第43話 ノアの方舟
光太郎side -
「悪魔祓い師……」
ノアの方舟って聞いた事があるぞ。シトリーと契約してから悪魔関係の本や、聖書に興味を持って目を通した時に載っていた。大きな方舟に載った人類だけが生き残り、残りの人間は大洪水で皆死んでしまったと言う奴だ。
じゃあこいつたちは自分たちをノアの方舟って名乗ってる。自分たちは生き残るって言いたいんだろうか?自分たちについて来れば、人類は救われるって。
41 ノアの方舟
「(お前たちが参戦してくるなんてな。アモンが全世界で放送されて遂に動くしかなくなったか?)」
「(それもあるが、我々の仕事は別だ。イルミナティが関与していない悪魔など、野放しにしておけばいいのだ)」
英語で話してくれているお蔭で、何となく意味は分かる。でも所々で知らない単語、多分名詞なんだろうな。それが入ってくるから、流れは分かっても会話がすべて分かることはない。でも別の仕事って言う単語を聞き取れて、こいつらがアモンを倒しに来たわけではないことを知る。一体何しに来たんだよ。
でもそのエクソシストって奴をシトリー達は知っていたみたいだ。多分、俺と拓也が知らないだけでシトリー達はいろいろ調べていろんな情報を手に入れていたんだろう。大人しく会話を聞いていると、いきなりエクソシストの男が鞭を取り出したのを見て肩が震えた。
「下がっときなよ光太郎」
ヴォラクに半ば無理やり後ろに追いやられて、少し離れた位置に待機する。
こんな所で騒ぎを起こして他の奴らに怪しまれないだろうか?もしかしたらトーマスがこの通りを通るかもしれないのに……そうしたらみすみす見逃す事になってしまいそうだ。あいつらの別の仕事って奴も分からないのに戦っている場合ではない。
それよりこの男、よほど自信があるんだろうか?シトリーとヴォラクは本物の悪魔だが、目の前の男はどこからどう見ても人間だ。あんな鞭一本で勝てるわけ……
「あの鞭……」
「魔力を帯びてる……メフィストフェレスか?」
メフィストフェレス……その名前には聞き覚えがある。確かパイモンが松本さんについて調べていた時に出てきた奴だ。松本さんのひい爺さんが魔術結社に入ってて、その人が信仰していた悪魔、だったはずだ。そいつの魔力が宿った?この男は契約者なのか?でも前に調べた時にソロモン七十二柱にその名前はなかったはずだ。じゃあこいつは一体……
「パイモンの話は本当だったって訳だ」
「みてえだな。こりゃ骨が折れるよ」
「ど、どう言う事だよ」
「説明は後だ。面倒な事になってるからね」
ヴォラクがその言葉だけを残して剣を構えて走り出した。それを確認した男が鞭を奮ってヴォラクに攻撃を仕掛ける。でもやっぱあいつは人間だな、ヴォラクは攻撃を軽々よけてどんどん距離を詰めていく。
早くあんな奴ら蹴散らして拓也たちに報告しよう。変な奴らが現れたんだ、対策だってこれから必要になるだろうさ。
でも男の鞭を一度、自らの剣で受け止めたヴォラクは一気に詰めていた距離を離れた。
「どうしたんだ!?当たったのか!?」
『……やっぱ本物みたいだな。俺には不利だね、結界張って一度フォモス達呼んだ方がいいか?』
不利ってどう言う事だ?ヴォラクは確実に距離を詰めていたし、あいつの攻撃だって全部かわしてた。さっきの一回だって剣で受け止めたからヴォラク自身にダメージは行っていないはずだ。それなのにどうして不利だなんて思うんだろう。
でもヴォラクの持っている剣を見て、その発想は一瞬で消え去った。
「剣が、錆びてる……」
さっきまで新品の様に光を放っていた剣が錆びてぼろぼろになっていたのだ。原理が分からない俺は目を白黒させるしかなかったが、ヴォラクは剣をしまってシトリーの後ろに下がる。
それを見た男は鞭を地面に叩きつけ高笑いをした。
「(バカのわりには理解が早いじゃないか。いかにも、この鞭は我が家が代々受け継いできたメフィストフェレスから授かった魔具。私の先祖が元契約者で、魔女狩りと称して千人の若い女性をささげた見返りに作られた物だ)」
おいおい、そんなのありかよ。大体エクソシストなんだろ?悪魔の武器とか使っていいのかよ。しかし自慢するように振るった鞭を見てシトリーが馬鹿にしたように噴きだし、男の機嫌は急降下した。
「(くっくっく!お前、本物のメフィストフェレス見た事あんのか?ありゃーとんでもねえ大悪魔様だよ。そいつからの武器だとしても所詮てめえら人間ようにカスタマイズされたレプリカだ。本物のメフィストの鞭に比べると大したこたねえ)」
『そうは言ってもさあ……被害でかくなるのも面倒だし、能力は本物だ。あの鞭で数回打たれたら剣が折れちゃうよ。結界張ってフォモスとディモスまで出したら、確実にアモンは気づいちまうし。こっちもエクソシスト相手にした後に奴が来られたらきついしなぁ」
話についていけない。でも目の前のエクソシストの男はあんな鞭一本でヴォラクを退けた。やっぱ只者じゃないんだ、エクソシストは……
「光太郎、俺の契約石を腕つけてるよな?ポケットにしまっとけ」
「え?」
「奴の鞭はある化合物を魔力で強化して練りこんである鞭だ。あの鞭は金属に触れた途端、キレートを形成して錆びさせる。ヴォラクの剣が錆びちまったのも鞭を受け止めたからだ」
「じゃあ契約石が攻撃を食らえば……」
「宝石自体は無事だろうが、周辺の金属は錆びて使い物にならなくなるだろうな」
そんな妙な武器を扱うのかあの男は……
男の手の内が割れたのはいいけど、ヴォラク達は今度は一緒にいる女の方を気にしている。あの女は動く気配はないけど絶対に男同様、妙な物を持っていたり妙な力を使うに違いない。
それ以前に前の男を倒さなきゃ意味がないんだけどな。
「シトリー大丈夫なのか?あの鞭、危ないんだろ?」
「こえーのは金属に対してだけだ。それ以外は普通の鞭に変わりねえ。使い手も大したことなさそうだ」
鼻で笑ったシトリーを見て、馬鹿にされたって事は分かったんだろう。男は不快そうに眉を動かして威嚇するように鞭を地面に叩きつける。
「(その涼しい顔がいつまで続くか、確かめようじゃないか)」
「(今度メフィストに会ったときに伝えといてやるよ。しょうもねえ雑魚に能力渡して無駄な働きをしたってな)」
振るわれた鞭がシトリーを襲う。それをいろんな方向に走り回りながらも少しずつシトリーは男と距離を詰めていく。いける!シトリーが鞭を数発受け止めたのを見たけど、ヴォラクの剣みたいに体に実害があるわけではなさそうだ。
それでも避けきれずに受け止めた腕はこちらから見ても痛々しく腫れ上がっている。
「シトリー!」
「(捕らえたぞ!消え失せろ!!)」
男の目前にまで距離を詰めたシトリーが掴みかかり、二人はもつれこんでしまった。やっぱ相手が鞭である以上、近接での攻撃は難しいんだろう。完全に防御一方になってる。これなら勝てる!
うめき声をあげて男が地面に体を叩きつけた姿が視界に入り、すかさずヴォラクも参戦するため錆びた剣を手に取って援護しようと体勢を前に倒したが、ヴォラクが男の方向に飛び出す事はなかく、シトリーも折角押していたのに一瞬で距離を取ってこっちに戻ってきた。
二人は信じられないとでも言うような顔をして、固まっている。その顔には汗が滲み出ていた。でも押していたのは事実だ。現に倒れこんだ男のマウントポジションをシトリーは取りかけてたし、このまま押し切れるんだと思ってた。ヴォラクだって援護に入るつもりでいたんだから……それなのにそれをしないのは……
「どうかしたのか!?」
「あの女……アスタロトの力使いやがった」
アスタロト……確か調べた時に出てきた。ソロモン七十二柱の悪魔でサタネルの位を持つ強い奴で、そして六大公の一角。ソロモンの悪魔でも最強ランクの強さを誇る悪魔だったはずだ。その力を使った!?
女はこっちを見つめた後、何も言わずに男に手を差し伸べて肩を貸した。
「(ちっ……肋骨と左腕をやられた。ここは引こう)」
「(了解しました。騒ぎを嗅ぎつけて数人の足音がこちらに向かってくる)」
「(マフィアだろうな。引くぞ)」
男が一歩後ろに下がり、女が手を伸ばしてくる。手の先にいたのは自分で、急なことに言葉を失った俺に女は不穏な言葉を放った。
「(貴方を迎えに来たのだけど……来てくれなさそうね。トーマスも迎えに行けなかった。貴方達は私たちと共に新世界の礎になるべき人間なのに)」
女が頷いた後、足元に黒い空間が現れ、二人は地面に吸い込まれるかのように消えていった。こ、こんな事ってあるのか?鞭を使うまではまだ理解できる。それが悪魔の力持ってたって言われても理解できるさ。中谷だって稽古の時ヴォラクから剣を借りてたんだから、同じだと思えば……でも今のような魔法を使う奴をどうやって説明すればいいんだ?地面に吸い込まれて消えていったんだぞ。こんなのもう人間じゃないじゃないか!
二人がいなくなった後、静寂だけが残され、ヴォラクも悪魔の姿から人間の姿になってため息をついた。
「……要注意人物は男より女だったって訳だ。転移魔術まで使えるとはな。相当な魔力供給受けてるぜあれ」
「あの時、体が一瞬動かなかった。いくらアスタロトが魔眼の持ち主だからって、あの女に使えるはずがないのに」
「そりゃそうだろ。ありゃーアスタロト本体が半分だな。多分、あの女はほぼアスタロトに体を乗っ取られてるよ。可哀想にな。ただ、悪魔の契約者がなんでエクソシストしてるかって話だろ」
二人は訳の分からない会話をしている。分かるように言ってよ、俺にだって知る権利はあるだろ!?アスタロトの魔眼がどうとか言ってた。じゃああの女はアスタロトって悪魔なのか?あの男は契約者なのか?じゃないとあんな魔法の説明はつかないよな!
それを聞き出そうとしたら、足音が聞こえて俺たちは大の男たちに取り囲まれていた。男たちはそれぞれ手にナイフやら見た事もない剣やら銃やら挙句の果てにはマシンガンまで持って武装している。もしかして、こいつらトーマスを追ってるカルテル、なのか……?
「(違う、こいつらは逃げた奴らじゃねえ。見た事がねえからな)」
「(外れか。どうする?)」
「(殺すしかねえだろ)」
一向にそいつらは武器を下ろしてくれない。それどころか威嚇でもするかのように武器を目の前で揺らして距離を詰めてくる。
怖くなって情けないながらもヴォラクの腰にしがみついて震えるしかない俺の頭を心配するなとでも言うように優しく叩いたヴォラクは舌打ちをして顔をあげた。
「(うっとうしいなぁ……状況が大変でイライラしてる時に、そんなチンケな武器で威嚇しないでくれる?)」
低く唸るようなヴォラクの言葉に連中は表情を険しくして、武器を更に強調して何か怒ってくる。公用語が英語じゃないんだ。勿論授業で習わない事を俺が分かるはずもない。でも分かるのは奴らが今にも襲い掛かってきそうってことと、シトリーとヴォラクが苛立ちを隠すことなく奴らを威嚇しているって事だけ。
「光太郎、目ぇ瞑っときな。見たくないもん見ることになるよ」
何、言ってるんだ……?そう言おうとして顔を上げた先にはヴォラクの姿はなく、背後で何かが折れる音と倒れる音が聞こえた。
恐ろしくて後ろを振り返ることができない……悲鳴と怒声がこちらに向かってきたけど、それも向けただけで終わることになった。
「……派手にやったなぁ」
「シ、シトリー」
「こうしなきゃお前多分死んでたよ。悪いな、お前守るのが仕事なんでな。ヴォラクの行動を止めるつもりも咎めるつもりもねえよ」
数分もかからなかった。目の前に転がっているのはさっきまで怒声をあげていた奴らがあり得ない方向に曲がった体で地面に突っ伏していた。首の骨がおられてる……それだけじゃない、腕も足も、多分肋骨もだ。
これを一瞬で、ヴォラクがやったって言うのか!?
ヴォラクが人間に手を挙げる所を見たのは初めてヴォラクに出会ったとき。まだ拓也の指輪の事も、中谷がうっかりヴォラクと契約していたことも何も知らず、ヴォラクが拓也を殺そうとした現場にうっかり鉢合わせてしまった時。でもその時は拓也とストラスがヴォラクを倒して一般人への被害はなかったんだ。
だから分からなかった。ヴォラクがほんの少し力を出せば大概の人間なんて一瞬で殺せるってことを。現に七~八人いた武装集団はヴォラク一人で数分もかからない間に殺された。
急に呼吸が苦しくなって、意識して全身の神経を集中させて空気を吸い込むも、その空気すら汚く感じてしまう。
「……悪魔ってやっぱ強いんだな。俺たち人間は手も足も出ない」
「そりゃね」
「確かにこりゃ審判起こったらみんな死ぬな。銃持って武装しても数分かからずに殺されるんだ。これより強い奴がいるんだろ。勝てねぇな」
「……勝てないよ、人間は。俺たち悪魔にも天使にも。絶対に……」
怯えているのが分かったんだろう、ヴォラクは近寄ってこなかった。
こんな奴らがうようよ現れて殺し合いなんかなったら勝てるわけがない、当たり前じゃないか。まるで玩具かのように一瞬で人間を殺せるんだ!そんな奴らと今まで曲がりなりにも戦ってきたなんて!
「とにかくここからずらかろう。トーマスはこの通りは通んねぇだろ。こいつらはここら一帯を監視してた奴らだろうからな。そいつらでさえ見つけてなかったんだ」
「……お前も少し本気出したらこいつら殺せる?」
「……殺せるよ。お前が望みさえすれば一瞬で。でもそれはお前の望みじゃない、だから俺は殺さない」
「人に汚い仕事全部させるの止めてくれる」
「勝手に行ったんだろうがよ」
言い争いを始めたシトリーとヴォラクを止める力が出ない。そのまま腕を引かれて誰も人のいない路地をひたすら走る。俺の腕をつかんでいるシトリーは力を少し入れたら俺の腕をもぎ取れる……でもこいつがそれをしないのは契約しているからだ。
でも契約しただけでなんで悪魔に命を預けられる!?今まで散々裏切った悪魔たちを見てきたじゃないか!シトリーだっていつまでも俺を守ってくれるなんてことは……
その考えが出て首を横に振った。疑うなんて最低だ、いつだって最優先で守ってくれたのに……今回だって俺を守る為だったのに。ヴォラクとシトリーは何も悪くない、悪くなんかない!
「……結局、どうやったって住む世界が違うんだよな。俺とお前は」
「え?」
走っているからシトリーの声しか聞こえないし、背中しか見えない。シトリーは振り返らない。その先を走っているヴォラクは当然だ。
「これが俺たちの世界で、この状況を俺たちは当たり前だと思ってる。だから、きっといつまでも分かり合えねえよ。お前も甘い考えはもう捨てろ」
「シトリー……」
「殺す事を第一解決策になんかしなくてよ。殺す事が悪い事だって胸張って言えたら、お前とは対等になれる気がするのによ」
悲しそうな、諦めたような声が耳を支配した。
そうか、住む世界が違ったんだな。根本的に全てが俺たちは違うんだ。俺は病院で皆に手伝ってもらって産まれてきて、家はそれなりに金があって食べる物も着る物も苦労しないで、ブランド品に憧れて時折買ってもらって、幼稚園にも小学校にも中学校にも高校にも通ってる。勉強したくないとか休みたいとか言っても、学校に行くのが当たり前の生活で、自ら他の世界に飛び込むわけでもない緩くて優しい日常を享受している。
でもシトリーとヴォラクは違う。地獄はきっと何もない世界なんだ。生きるためには殺すしかなくて、それを怒る人も批判する人もいない。強い奴以外は淘汰されていく……生まれた時から死が隣にあって、自分の歩いた後には無数の死体が転がってるんだ。
環境が違うだけで俺たちは考え方も行動も何もかもが違う。可笑しいな……見た目はほとんど同じなのに。
きっとトーマスもそうなんだ。シトリー達と同じような環境で育った。だから殺す事に躊躇いがない、当たり前なんだ。生きるためには殺さなきゃいけないから。そしてそこから逃げ出したかっただけなんだ……トーマスは、未来が欲しかったんだ。
その結論が出て、目から涙が溢れた。俺は何も知らない。
世界でどんな紛争が起こってるとか、誰が死んでるとか何も。二百ある世界の国全ての名前すら言えないんだ。比較的治安が良くて経済が発展してる国しか知らない、そんな国しか学校は教えてくれないんだ。こんなにも、こんなにも苦しくて泣いている人達は世界に沢山いるのに。
「それでも俺は……お前と対等でありたいよ」
「……そっか」
だから、そんな震える手で一生懸命引っ張るのは止めてくれ。