第49話 ノアの方舟
「今度は何があったの?」
トーマスの件が終わり、ゆっくりできたのも束の間。さっそく次の日にマンションに来いと言われて、学校終わりに光太郎と澪と向かう。
マンション内はかなり重い空気に覆われており、今から何か重要な話をするんだろうなって事だけは分かった。
49 ノアの方舟
『まあ、お座りなさい』
ストラスに促されてソファに腰掛けると、客をもてなすかのように手前にジュースが置かれる。なんだかフクロウに接待されるって微妙な気分だ。
ヴォラクとヴアルは少し離れたところに座っており、目の前に座っていたのはパイモンとシトリーだった。言いたいことは何となくわかる。今回アモン地獄に戻す前に起こった事件。世界中のメディアに放送されてしまったことだろう。勿論俺たちがこれから行動を起こすには不利になるし、今以上に慎重に動かなければ特定なんてすぐにされてしまうだろう。
まずアスモデウスがアモンとの戦いの詳細を細かく教えてくれた。その話を聞きながらやっぱりトーマスはアモンの能力を使っていたというのが分かった。アモンもアスモデウスに対し発火能力を使ってきたって言ってたから。どんどん契約者が悪魔の能力に目覚めているんだろう。アモンを倒せたとはいえ、トーマスが受け継いだ力は消えないとパイモンは言っている。逃げる代償が人間離れだなんてなんとも皮肉な話だ。
アモンの話は簡潔にまとめられて一旦おしまい。パイモンもそれに関しては特に何かを突っ込むわけでもなく、黙って聞いていた。
「やはり問題はシトリーの方の様だな」
光太郎が息を飲んだのが分かった。そう言えば変な男女二人組に遭遇したってメッセージが来てたな。その事と何か関係あるんだろうか?あの時はトーマスを助けることで精いっぱいで、全く光太郎の方に気を回すことができなかった。
シトリーは光太郎とヴォラクに視線を送る。一体なんなんだろう。
「お前らがアモンと契約者と戦ってる間に、俺達は黒の軍服に身を包んだ男女と戦闘になっていた。そいつらは自分たちの事を協会から派遣された悪魔祓い師と名乗っていた。アモンを捕まえに来たとは言ってたが、実際はどうなのか分かんねえ」
悪魔祓い師……メキシコでパイモンに聞いた話。そいつらが遂に表だって動きだしたのか?
そもそも今まで遭遇しなかったほうが可笑しいんだ。アモンが全世界に報道されてしまって、その協会って所が悪魔を倒す所なら動くのは当たり前だ。
「でも人間だったんだろ?やっぱり協力してもらった方が……」
「まあ人間だけど、ありゃ無理だろうね。話なんて通じない感じ」
ヴォラクの言葉に光太郎も難しい表情をして考え込んでしまった。でも相手だって人間なら悪魔の恐ろしさだって分かっているはずだ。協力さえ取り付けられたら悪魔探しや退治だってかなり楽になるはずなんじゃないのかな。
「言える事は人間だが悪魔の力を使ってるってことだ。俺たちが遭遇した奴らは悪魔メフィストフェレスとアスタロトの能力を使っていた。本物とは比較になんねえレベルだが……」
パイモンが言ってた。ノアの方舟って奴らがエクソシスト協会の切り札だって。多分シトリー達が言っているのはその事だろう。悪魔の力を使っていたって言うんなら、他の契約者と同じで悪魔の能力に目覚めてるってことだ。
何かを考えていたパイモンがシトリーに問いかける。
「メフィストフェレスとアスタロトのどんな能力を使っていた?」
「片方はメフィストフェレスの武器だ。どうやら先祖の一人が契約者だったようで、金属酸化の鞭を錬成してもらってたよ。もう一人はアスタロトの魔眼……こいつの方が厄介だろうな。何となくだが、奴らはアモンを捕まえに来たんじゃなくてよ、トーマスを探してるように俺は感じた」
「……同類を探していたと言う訳か」
どうやら自分たちと同じ悪魔の力を手に入れた人間を探していたと言うのがシトリーの見解だ。でも能力的には悪魔の足元に及ばないって言っているが、トーマスは正直下手な悪魔よりも強いのは確実だ。確かにあいつを手に入れられたら向こうは万々歳なのかもしれない。やっぱり、助けられて良かった……
実際に現場にいた光太郎と、話だけは聞いていた俺は分かるけど、澪はいまいち状況が理解できていないらしい。ヴアルに小さな声で色々質問しているようだった。
エクソシストが動いてくれたら、もう俺達が危険な事しなくたって悪魔を倒してくれるような気はするんだけどシトリーいわく、何かを探している感じがしたらしい。相手に傷は負わせたが、案外あっさり相手が引き下がったようだ。
「恐らく、奴らはこれから悪魔の能力に目覚めた人間を探し出す。女の方が光太郎に興味を示していた。少しの間だが、俺たちは行動を控えさせてもらうぜ。顔バレしちまったんだ。今動き回ったらお前らの足も引っ張っちまうしな」
「奴らがなぜ動き出したのか気になる……今の今まで沈黙を守っていたのになぜ」
「アモンのせいじゃないのか?教徒達からの批判が殺到してるって聞いたけど」
セーレの言うとおりだと思う。でもパイモンは何かを考え込んでしまった。
それだけじゃないのかな?他に何か理由があるのかな?室内を覆った沈黙を破いたのはアスモデウスだった。昨日のアモンとの戦いがよっぽど疲れたんだろう。一言告げて奥の部屋に引っ込んでしまった。
それを追いかけようとした澪をヴアルが止めた。いつもにこにこしているヴアルが笑みを浮かべずに澪を止めてるんだ。どうしたんだろう……
***
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― 地獄、ルシファーの塔。
水晶の間と呼ばれる部屋は、その名前のままではなくなってきていた。広い部屋の三分の二を覆っていたはずの水晶はその容積を確実に減らしていっていた。その様子を満足そうに眺めていたルシファーの横で、長い髪で目を隠した青年の姿をした悪魔が首をポキリと鳴らし、項垂れた。
『水晶は随分小さくなったな。もう半年もかからないんじゃないのか?俺たちが数万年苦労したのに、サタナエルの炎を使えばたった数か月か。やれやれ、やってられないね』
愚痴を零したベルゼバブを諌める事もなく、ルシファーは水晶をただ眺めていた。ベルゼバブの言うとおり、この調子ならば半年もかからずサタナエルは復活を遂げるだろう。それは地獄にいる悪魔ならば誰しもが願っていた事だ。
数万年賭けた願いが成就しようとしている。悪魔たちの歓喜の声が地獄内を覆い尽くしていた。
『ルシファー様、バティンからの報告ではアモンが……』
少し言いにくそうに発言したのはフードを被った青年ベルフェゴールだった。七十二柱の中でもトップクラスの悪魔アモンが殺されたとなれば、他の悪魔たちの動揺は必至だ。ベルフェゴールもこの展開は望んでいなかったのだろう、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
『アモンが殺されたとなると魂の量は桁違いだ。他の悪魔たちに狩りをさせるしかないな。それかフォカロルにまた討伐を頼むか……水上戦であれば奴に勝てる悪魔はそういない。アスモデウスでも苦戦するだろう』
『それが……任務終了したと言って勝手にバカンスに入っておりまして、連絡が取れません』
『……まったくあいつは気ままな奴だな』
ガクッと項垂れたルシファー。実力のある悪魔ほど癖が強くて扱いづらい奴が多い。目の前にいるベルゼバブも然り、フォカロルもかなり扱いづらい部類に入る。
その時、扉がノックされて眼鏡をかけ、髭を蓄えた一人の中年男性が入ってきた。手には大きな書物を持ち、首からぶら下げた骸骨のネックレスがカラカラと音を上げている。男性は水晶の中で眠っている少年に頭を下げて、ルシファーにも頭を下げた。
その男性にベルゼバブが声をかけた。
『ネビロルじゃないか。お前がここに来るって珍しいな、小屋に引き篭もってなくていいのか?』
『仕事に私情は持ち込まぬのでな。ルシファー様、今日ここで頼まれていた予言を行いましょう』
ネビロルと呼ばれたヨレヨレのローブに身を包んだ悪魔はその手には水晶球を乗せた。水晶玉は不思議な光を放っており、全てを見透かすように輝いている。
ネビロル ― 悪魔でその名を聞いた事が無い者がいない地獄の元師、下級悪魔たちの観察を任されており、今の地獄の秩序に大きく貢献している大悪魔である。ネクロマンサーとしての能力も持ち合わせ、彼直属の部下にソロモン72柱のイポス、ナベリウス、グラシャ=ラボラスがいる。
そしてネビロルは地獄屈指の予言氏として名高い存在だった。
『おいおい、ここで予言を始めるのか?』
『馬鹿者。ちゃんと予言はしておるわ。貴様は飯でも食っとけ大食らいが』
『ひっでぇ』
ケラケラ笑ったベルゼバブにため息をついてネビロルは水晶玉に何かの呪文を呟いた。すると水晶玉が光り、うっすらと文字が浮かびあがった。それこそが予言師ネビロルの予言の結果。
『ネビロル、君の予言では何と出ている』
『やれやれ……いい結果は出ていないがな』
眼鏡をかけなおし、髭をいじりながらネビロルは難しい顔をする。ルシファーが予言を頼んだ内容、それは裏切り者の悪魔の未来。
『構わん、続けてくれ』
『一人の少女の産声が響きし時、呪いの連鎖が断ち切られる。運命の少女は色欲と互いに惹かれあい、色欲は自ら望んで屍になる……この予言だと、アスモデウスは近い内に命を落とすであろうな』
アスモデウスの終焉が近づいている。過去に愛していた女の子孫を助けたことで。
その予言を聞いてベルフェゴールは眉をしかめ、ベルゼバブは噴出して大笑いしだした。笑い転げるのではないかと思うくらいベルゼバブは腹をよじって笑っている。その光景にネビロルは少し苛立ちながら問いかけた。
『さて、何がお前をそこまで笑わせる内容だったかね?』
『ああ、サイッコーだよ!どこまで馬鹿な奴なんだあいつは。何も変わってない、何も懲りてない。この数千年、一体何を学んだんだ?可笑しくて仕方ないよ!』
ベルゼバブと違い、ベルフェゴールは口元に手を当てて考え込んでしまっている。だがそれは同情からではなく、戦力の低下を心配しているだけだ。誰もお互いに仲間意識など持っていない様子だった。
サタネルと違い、七つの大罪は個人主義だ。ルシファーに従うと言う上下関係だけで成り立っている。お互いの心配などするはずもない。
それにため息をつきながらネビロルは水晶をしまった。
『だが予言を全て信じるべからず。相手の行動次第で予言はいくらでも変化する』
『分かっている』
ルシファーはあくまでも冷静だ。淡々と次の行動を考えていっている。
『もっと大量の魂が要るな。アスモデウス程の大悪魔となれば、サタナエルの力を使ったとは言え、必要な罪の量は桁違いだ』
その言葉に不愉快そうな表情を浮かべたのはネビロルだった。言葉こそ出さないが、ネビロルはアスモデウスの復活にいい感情は持っていなかった。それこそなぜ裏切り者に新たな生を与える必要があるのか。
恐らく考えは変わらないであろうが、ネビロルはルシファーに釘を刺した。
『ルシファー様よ、分かっておられるのだろうな?我ら地獄の君主はアスモデウスの復活には反対だ。プート・サタナチアやフレウレッティの怒りは買わないほうがいいぞ。いくら貴方でもだ』
『分かっている、しかし守る対象がいなければ、本気を出せない奴が私の近くにいるのでね』
『愚か者のサタンか……他者を守る事でしか力を発揮できぬのは弱者の証だ。力を支配できていない証拠でもある』
なぜかアスモデウスを構うサタン。実力だけならばサタナエル、ルシファーに次ぐ程の力があるのに、その力はなぜか守る対象がなければ出せないという悪魔にしては珍しい男だった。
アスモデウスを常に庇い、ましてや奴を親友と呼び慕っていた変わり者。その馴れ初めに興味は無いが、サタンが本気を出さないとなれば審判での戦力の低下は間違いない。
『しかし新たなアスモデウスを奴は友と慕うかね?』
『さあね』
はぐらかしておきながらルシファーは結果が分かっているような素振りだった。
勿体つけて結果が出るまで答えを言わない。それがルシファーの悪い癖だった。結局自分が勘ぐって調べるしかないのだ。そしてそれはネビロルが走り回って調べるほどの価値もないし、興味もない。
深く質問することもなく、ネビロルは仕事は終わったとして部屋を出ていこうと歩き出した。
『ルシファーは甘すぎるんだよなぁ。寛容も大概にしとかなきゃ舐められるぜ』
『勿論ただで許すつもりはないさ。何かしらの罰を与えるつもりでもいる。それはその時までに考えておこう』
『そう言って多分何もしないぜ。あんたはそういう奴だ』
『ふふ、どうだろうか』
ルシファーとベルゼバブの会話を背中に受けながらネビロルはぼんやりと考える。
今回の審判は一体どうなるのか。ルシファーのあの甘さは命取りになる。ベルゼバブの言うとおり、ルシファーはアスモデウスに何かしらの罰を与える気はないだろう。自分の元に戻ってくればそれでいい、そう考えているはずだ。
そしてそれは指輪の継承者にも同じ考えのはずだ。刃向うのなら容赦はしないが、泣いて許しを請うのなら簡単にルシファーは自分を裏切った罪を許すだろう。
『あんたは傲慢のくせに寛容だ。良く分からんよ』
その呟きは誰にも聞かれることなく、ネビロルは一人息をついた。




