第73話 忍び寄る影
―直哉side
「兄ちゃんニュージーランド楽しいかなー」
『そうですね。何も連絡がないということは楽しんでいるのではないですか?』
人一人いないだけで家の中が随分広く感じる。でも前に兄ちゃんがいなくなった時に感じた息苦しさや寂しさは全くない。兄ちゃんが帰ってくるってことがわかってるからだ。ストラスと一緒にゲームをしながら母さんが夕ご飯を作ってくれるのを待つ。兄ちゃんが帰ってくるまであと二
73 忍び寄る影
切りのいいところまで行ったからセーブしてゲームの電源を切る。ゲームが終わってテレビに画面を戻したらタンザニアの殺人事件のニュースをやっていた。この間からこればっかりだ。イルミナティの予言とか色々、訳わからないことばっかり。
兄ちゃんは俺に何も教えてくれない。そりゃあ俺は兄ちゃんよりも年下だし聞いてもわからないかもしれないけど、この間の兄ちゃんの怯え方はおかしかった。どうしてあんなに魘されていたんだろう。
「ストラス、兄ちゃんは大丈夫かな」
『大丈夫、とは?』
「だって、この間すっごく魘されてたじゃん。父さんも母さんも泣いてたし」
『……そうですよね』
ストラスはそう言ったきり黙ってしまった。こんな状態になったストラスはきっと教えてくれない、今までがそうだったから。今は魘されてる感じはなさそうだし、もう大丈夫になったのかな?
ストラスがピョコピョコとリビングに歩いていき、一人部屋に残される。
“はぐらかされた?”
頭の中に聞こえてきた声に頷いて、膝を抱えて顔を埋める。最近聞こえるようになった誰か分からない人の声。最初は夢かと思ったし悪魔かと思ったら怖くて怖くてストラスに相談しようと思ってたんだけど、その頭の中に流れてくる声は敵対しないからストラスに教えるなって言ってくる。だからまだ言ってない。
なんで言うことを聞いてるのかって聞かれると ――
“タンザニアの事件をお前の兄貴は見てたんだ。助けられなかったから魘されてる”
― この声が真実を教えてくれるから。
俺の予想通りだった。やっぱりそうなんだ、兄ちゃんは助けようとして巻き込まれたんだ。いくら聞いてもストラスは教えてくれないけど、この声は俺に全てを教えてくれる。だから、ストラスには黙ってるんだ。この声は兄ちゃんのことをきちんと教えてくれるから。
「なんで君はそれを知ってるの?俺に教えてくれるの?」
“……言う必要ない”
「じゃあ君に会ってみたい」
“今度な”
いっつもこれだ。肝心なところははぐらかして教えてくれない。ムスッとしてしまった俺に相手からの声も聞こえなくなって静寂が部屋の中に訪れる。本当に誰なんだろう、この声は。俺の知っている人なのかな?相手は俺のこと知ってた。俺の気持ちとか考えていることとか全部。
すごく気になるんだ。もしかしたら兄ちゃんを助けることができるかもしれない。どうやったらこの人に会えるんだろう。
***
「拓哉、お腹壊してないといいけど。あと一時間くらいで成田に到着するかしら?」
金曜日、朝から母さんはルンルンで、父さんも心なしか嬉しそうに家を出て行った。理由は簡単だ。今日兄ちゃんが帰ってくるから。でも俺は正直には喜べなかった。
『母上、私は今日マンションに向かいます。夕飯までには戻ります』
ストラスが嬉しそうじゃない。何もなかったら兄ちゃんが帰ってくるの絶対に嬉しいはずなのに、なんだか焦っているような感じだ。
ストラスと母さんに見送られて小学校に向かう道を歩く。もうこの道もあと一か月で終わりだ。四月から俺も中学生だ。長かった小学校生活もあと一か月で終わりだ。歩きながら周囲に人がいないのを確認して、小さな声でぽつりとつぶやく。
「ストラスが嬉しそうじゃないのって何だと思う?」
“知らない。何かあったんだろうな”
「嘘だ。絶対知ってるよ。何でも知ってるだろ?」
“そんな何でも屋じゃねえよ”
いくら聞いても脳内に聞こえてくる返事は一緒だ。知らないなんて絶対ないと思うけど、教えてくれる気配はない。まあいいや、帰ってきた兄ちゃんの様子見て考えよう。はぐらかされるのがオチと思うけど、もしかしたら何か相談してくれるかも。
帰ってきたら兄ちゃんがいるってなんだか嬉しいな。お土産なんだろう。美味しいものがいいなー
「直哉君」
後ろから声をかけられて振り返ると見たことない男の人が立っていた。年は多分兄ちゃんと同じくらいで少なくとも俺よりは上だ。茶色い髪の毛に猫のような丸い大きな目、人好きするような顔立ち、制服の上にカーディガンを羽織った男は俺の知り合いではない。誰だろうこの人。兄ちゃんの知り合いかな?でもわざわざ俺に声をかけてくるほど?
怪訝そうな顔をした俺に、相手は少しだけ口を一文字に結び、何かを飲み込んだ後小さく笑った。
「俺のことわかんないよな。でもずっと会いたかった。やっと、お前に会っていいって言われたんだ」
なんとなく直感でわかる。声の感じからこの人ではないけど、多分この人は俺に話しかけてきていた人の仲間だ。危険な人じゃない。
「あんた誰?俺今から学校だよ。そっちもでしょ?」
多分、高校生くらいだと思うんだけど……向こうも学校だよな?あんまり長話すると遅刻してしまう。男の人は俺の言葉に目を瞬きし、頭を掻いて笑った。
「そっかそっか。じゃあ学校終わった後でいいよ。迎えに来てあげるから、一緒に行こう。話したいことがあるんだ」
流石にそれに簡単についていくほど馬鹿じゃない。首を横に振ると、男の人は懇願するように手を合わせてくる。でもダメだ。危険な人じゃないかもしれないけど、普通はついていかない。万が一だってあるわけだし、俺一人じゃ対処できない。
「ストラスと、えーっと……ヴォラクが一緒だったらいいよ」
「それはダメ!それはまだ駄目なんだ!直哉君お願い。俺の頼みを聞いて。君にも拓哉君にも関わることなんだ」
「だって信用できないし」
「はい、今日は直哉が体調を崩したのでお休みします。ご迷惑おかけします」
え!?誰がそんな嘘ついたんだよ!ていうかこれってずる休みになるんだよな!?
また後ろには見たことない人が立っている。多分この人の仲間だよな。声を聞いた限りではあの声ではないけど……でもなんだろう。俺、この人を知ってる。
青年は携帯を切って、こっちに近づいてくる。
「力づくで連れて来いよ。お前マジ必死じゃねえか」
「だって~お前みたいにできないって。力使われたらどうすんの」
「問題ねえよ。この様子だったらまだだな。ストラスとセーレだけだろうな。まあラウムはそろそろだが」
なんで、この人たちは何を言ってるんだ?ストラスとセーレって悪魔の能力のこと、だよな。実感はなかったけど、ラウムの能力にも……
ラウムのことを思い出して背筋が凍った。あの力、俺また使えるようになるの?また、嫌いな奴を嫌な目に合わせてしまうの?
「い、いやだ……ラウムの力なんかいらない。そんなの絶対にいらない!」
「いらないっつっても目覚めんだからしょうがねえだろ」
そんな簡単に言うな!大体なんだよお前ら。嫌がらせでもしに来たのかよ!勝手に学校も休ませて、人を不快にさせること言って、何がしたいんだよ!!
声を荒げた俺に、周囲の通行人も怪訝そうな顔でこっちを見てくる。さすがに分が悪くなったのか、あたふたして青年が目の前にしゃがみ込む。
「いや、助けられるんだ。今日はそれも含めて話しに来たから、だから行こう?」
俺の腕をつかんだ男の人を近くで見ていたスーツを着たおじさんが声をかけてくる。
「おい、さっきから見てたけど君たちはこの子とどんな関係があるんだ?警察を呼ぶぞ」
どんどん話が大きくなっていく。俺の腕をつかんでいた青年があたふた慌てて、もう一人は涼しげな表情を崩さない。でもおじさんのおかげで回りには人だかりができていく。これって俺もやばいんじゃないの?
「もう!お兄ちゃんのせいで目立っちゃうじゃんか!俺はまだ仲直りしない!」
突然の俺の大声に周囲の人も目の前の男の人もみんなが目を丸くする。唯一余裕を崩さなかったお兄ちゃんは噴き出して口元を手で押さえてるけど。
俺は腕を振りはらって逆につかんで歩き出す。もう仕方ないなあ。でも助けてくれるって言った。
なんでついて行ってもいいかって思ったかは、俺は多分この人のことを知ってるからだ。知ってるって言ったら語弊があるけど、なんだろう。パズルのピースがはまったような感覚がしたんだ。俺はこの人を待ってた気がする。
「俺、なんだろう。うまく言えないけど、あんたのこと知ってる気がする」
青年は何も答えなかったけど、美しい青色の髪の毛をひと房手に取っていじる。髪の毛の色とか、雰囲気とか多分この人悪魔なんだろうな。でも俺の言葉に青年は歯を見せて笑った。
お兄ちゃんの腕を引っ張って、指示された場所に向かう。雑居ビルの中の一角にそこはあった。
「入りたくない」
「いや、本当に大丈夫だから。いざというときは俺たちが何とかするから」
昼間だから光っていないけど、夜になるとネオンが輝くだろう文字で書かれた看板と、黒板みたいな板にはお勧めのお酒が書かれていた。これって居酒屋?バーっていうところなんだろうか。渋る俺にお兄ちゃんはまた手を合わせて懇願し、怪訝そうな顔の俺を残して扉を開ける。
「今日ってあいついんのかな」
「いない。仕事熱心で頭が下がるぜ」
「お前護衛しないの?」
「いらねえだろ。俺の力使えんだぞ。下手な悪魔よりクソつええわ」
あいつって誰だろう。でも多分あいつが俺に話しかけてきてた人だ。いないってことは会えないんだ。
中は誰も人がおらずに暗い室内が電気をつけたことによって若干明るくなる。でも光を取り込まないつくりなのか外とは比較にならないほど薄暗い。
青年が椅子を持ってきて、俺に座れと促した。おとなしく座った俺を確認してもう一人がドアを閉めて鍵をかける。弾かれた様に扉に視線を向けた俺に青年は大丈夫だという。
「大丈夫、俺本当に何もしないから。俺たちは君の敵には絶対にならない」
「意味わかんない。誰だよ」
「俺は、そうだね。名前は言えないけど……Dって呼んで。後ろの奴はソロモン七十二柱の一人のフォカロルっていうんだ」
ちょっと待って。フォカロルって……確か兄ちゃんを地獄に連れて行った!椅子から立ち上がって何も言えずに凝視する俺にフォカロルは面倒そうにため息をつく。
「あーどうせ池上拓也を地獄に送った奴って思ってんだろ?その話はもう忘れろ。俺も仕事だから仕方ねえんだよ。今はそんなことしてねえし」
「うるさい!お前らについていった俺が馬鹿だった。家に帰せよ!」
「お前、多分近い内にラウムの力に目覚めるぜ」
フォカロルの一言に罵倒を考えていた思考がストップする。ラウムの能力に目覚める……また、俺は知らずに人を殺してしまうんだろうか。フォカロルは空いているテーブルに腰掛け、腕を組む。
「知らずにまた他人を殺しちまうまで追い詰めるだろうな。ラウムの能力は使いこなせない間は対人間において最強最悪クラスの力だからな。お前が嫌った相手を不幸のどん底に陥れ最終的には自殺するまで追い詰める。精神とプライドの崩壊、それがあいつの力。この能力に目覚めたら世界各国の大統領も首相もお前が望めば一発で社会的地位を失脚するだろうな」
そんなの、万が一知らない間に目覚めてしまったとしたら……もう俺は誰ともかかわれない。だって嫌いな奴くらいいるよ。同じクラスでさえ嫌いな奴がいるのに、これからずっとおびえながら生きていくの?
「……いやだ」
「そうだろうな。お前が今ラウムの能力に目覚めるのは避けたい。多分、今目覚めたらお前シリアルキラー並みに知らない内に他人を殺すぞ。だから今日お前に接触した」
フォカロルは手に宝石できらきら光るアクセサリーを取り出した。俺、こういうの知ってる。ラウムとかストラスたちと契約したときに渡された契約石だ。
フォカロルは契約石の一部分を小さく砕き、かけらを手に持つ。
「これは俺の契約石であるアクアマリンだ。直哉、これを飲め。契約石を直接取り込んだってなったらラウムのエネルギーよりもはるかに早く俺のエネルギーに順応する。必然的に俺の能力が先に出てきて、ラウムの能力に目覚めるのはキャパ越えの今じゃ、すぐには出てこれなくなる。ただの時間稼ぎだが応急処置だ」
「直哉君、俺たちは君の味方だ。何があっても君だけは裏切らない。会ったばっかりだけど、俺たちを信じて。今はこうするしかエネルギーを打ち消せない」
これしか、ラウムの能力から逃げる方法がない。でも信じられるんだろうか。会ったばかりの奴を。アクアマリンはきらきら俺の手のひらで光っている。その輝きを見ているとストンと何かが落ちていき、なんでか不安が和らいだ。
契約石を口に持っていき、一気に飲み込む。せき込む俺にDが水を渡してくれて一気に流し込んだ。これで、大丈夫だろうか。
フォカロルは契約石を飲み込んだ俺に満足そうに笑っている。
「直哉、これでお前は近いうちに俺の能力に目覚める。俺の力は風と水を操ること。訓練さえすりゃお前は空だって飛べるし、津波や嵐だって起こすことができる」
なにそれ。漫画の世界みたいだ。いや、もう十分その領域なんだけど。実感がわかなくて、せわしなく視線を動かす俺にDがコップを片付けて戻ってくる。
「直哉君、今日俺たちに会ったこと、誰にも言ったら駄目だよ。お兄さんの拓也君には絶対に」
「どうして?俺の敵じゃないんだろ?それに、なんで兄ちゃんのこと知ってるんだよ。イルミナティってやつなのか?」
俺の問いかけにDは目を丸くして大げさすぎるほど手をぶんぶんと振った。
「あれと一緒にしないでよ!あれのせいで俺らもめちゃくちゃ苦労して……冷たい!」
フォカロルが指から水を出してDの顔に浴びせる。すげえ。この力確かに欲しいかも。水鉄砲代わりに使えそう。Dはタオルで顔を拭いてフォカロルを睨み付ける。
「とにかく、俺達イルミナティじゃないんだよ」
「じゃあなんで兄ちゃんに言えないんだよ。味方なら兄ちゃんに協力してよ」
「いやまあ、そうなんだけど……今はできないんだよ。直哉君、自覚ないかもだけどね、君狙われてるんだよ。イルミナティにもエクソシスト協会にも。ラウムの能力使えば組織の壊滅なんて簡単だからね」
俺が、狙われてる……?現実味が湧かなくて、理解もできなくて。でも狙われてるというワードが脳内に入り込んでくる。何も言うことができない俺にDは落ち着いて聞いてと言ってくる。そういうDも少し焦ってる気がするけど。
「イルミナティもエクソシストも池上拓也君の周辺の関係なんて網羅してるよ。一応君は人質として筆頭候補のはずだ。俺とフォカロルが君にラウムの能力を目覚めさせたくないのは二つの組織とも、その力を狙ってる。あれほど対人間で効果のある力って中々ないからな。あいつらは君がラウムの能力に目覚めたと分かった瞬間捕えに向かうと思う。だからフォカロルの能力でかき消す必要があった」
「どうしてフォカロル?」
「……そこは難しいけど、色々あるんだよ。とにかく俺たちはエクソシストにもイルミナティにもばれずに行動したい。拓也君に情報が伝わればイルミナティに俺たちのことがばれる可能性がある。今はまだ言えない。ごめんね直哉君、でもこれだけは守って。誰にも俺たちのことは言わないで。フォカロルの能力に目覚めたらすぐにここに来て。住所は紙に書いてあげるからナビでも何でも使って来てくれ」
Dの表情は真剣そのもので、誤魔化してはいけない空気がそこにはあった。頷いた俺にフォカロルは一瞬だけ怪訝そうな表情をしたが、もう一度頷けば納得してくれたのか何も言わなかった。
会話のなくなった空間で時間だけが過ぎていく。聞いてもいいんだろうか、兄ちゃんのこと。俺のこと。この人たちは知ってるのかもしれない。
「聞いてもいい?どうして助けてくれるの?」
その質問を聞いたDは眉を下げた。さっきまで饒舌に語っていた口は動かなくなり、代わりに黙っていたフォカロルが口を開いた。
「最後の審判を止めるために。って今は言っておく」
それは、そうかもしれないけど……でもその本心は別のところにありそうだ。だって、フォカロルは兄ちゃんを地獄に連れて行ったんだ。今更審判を止めたいなんて思うわけない。
「絶対嘘だ。だまされないよ」
「可愛くねえな。そうだな、審判も人類の滅亡もどうだっていいってのが本当だ。ただ、奴に頼まれた。それだけ。だから言うことを聞く」
その奴っていうのが俺に語りかけてきてた人のことなんだ。フォカロルもDもそれ以上答えてくれなくて、時間だけが過ぎていく。
いつの間にか時刻は昼になっており、今更学校に行くっていうのも無理そうだ。あきらめて鞄を机に置いてDに手を伸ばす。
「俺、お腹すいた。なんか頂戴」
「……おう、そうだよな!この部屋何かあるかなあ」
「ある訳ねえだろ。こんな場末のバーに。コンビニ行こうぜ」
結局食べられそうなものもなく、学校をさぼっている俺が出るわけにもいかずにフォカロルがコンビニに行って昼ご飯を買って来てくれた。
そのまま学校が終わる時間までバーで二人を話しながら過ごし、家に帰る時間になってバーを出る。結局、もう一人の人には会えなかった。でもこの人たちは俺の味方であるのは間違いなさそうだ。この場所は俺のこれからの隠れ家的なものになるかもしれない。
「途中までしか送れなくてごめんな。また来て」
手を振ってDと別れて帰路に就く。家の前について深呼吸する。兄ちゃんにもストラスにもばれたらいけない。表情を整えて玄関を開ける。
中からは笑い声が聞こえて久しぶりに聞く兄ちゃんの声に自然と顔が綻んだ。
「兄ちゃん!」
「んあ?おー直哉おかえり!いや、ただいま?久しぶりだなー」
兄ちゃんが椅子から立ち上がって俺を迎えてくれる。その隣には澪姉ちゃんもいる。
ストラスはまだ帰ってきてないらしく、家の中には俺達と母さんだけだ。俺にお土産を渡してくる兄ちゃんや澪姉ちゃんの表情をさりげなく観察するけど、二人に変なところはなさそうだ。
修学旅行は無事に終わったみたいだな。
「楽しかった?」
「ああ、楽しかったよ。でも何もなかったなー」
笑って答える兄ちゃんは普段通りだ。でも再び脳内に声が聞こえてくる。
“そんな訳ないだろ。あいつはお前に嘘をついている。”
兄ちゃんとこの声、どちらを信じるかと聞かれたら普通は兄ちゃんなんだろうけど、でも俺は違う。俺にはフォカロルやDやこの声が嘘を言っていると思えない。
兄ちゃんは嘘をついているんだ。俺も母さんにも気づかれないように。澪姉ちゃんが知ってるのかどうかはわからないけど。
でもそれを問いただすつもりはない。俺が言ったってはぐらかされるだけなのも分かってる。
「そっか。いいなー!」
なんで俺たち、気を遣いあってんだろ。前まではこんなことなかったのに……
何も教えてくれない兄ちゃんやストラスにも、気づかない母さんたちにも、兄ちゃんを巻き込む奴らも、何もかもがイライラしてしょうがない。そして何もできない自分にも。
あー良かった。こんな状態でラウムの能力に目覚めたらフォカロルたちの言う通り俺本当に沢山人を殺してしまうだろうな。
お土産を握りしめて笑顔を作る。兄ちゃんもそれを見て嬉しそうに笑う。
― その光景が酷く滑稽だ。