第40話 光に憧れて
トーマスside -
血だまりに立っているのは自分。四人いた部屋には俺とリアの二人以外誰もいなくなった。目の前にいるリアは声をあげて泣いている。それを見て、ぼんやりとしていた思考が徐々にクリアになっていき、自分がしでかしたことの恐ろしさを知る。
そして、今まで大麻の幻聴だと思っていた声が実際の声で、幻覚と思っていた悪魔と言う存在が本当に存在していたという事。
40 光に憧れて
リアの衝撃的な発言を受けて一か月。何も変わることなく相変わらず俺は暗殺作業、リアは軽い暗殺作業に性接待。いなくなったアシュレイの話をする奴はおらず、むしろ買われていったアシュレイを他の女どもが羨望と嫉妬で貶めているぐらいだった。
リアはその間にナンバーワンの娼婦になった。
だが毎晩他の男の相手をさせられているリアは段々やつれていき、立っているのもやっとに見えるほど衰弱している。ボスや幹部も売り物のリアには最高の状態でいてほしいんだろうけど、買い手がリアを休ませることを拒む。需要が多すぎるんだ。
「(平気なのか?)」
フラフラ歩いていたリアにすれ違いざまに声をかければ、リアは少し疲れた顔をしながらも頷いた。でも足がおぼつかず、強がっているだけだとすぐに分かった。
その晩、先輩であるロナルドから部屋に呼び出された。
「(先輩、どうかしたんですか?)」
先輩の部屋に通された俺はなぜか何も喋らない先輩に便所に連れて行かれた。アジト内には反乱を起こさない為に、いたる場所に盗聴器が仕掛けられている。勿論俺の部屋にもあったが、あの部屋の前の持ち主がこっそり盗聴器を外しているのがばれていないままのため、比較的自由が約束されている。だが先輩の部屋は違う。
狭いトイレに男二人で入る。ぎゅうぎゅうだけど多分重大な話なんだろうな。
何も言わない俺に先輩は袋を手渡してきた。中を見ろと言われて中身を覗くと、そこには大金が入っていた。
「(先輩?)」
「(……数年前からジュリアンと二人で貯めてたんだ。結構な額は貯まったはずだ)」
それをどうして俺に?
確かにこれだけたまっていればしばらくは働かなくても暮せていけるだろう。でも金を貯めた所で自分たちには使い道がない、この仕事を辞める訳にはいかないんだから。
そう言おうとした俺の耳に飛び込んできた先輩の言葉は俺の今までの価値観を完全に崩すものだった。
「(近いうちにジュリアンと二人でここを抜けるつもりだ。逃げる場所も見つかった……受け入れてくれる人たちも)」
「(抜ける!?そんな事できるわけがないですよ!ボスが許可するはずがない!)」
「(そんなことは分かってる。だから逃げるんだ。お前には伝えとかなきゃいけないって思ってな……)」
そんな……なんでそんな無謀な事をするんだ?逃げられるはずがないじゃないか……この場所から逃げられるはずがない!
今まで俺と先輩はそうやって逃げ出した仲間を何人も追いかけて殺していったじゃないか!逃げることに失敗して、殺されていった奴らを何人も見てきたじゃないか!それなのになんで先輩はできるはずもないことをしようって言うんだ!?
多分気持ちが表情になって出てたんだろう俺に先輩は苦笑した。
「(言いたいことは分かるよ。でも遅かれ早かれジュリアンは長くない……ジュリアンな、性病にかかってるんだ)」
「(性、病……?)」
「(性接待でオヤジとセックスばっかしてたら仕方ないよな。でもこの場所にいてもジュリアンは助けられない。俺はジュリアンを助けたい。助けられないにしても最後に二人で思い出を残したい、もうこんな生活はうんざりなんだ)」
ジュリアンが病気にかかってるなんて話、聞いた事がない。でも最近は表にあまり出ないのは知ってたが、病気になってたからなのか……
マフィア内で性病にかかった女は表に出なくなる。当たり前だ、客にそれを移しては大変だから。そして性病にかかった女は捨てられる。捨てられるといっても解放されるわけじゃない、内部情報を知っているのだから処刑されるんだ。
つまりジュリアンは近いうちに殺されるため、先輩はその前に逃げ出そうと考えてるんだ。
「(む、無理だよ……できる訳ないよ。先輩がいなくなったら俺……!)」
「(ごめんなトーマス。だから言いたかったんだよ。リアだけは手放すなって)」
鈍器で頭を殴られた感覚が広がった。そうだ、リアだってジュリアンの様になってしまう可能性は十分にある。そしたらいくら人気があるからと言ってもリアだけが殺されないなんてことは絶対にない。所詮は駒、リアだって処刑だ。
全身に悪寒が走った。
綺麗な仕事でいいなと思ってた。足を開くだけで俺たちみたいに命張らなくて済むんだ、女ってのは楽な生き物だって。でもそう言う訳じゃない、リアたちも怯えてたんだ。恐怖に。
「(……いつ、逃げるんですか?)」
「(ジュリアンの処刑は一週間後だ。それまでに……最後にお前にだけは言っておきたかったんだ。元気でなトーマス)」
「(嫌味ですか?こんな場所で元気になんてやっていけませんよ)」
「(それもそうだな……生き残れよ最後まで。お前が最低最悪の一日から抜け出せますように)」
俺の普段の口癖を知っていて、そんなこと言うんだからひどすぎる。
先輩の部屋を出て自分の部屋に戻る際、色んなことを考えた。先輩はこの場所からいなくなるんだ。もう生きてこの場所に足を踏み入れる先輩を見る事はないだろう。
先輩は逃げることを決めた。殺されるかもしれないって言うのに逃げる道を選んだ。
― 俺も……逃げたい。
逃げられるものなら、こんな場所から逃げ出したい。でも先輩たちみたいに受け入れてくれる場所も逃げ方も見つけたわけじゃない。先輩たちはまずグアテマラに逃げ込んで、そこから助けてくれる逃がし屋と合流し、最終的にはブラジルに渡る予定らしい。
かなりの長旅にはなるが、ブラジルは逃げた奴が好む格好の逃げ場所だ。アメリカよりも国境越え自体が楽に行えるから。でも長旅な分、危険も金もかかる。
「(俺だって……その気になれば)」
『(逃げ切れるのか?)』
幻聴が聞こえて、振り返れば幻覚が見えた。自分を悪魔だと名乗る化け物の幻覚。格好の話し相手でもあったが、最近は忙しくて声も姿も感じる事がなかった。
自分の部屋のドアを開けてベッドに腰掛けて幻覚を見つめる。
「(逃げたいのは当たり前だ。逃げられないから困ってるんだ)」
『(ほう……)』
「(先輩は馬鹿だ。逃げられるはずもないのに)」
『(それでもその道を選択したロナルドをお前は羨ましがっている)』
そうだ、俺は先輩が羨ましい。死も恐れずにその決断を下した先輩の勇気に羨望のまなざしを向けている。逃げ出したいのはみんな一緒、失敗した時のことを考えると足がすくみ実行できないだけ。
実際に逃亡に成功したメンバーは多い。絶対に失敗するってわけではない。でも失敗したら次またやれるってわけじゃない、絶対に殺される。
「(そんな事、できる訳がない)」
その時、部屋の扉が不意にノックされ、慌てて扉を開けた先には上司でもある幹部が立っていた。
何が何だかわからない俺に幹部は何も言わずにただ付いて来いとだけ促した。
「(何があるんですか?)」
「(変態オヤジの相手だよ。どうも見られながらヤるのが興奮するらしい。俺たちに見物人になってほしいらしい)」
億劫そうに話す幹部。
娼婦とヤるだけじゃ飽き足らず、そう言った気味の悪いプレイを好むオヤジは少なくない。今までもヤっている現場を見てほしい、SMをしたい、様々な注文を受けた。面倒極まりないが幹部が直々にこんな下働きをするくらいだ。結構な大物なんだろう。
アジトの中で格別にいい部屋に通された。いいな……この部屋のフカフカのベッドで寝る事が出来たら、幸せすぎて一生目を覚まさない自信がある。でもベッドに腰掛けている女の姿を見て言葉を失った。
「(リア……)」
リアはこちらに気づき目を丸くしたが、すぐに逸らした。
そしてボスとにこやかに会話しながら少し小太りの四十程の男が入ってきた。父親の七光りで本人は能無しの金持ちだ。ボスは客には絶対に向ける事のない冷たい視線で失敗するなと言葉を残し部屋を出て行った。
この部屋は接待用の部屋で隣の部屋までかなりの距離がある。そして男の希望で今日この場所は警備が俺と幹部以外はいないらしい。いつもならガチガチ武装しているのに。
そんな事はどうでもいい。もしかして俺は最悪なケースに出くわしてないか?
男はこちらには目もくれず急かすようにリアの服を剥いで行った。見た事がなかったリアの裸をこんな形で見ることになるとは思わず、目をそらしたいのに隣にいる幹部の視線が痛い。
リアは少し抵抗してはいたが、強い抵抗なんてできるはずもなく、結局はされるがままだ。でもこっちを見ないでくれと言う視線を送っている。
見たくない、俺だって見たくないよ!なんでリアがこんな気持ち悪い男に無理やり抱かれてるところを見なきゃいけないんだ!?
幹部は何も言わずに無表情でその光景を眺めている。どうやらそうしろと言う上からのお達しの様だ。なんで、どうして……耐えられる訳がない、リアは俺の……俺の大切な人なんだ!こんな光景耐えられる訳がない!
「(止めろ!)」
気づけばカッとなって大声が出てしまい、幹部も男もリアも皆が目を見開いた。その瞬間、幹部に殴られて地面に倒れこみ、それを見て走り寄ろうとしたリアを男が乱暴にベッドに縫い付けた。
「(トーマス、次は殺すぞ。これは仕事だ)」
何が仕事だ、こんな悪趣味なことにまで駆り出されないといけないのか?想っている事さえ駄目なのか?納得のできない状況に顔を歪める俺の耳元で幹部が囁いた。
「(お前は優秀な暗殺者だ。ここで失うのは惜しい。だがお前とリアができてるのは見過ごせねえんだよ。良く見ておけ、リアはお前の物じゃない。カルテルの物だ)」
俺とリアはそんな関係じゃない、勘違いだ!
そう言いたかったのにリアの悲鳴が聞こえて顔を上げた先には痛みに泣くリアがいた。リアの泣き顔を見て男が興奮しているのが分かる。何発も顔を殴り、首を絞めて、嚙みちぎってしまうのではないかと思うほどの力で胸に噛みついている光景に背筋が凍る。狂ってる……皆狂ってる!
もう許せない、耐えられない!ふざけるな!!
「(トーマス!)」
気づいたら拳銃を取り出して、それを幹部に向けていた。
大きな銃声が響き渡り、脳天から血を流して幹部がその場に倒れこむ。血が噴水のようにその部分から溢れ出て、男の悲鳴とショックで言葉を失っているリアの姿が視界に入った。
次は、お前だ……
銃を向けた俺に男は焦りながらも、まさか客の自分が殺される訳がないといった顔で弁解している。でも残念だな、俺の決意は固い。あんた……ここで死ぬんだよ。
「(こ、殺すのか?いいんだぞ、俺は客だ。お前が殺されるだけだ!)」
「(うるさい……)」
引き金をゆっくりと押しながら、銃を男に突きつける。
手は震えたけれど、幹部を手にかけてしまったんだ。どちらにせよ俺にはもう道がない。それならば苛立ちの元凶を今ここでっ!
「(うるさい!どうせ俺にはこの道しかないんだ、どうせ遅かれ早かれあんた達に殺されるんだよ!!)」
大きな音が聞こえた瞬間、視界一杯に赤が広がった。
「(疲れちまったな……もう俺は用済みだ。本当に最低最悪の一日)」
最初は四人いたんだ。俺とリアと幹部と客の男、でも今は俺とリアだけ。足元に横たわっているのは幹部と客の男で、床に真っ赤な絨毯が敷かれていたため、どこに血が流れているのかはいまいち分からない。
大事な商売客を殺したんだ。ボス達は間違いなく俺を殺しにくる。こっちはカルテル全員のメンバーの顔を知らないが、相手は全員俺の顔を知ることになる。もう逃げられる場所はどこにも無い。
でもどうでもいいって思った。泣いて犯されているリアを目の前にした瞬間、頭が真っ白になって、気が付いたら成金のデブ親父は床に這いつくばって死んでいた。
上からコートを羽織っただけのリアは隅で泣いている。いつもこうやって泣いていたんだろうか?リアはいつまで経っても自分の体を売る事が耐えられなかったんだ。きっと今までもずっと泣いていた。
それを見てぼんやりと考える。あと数時間後にボスがここにくるだろう、その時に全てが終わる。
良く分からないまま焦燥が襲い掛かり、リアを押し倒した俺に、リアの目が丸くなる。
「(どうせ俺は死ぬんだ。最後に一度くらい女抱いたっていいだろ……一回だけでいいよ。なぁリア、俺に犯されてくんねえ?)」
結局俺もあの親父と同じだ。リアの裸を見て興奮してたただの変態だったんだ。リアに同情したんじゃない、最初から俺はリアが欲しかったんだ。誰にも触らせたくない、腕の中に閉じ込めていたい。汚い物から守ってやりたい。自分自身が汚れているのに、そんな妄想を抱いていただけだったんだ。
嗚咽交じりの脅しに恐怖なんて微塵も装えないのに、それでも脅すかのように耳元で囁いた俺に、リアが抵抗する事はなかった。
か細い腕が背中に回り、何も間に挟めないってぐらい体が密着する。心臓の音が重なり合う感覚は初めてで、肩越しにリアが泣きながら笑っているのが聞こえた。
「(トーマスは私のこと、好き?)」
「……」
「(私はトーマスのことが好きだよ。だからね、トーマスが私のことを好きでいてくれたなら犯すって言わないわ。愛し合うって言うんだよ)」
なぜかナイフを刺されたかのように心臓が痛み、その痛みで目に熱が灯って涙が溢れ、泣いたままリアに口付けた。リアは逃げる事も抵抗することもせず、ただずっと泣きながら笑っているだけだった。
***
疲れて俺の腕の中で体を預けているリアを見ながら最期の時を待つ。そろそろボスが帰ってくる、その時に俺は殺される。分かっているけれど、恐怖には勝てず、体がガタガタと震えた。
最後にリアをこんな汚い世界から出してやりたかったな。性接待なんかしなくても生きていけるように、愛されるように、家族の所に帰れるように。
捨てられた俺と違って、リアは誘拐された子供だ。アメリカに居るリアの両親がリアを懸命に探しているって話しを過去に聞いた事があった。アメリカにさえ渡ることができたら……あの柵を越える事さえできたらリアは幸せになれる。
『(中々見事なショーだった)』
「(またお前か)」
今こんな状況で幻覚を見ている暇なんてないと言うのに……けどこいつが幻覚じゃないという事がこの時にわかった。そいつが俺の腕に触れたからだ。
幻覚といえど、ここまでリアルに掴まれるものなのか?一体こいつはなんなんだ!?
「(お前……)」
『(私はソロモン七十二柱が一角アモン。お前の言葉で言う所の悪魔と言う奴だ)』
「(あく、ま……)」
信じられないはずなのに出てきたのは乾いた笑いだった。
もうここまでくれば信じるしかない、それしか道がない。こいつを信じていれば今を逃げる方法が見つかるかもしれない。
「(アモン、お前に質問がある。お前と一緒に居たら、俺達はアメリカに渡れるのか?)」
『(お前次第だ。だが今この場を乗り越える手助けぐらいはしてやろう)』
「(そうか、なら俺と交渉しよう。俺達をアメリカまで連れて行け。それが俺の願いだ)」
『(良かろう、では私からの条件だ。私の魔力を受け入れる事と、必ず自身の願いを掴みとること。邪魔をする者は全て消すこと……これが条件だ)』
なんだ、随分俺に都合のいい条件だな。魔力を受け入れる意味は分からないが、願いを叶えることが交渉材料になるなんて。邪魔する奴らを消すことなんて造作もない、俺は今までそうやって生きてきた。
ついでだ、俺の邪魔をする全てをぶっ潰して行ってやるよ。
そうすれば先輩とジュリアンは逃げ切ることができて、きっと二人は確実に幸せになれる。そして俺たちも……
「(望むところだ)」
逃げ切ってやるよ。やっと心の底から欲しいと思ったものを手に入れたんだ。
今まで自分が不幸だと思ってた、不幸に生きて不幸に死ぬしかないって思ってた。でもそんな自分が幸せになるために何か行動を起こそうとしている。
邪魔する奴は容赦しない。
「最低最悪の一日から抜け出してみせるよ」