第48話 光の元へ
海外の人間のセリフに外国語が表示されない部分が複数あります。
『じゃあ俺は一度、光太郎たちをマンションに戻してくるよ。三十分程度待っていてくれ』
セーレが澪と光太郎とを乗せたジェダイトの腹を蹴って宙に舞いあがるのを見送る。
今から俺はトーマスとリアをアメリカに連れて行く。きっとこれで、幸せになれるはずなんだ。
48 光の元へ
パイモンが周囲を警戒して周りに人がいないかを確認する。未だに夜中のメキシコは例の事件もあり、人は全く歩いていない。それでも道路の真ん中で立ち話は危険だから路地裏に移動してセーレが戻ってくるのをパイモンとストラスとで待つ。
トーマスは今の状況をまだ完全に信用してはいないけど、自分を負かしたパイモンの存在から下手な事をしてくる様子はない。緊張した面持ちで膝の上に手を組み、何も話すことなく俯いている。でも女の子のリアはこっちにちょこちょこと話しかけてきてくれた。
リアは元々アメリカ人で、メキシコへの家族旅行の際に両親とはぐれた一瞬に誘拐されてそのまま家族の元に戻れず娼婦兼暗殺者として働いていたらしい。
その話を聞いた際にもカルテルの闇が見え、どう反応していいか分からない俺にリアは気にしないでほしいと笑う。トーマスに会えたのだから悪い事ではないって言ってはにかんだ少女は本当に芯の強い子だと思う。こんな境遇でも小さな幸せを見つけて、それを語ってくれる。
「(ねえ、日本の話聞かせて。私ね、日本のアニメを見てから日本に行ってみたかったの)」
「(忍者と侍が街を歩いてるんだろ?刀を差して)Usted no tiene.(お前は持ってないな)」
「そ、そんな人いないよ!」
リアとトーマスの間違った日本の知識を聞いて首を横に振った。侍とか忍者とか何百年前の話だろう。海外では未だにそんな集団がいるって思われてるのかな?漫画のせいなのかもしれない。
否定すればリアとトーマスは少し残念そうな表情をした。会いたかったのに、と零すリアはどこにでもいる普通の女の子で、娼婦として体を売っていたなんて信じられないぐらい純粋に笑う。
その光景をパイモンとストラスは苦い表情で眺めていた。
「(拓也、日本語って何があるんだ?)」
「え?日本語?」
「(すぐにでも使える奴)」
急にトーマスがそんな事を言ってきたから、悩んだ末に簡単な数種類の言葉を教える事にした。
「えーと、こんにちは」
「コンニチハ?」
「あー……ハロー!こんにちは!」
そう言えば、トーマスはこんにちはと言う意味がハローと同じだと分かったらしい。口に手を当てて、何度もコンニチハと呟く。その後に教えたのは有難う。この二つを教えた。それ以上は多分急には覚えられないし、この二つが言えれば何とかなるって信じてる。
納得したトーマスとリアを見て笑みがこぼれた。
日本語教室をしている間にセーレが戻ってきて、トーマスとリアの番だ。
リアをお姫様抱っこさせたトーマスを先に乗せて、その後ろに俺とストラス、パイモンが乗り込む。ギチギチで狭い馬上でトーマスは顔をしかめたけど、そこは何とか誤魔化した。空に舞い上がったジェダイトにリアが驚いて声をあげてはしゃいでいる。
「(すごいすごい!空を飛んでいるわ!)」
「(こいつがいれば、すぐに逃げられたのかもな)」
ポツリと呟いたトーマスに何も言葉をかけられなかった。セーレの能力はトーマスにこそ相応しかったのかもしれない。アモンと契約して、こんな危険な事をしなくてもセーレさえいれば一瞬で逃げられたんだから。
「(でも、アモンじゃなければきっとロナルドとジュリアンは救えなかったわ)」
「(そう、だな。あの二人、逃げられたかな)」
「(大丈夫よ。二人が幸せだってことを信じましょう)」
トーマスはリアを家に帰したいと言っていたけど、まずリアが家の住所を覚えていなかったから、とりあえず情報の集まるニューヨークに行きたいとトーマスは言った。英語は最低限話せるらしく、なんでか聞いた俺に仕事上アメリカ人に麻薬を売る際は英語が話せなければいけなかったからと答えた。
お金も仕事で貯めた額全部持っており、暫くこれで生活するらしい。もう向こうに送ってしまえば俺がどうこうできる訳でもない。そうこうしている内にアメリカとメキシコの国境である柵が見えてきた。この先がアメリカ……トーマス達が待ち望んだ世界。
レーダーで感知されないかと心配する二人を大丈夫だと言って安心させた。ジェダイトはレーダーなんかで感知されないし、この姿が人にばれる事もない。
納得した二人は黙って地上を見つめた。国境の柵を上空から眺めながらトーマスがポツリと呟いた。
「(父親と母親に捨てられた後、俺は生きる為に何でもやった。強くなる為にどんな手でも使った)」
「トーマス?」
「(強くなって金が手に入って、それ相応の生活ができれば、きっと幸せを掴めるって思ってたんだ)」
愛を知らないトーマス、愛されないままこの世界に捨てられたトーマス。そんなトーマスが幸せになる為に手に入れないといけないと思ったものはお金だったのか。
確かにお金はあるに越したことはない。それでもトーマスの表情からはお金があっても幸せになれないことを物語っていた。
「(でも、何も意味なんかなかった。毎日が最悪で、恐怖と支配の前では金なんかなんの役も立たない紙屑だった)」
「でも、もう逃げられるよ」
「(そうだな)」
あれだけトーマスが望んだ国境越えはセーレの力を使えば一瞬だった。柵の上を簡単に飛び越えて、こんなにも簡単に国が変わってしまったのだ。もうここはメキシコじゃない、自由の国アメリカだった。
まだアメリカだと実感できるような建物は何もない。でもトーマスとリアは目を輝かせていた。今の時間は午前四時前、もうすぐ朝日が昇るだろう。それまでにニューヨークに二人を連れて行かなきゃな。
「(ここが……アメリカ)」
リアがポツリと呟いた。でも懐かしいとか、そう言う感じではなかった。自分の故郷なのにまるで初めて来た、話だけは聞いていたというような反応だった。それも仕方ないのかもしれない。リアは六歳の時に誘拐された。メキシコで暮らした時間の方が長いのだ。六歳の行動範囲なんて広くもない、家の周りしか知らないだろう。そんな場所を故郷と思うには余りにも時間が経ちすぎていた。
でもリアの家族はきっと喜ぶだろう。娘が帰ってきたんだ、トーマスが助けてくれたんだ。
ニューヨーク特有の摩天楼が視界に入ってくる。でもジェダイトが着陸したのはそこから遠い閑静な住宅街だった。人がいないことを確認して二人をジェダイトから降ろし、セーレがジェダイトに礼を言って姿を消す。
ずっと亡命したいと思ってても不安はあるだろう、トーマスとリアは不安からか手を繋いで辺りをキョロキョロ見渡している。その時、空が少しずつ明るくなってきた。
あ、朝が来たんだ……さっきまで夜中だったのに、少しずつ太陽が昇ろうとしていた。それをトーマスは目を細めて空を見た。
「(朝だ、もう隠れる必要も何もない。自由を手に入れた)」
「これからどうするの?」
気になって問いかけた。
リアは家族の元に帰るとして、トーマスはどうするんだろう?
「(……どうすっかな。まずはリアを家に帰して考えるよ。学も身分もねえ俺がどうやってまともな職につけるかはわかんねえけど)」
「そっか」
「(きっと、後悔はすると思う。俺みてえな人間が太陽の下に出てのうのうと過ごしてることに罪悪感は沸くかもしんねえ。これからもしんどい生活になりそうだ)」
トーマスはそう言いつつも、表情は柔らかい。これから全てをリセットして生きていくことに不安もあるけれど、それ以上に大きな期待と幸福があるようだ。やっと、君が手に入れたかった平穏を目指して生きていける。
まずはリアを家に帰すことと言うトーマスは本当にリアを助けたかったんだと改めて再確認する。
リアが家族の元に戻ったら、確実にカルテルの問題は明るみになるだろう。一緒に逃げてきたトーマスを探すはずだ。それを知ったうえでトーマスはリアを家に帰すという。二人で生きていくとは言わなかった。
不安そうなリアにトーマスが笑顔を見せる。
「(幸せになれよリア、絶対……)」
「(……私、帰らないわ)」
それは予想外の言葉だったんだろう、トーマスは目を丸くした。
「(だって私達、もう恋人でしょ?血の繋がりの無い貴方をこれだけ愛しく思えるもの)」
「(リア……)」
「(家族には会いたいけど、今はそれ以上に貴方が大切。だって私が家族の元に辿り着いたら私を逃がした貴方はきっと捕まる。それだけは絶対に嫌。だから、二人で一緒に初めから頑張ろう。いつか、私の家族に貴方と一緒に会いに行ける日が来るのを夢見てる)」
リアは家族よりも自分のために命を懸けて守ってくれたトーマスを選んだ。その選択が正しいかどうかなんてわからない。でもそれを口出しする権利なんてない。俺も願ってるよ、二人が幸せになれる未来を。
トーマスが少し照れくさそうに、でも泣きそうな顔で頷いた。そして二人はこっちに振りかえった。
「Takuya!」
「え?」
「アリガトウ」
「……俺こそ、有難う」
ずっとこの光景を見たかったんだ。シャネルもアリスも救えなかった……人を殺さなければならない状況に追い込まれたトーマスを救いたかった。俺は、ちゃんとトーマスを救えたのかな?
涙が零れた俺をトーマスは強く抱きしめた。暖かい、ちゃんとした人間だ。トーマスは生きている、人間だ。
トーマスとリアは手を繋いで歩いて行った。
「……有難う、我が侭聞いてくれて」
「それで貴方が満足したのなら」
「うん、トーマスとリアを救えた。俺、誰かを救えたんだよ」
誇らしかった。胸にすごく来た。本当に救えたんだって実感できた。
パイモンもセーレも優しい笑みを浮かべて、帰ろうと促した。でもトーマスとリアの姿が見えなくなるまで帰りたくない。もう五分でいいから待ってほしい。
俺は見えなくなるまでずっと二人に手を振り続けた。
***
『拓也!ニュースを見てください!』
「ぐおっ!!」
トーマス達を見送って、マンションに戻った俺はとりあえず光太郎と澪の大事な話を明日聞くことになり、一度家に戻った。そしてゆっくりと寝ていたら、ストラスが腹の上に突撃してきた。
と、特攻隊かお前は!全力でぶつかりに来ただろう!?
でも慌てたストラスに服の袖を掴まれてリビングに連れて行かれる。リビングには父さんと母さんと直哉がおり、三人ともニュースを凝視している。今度は一体何があったんだ?心臓が大きく跳ね、恐る恐る画面を覗き込んだ先に自分がこの目で見てきた事件が映っていた。
「あ、このニュース……」
テレビには崩壊したマフィア跡が映っていたのだ。テレビの見出しには“犯人わからず。メキシコ政府は実行犯の手配を一旦中止”と書かれていた。自分たちの手を下さずに自滅したんだ。政府も介入したくないのではないかというコメンテーターの意見が出ており、アメリカに逃げる人間が増える可能性も高いため、国境沿いの警備はさらに厳しくなるだろうとも指摘している。
淡々と意見を述べ、ニュースは次のものに変わっていく。
このまま未解決で終わるんだろうな……それに対しては釈然とはしないが、けれど政府も実行犯探しをしないということはトーマスにたどり着く可能性は低くなったということだ。それは素直に喜ばしい。
「今頃アメリカは夜なのかな。トーマスとリアは大丈夫かな」
『心配いらないでしょう。彼らは若い。いくらでもやり直しはききますよ』
うん、そうだよね。俺もそう思う。
ずっと夢見ていた太陽の下で笑っている君は、きっと太陽よりも眩しいだろう。