第41話 その未来を夢見て
トーマスside -
辺り一面が真っ赤に包まれている。
契約したアモンと言う自称悪魔は俺が思っている以上に完璧な強さを持っていた。どこまでも強く、そしてどこまでも残酷な奴だった。
何が何だかわからないリアの手を引いて、俺たちはひたすら出口への道を走った。
41 その未来を夢見て
「(トーマス、何が起こってるの!?)」
「(さあな。良く分かんねえが、この調子じゃここはもう駄目だ。とりあえず逃げるが勝ちだ)」
適当な嘘をでっち上げて二人で出口に向かって走る。リアは優しいからここの奴らが死んでも悲しむかもしれないし、首謀者が俺であることに幻滅するかもしれない。だからリアには隠して逃げだそうと思ったのだ。大丈夫、今ここでアモンがリアに見られることはないだろう。俺たちはこの混乱に乗じて上手いこと逃げればいいんだ。
もし俺が首謀者だと察した勘のいい奴が襲ってきた時の為に銃を常に手に持って臨戦態勢で逃げる。
「(トーマス!てめえ!!)」
ほうらね。
角を曲がって現れた暗殺者の脳天を一発でぶち抜いてやった。そいつは全身を真っ赤に染めて地面に横たわり、倒れている奴から銃弾を抜き自分の物にする。同じ銃で助かったよ。
「(トーマス……?)」
「(殺られる前にやる。それはこの世界のルールだろ。みんな疑心暗鬼になってるんだ)」
そう言えばリアは複雑そうな顔で頷いた。笑ってしまうほどだ、逃げるのがこんなに簡単だと思わなかった……囮さえいれば簡単に逃げられるんだ。以前抱いていた恐怖も感じない、俺はこんな雑魚たちになぜ今まで従っていたんだろう。悪魔を手に入れた時点で俺の勝ちは決まっているのに。
そうだ、これが日常なんかじゃない。俺達は裏を見すぎたんだ。人間の汚い部分を見続けて、いつしか俺達は汚れてしまった。だから暗闇を、夜を好んだ。だから明るい世界を、朝を憎んだ。でも俺たちはこれから明るい世界に出ていける。まだ夜は続くけれど、必ず……
二人で逃げていると先輩とジュリアンに出くわした。良かった……二人とも無事だ。
「(トーマス、リア、無事か!?)」
「(はい、でももうここは駄目ですね。俺たちも逃げます。先輩たちも!)」
先輩は小さな紙切れをこっちに寄こしてきた。紙には住所と思われる番地が書かれている。
「(暫くここで身を隠すつもりだ。落ち着いたら連絡くれ)」
「(はい)」
「(逃げ切れよ)」
「(先輩こそ)」
先輩と拳をぶつけ合って誓い合う。大丈夫、先輩は逃げ切れるよ。俺が守ってあげるから。俺とアモンが囮になるから大丈夫。
先輩たちと別れる前にジュリアンにも激励の形で肩に手を軽く置いた。大丈夫、ジュリアンの病気はきっとこれで治ってる。あの自称悪魔の力で。本当かは信じられないけど、こうすればいいってあいつが言ったし、他に縋るものがない間は信用するしかない。
次は俺とリアの番だ。
リアの手を引いて、いくつも出口があるアジトの中でも最も自分がよく知った路地裏に出られる出口に向かう。ここからが本番だ、このマフィアと同盟を組んでる所も逃げ出した構成員を殺しに来るだろうし、この混乱に乗じてトップの座に居座ろうとするマフィア間で戦争も起こるだろう。それをかいくぐって、さらにアメリカへのあの柵を渡らなければ俺たちに未来はない。
何が何でも逃げ切ってやるさ。
「(ト、トーマス!?)」
「(どけよ)」
出口前に待機していた見張りも射殺して、リアと一緒に外に出る。振り返ったアジトは真っ赤に燃えて銃声と悲鳴があちこちで聞こえていた。その赤い炎を純粋に美しいとすら思った。
ひとまず大きな難関の一つを抜けることができたが問題はこれからだ。アメリカ国境まで止まることなく動かなければならない。
政府や市長は万々歳だろうな。
今までこの泥沼の争いを終結させるというマニュフェストをほざいた市長ほど悲惨で惨めな死を送る奴はいなかった。そいつらからしたらここら一帯を仕切っている言わば親マフィアであるここがこの状態になるのは自らを危険に晒すことなく一掃できるチャンスなのだから。
一つがつぶれたって何も変わらない。でも俺たちの未来は変える事が出来る。
だから何が何でもアメリカへ逃げないと……それが人間として、太陽の下で生きていく条件だ。
「(待ってトーマス!)」
先に進もうとした俺をリアが止めた。
立ち止まってる暇はない、急がなければ追っ手はどんどん増えていく。逃げるためには止まる事なんて許されないんだ。
「(なんだよ)」
「(……本当のことを教えて。トーマスは知ってるんでしょう?何があったの?)」
リアは真実の解明を求めている。だがそれを言ったら……お前は俺から離れていくのかな。それとも信じないのかな?
色んな可能性が頭によぎったが、嘘なんてつけるはずもなかった。
「(俺が今回の騒動を引き起こした。お前が寝てる間に死体は全て俺が捨てた)」
「(トーマス……?)」
「(逃げたかったんだよ。この生活から……俺には協力者もいる。そいつとの共同作業って所だ)」
「(……トーマスが犯人だったんだね)」
明らかに落胆したようなリアの声に、もしかして軽蔑されたのかもと焦りが湧く。
だが仲間意識を持ってたのなんかお前だけだ。俺たちはお互いのことを仲間だなんて思っちゃいなかった。必要以上にかかわらず、仕事だけの間柄。仲間とか友達とか情が湧いた途端に皆死んでいく。お前とは考えが違うんだよ。
リアが顔を上げる。意外なことに怯えている訳ではなかった。
「(トーマスは私の事、好きだよね?)」
「(リア?)」
「(好きだよね。トーマスは私の事……好き、だよね?)」
何を焦っているんだろう。自分で言って自信が無くなったのか、最後の方は縋るような、見捨てないでとでも言うような言い方だった。
好きじゃなかったら、こんな大それたことしない。大事なんだ、世界で一番幸せになってほしかったんだ。お前のためなら命を懸けられるって、馬鹿にされるかもしれないし、信じてもらえないかもしれないが、本当にそう思ったんだ。
「(好きだよ。俺はお前が好きだ。だから俺と一緒にアメリカに逃げよう)」
リアの目が丸くなる。信じられないとでも言うように。
でも嘘ではないと証明するためにもう一度、同じ言葉を口にすると同時にリアは涙を流した。
「(嬉しい……有難う、幸せ……行く、どこでも行くよ。トーマスと一緒なら、どこでも……)」
リアはアメリカに対して関心がないのか、俺と一緒ならついていくと言葉を放った。家族の元に帰りたくないのか?その言葉は飲み込んだ。
その言葉を口にしたら、リアを手放せる自信がなくなりそうだから。アメリカで一人で生きていく俺とは違い、リアには待っている人がいる。
「(大丈夫だ、逃げられる)」
リアの手を引いて喧騒を逃れるかのように路地裏に入る。
やはり一般人は巻き込まれるのを恐れ、騒動が響くここら一体じゃ皆建物の中に入ってしまい、広い道路には人っ子一人歩いてはいなかった。こちらとしては好都合だ、犠牲は少ない方がお互いの為にいい。向こうは死にたくないし、こっちも下手に動いて証拠になるものを残すのはごめんだ。
銃は音が響くからこの先では使用する機会は限られている。ここからはナイフだけでしばらくは進むしかない。
逃げられない所まで来てしまい、自分が今まで積み上げてきたものが全て壊れていく。喧騒と真っ赤な色に飲み込まれて手元には何も残らなかった。
でもどうでもいい、もうどうでもいいんだよ、俺にはリア以外に何もない。他に何もないんだ……
路地裏に入ってやっと少しだけ息をつく。伊達に暗殺者をやっている訳ではない。裏道は俺の庭みたいなもんだ。この街を出るまでは誰にも見つからない自信がある。
だが問題はこの街を出てからだ。今や情報が一瞬で手に入る時代。公共機関での移動はあまりできないし、国境までの長い道のりをどうやって逃げていくか……車でも奪えたらいいが、人目に付く道路を滑走するのは好ましくない。
夜に道路を移動するのも危険だ。夜は暗殺者たちの活動時間のため、慎重に裏道を通る必要がある。となると、比較的小回りの利くバイクを奪うしかないな……一度しか運転をしたことがないから不安だが、そんな事を言っている場合でもないだろう。
リアと暗闇の中を感覚だけで逃げ続けて二時間。
喧騒は聞こえなくなり、静まり返った街並みを走る音しか聞こえなくなった。ここまで逃げれば、とりあえずは大丈夫だろう。トップがいなくなって足並みがまだ揃うはずがない、明日の朝まではあの調子だろう。それまでに距離を稼ぐ。
リアの表情に疲れが見えて、休ませるために路地裏でも少し入り組んだ場所の隅に腰を下ろした。
何か食わせてやりたいけど、今の状態で路地裏を出るのは危険だ。街を抜けるまでは飲まず食わずが続くだろうが、明日の朝までには街を出られるはずだ、そしたら食料と水を調達しないとな……まだ顔が割れていない今のうちに。
『(トーマス)』
頭の中に聞こえた聞きなれた声に顔が綻んでいくのが分かる。成功したんだ、こいつは本物の悪魔だ。俺たちなんか足元にも及ばない強さと残酷さを持っている。だがリアが怖がらないかが不安だ。
「(良くやったアモン、追っ手の状況はどうだ?)」
不意に現れた喋る薄気味悪い鳥の姿をした“それ”にリアは一瞬恐怖の表情を浮かべたが、俺が話しかけたのを見て、少しだけ呼吸を落ち着かせた。
リアへの説明は後だ。まずはアモンに状況の確認を行わなければ。
『(今は気配を感じない。暫く落ち着かんだろうな。だが落ち着き次第すぐに追っ手は差し向けられるだろう。お前が犯人だという事はばれてはいないようだが、逃げ出した人間すべてを殺す命令は出されよう)』
「(そうだろうな、それまでに逃げ切って見せる)」
『(偉く自信があるようだな)』
「(お前がいる。当然だ)」
ハッキリと頼りにしていると伝えれば、暗闇でも動物の様に光る眼が一瞬細くなったのを確認した。なんだ、悪魔もおだてられるのが嫌いではないらしい。そんな反応を返すぐらいなのだから。
大丈夫だ、こいつさえいれば絶対に。
「(ここからどうやって逃げるの?)」
リアの問いかけに曖昧にしか反応できなかった。証拠やGPS機能がついている携帯電話を使うのはあまりにも危険だ。マフィアの影響力はテレビ局や政界にまで及んでいる。電話の履歴やGPSから辿るの等簡単だろう。そう考えると携帯電話は使い物にならない。
この使用が最後だ……
携帯からマップのアプリを取り出して、最短の国境までのルートを検索する。奴らだって馬鹿じゃない、俺がアメリカに逃げようと行動することは想定の範囲内だろう。まだこの路地裏ならGPSでばれたって痛手じゃないが、この先の行動を筒抜けにされたらどうしようもない。
そのためにもこのルート検索は奴らの行動の先読みにも牽制にもなる。
当然俺を捕まえる奴らは最短ルートで待ち伏せしているだろう。つまりこのルートを避けることで、一番待ち伏せされるであろう奴らの裏をかけるってわけだ。
マップを画面で保存してアプリを消して機内モードに設定する。これで電波を受信しない、つまり奴らに俺たちの行動を読むことはできない。次にネットに接続できるのは逃げ切ってからってわけだ。やってやろうじゃねえか……
「(行くぞ。まずはこの街を出てからだ)」
邪魔する奴はみんな殺せばいい、俺はそういう環境で育った。話し合いなんて高度な事はできやしない。片っ端から始末していけば情報が漏れる事もない、行く手を遮るものもない。死人に口なしだ。
とりあえず、この州を今日中に出たい。朝に休めばいいだけの事だ、今は休むことは許されない。早く国境沿いの州まで出ないとな。
長年暗殺行をしていて、これほど路地裏の知識に長けていることに感謝したことはない。
今の所、追っ手は完全に撒けた。後は先回りしているメンバーや同盟くんでた奴らの目をどうかいくぐって逃げ切るかだ。
適当にそこら辺に捨てられていた布きれをリアの体にかけて少し休憩を取る。勿論この場所も見つからないように狭くて身動きも満足にとれない場所だ。リアは少し寝苦しそうにしていたが、それでも疲れの方が勝っているのだろう、俺の肩に頭を乗せて小さな呼吸を繰り返していた。
見張りはアモンに任せて、これからのルートを考える。
「(この先、待ち伏せは多いと思うかアモン)」
『(そうだろうな。それに面倒な奴らも来るだろう)』
面倒な奴ら?それはメキシコ政府軍やマスコミの奴らだろうか?
おそらく明日の朝のテレビはこのニュースで持ちきりなんだろうな。なんたって親会社が潰れたようなもんだ、それを放送しないはずがない。だが自分たちが殺されないために込み入った取材などは一切せず、ただ潰されたってことを放送するだけだろうがな。政府軍は内輪もめってことで軍を出さないらしいが、政府軍の中にもスパイが潜んでいる……その姿勢もいつまで持つか。
だが軍やマスコミが表だって出てこないのはありがたい。俺の事を嗅ぎまわる奴は少ない方がいいからな。
「(面倒な奴らってなんなんだ?)」
『(貴様は既に私の契約者。話しておかねばなるまい)』
契約者……忘れていたけれど、そう言えばそうだったな。
こいつからある宝石をもらった。売りさばこうとも考えたが、後が怖いのでおとなしく身に着けている。綺麗な宝石がついた鞘……カルセドニーの鞘って言ってたが。
いまいち良く分からない俺にそいつは全てを説明してくれた。
自分が地獄から召喚された悪魔だという事。同類が全部で七十二匹いる事。ソロモンの指輪を持つ天敵がいる事。そいつが間違いなく俺たちを襲撃してくる事。
『(奴らの裏の顔は我らと同じよ。人間の皮を被った化け物だ)』
「(ふうん……俺みたいなのが最低でも七十二人はいるってことね。それでそのうちの一人が俺を狙ってくるってわけだ)」
理解はできた。俺が相手にするのは軍の奴らではない、アモンを地獄に返そうとする指輪の継承者たちと、それに付き従う悪魔たちってことか。
アモンがいなければ国境越えは容易ではなくなる。邪魔をする奴は全て殺す、何があってもだ。
『(私も貴様に聞くことがある)』
「(なんだ?)」
『(貴様、国境を越えて何をする?)』
それはアメリカに逃げ切った後の事を聞いているんだろう。そうだな……考えたこともなかったよ。
「(表の道を歩きたい。朝から夜まで、誰の目も気にせず)」
『(……それだけか?)』
「(公園でアイス買って食うのもいいな。ウィンドウショッピングってのも憧れだ。日の光に浴びれたらなんでもいいか)」
『(なんと言うか……つまらん目標だ)』
「(すげえだろ。最高の一日だよ。俺の人生で一番幸せな日になるだろう)」
外の世界を出歩くのは必要最低限、仕事は顔が見えないくらい闇の中。太陽とは無縁の世界で過ごしてきた。だからこそ、俺は太陽を手に入れたい。
顔を隠すこともなく、フードを被ることもなく、後ろめたいこともなく、堂々と歩きたい。
「(その世界の中に、きっと俺とリアがいるはずだ)」
その未来を想像したいのに、太陽の光が降り注ぐ眩しい道を歩いた記憶が遠く昔のこと過ぎて、想像すら難しい状況に至ってしまっていた。
でも数百メートル先の景色の色もちゃんと見える世界に足を踏み入れたい。
人口の光じゃなくて、自然の光に包まれた道を歩きたい。どうしよう、想像もできないのに、最高で幸福だと分かってしまうんだ。
「(きっとその世界は眩しくて、俺の想像では計れないほど幸せに満ちてるんだ)」