第20話 君はいつでも笑ってて
澪side -
「澪、父さんは仕事で忙しいから」
「ごめんね澪、急患の患者さんが入ったから……」
パパとママは仕事が忙しい、昔からそうだった。小さい頃は我侭言って泣いていたけど、この歳になれば我侭は許されない。でも大丈夫、パパとママは家にいてくれる時はいつだって優しいし、いつだって優先してくれる。
でも、一人でいる家はとても広くて何だか怖くなることがあるんだ。
20 君はいつでも笑ってて
「こないだママと買い物行った時に美味しい店見つけたんだー値段も安かったし、今度一緒に行こう!」
昼休み、裕香と話している他愛ない会話。相槌を打ちながら少しだけ羨ましいと思ってしまう。裕香のお母さんは専業主婦で、良く裕香と一緒に買い物や遊びに行っている。あたしも誘ってくれて三人でお茶したこともあった。
考えも若い人で裕香と一緒に話していると姉妹の様に見えるくらい仲良しだ。
あたしのママは勤務医をしてて、総合病院で働いてるから急患の患者さんが来ると家にいても、どんな時でもそっちを優先する。定時に帰ってくることなんて年に数えるくらいしかない。お医者さんだもんね、それも当然か。
机の上に置かれている進路のプリントなんか見たくなくて机の中に入れようとしたのを見て、裕香の話が変わる。
「ねー澪は何学部行くの?澪が理系行かなかったの意外だったんだけどーおばちゃん医者じゃん」
「嫌だよ医者なんて。大変そうだし……あたし頭悪いから」
「えー澪頭いいじゃん!勿体ない!」
その台詞は広瀬君に言ってあげたら。頭いいは広瀬君みたいな人に使う言葉だから。それにあたしなんかが医者になれるはずもない。そんな覚悟も頭もないし、ママの生活を見ていて思うんだ。あーこんな生活したくないなって。だからママは素直に凄いと思う。
でもいいんだ、今週の日曜は久しぶりにママとお出かけだから。どこに行こうか、何をしようか。どんな服を着て行こうか?なんだかデートみたいに心が跳ねていた。
***
「マジ母さんの買い物長くてさぁ、有り得ねえよな。どっちも一緒だから変わらないっつーの」
「分かるわそれ。もう両方買っちゃえよって言いたくなるよな」
ヴアルちゃんがマンションに遊びに来てって言ってたから学校帰りに向かうと、お約束通り拓也と広瀬君がソファを陣取って話していた。拓也の話はこの間おばさんと買い物行った時、おばさんの服を見る時間が長くて困ったという物で、それに同感してる広瀬君と話が凄く盛り上がってる。
二人に挨拶して少し話した後にヴアルちゃんの所に向かう。ヴアルちゃんは飛びついてきて受け止めたら少し倒れそうになった。痛いけど可愛いからしかれないんだよなぁ。
「ねえ澪、今週一緒に遊ぼうよ!一緒にお買い物行こう!」
ヴアルちゃんからのお誘い、凄く行きたいけど今週は駄目だ。ママと買い物に行くから。申し訳なくて謝ったら凄く残念そうにしてた。ごめんね、また今度遊ぼうね。
でもヴアルちゃんは今週どうしても行きたかったらしい、今度はシトリーさんに頼んでいた。シトリーさんは最初面倒くさそうにしてたけど、広瀬君が付き合ってやれよって言ったからバイトの時間までならいいって許可を出してくれた。シトリーさんて広瀬君の言う事は何だかんだで聞くよね。契約してると相手の言う事ある程度聞かなきゃいけないのかな?
その後ヴアルちゃんとヴォラク君の癒される二人と少しお話しして、家に帰る事にした。拓也と広瀬君はもう少し居座るんだって。今日は拓也の家で夕飯を御馳走になるから早く帰ってきてねって伝えたら、物凄いスピードで拓也が何回も頷いていた。相変わらず拓也は面白い。
ヴアルちゃん達に手を振ってマンションの入り口までエスカレーターで降りたらセーレさんとアスモとはち合わせた。
「あれ、澪じゃん。今から帰るの?」
「お邪魔しました。セーレさん達は買い物?」
「うん、残念だなーもう少し早く帰れたらお茶でも出せたのに」
人のいい笑みを浮かべてセーレさんは手を振ってエレベーターのボタンを押した。でもアスモはまだ動かない。それを見て、セーレさんは特に気にする事なく先に行ってるよ、とだけ言ってエレベーターに乗ってしまった。
残されたアスモは動く気配がなく、そんなアスモを置いて行くわけにもいかずに立ち往生する。
「アスモ?」
「……悪魔でも見つかったのか?澪がマンションに来てたから」
「違うよ、今日はヴアルちゃんに会いに来ただけだよ」
アスモが安心した。それが気になっていたんだろうか、聞いてくれたらいいのに言葉にするのに時間がかかるアスモに笑ってしまった。拓也はこんなに優しいアスモの何が好きになれないんだろう。
そこから少しだけ他愛のない話をして、今週ママと買い物に行くと言ったあたしにアスモは少しだけ悲しそうな笑みを浮かべた。
「アスモ?」
「澪が両親に愛されてて良かったと思って……彼女は、愛されてなかったから」
彼女、アスモが言う彼女はサラしかいない。政略結婚として使われ続けたサラ、誰にも愛されなかった可哀そうな人。遠い遠い御先祖様。
寂しそうに語ったアスモの目に映っているのはあたしじゃなくてサラだって事に少しだけチクリと痛みが走った。あたしは目の前にいるのになぁ……サラじゃないのに。
でもそれを笑ってごまかした時、携帯がなった。着信はママからだった。
「もしもしママ?」
『あ、澪。ごめんね、言わなきゃいけない事があって……今週お出かけする約束してたでしょ?駄目になっちゃって……ごめんね、今度埋め合わせするから』
「ママ?」
『何かあったら病院にかけてくれていいからね。今日も遅くなるわ、本当にごめんね』
ママは忙しそうに早口で言いたい事だけ伝えて一方的に電話を切られてしまった。そっか、また駄目になっちゃったんだな。今からでもヴアルちゃんを誘おうか。でもママと遊ぶってあれだけ言った後に駄目になっちゃった、は少し言いづらいな。
あーあ、またこれか。何回目だろこれ。
「澪、どうかした?」
「え?ううん、何でもない。あたし帰るね。またねアスモ」
「澪っ!」
なんだかアスモに見透かされそうで怖かった。慌てて逃げたあたしを呼ぶ声が聞こえたけど振り返れなかった、今すごく情けない顔してると思う。柄にもなく泣いてしまいそうになったから。
一度家に帰って、荷物を置いて着替えをして拓也の家にお邪魔すると、拓也の家は相変わらず賑やかだった。おばさんは優しいし、直哉君とストラスは可愛いし、おじさんも楽しそうに笑っている。
そして一時間くらい遅れて拓也が帰ってくる。直哉君が拓也の後を付いて行き、ストラスが直哉君がこけないか心配みたいで付いて行く。家にいるときは三人はいつも一緒でなんだか可愛いな。しばらくしてジャージに着替えた拓也が直哉君にちょっかいをかけながら入ってきた。やっぱ拓也と直哉君て仲いいな。こうやって見ると拓也はちゃんとお兄ちゃんだね。
おばさんと一緒にご飯作って一緒に食べて、少しだけ拓也の家にお邪魔して話して遊んで、家に帰れば一人ぼっち。寂しいな……今週どうしようかな。
拓也達は今週、アウトレットモールに行くんだそうだ。おばさんに誘われたけど、拓也が澪はおばさんと遊ぶんだって。って言うから返事をしそこねちゃった。もぉー馬鹿拓也……
でもそこで否定しなかったのは多分意地だろうな、これで拓也達について行ったら楽しいけど、少しだけ惨めだって考えた自分が馬鹿げてる。競う物じゃないのに……
なんだろうな、愛されてるって分かってるのに、どこかが寂しくて悲しい。そのくせ強がって誰にも頼れなくなるんだ。
「どうしてあたしってこうなのかなぁ……」
返事は無い、それもそうだ。家にはあたし一人しかいないから。
なんだかすごく悲しくなって、そのままベッドに横になった。
***
「今からどこ行こうかなぁ」
日曜日、結局やる事もなくて一人で銀座に出て来ちゃった。本当はママと行く予定だったんだけど仕方がない。いつも連れて行ってもらえるカフェでパフェくらいは食べてやる!
日曜って事もあって銀座はすごく人が多い。そんな中、駅で一人溜め息をついてるあたしは変な人だ。ママがいないと洋服買うお金もそんなにないし、正直やることもない。カフェに行くにはまだ時間が早いし、何をしようか。
銀座を歩く人は一杯いる。友達、家族、恋人、一人で来ている人もいる。別に一人で銀座は何回か来た事あるから、回ろうと思えば回れるけど、ママと行くんだとばかり思い込んでたから少しだけ寂しい。でも考えても仕方ないよね。
十一時半に駅に着く様に行こうってママと話してたから、なんでか一人なのに十一時半に着いちゃった。朝ごはんも食べてないし少しお腹がすいてきたかも……よし、お昼を食べよう!一人なんだからラーメンでも餃子でも好きなもの食べてやる!!
「澪!」
自分の名前を呼ぶ声が聞こえて振り返ったら、人ごみに揉みくちゃにされているアスモがいた。ビックリして固まってるあたしの所に既に疲れた顔で近づいて来る。アスモは足早に去っていく人たちを見て感心したように呟いた
「あはは、銀座ってすごいな。人が沢山で……皆これでぶつからずに歩くんだからすごいよな」
「ど、どうしてここに?」
アスモはここに何か用事でもあったのかな?一人で来てるの?周りに誰もいないけど。
でもアスモは首を横に振った。少し気まずそうな顔をして頭を掻いている。もしかして……やっぱり気づいてた?
「澪とおばさんの電話でさ……今日ここにくれば会えるかもって思って……ごめん、電話の会話聞こえちゃってさ」
「やっぱり気づいてたんだ」
「澪が寂しがってると思って」
「何それ」
アスモがあたしの隣に足を運ばせる。道が分からなくて色んな所を歩き回ったらしい、アスモは少し汗をかいていて暑そうだ。それでも笑いながら話題を提供してくる。
少ししか寂しがってなんかないよ、しょうがない事だから。ママとの約束が駄目になるのなんていつもの事、我侭なんて言っちゃいけない。一緒にいる時はあたしの事をちゃんと見てくれてるし、愛してくれてるから。
だから何も寂しい事なんてない。そう思ってたのに……アスモがそんな事を言うから、我慢してた物が抑えきれなくなった。
本当は裕香や拓也みたいに家族でどこかに出かけたい。拓也は母さんの買い物長いからだるい。そう言ってるけど、それが逆に羨ましい。
ママは忙しいから、急な手術とかも入ったりするから夜勤とかもあって夜帰ってこない事も多い。パパだってそう、単身赴任でここにはいないからすぐには会えない。それが慣れっこだった。それなのに……
潤みだした視界を隠して、半ば八つ当たりの様にアスモに文句をつけた。
「アスモなんか嫌い。からかわないで」
「からかってないよ。澪は我慢するから」
我慢しなきゃどうするの?我侭言った所で仕事を休める訳ないし、迷惑なだけだもん。正直に何でも言えばいいってものじゃないんだよ。
ぐずぐず鼻をすするあたしにアスモは少しだけ笑った。周りの視線が突き刺さるけど、泣きやめない。これも全部アスモのせいだ。
「泣かないで。だから俺が来たんじゃん」
「意味分かんない」
「一人が嫌いな澪に付き合ってあげようと思って」
その言葉に目が丸くなった。アスモは笑顔を浮かべた後、荷物持ちでも大丈夫だよ!と笑って見せる。つまりあたしの買い物に付き合うためにわざわざ来たって言う訳か。
「ここまで来るの大変じゃなかった?」
「セーレに行き方聞いたから大丈夫だよ。少し電車間違えたりしたけどグルグル回ったから一周したよ!」
それは少しじゃ済まされない。つまり迷いながらここに来てくれたのか。そう思うと心がじんわりと暖かくなって、あたしは恥ずかしさから顔を俯かせた。
アスモは優しい、些細な変化でも気付いてくれる。拓也には言いだせなかった、ドタキャンされたなんて。でもアスモは気付いてきてくれた、それがたまらなく嬉しかった。
興味深い物が多いのかキョロキョロ辺りを見渡しているアスモの手を掴む。
「まずはお昼ごはんね!その後は買い物してカフェ!アスモが荷物持ちね」
「いいよ、ご飯は俺が奢るよ。これって初デートって奴らしいから、シトリーがお前が払えってさ」
初デートとか……アスモに説教してるシトリーさんの姿が案外容易に想像できて可笑しくて笑ってしまった。何となく掴んだ手を放したくなくて、そのまま歩きだす。口ではアスモははぐれそうだから。そう言って手を握ったあたしの手をアスモは握り返した。
さっきまでの気持ちが嘘のように温かい。
「今日も暑いなー日本は寒暖の差が激しいな」
「そうなの?ずっと日本にいるから分からないよ」
他愛ない会話が嬉しい。
そのまま買い物に向かって歩いているあたしにアスモは呟いた。
「澪はいつでも笑っててな……サラの為にも」
「何?何か言った?」
「人が多いなーって」
「そうだねー」
わざと聞こえなかった振りをした。でも聞き返してもアスモは教えてくれなかった。またサラの事か、あたしはサラじゃないのに……アスモはあたしをサラと重ね過ぎてる。
どれだけサラと似てたか分からないけど、少しだけ気分が悪くなる。
「あたしを見てよ」
「何か言った澪?」
「暑いねーって」
「はは、そうだな」
お互いの声が届かない。