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第17話 ルンペルシュティルツヒェン

 ある粉屋に綺麗な娘がおりました。その粉屋は貧しく、粉屋の主人は貧しさを逃れるために王に“この子は藁をつむいで金の糸にします”と嘘をついて、王に娘を売り込みました。


 王は娘を王妃にすることを条件に藁を三日以内に金の糸に変える様に迫り、塔の上に糸車と藁と共に娘を閉じ込めてしまいました。


 三日後の朝までに金の糸が紡げないと殺されてしまう。途方に暮れて泣いている娘の前に、小人が現れました。


 “そのネックレスを寄こせば、私がこの藁を金の糸に変えてやろう”


 小人の条件に娘が応じた結果、小人は見事に藁を金の糸に変えたのです。王は大層喜びましたが、また娘を同じ条件で閉じ込めてしまいました。


 困っている娘にまた同じ小人が現れます。


 “その指輪を寄こせば、また私が力を貸してやろう”


 娘はその条件も飲み、小人の力を借りて藁を金の糸に変えてもらいました。


 王は二度も藁を金の糸に変えた娘に驚き、今度こそ藁を金の糸に紡げば王妃にすると約束しましました。しかし娘にそれはできません。娘が困っていると、また小人が現れて何かと交換に藁を紡ぐと申し出て来ました。しかし今回は事情が違います。


 “もうあげられる物がないの……”

 “ではお前が后になってから生まれる最初の子どもと交換でどうだ?”


 小人の条件に娘は目を丸くし、最初は拒みましたが、金の糸に変えなければ自分は処刑されてしまう。


 その恐怖から娘は折れ、その条件を飲んでしまいました。喜んだ小人は全て金の糸に変え、金の糸を見た王は大層喜び、娘を后に迎えました。


 そして小人との約束を忘れ、子どもも生まれ、幸せに暮らしていた娘の前に小人が現れました。


 “約束通り、子どもを頂く”

 “お願い!宝石でも何でもあげるから、この子だけは奪わないで!!”


 娘があまりに嘆くので、小人は仕方なく一つの条件を出しました。


 “仕方がない、三日待とう。それまでに私の名前を当てられたら子どもは諦めよう”


 娘は必死になって小人の名前を探しましたが当てる事ができません。

 一晩、また一晩と過ぎていき、困っている娘に王が何気なく言葉を洩らしました。


 “そう言えば今日森で奇妙な歌を歌う小人を見たんだ。そいつは「あの子供は俺の物、ルンペルシュティルツヒェン、俺の名前はルンペルシュティルツヒェン」と歌っていたんだ”


 娘は王の話を聞いて、間違いなく小人の名前だと確信しました。

 最終日、子供を連れ去りにやってきた小人は自信満々に娘に自分の名前を聞きます。しかし娘はもう分かっていたのです。


 “さぁ私の名前を当ててみろ”

 “えぇいいわ。貴方の名前はルンペルシュティルツヒェン!”


 王妃に名前を言い当てられて、小人は戸惑いました。

 まさか自分が歌っていた歌を聞かれていたなど思いもしませんでした。

 そして小人は癇癪を起して暴れ出しました。


 “悪魔が教えやがったな、悪魔が教えやがったな!”


 小人は叫び、カッとなって右足で地面を強く踏んだので、腰まで土の中に埋まってしまいました。そこで今度は左足を両手でつかんで、自分の体を真っ二つに引き裂いてしまったのでした。



 17 ルンペルシュティルツヒェン



 フェルディナントside -


 ここはどこだろう、真っ暗な世界だが居心地がいい。私は一体どうなったのだろう。確かあの日にレナーテとお話をしていたんだ。そうしたら心臓に痛みが走って目を開けていられなくて、立ち上がれずに倒れてしまったんだ。


 そして頭の中で声が聞こえた。Es ist Zeit für den Termin.(約束の時間だ)と。


 何も考えていなかった。そうか、今日が私の望みを果たして三日目……私の生死が賭けられる瞬間。彼の名前を当てられなければ、やってきた事すべて無駄になる。ヨルクとレナーテに幸福な一生を。愛情はお金では買えないが、お金で穏やかな生活は買える。それが、二人へのせめてもの……


 なのに頭の中に流れるのはルンペルシュティルツヒェンと言うグリム童話の中の一つの物語だった。なぜ今更流れるのかも分からないし、どうして頭の中にいつまでも残るのか分からない。


 そして私の目の前に彼が現れた。


 『Es ist Zeit, Ferdinand.(時間だ、フェルディナント)』


 彼が来た。


 ローブを羽織り、顔の半分が隠れるほどフードを深く被っている。手に握りしめられているのは魔法使いが持っていそうな宝石のついた杖。これで幾度も私に奇跡を見せてくれた。


錬金術師であり、我が家の妖精さんでもあった。そう、“あの時”からずっと彼はここにいた。


 でも不意に分からなくなって首をかしげた。どうしてあの時と思ったのだろう、あの時とはいつだ?だが、私は彼がとても懐かしく感じる。この姿形、間違いなく私は見たことがある。


 “Mögen Sie Süßigkeiten?Ferdinand.(菓子は好きか?フェルディナント)”


 その言葉が脳裏によぎった。私にいつもお菓子を与えてくれていた妖精さん。家にある小麦を一瞬でお菓子にしてくれていた妖精さん。私に名前を教えてくれなかった妖精さん。その時に気づいた。この妖精さんと私は会ったことがある。全て思い出した。そうか、やはり彼だったのか。


 何としても賭けに勝ってやろうと思っていたが、彼が相手ならば、それすらもどうでも良くなった。それほど彼が私に与えた物は大きかった。とても優しかったから。


 彼は気づいているのだろうか?


 『was war beunruhigend, meinen Namen sagen?(私の名を言う気になったのか?)』


 妖精さんがそう言って私に問いかける。私の寿命はもう短い、だがせめてヨルクとレナーテには幸せな生活を送ってほしい。それが息子を救う事が出来なかった私が出来る彼らへの最大限の罪滅ぼしなのだ。


 嫌われてしまった私にはこんな事しかできない。愛を囁く事も、この腕で抱きしめる事もお前が許してくれないのなら、せめてお前達がこれから幸せに暮らす手伝いくらいさせてくれ。そう思っての契約だったのだ。だが私は彼を見た事がある、彼のやっている事はまるで物語の様だ。そうだな、あの約束までも彼は実行しようとしているんだね。


 「Es gibt keinen Grund sagen.(言える訳がないよ)」


 私の返答に彼は杖を鳴らした。それが私の首に当てられ、その冷たさに死を連想する。


 『(ほぉ……では契約通り、貴殿の魂を頂こう)』

 「(私の魂は好きにしていい。だが資産は奪わないでくれ、頼むよ妖精さん。あれはヨルク達への罪滅ぼしなんだ)」

 『(そんな事、私の知った事ではない)』


 甘えているんだろうか、こんな年になっても情けない。でも君は私の願いを聞いてくれる。だって君はとても優しい妖精さんだったから。

 それで私が殺されてもいいのだ、あれだけの資金を残せた。私は満足だ。自己満足だとしてもヨルクとレナーテの生活の資金は作れたはずだ。


 『(私は君を覚えているよ……あの時も君は私の祖父に同じ条件を出していたね)』


 幼い頃の光景、借金を抱えていた祖父が見知らぬ男を連れてきた。祖父は彼を妖精だと言った。まだ六歳だった幼い私は祖父の言葉を信じ、彼に魔法をねだり、彼はいつも魔法を見せてくれた。そして祖父が最後にどうなったのかを知っている。


 『(君の名を言い当てられなかった結果、私の祖父は命を落とした。祖父が急死したと聞いた時はなぜだとずっと思っていたが、これが答えなんだろう?だがそれを恨んではいない。どうせ彼も私も老い先が短い。数年死ぬのが早まっただけだ)』

 『(何が言いたい……)』

 『(私も同じ運命を辿る。それでいい……だが君の名はその時に知っていたよ。君は祖父を殺す前に自ら名を名乗ったからね)』


 私の言葉に彼は動揺の色を見せなかった。それが分かっているかの様な、何もかも見透かしている表情だった。

 幼い頃に見た姿と変わらないまま。あの時も、私の祖父の負った借金を彼のお陰で返せた。彼は優しかった。貧しい為お菓子を買えない私に、お菓子を沢山与えてくれた記憶がある。


 『(思い出したか。そうだ、私は貴様の前は貴様の祖父と契約をしていた。貴様と同じ、借金返済の契約をな。ならばなぜ私の名を言わない、自ら死に急ぐのはなぜだ)』

 『(簡単な話だよ)』


 今の私はあの物語と同じだ。

 三日間の猶予を与えられ、名前を探させられ、その報酬と引き換えに莫大な資産を貰う。あの物語の小人と同じだ。だからこの先が見えているのだ、私が名を言った後の彼が……

 彼のお陰で孫達を幸せに出来る。そんな彼にできる恩返しはこれしかないのだ。


 『Ich sage den Namen, die Sie würde mit seinem Körper in zwei Teile zerrissen sterben?(私が名を言ったら、君は身体を真っ二つに裂いて死んでしまうだろう?)』


 幼い頃に祖父が読んで聞かせてくれたグリム童話の一つ。私がその内容を彼に教えた。彼の魔法がこの小人と似ているから。彼はいつか私で試してみようか、そう冗談めかして笑っていたのだ。そしてそれが現実になった。

 彼の瞳が明らかに動揺した。分かっている、小人と君は違う。君はあの小人の様にはならない。事務的に私を殺して自ら姿を消すだけだろう。

 そして違う者にまた同じ契約条件を与える。


 『warum nicht...(な、なぜ……)』

 『(もう悔いはないよ。孫達を幸せに出来る手伝いが出来たのだ。孫ももう私の顔など見たくないだろう。数年でも早く死んで欲しいだろうさ)』


 彼がロッドを下ろして背中を向ける。


 『(どうせ貴様の寿命など、もうないのだ。自らの目的に私を使わないでもらいたい。死ぬならば、勝手に死ねばいい)』

 「(そうかい……じゃあそうさせてもらうよ。ハアゲンティ)」

 『(どちらにせよ私の名を知っていた。私に貴様を殺す資格はない)』


 ゲームは貴様の勝ちだ、そう言ってハアゲンティが背中を向けて私から遠ざかっていく。彼は本当に私を殺す気はないようだ。

 しかし立ち止まって振り返らないまま、私に言葉を投げかけた。


 『Wussten Sie schon, Sie haben einen Vertrag mit mir?(なぜ私が貴様と契約したか分かるか?)』


 そう聞かれ、思い当たることを考えたが何も分からない。祖父が契約していた悪魔がなぜ私の元に来たかなんて、分かるはずもない。運命だと言われたらそれまでだ。


 「Nun...ich weiß es nicht.(さあね……何も分からないよ)」

 『(元より貴様の寿命は残り三年程度しかなかった。そして私と契約した事により寿命がすり減り、後三日程度の命まですり減った。与える期間と見返りのバランスで丁度いいと思っただけだ)』


 やはり私はもう老い先短いのか。それもそうだろう、長い人生だった。振り返ってみれば、大変だったけど幸せな人生だった。最愛の妻もできて、いなくなってしまったが息子ができて、そして今は孫がいる。

 私の最期を悲しんでくれる人がいることはかけがえのないことだ。こんな老いぼれは生きながらえてもヨルクは喜んでくれないから。それなら、最後にヨルクとレナーテの為に生きるのも悪くない。

 孫のために生きて死ぬ。最高の人生だった。


 「Warum haben sie zu töten?(ならばなぜ今殺さないのかい?)」

 『Will sagen. Kannte meinen Namen. Du hast das Spiel gewonnen.(言ったであろう。私の名前を知っていた。ゲームは貴様の勝ちだ)』

 「(そうかい)」

 『(さらばだフェルディナントよ……約束の時間に、貴殿に安らかな眠りを)』


 なんだ、最後まで君は優しい妖精だったのだな。最後まで私を気にかけてくれた。

 “数万年生きてきたから出会った人間の名前は覚えていない”

 そう言っていたのに、私が君の事を覚えていたように君も私の事を覚えてくれていた。なんだか不思議だな。


 「Danke.Es ist sehr schwer für Myokardinfarkt.(ありがとう。心筋梗塞は……とても苦しいからね)」

 『(あぁ、苦しいものだよ……貴殿はもう休むといい。後は全て奴が始末するだろう。ではな、次に会う時はあの時に与えた菓子を大量に持っていこうか)』

 「Ich mag alte Menschen.(こんな年寄りにか)」

 『Mein Standpunkt, Du bist noch zu dieser Zeit.(私から見れば、お前はあの時のままだよ)』


 ハアゲンティの姿が透けていく。それを暗闇の中でぼんやり見ながら不意に思った。私が小さかった頃に遊び相手になってくれていたハアゲンティの名前を知りたくて、何度も同じ質問をしていたことに。

 その度に笑って誤魔化されていた。


 “Hey Fairy's Name ist Was?(ねぇ妖精さんのお名前はなぁに?)”

 “Einmal traf ich meinen Namen und Sie werden ihnen nicht sagen, vom Sterben.(お前が私の名を当ててしまえば私は死んでしまうから教えてあげられないな)”


 やっぱり君は悪魔なんかじゃない、妖精ルンペルシュティルツヒェンだ。


 ***


 拓也side -


 「Opa!(おじいちゃん!)」


 病院に戻って三十分後にフェルディナントさんが目を覚ました。レナーテは急いでナースコールをして医師に来て欲しいと訴える。それを見て、俺は慌ててストラスを窓から病室の外に追い出した。ストラスは少し離れた場所から様子を伺うようだ。


 やっと目を覚ましたフェルディナントさんは目から一筋の涙をこぼした。そして小さく何かを呟いた。何を言ったかは分からなかったけど、力を振り絞って何かを伝えている。鼻から入れられている酸素の管が痛々しく感じる。喉に痰でも詰まっているのかゴロゴロ言っているし、回復できないんじゃないかという考えすら浮かんだ。


 レナーテが手を握りしめ、医師が慌てて病室に入ってきてフェルディナントさんを触診したが、医師はすぐに触診する手を止めてしまう。


 「Lehrer...?(先生……?)」

 「(覚悟していてください。呼吸音が弱まっている……看取りの準備をします)」


 へたりこんだレナーテを慌てて支えた。セーレに訳してもらって事の重大さを知る。フェルディナントさんはもう助からないんだ。最後まで……ヨルクは来ないのかよっ!

 その時、病室の扉が荒々しく開き、振り返ると、そこには大きな紙袋を持ったヨルクが立っていた。ヨルクは道を塞いでいた看護師と医師を押しのけてフェルディナントさんに近づく。


 「Opa!(じいちゃん!)」

 「(今まで何をしていたんだ)」


 セーレの突き放す視線を受けて、ヨルクが身を固めた。ヨルクの態度は酷すぎた、確かに生い立ちは悲しいものがある。でも全てフェルディナントさんの責任にしていたのは間違いだ。フェルディナントさんはヨルク達を救いたい。その気持ちだけで悪魔と契約した。

 

 金をつくり、父親の借金を返済させて、ヨルクが大学卒業して食っていけるだけの金を作って……悪魔が力を使うたびに、寿命が削られていくたびに、恐かっただろう。辛かっただろう。


 でもヨルク達の為に、この人は全てを投げ打った。


 その時、フェルディナントさんがゆっくりと目を覚ました。


 目は虚ろだったが、口が僅かにヨルク、レナーテと動き、その言葉を聴いたセーレが顔を歪めながらもヨルクに道を譲った。ヨルクは走ってフェルディナントさんに近づき手を握る。

レナーテが医師と看護師に最後は自分達だけにして欲しいと泣いて頼み込んで、医師達は何も言わずに頭を下げて出て行った。そして俺達だけになる。


 再び病室にストラスを招き入れて、ヨルクを見守る。


 フェルディナントさんは喋る気力も無いのか、口を小さく動かすだけだった。ヨルクは泣きそうに、くしゃりと顔を歪めながらも今まで聞いた事も無いような明るい声で話しかけた。


 「Von mir, und ich entschuldige mich der Großvater, war ich immer Geschenke kaufen.(俺さ、じいちゃんに謝ろうと思って、いつもプレゼント買ってたんだ)」


 そう言ってヨルクが手に取ったのは、今まで自分が渡したくても渡せなかったフェルディナントさんへのプレゼント。大きな紙袋一杯になったプレゼントを一つ一つ開けて見せていく。それを空ろな眼差しで見ているフェルディナントさん。ヨルクの事をちゃんと分かってるのか心配になる。


 ヨルクは乾いた笑いを浮かべながら丁寧に説明していく。この食器はスープに使うのがいい、とか。このグラスはビールを入れて飲むと泡が立って最高なんだ、とか。このフォークは本物の金が入ってて少し高かったんだ、とか。


 でも返事をせずに、ただヨルクを見ているフェルディナントさんに、ヨルクは遂に本音をこぼした。


 「No way...(嫌だ、よ……)」


 そのままフェルディナントさんの手を握りしめてベッドに身を乗り出す。必死な表情は今までに自分がしてきた行いを悔いる物だった。


 「(まだ死ぬなよ……やっと謝ろうってなれたんだ。この食器使ってさ、俺が飯作るから……まだ、まだ死なないで。死ぬなよお!!)」


 声をあげて泣き出したヨルクの頭をつたない手つきで撫でる。そして耐えられなくなって泣き出したレナーテもフェルディナントさんに飛びつく。二人にワンワン泣かれて、フェルディナントさんは二人の頭を撫でた。

 なぜか俺ももらい泣きして、病室に泣き声以外は聞こえない。

 そしてフェルディナントさんが小さな声で呟いた。


 “Wie ein Traum.Was für eine Fee Magie auch?(夢のようだ。これも妖精さんの魔法かな)”


 そしてフェルディナントさんの腕がベッドに落ちた。その瞬間、時間が止まった様に感じた。苦しむことも無く、一瞬でフェルディナントさんは眠るように目を閉じた。その表情はどこか笑っている。


 泣き叫ぶレナーテとヨルク、そして声を聞いて察したんだろう。医師と看護師が入ってきた。二人は呼吸が止まっているのを確認し、目にペンライトをさし、心臓に聴診器を当てた後に死亡したと俺たちに告げた。


 家族だけにしてあげて欲しい。そう医師と看護師に告げられ、俺達は中庭に移動する。そこには一人のローブを羽織った男以外に人はいなかった。ストラスがそいつの所に飛んでいって、今更ながらに悪魔退治しに来たんだと思い出した。


 『ハアゲンティ』

 『奴は苦しまなかったか?』


 そいつの第一声はそれだった。

 ストラスが肯定すれば、少しだけ満足そうに笑った。口元しか見えないけど、弧を描いた表情はどんな物なんだろうか。ハアゲンティは手に何かの宝石を持っていた。それはストラス曰く十字石のピアス。契約石なんだそうだ。


 『さて、最後の仕事だ』

 『最後の?』

 『見送ってやらなければな。いつも渡していた菓子を持って』


 ハアゲンティが杖を一振りすれば、空から大量のクッキーが落ちてきた。なんだこれっ!?頭に当たって少し痛い。これってどういうことだ!?

 病院の中からワーワーと騒ぐ声が聞こえてくる。それをクツクツ笑いながらハアゲンティはストラスに視線をよこした。


 『私の目的は果たした。さぁ、好きにするがいい』

 「どうしようストラス、パイモンいないんだけど……」

 『大丈夫です。ハアゲンティは自ら地獄に戻るつもりです。私達が儀式をしても何とかなるでしょう』


 魔法陣を描いてハアゲンティが自ら中に入る。早く返さなきゃ、誰かに見つかるとまずい。セーレが呪文を言っている時、黙っていたストラスが声をかけた。


 『相変わらずお人よしですね』

 『なに、古い縁がある奴だった。あのまま死なすには少し同情しただけだ』

 『この菓子の山はどうするのですか?』

 『さあな、残った奴が片付ければ良かろう』


 会話の意味は良く分からなかったけど、次の瞬間ハアゲンティは消えていた。大量に色んな所に落ちた菓子。汚いと分かっていながらも一枚拾って食べてみた。普通にプレーンのクッキーですごく美味しい訳でもないけど、不味い訳でもない。でもなんだか暖かく感じた。


 ***


 真っ白な十字架の前に俺達は参列する。ヨルクとレナーテからフェルディナントさんの葬儀に出席して欲しいと言われて、俺とセーレ、ストラスで来た訳だ。フェルディナントさんの親戚やヨルクとレナーテの従兄弟、合計十五~六人程度の参列だった。そして話題は二人の引き取り問題に発展する。


 今や二人は一億近くの遺産を持っている。フェルディナントさんと基本関わりが無かった遠い親戚は、いかにもお金が欲しいオーラを出して二人を引き取るとか言っていた。お前なんかが引き取るとかなったら、俺は直談判するぞ!徹底的に法廷で戦ってやる!


 「(心配してくださらなくて結構です。レナーテとこの家は俺が守ります)」


 ヨルクの凛とした声が響いた。気まずそうにしていたレナーテが顔を上げて、皆の視線がヨルクに集まる。ヨルクは髪をバッサリ切ってキチッと服を着て、別人のようになっていた。その視線は白い墓石に彫られたフェルディナントさんの名前にあった。

 親切そうなおばさんがヨルクの返事に戸惑いを見せる。


 「Jörg, aber du noch...(ヨルク君、だけど貴方はまだ……)」

 「(勉強はします。レナーテを不自由にさせる生活は送らせません)」


 その目には凛とした光が宿っており、親戚の人たちも何も言うことが出来なくなっている。

 レナーテが涙を流してヨルクに抱きつき、ヨルクはそんなレナーテを抱きしめて頭を優しく撫でた。なんだか本当に完璧なお兄ちゃんに見える。負けちゃったな。

 そしてヨルクは真っ直ぐ目を向け、親戚達に言葉を放った。


 「Ich werde mit zwei Personen Renate leben.(レナーテと二人で暮らしていくつもりです)Die Menschen werden stolz Großvater sein.(祖父に誇れる人間になります)」


 その言葉を聴いて一番嬉しかったのはフェルディナントさんじゃないのかな。なぁ天国から見てますか?あなたの孫はとても頼りがいがある兄ちゃんになったんだよ。それだけで十分誇れる人間だよな。


 レナーテが何度も頷いて、親戚も強く言ったヨルクに何も言い返さなかった。


 これから二人はきっと大丈夫だ。辛い事もあると思うけど、きっと乗り越えていける。だって兄弟が揃えば無敵だろ?


 フェルディナントさんに渡したかった雑貨は、あんたが使えばいい。いつか自分に孫ができて、その時に二人で使えばいい。きっと大切な思い出になるはずだ。


 絶対にそんな未来を送れるように俺、頑張るよ。審判を止めて見せるから。だから、今度はあんたがレナーテを守ってやって。



 “Fee, mit Ihrem Namen ich?(妖精さん、お名前なぁに?)”

 “Mein Name ist...Haagenti.(私の名前は……ハアゲンティだ)”




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