第46話 太陽に手を伸ばす
目の前にいる少年は、どこにでもいる普通の男の子に見える。でも違う、こいつは何人もの人間を殺してきた殺しのプロ。暗殺者なんだ……
ストラスが言っていた。四歳で家族に捨てられて暗殺者になったって。シャネルと同じだ、あの子も家族に捨てられたと言っていた。家族に会いされなかった二人を社会や国は救わず、その結果戻る道を失った。
俺は、トーマスを殺せとパイモンに命じないといけないのだろうか。
44 太陽に手を伸ばす
トーマスは起用にナイフを回して手に持った。足に仕込んでる銃を使うつもりはないのかもしれない。パイモン相手に敢えて接近戦をするなんて、随分自信があるんだな。今まで契約者の俺に敵意を向ける人はいたけど、トーマスみたいに悪魔が相手でも全く退く気がない奴は初めてだ。しかもアモンもいないのに……
でもトーマスはこっちに視線を寄こし、怪訝そうな表情を浮かべナイフを持った手をブランと下げた。
「(んだよ。てめえは来ねえのかよ)」
ガッカリしたような声。もしかして俺に話しかけてる?え、ちょっ、なんで!?しかも良く分かんない内に呆れられてる!首をかしげて何だろうアピールをすれば、トーマスは苛立ったかのように舌打ちをした。
「どうやら君をご指名みたいだよ」
そんなの無理っ!無理無理無理!どこの世界に暗殺者に指名されてほいほい前に出ていく奴がいますか!パイモンに勝てないからって勝てそうな俺を指名するの止めてよね!そりゃ暗殺者と一高校生が戦ったら暗殺者に軍配があがるのなんてアホでも計算できますよ!
でも俺が思っている理由とは全く違ったみたいだ。
「(お前、契約者だろう。俺を止めたいならてめえが来いよ。俺には時間がねえ)」
ストラスに訳してもらってトーマスが本当に自分との一対一を望んでいることを知る。それと同時に思い出されたのはシャネル。シャネルと一対一で戦った結果、俺はシャネルを殺してしまった。また同じような事があったら……俺はトーマスを助けたいんだよ、こんな事止めて幸せになってほしいんだよ!
パイモンが代わりに否定すれば、トーマスは仕方ないとでも言うように肩を慣らしナイフを構えた。本当にパイモンと戦う気なのか!?勝てるはずないじゃないか!
そして走り出したトーマスをパイモンは剣を構えて応戦した。ナイフを剣が受け止めて金属音が響く。でもトーマスは左手から更に小型のナイフを取り出し、パイモンの首めがけて腕を振るった。
「パイモン!」
ナイフを受け止めてる状態じゃ、もう一本のナイフを受け止める事はできない!
パイモンは状態を後ろに反らし、距離を取るためにトーマスの腹を蹴って、その反動で後ろに下がるも、トーマスはその攻撃によろめく事はなく、体勢の整っていないパイモンに瞬時に襲いかかった。完全にパイモンは防戦一方だ。体勢を整える前にトーマスが攻撃を仕掛けていっているから。
その戦いぶりは完全に自分が今まで見てきたもので、悪魔対悪魔の戦いそのものだ。
「パイモン、負けちゃうのかな。このままじゃ……」
不意に零れた不安を聞き取ったストラスが気遣うように頬を羽で優しくなでる。
『パイモンも殺すつもりでいます。パイモンに分はあるでしょうが、それでもあの少年は強い。今まで契約者と訳が違う』
一瞬の隙を取ってパイモンがトーマスに剣を振るうも、スレスレで避けてお互いに距離を取った所で睨み合う。
『(……素直に賞賛しておこう。お前、今まで出会ってきた人間の中では一番強い)』
「(そりゃどうも。こちとら読み書きできる前にナイフの使い方をマスターした口でね。手癖の悪さには自信があるんだ)」
パイモンが簡単に倒せない人間がいるなんて……しかも俺よりも年下なんだ。軍人でもない、兵隊でもない、目の前の男の子がこんなに強いなんて。
「パイモン!」
「(うるせえな!外野は黙ってろ!)」
トーマスの怒声を直で食らって体が硬直した俺をトーマスは不愉快そうに見るだけだった。そ、そんな怒んないでさ、笑おうよ。まだ俺と年も変わんないんだ、学校行ってさ、好きな子作ってさ、美味しい物食べたらきっと幸せになれるよ。
そう言いたいのに声が出ない。何を言ってもきっとトーマスには届かない気がした。
「(てめえ、命賭ける気もねえのに俺の邪魔するのか?舐められたもんだな。てめえ如きに俺が止められるって思ってたのか?)」
「お、俺はそんなつもりじゃ……」
ストラスを挟んでの会話。でも訳を聞いてトーマスが俺に対してすごく怒ってるのは伝わった。
「俺は、助けたいだけで……」
「(助ける……すげえな。てめえみてえな偽善者って本当にいるんだな。漫画の世界だけだと思ってたよ。じゃああんたが俺に成り代わってくれねえ?俺があんたになってやるから)」
顔を上げた先には笑みを浮かべているトーマス。こんな形では見たくなかった……こんな悲しい顔をさせたい訳じゃなかったんだ!
首を横に振って違うとしか言えない。そうじゃない、だって抜け出せたんだろ?もういいじゃん。アモンを引き渡してくれたら自由になれるんだ。自由に生きていけるんだ。
「(所詮わかんねえんだよ、お前には……俺たちの現状なんて何も。そりゃそうだ。俺だって日本のことなんかわからねえ。とっても快適で平和ボケした奴ばっかりだってことしかな!)」
「違う!俺は助けたいんだよ、君を!」
「(なら俺の親父とお袋連れてこいよ!俺があの場所に売られる前に時間戻せよ!てめえが全てぶっ壊せよ!?俺に光を与えろよ!俺を助けたいんならできるよなぁ!?)」
口早に語られたのは今までトーマスの人生を抑圧してきた過去。家族に捨てられてここで生きていくしかなくなった現実を嘆く声。
トーマスは、ずっと、ずっと……今まで何度こんな風に時間が巻き戻って幸せになりたいと思ってきたんだろうか。何度、ここから抜け出したいと思って生きてきたんだろうか。
そんな彼の心に響く共感の言葉なんて、同情の気持ちしか持てない自分には何も与えられるわけないじゃないか……
何も答えられない俺を見て、トーマスは「それ見たことか」とでも言うように捲くし立てる。
「(口先だけの助けるなんて誰が信用するんだよ平和ボケが!親父とお袋もそう言って戻ってこなかった!てめえはいいよなぁ。今までマフィアなんて関わらずに生きてきたんだろ?立派なお召し物着て、飯食って、学校行って、友達だっているんだろ?いいよなぁ、俺にはそんなもの何一つ手に入れられないのに!)」
悲痛なその叫びに言い返す事が出来なくなった。こんな事思いたくないけど、トーマスに比べたら自分はずっとずっと恵まれている。そしてトーマスにまた同情する。
高校に行っている奴らは両親に売られて暗殺業やってますって奴ら、少なくとも自分の周りにはいない。関わった事のない人種だ。そんな人に助けるなんて言っても、きっと信じてくれない。戯言としか思われない。
「(平和ボケしたてめえが悪魔なんかと契約して何になるんだ!?全て持ってる癖に他人の物にまで手を伸ばすのか!?俺のことなんか放っといて幸せな生活送っときゃいいだろうに、なんで俺にかかわってくる!?)」
「違うっ!俺は最後の審判を止めたいんだ!人類が滅んでしまう前に……」
「(人類が滅ぶ前に、お前は俺を滅ぼそうとしてんだよ!)」
言葉が出なかった。トーマスの言葉で先ほどまでアモンを渡してくれたら自由になれるなんて安易なことを考えていた自分を殴りたい。
トーマスからアモンを奪えばどうなるんだろう。そのせいでトーマスがアメリカに逃げられる可能性はかなり小さくなる。マフィアの奴らに捕まったら百パーセント殺される。俺はトーマスにそんな未来を与えようとしてるのか!?
悪魔がいなかったらトーマスは逃げる機会が無かったはずだ。悪魔がいたから逃げ出せた、自由になるチャンスを得た。俺はそれを摘もうとしているっ!?
「(足元見ろよ……お前が助けたいって思ってる人類はな、こうやって殺し合いしてんだよ!お前が消えてほしいと思ってる悪魔の力に縋らなきゃ一人の人間としての最低限の幸せも手に入れられない奴がいるんだよ!お前の感覚で物事捕らえるな!)」
全ての常識が覆された気がした。俺はトーマスに何をしてやれるんだろう。顔も名前も見た事のない人たちを助けるために、目の前で苦しみながら生きているトーマスを見捨てろって判断をしなきゃいけないのかな?
ああそっか、数で言えばそうだよな。人類の未来とトーマスの未来、考えたら絶対に前者だよな。だってトーマス一人が死んでも世界に影響はないけど、トーマス以外の人が死んだら世界は死んじゃうようなもんだもん。そんなの許せるわけないよな。
でも……俺はそんなにできた人間じゃない。
「でも俺、君に幸せになってもらいたい。悪魔なんかと契約しないで、幸せに……」
「(感情論で状況は打破できねえんだ。俺は光が欲しい、その為に障害になる奴は全て殺す。それはお前だってやってきた事だろう。邪魔する奴は始末してきたはずだ)」
俺は、今までこうやって悪魔との契約を破棄することを拒む契約者達の意志なんて無視して、パイモン達に悪魔を倒させていた。これは、全部俺のエゴなんだろうか。
「(だから大人しくここで死ね。それが俺への最大の手助けだよ)」
鋭い目つきでナイフを握りなおしたトーマスはもう話を聞く姿勢をとってくれない。説得は不可能なのか……
動くことができない俺をセーレが再び後ろに下がらせてパイモンが剣を抜く。駄目だ、説得しなくちゃ……パイモンが本気を出したらトーマスは絶対に殺されてしまう。それは避けたい、助けたいんだトーマスを。
でもトーマスから感じられる不気味な雰囲気を肌で感じ、思わずストラスを抱きしめる腕に力がこもった。なんだろう、嫌な予感がする。
『この気配は……』
この気配?そう聞き返そうとした瞬間、トーマスが持っていたナイフが炎に包まれた。
どうしてトーマスがそんな魔法を!?今まで契約していた人間の中で、こんな力を使う奴はいなかったはずだ!
トーマスの目は先程までと違い、不気味な光が混じっている。間違いない、この目を俺はいつも見ている。この目は……悪魔の目だ。
『(やはり……こいつにも地獄の秩序が適用されている)』
『(俺はなんだってやってやるさ。逃げ切るためなら悪魔にだってなってやる。てめえを殺すためなら何でもする。じゃなきゃ、俺が殺されちまうから!)』
トーマスはそんな長い期間、アモンと契約していたのか?契約者が悪魔の能力を使えるにしても、過去に電気を操った絵里子さんとは比べ物にならない力だ。絵里子さんは静電気程度だったけど、トーマスはこんなにもはっきり炎を操れている。
どうやって、こんなことが……そこまでしてでも逃げたかった。
パイモンが剣を回して持ち変える。きっともう手加減なんかしない、本気で行くはずだ。
『(納得した。やはり貴様は危険人物だ。生かしてはおけん)』
『(元々生かすつもりもなかったんじゃないのか?何をいまさら)』
ケタケタ笑ったトーマスの後方に建物に隠れてこっちをじっと見つめている少女がいた。あの子は一体誰なんだろう?でもここは危険だ、あんなところに居たら巻き込まれちゃうかもしれない。
「セーレ、あの子……」
俺の言葉でセーレも女の子に気づいたらしい。苦い表情をして逃げるように手でジェスチャーしているが、その子が逃げる気配はない。
胸の前で手を組み、祈るようにトーマスを見つめている。
『……どうやら彼女はトーマスの仲間なのでしょうね』
「仲間?じゃああの子もアモンと?」
『いえ、気配を感じません。契約者はトーマスで間違いありませんし、彼女は情報を得ているだけでしょう』
二人で逃げてきたのか。たった二人で……沢山の人を殺しながら逃げてきたのか。この子もトーマスと同じで両親に捨てられたのかな?幼い頃からここで働かされてたのかな。女の子の腰に携えられているナイフが視界に入り、あの子もトーマスと同じ暗殺業をしていたのだけが理解できた。どうして俺よりも年下で幼い子達がこんな目に遭ってるんだ……
自分が不幸だって思ってた。いや、今でも思ってる。こんなことに巻き込まれて得体のしれない悪魔と戦わさせられて、天使にいいように使われて最悪だって思ってた。
でもこの子達も俺と同じくらい、俺より不幸なのかもしれない。だってこの子達は孤独だったんだ。俺には助けてくれる友達もいるし家族もいる。でもこの子達は一番信じてほしい人たちに捨てられて大人の加護がない世界で寄り添って生きてきたんだろう。
生きるために人を殺すしかなくて、それ以外の事を何も教えてもらえなくて、逃げる事も出来なくて……
勝手な想像をしただけで涙が零れた俺にトーマスはそれを見て目を丸くした。こうやって驚く姿は本当に俺と同じくらいの男の子なのに、どうしてこんなにも違う。
『(すごいねお前。俺に同情してんの?それとも俺が怖くて泣いてんの?)』
「両方、かな……幸せになってほしいのに」
『(優しいね。俺にも両親がいて、普通に学校通えるような人生だったら、お友達ってのになれたかもね。でも、俺は今、お前が世界で一番憎いけどな)』
「その子、大事な子なのか?」
俺の問いかけをストラスがトーマスに伝える。
トーマスが女の子に視線を向けて、こっちに視線を戻した。女の子も自分が話題になったことに若干の不安を感じたんだろう、表情を歪ませた。
『(誰よりも大事だ。あいつをアメリカに逃がすのが俺の望み。あいつを、家族の所に帰したい。あいつに相応しい、真っ当な人間としてやり直したい。そのためには何が何でもアメリカに逃げなきゃいけない)』
大切な人の為に命を賭ける事が出来るほど優しいのに、環境が違っただけでこんな形になってしまう。
グシャグシャな笑顔を作る以外できなかった、でも伝わってほしかった。俺は悪魔を倒したいんであって、君を倒したいわけじゃないんだって。
「可愛い彼女だな。アメリカに逃げれることを祈ってるよ……」
『(有難う。あの世で祈ってくれな)』
にっこり笑ったトーマスは殺気を崩す事はない。
会話が完全に切れて、燃えるナイフを持ってトーマスがパイモンに向かって走り出した。炎で燃え盛るナイフで攻撃を仕掛けられれば、パイモンを剣で受け止めるしかなく、激しい金属音を発しながら二人は体勢を変え腕を振るい続ける。
でもトーマスは全身がバネの様に体の向きを起用に変えて全体重をかけてパイモンにナイフを振るう。体格的にはトーマスの方に分がある、パイモンも受け止めるだけじゃ無理だ!
素早くカウンターの様に居合切りをかませば、トーマスは後ろに下がった。
『……熱いな。受け止めるのも一苦労だ』
「やっぱり運動能力とかも上がってるのか?」
『多少は。ですがそれ以前に経験でしょうね。驚きましたよ、あの年であそこまで動けるとは。毎日殺しをしているだけある。急所を狙った一突きが上手くて速い。一撃でも喰らったら私でもアウトでしょうね』
そんなに強いのか……
パイモンの表情にわずかな焦りが見える。
『……今のうちに殺しておくべきか。あの力を使われたら厄介だな。(おい、その戦い方でいいのか?後悔するぞ)』
『(あ?)』
『(お前の攻撃パターンは分かったと言いたいんだ。無駄のない攻撃が命取りになるぞ)』
聞く耳を持たないトーマスにパイモンは再び剣を構えた。
『……忠告はしたからな』