第39話 逃げるように
文字化けの都合上、変換がうまくいきませんでした。
外国の人間の台詞は「()」で表示しています。ご了承ください。
今回から2話程度、トーマス中心で話が進みます。
トーマスside -
「(リア、平気か?)」
「(大丈夫……どこまで逃げるの?)」
「(この国じゃない何処かへ)」
暗い路地を二人、手を繋いで走る。追ってを今の所は撒けているようだ。こっちは暗殺者として物心つく頃から人通りの少ない路地裏の道の位置を徹底的に仕込まれてきた。そう簡単には捕まるはずがない。
ポケットに入っている拳銃と血に染まったナイフだけが俺の武器。これだけで逃げてやる、逃げ切ってやるさ。
俺たちは捕まらない。
39 逃げるように
「(トーマス、今日の仕事も上出来だった。奴がいなくなれば相手にも大きな痛手だからな)」
仕事を終えた年の近い先輩暗殺者がニコニコ笑顔で声をかけてくる。でも人のいい笑みとは裏腹に話している内容はえげつないが、それが普通の世界ではその会話が可笑しな話だとは誰も思わない。
先輩に頭を下げて血に染まったフードを廃棄部屋に放り込んだ。下手に道端に捨てれば、そこからアジトを特定される恐れがあるため、アジト内の廃棄部屋に捨て、金で雇った掃除業者が証拠品を完全に抹消する。
世の中金で動かせる人間がほとんどを占めているだろう。ビクついている掃除業者のオヤジ共も大金さえ積まれれば、裏の世界である仕事を二つ返事で受け入れた。所詮世の中はそんなもんなのだ。
今日も最低最悪の一日を無事に生き延びて、束の間の安息を与えられる。
その時、俺と先輩の横を護衛に守られたジジイが通り過ぎて行った。高そうなスーツを身にまとい、素性を知られたくない為に帽子を深く被りサングラスをかけている。その光景を見てそれが何を意味しているのかはすぐに分かる。
「(あれが今日のVIPっすか)」
「(密売組織の幹部らしい。ここで仕入れた麻薬を数倍の値段で末端に売らせてんのさ)」
先輩から煙草を一本貰い、それを吸いながら男が入っていく部屋を眺める。取引さえ成功すれば莫大な金が手に入り、俺たち下っ端でも十分に生活できる金が回る。ここからは暗殺者である俺たちの出番ではなく、交渉人である幹部やジジイ共を骨抜きにする性接待用の若い女たちの仕事だ。とは言え、客が女なら相手も変わる。俺も先輩も客のババアに気に入られて強要されたことぐらいはある。
ヤク決めてぶっ飛んだ相手との行為は正直言って最悪だ。素面ではやってられない……今でも思い出しただけで吐き気がする。
俺も一度だけだがジジイに抱かれたことがあるし、ジジイを抱いたこともある。どちらも同一性障害で簡単に言えばゲイだった。そのジジイに気に入られた時は世界が終わってしまったかのように感じたもんだ。
実際一度だけの体験でも、こっちの精神的ダメージはかなりでかかった。当時九歳だった俺は当たり前のように童貞で、まさか童貞卒業する前に処女喪失するとは思わなかった。
だからそのジジイが他のマフィアに暗殺された時は大事な顧客を取られたと悔しそうな演技をしている内心、心は喜びで震えたもんだ。
「(今日の相手はリアみたいだ。あいつ最近引っ張りだこだな)」
「(そうっすね)」
先輩の言葉に平常心を保ちながら返事をした。そうか、今回もリアが相手なのか……
最近リアはこう言う事に前以上に駆り出されることがあった。元々小奇麗な顔をしていたし、ほそっこい割に胸がデカかったからオヤジ共のお気に入りではあったんだが、それでも今ほど頻繁に相手をすることはなかった。
「(でもまだマシだよな……ああやって可愛がられているうちは俺たちみたいに命かけて外に出ることをしなくていいんだから。気に入られて引き取ってもらえりゃ玉の輿だ。最高じゃねえか)」
「(じゃあ先輩は今度ゲイジジイか厚化粧ババアに気に入られてみたらどうですか?)」
「(ははは、変態に愛でられ続けるか最前線で戦うかか。究極の選択だな)」
にこやかに笑っている先輩、ロナルドは俺と同じ家族に売られてカルテルに来た。一言で言えば先輩は望まれて産まれた子供ではなかった。
不倫相手との間にできた子供が先輩だった。そして先輩の両親は離婚した、理由はもちろん母親が不倫の末に別の男との子供を身ごもったからだ。不倫相手も逃げていき、産まれてきた先輩は母親からの虐待を受けた。お前のせいで幸せが奪われたんだと……そして再婚して母親が新しい父親との間に子供を産めば、先輩はまるでごみを捨てるかのようにあっさりとカルテルに売られた。
それからずっと先輩はこの世界で生きている。俺よりも長い間、ずっと……
「(先輩、ジュリアンとはどうなんですか?)」
「(それはまた今度。ばれたら俺もジュリアンもタダじゃすまないからな)」
先輩は性接待の売り子である女性ジュリアンと恋仲だった。売り子と俺たち暗殺者が付き合うことは勿論NG、下手したら俺たちが殺されてしまう。だから先輩とジュリアンは隠れて交際を重ねていた。誰にもばれないように……その事実を知っているのは今の所、自分だけだ。
とりあえず一日中動き回って疲れてしまったので、次の仕事まで仮眠をとるために先輩に挨拶して部屋に戻ることにした俺の背中の背中に先輩の声がかかる。
「(リアだけは放すなよ。絶対にだ)」
「(何の事っすか?)」
「(俺から見ても、あの子は脆すぎて今にも壊れそうな印象がある。だから絶対に手放すな、一生後悔するぞ。あの子はボスのお気に入りでもあるしな)」
「(誰にでも股開くアバズレと本気の恋愛なんて馬鹿げてる。余計なお世話だ)」
「(……俺に対する嫌味かよ。本当にお前は)」
なぜ試すような事を言うんだろう。俺とリアは仕事仲間だ、確かに他の奴らよりは仲がいいのは認めるが、なぜそんな関係の様な事を言われるのかは全く理解できなかった。
先輩の言葉は俺に不快感しか与えず、適当な言葉だけを繕って後にした。
***
「(すみませんっ……命だけは、命だけは!)」
「(だから俺に言っても知らないって)」
喉を狙ってナイフを突き刺す。銃は音が響くから使用はしない、急所さえ狙えばナイフでだって一瞬で人を殺せる程度の殺傷能力はある。案の定、首から噴水のように赤い液体をぶちまけて先程まで泣き言を言っていた男は動かなくなった。
数秒間は溢れ出る血をボーっとしながら眺めていたが、この際だから金目の物も奪おうと男のポケットに手袋をした方の手を突っ込むとカードケースと指輪が出てきた。
指輪は使えるがクレジットカードは位置情報がばれるから使えないな……財布にも金は少ししか入っていない。これで良く麻薬を買っていたな……ブローカーとして場数を踏んでいないだけか?
そう思いながらカードケースを開けると、中には今時少ないであろう家族写真を一番前に飾っていた。今目の前で死んでいる男とは思えないほど、優しい顔で妻と子供を抱きしめている写真。
「(あんたは家族がいたのか)」
微笑ましい構図のはずなのに異常に苛立ち、気づいたらその写真をバラバラに破いていた。
写真が男の体の上に落ちて赤く染まっていく。
「(こんな場所に足を踏み込んで馬鹿な奴。お前の家族は二度と帰ってこないお前を永久に待ち続けるんだな。最低最悪の父親)」
一度踏み込めば逃げる事なんかできやしない。こいつは永久に追われ続け、母親も子供も巻き込まれる。こんな奴がいい父親を演じるためだけに仕込んでいた写真が気に食わない。
今死んで良かったのかもしれない。きっとこの男はいずれ家族を捨てるだろう。ヤクが全てになって、周りの制止を振り切り、家族さえ金の一部と思うようになる。あんたみたいな父親、いない方が子供も幸せだ。
しかしカードケースの中に一枚の紙切れを見つけ、男が不本意でこの仕事をさせられているということが分かった。お偉いさんのパシリとして麻薬受け取りをさせられていたようだ、写真をよく見ると病院の一角で撮られているようにも見え、子供の治療費を稼ぐためだったのかもしれない。
「(やっぱ世の中金なんだよなー……)」
そりゃそうだ。無償の愛なんかで腹は膨れやしない、着る物なんか手に入らない。
金がなけりゃ世の中生きていくことなんてできやしないんだ。だからこの男も俺も生きるためには何でもやるんだ、死ぬ勇気がないから。自殺できる勇気があったらどれだけいいか……もう何度考えたかわからない。
最低最悪の一日とか毎日呪文のように言いながら、逃げる勇気がない臆病者。俺みたいなのは死なないと安息を得られないのは分かっているはずなのに。
「(俺もいつかはあんたのようになる……遅かれ早かれ結果は同じか)」
溢れ出てくる恐怖と喪失感は誤魔化せるものではなく、逃げるようにその場を走り去った。そこから先は覚えてない、逃げて逃げて逃げてアジトに辿り着くころには全身が汗でベトベトだった。
コートを廃棄部屋に捨てて、自分の部屋のシャワー室に駆け込み、血を落としたら幾らか気分が落ち着いた。
シャワーを終え、ベッドで横になっていると部屋をノックされ、体を起こす。
まさか飛び入りの仕事が入ったのか……?この仕事さえ終わったらゆっくりできるはずだったのに。
そう思いながらドアを開けると、そこにはリアがいた。
「(お、おい!)」
「(早く入れて!見つかっちゃう!)」
俺の部屋に入る事はお互いにとって自殺行為、バレたらただでは済まない。リアは慌てて部屋の中に入り、内側から鍵を閉めて安堵のため息をついた。
「(バレたらどうすんだよ、こんな所で死ぬのだけは嫌だぞ)」
「(大丈夫だよ、確認してきたから)」
いや、そんな問題じゃなくてだな。
呆れて何も言わない俺をしり目にリアはさも当然のようにベッドに腰掛けた。不意に通り過ぎた時に香った男物の香水の匂いが鼻を刺激して不快感が走った。
「(今回は何歳?)」
「(どうだったかな……多分三十半ばくらいじゃないかな?)」
いい年してお盛んな事だ。平然と語っているけれどリアがここに来るには何か理由があるはずだ。じゃなきゃ疲れた体にムチ打ってこんな所までは来ないだろう。暗殺者の所に娼婦が来るのがいい顔をされないってことくらいリアも知っているから下手なことはしないはずだ。
でもそれを無視してまでここに来るってことは、それなりの理由がある。
「(何かあったか?)」
「(……トーマスには分かっちゃうんだね)」
「(お前何かあった時しか来ないだろ)」
何も話さないうちにポットのお湯が沸いた。そのお湯を使ってインスタントのコーヒーを二つカップに注いだ。何も言わずにリアに渡したら、リアは受け取っただけでまだ飲む気はないようだ。
それを何も言わずに自分だけ先にカップに口をつけた。砂糖の効いていないコーヒーは苦いけど、変に甘ったるいものよりは自分好みだ。
そのまま五分くらいお互いに何も話さずにいると、リアが不意に口を開いた。そのころにはリアの分のコーヒーは温くなり、自分の分のコーヒーはなくなっていた。
「(アシュレイが買われていったの)」
それが意味することを分からないほど馬鹿じゃない。アシュレイはリアの親友の女だった。そっか……あいつ買われたのか。
「(良かったんだか悪かったんだか、だな。だが殺しはしなくてよくなるぞ)」
「(あの男のアシュレイの扱いの悪さは知ってる。あの男と寝る度にアシュレイは傷が増えていく)」
「(でも買われる事が決まって泣くほど喜んでたんじゃないのか?)」
リアが悲しんでいるのはそれが原因でもあるんだろう。アシュレイはその男に買われて喜んでいたのだ。ぼろ雑巾のように扱われて抱かれて、それでもこの世界にいるよりかは小金持ちのペットになることを選んだ。
リアが言うにはもう旅立っていったらしい。どうせこの場所に思い出の品なんてないし、荷物だってわずかだろう。自分を買ってくれる男に出発をあわせるのは当然のことだ。
アシュレイはもうこの場所にはいない。別にアシュレイ一人がいなくなってもこちらに痛手はない。安い金で拾ってきた女を高く買ってくれればそれでいいのだ。変わりなんざ、また拾ってくればいいだけの話なんだから。
「(お前はどうなんだリア?上に気に入られてるみたいじゃねぇか)」
「(冗談でしょ……死んでも行きたくないわよ。行った所で待ってるのは地獄だけだもの)」
リアのことを気に入っている客はいくらでもいるし、アシュレイよりもリアの方が遥かに人気だ。そのリアよりも先にアシュレイが買われたのは、リアはまだ値が上がると上が確信しているからだ。
何人もの成金どもがリアを欲しがり、まるでオークションの様にリアを最高の価格で落札する金持ちが現れるまではリアはここに縛り付けられるだろう。
「(買われた方が幸せかもしれないぞ。それで綺麗な生活を送ることができた女は沢山いる)」
「(でも捨てられて行く所の無くなった人もいっぱいいる)」
「(……そうだな)」
「(どっちでも地獄なの。ならここにいる……ここには好きな人がいるから)」
「(は?)」
リアに好きな奴がいる?そんな話は聞いた事がない。
さらっと言い放った爆弾発言に間抜けな返事しか返せなかった。心臓がツキンと痛み、その後に血液が逆流しているかのようにドキドキ音がした。
「(そんなの聞いた事がない)」
「(だって言ってないもん)」
放心している俺を余所にリアは立ち上がって周囲を確認して部屋を出て行くために扉に手をかける。一体何が言いたかったんだ?いや、何やってんだよ俺は。
リアに好きな奴がいる、か……先輩はリアを手放すなって言ってたけど、そんな必要なさそうだ。リアがまず俺を必要としない、それは確実だ。
「(それ誰?俺の知ってる奴?)」
「(知ってると思うわ。でも告白する気はないの)」
出ていく寸前でリアを止めて真相を追及する。なんでか分からなかったけど、このままではイライラして眠れそうもない。言い逃げでこっちだけ振り回されるなんて御免だ。
問いかけに答えたリアは少し悲しそうだった。確かに娼婦だと内部のメンバーとの恋愛は色々枷がある。でもリアの事を色眼鏡をかけて見ている暗殺者や幹部はいっぱいいる。それこそ性接待する親父と一緒に歩いて行くリアを見て何人もの男が“リアと犯りたい。あの女を自分の物にしたい。”と呟いているのを見ているから。
リアからアクションを起こせば確実に取れるだろう獲物をなぜ取りに行かないのか?
「(なんで告白しねえの?お前振る奴なんていねえだろ)」
「(……いつも振られてるわよ。だから、きっと永遠にこのまま。彼が死ぬまでは何が何でもここにいる。彼がいなくなったら、後はもうどうでもいいわ)」
リアからそこまで言ってもらえるなんて羨ましいけど、情けない男だと思った。そいつのためにここにいると言い放ったリアを見たら、その男はどう思うんだろうな。面倒な女と思うのか、健気な女と思うのか。
「(結局誰なの?)」
「(……自分の健康も顧みないでタバコ吸う人。それ以上は言わない)」
そんな奴、ここには一杯いて全然ヒントになってない。
なぜこんなにも苛立つのかわからないけど、リアを壁に追い詰めて睨みつけた。勝手に必死になっているだけなのに。
「(お前、前に俺が抱きたいっつったらいつでもいいって言ったよな。誰にでも言ってんの?)」
「(だってそう言う仕事だもの。尻軽って思ってる?)」
なんだ、少しだけ望みを持って問いかけた答えをリアはあっさりと砕いた。俺に言ったのは仕事だからか。俺に抱かれるのにリアは興味も何も示していないのだ。
途端に心臓が冷えてリアを開放する。なんだかもうどうでも良くなった。
「(尻軽って思ってんのなら誰にでも言ってんじゃねえよ。糞ビッチ)」
「(……ほら、やっぱり好きになってもらえない)」
「(あ?)」
「(なんでもない。じゃあね、お疲れ様トーマス)」
リアが出て行き、一人残された部屋で考える。
リアの好きな奴って誰なんだろうな。