェスの契約者で進藤さんとはツーマンセルで行動していた男性も今回一緒のようだ。ムルムルの契約者らしき人間はいない。


 「ごめんね、遅れちゃった」

 「どうも、池上拓也。キメジェスの契約者のルーカス・ブルスハウセンだ。ルーカスと呼んでくれ」

 「日本語上手でしょ?キメジェスってこう見えて色んな言語を話せるようにしてくれる能力あるんだって。彼の出身はルクセンブルクなのよ」



 この戦闘狂っぽい奴にそんな便利な能力ね。でもこんなペラペラ話せるようになるんだな。


 この男には痛い思いしかしてないけど、手を差し出されたら咄嗟に体が動き呑気に握手してしまう。でもこいつがキメジェスの契約者っていうのなら、やっぱりムルムルの契約者がいない。


 「ムルムルは……」

 「私の契約者はいない。私はネクロマンサーだ。魂を集めやすい能力なのでね」


 危険なことをサラッと言ったよな。魂食っちゃえば契約者の力なんかいらないしね。直接エネルギーをため込めるから好き勝手動けるわけだ。軽い自己紹介が終わって進藤さんたちが進行方向に指をさす。


 「今回の聖地はサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂。ここから五キロ先の市街地にある場所よ」


 は!?ここからそんな遠いのか!?一時間以上歩くじゃないか!

 でも驚いているのは俺と澪だけでパイモンたちは平然そうな顔をしている。いやいや、今から戦うのに歩いて体力使うわけにはいかないだろ!?


 「俺達にはわからないが、ここで既にかなり天使の影響力が出ている。ゲートと聖域に近いからだ。悪魔はかなり居心地悪いだろうな。一時間程度時間をおいたら慣れるはずだ」


 そういえばさっきヴォラクが言ってたな。天使の臭いがあるから慣れないとか。それと関係があるのかもしれない。体を慣らすためにもここから歩いて行くのがいいと言われ、全員で大聖堂に向かう。周囲には沢山歩いている人がいたり自転車に乗っていたりとみんな多分大聖堂を目指している。この人たちはどうするんだろうか、殺すとかないよな。


 もう後戻りできない。縫われたように動かない俺を澪が不安そうに見ている。でも先を歩く進藤さんとルーカスが振り返る。どうして、それだけで緊張が解けるような感覚がするんだよ。


 「大丈夫よ。言ったでしょ?私たち負けないわ」

 「俺たちは生き残る。絶対にな」


 それだけで縫い付けられたように動かなかった体が動く。どうして、こいつらの言うことに安心してしまうんだろう。同じ契約者だから?俺よりも頼りになるから?


 パイモンとヴォラクは何も言わない。動き出した俺を見て背中を向けて先を歩く。


 悔しいけど、進藤さんたちの言うとおりだ。俺たちは負けないし生き残る。絶対に。


 今度こそ、ちゃんと前を向いて歩けた。



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