第13話 例え逃げても
光太郎side -
「で、お前は拓也に言っちまった訳か。馬鹿か光太郎」
「……隠せなかったんだ」
シトリーが大げさに溜め息をついて、ヴォラクは何も言わず一瞬シトリーに視線を向けたあと俯いた。三人の空間はピリピリと嫌な空気だけが張り詰めており、逃げてきたはずなのにここからも逃げ出したいと思ってしまった。
13 例え逃げても
「でもどうせ最後は知られちゃうわけだし、仕方なかったのかもね」
フォローを入れてくれたヴォラクに対してシトリーが眉を吊り上げる。シトリーは拓也に伝えた事自体は怒ってない。こいつが怒ってる原因は分かってる。
それは俺が拓也に伝えたからだ。
元々ある程度騒ぎが大きくなって隠せなくなったら拓也に伝えようって話だった。それを先に言ってしまっただけで、最終的に伝えるつもりだったからそこはいいって言われた。
「伝えるのは俺かヴォラクから言うって言ったよな。何でお前から言うんだよ」
「……聞かれたから」
「お前の口から言われるのが拓也にとってどんだけショックか考えなかったのか?公式ばっか覚えてて道徳の授業を真面目に受けねえからだよ」
「それとこれは関係ないだろ」
「お前の不安は分かるよ。だけど拓也に言うなってあれほど言っただろ?なんで約束を守れない」
頭ごなしに怒られるより、こうやって静かに問い詰めるように言われた方が正直怖い。まるで自分が駄目な奴って言われているようで、いつも俺を励ましてくれていたシトリーの冷めた視線や言葉が怖くて、返事が出来ずに黙ってしまって頭上から舌打ちが聞こえた。
でもヴォラクはさして気に留めていないようで、仕方がないといってフォローしてくれた。
「光太郎が抜けたって仕方ないでしょ。俺は中谷を探すだけさ、何も変わらないよ」
「あのなぁヴォラク……拓也が諦めちまったら中谷だって」
「一人になっても探す。中谷には俺が一緒にいなくちゃ駄目なんだ」
強い言葉にシトリーはやれやれと首を振った。ヴォラクみたいに自分の意思を曲げずに歩けたら何かが違ったんだろうけど、自分はそこまで強い人間じゃない。怖い物を見たら逃げたいし、絶望したら諦めたくなる。
今はその両方が襲いかかってる。
悪魔だけじゃない、顔も分からない奴らが面白半分で事件を騒ぎたてている。これ以上大きくなって止められなくなった時、きっと普通に生きて行く事は一生出来ない。もしかしたら家族だって普通に生活できなくなってしまうかもしれない。そんなリスクを犯してまで、見た事も無い奴らを助ける為に自分の命を賭けようなんて奉仕の心は生憎自分にはない。
「お前が抜けるんなら必然的に俺も抜ける事になんだろうな。俺はお前との契約の放棄は考えてねえから」
「シトリー……」
もっと怒ればいいのに。役立たず、お前なんて消えてしまえ。ぐらい言えばいいのに。今回悪いのは完全に自分だ。拓也もシトリーもヴォラクも被害者だ、自分のせいで可笑しくなってしまったんだから。でもそれ以上に怖かったんだ。
拓也を悲しませるって分かってても怖かった。でも拓也は俺と違って抜ける事が出来ない、一人になっても泣いて嫌だって言っても戦わさせられるんだ。だって悪魔が拓也を狙ってるから。
そんな拓也を一人にして抜けたいって言った自分は最低な人間だ。親友を売った様な物なんだから。中谷が見てたらなんて言うかな?でもその中谷もこの世にはいない。
膝に顔を埋めているからシトリーとヴォラクの顔は分からないけど、二人の視線は痛いほど感じた。
「で、どうすんの?光太郎とシトリーは抜けちゃうの?」
「このままだとそうなるな。こんな言い方悪いけどよぉ……光太郎に危害がなきゃどうだっていい問題だ。抜けたいって言うなら付いて行くよ」
シトリーはどこまでも俺の味方だ。ヴォラクも何も言わない、シトリーだって認めてくれる……これで良かったはずなのに。
「はは、は……」
「光太郎?」
「面白かったなー拓也の顔、真っ青になっててさ。最終的には泣きそうになってるんだ」
二人が眉を不快そうに動かしたのが見えた。
ソファに頭を乗っけて天井を見ながら、ひたすら笑う。乾いた笑いが室内を満たした。
「巻き込まれるのなんか拓也だけでいいよ。俺は見世物になんてなりたくないし、将来しなきゃいけないことだってある。最初からこうすれば良かったんだ」
「何言ってんの?」
ヴォラクの低い声が耳に入る。そうだ、怒れ怒れ。もっと怒れ。だって俺にはもう、これしか……
「俺は中谷みたいに惨めな死に方は絶対にしないし、拓也みたいに馬鹿な生き方だって絶対しない」
言葉を放った瞬間、天井だけだった視界にヴォラクが入り込んできた。ヴォラクの顔と振りあげられた右手だけが視界に入る。あぁ、殴られるんだな……そう思った。
でもいつまで経っても振り下ろされない手、苛立ったヴォラクの顔の横にはヴォラクの腕を抑えるシトリーの姿があった。
「止めろヴォラク」
「なんでお前が邪魔するんだよ」
「俺の契約者だから。他に理由いる?」
「じゃあ中谷は俺の契約者だ。こいつは、中谷を侮辱したんだよ!!」
血走ったヴォラクをいさめながらシトリーも殺気を放っている。なぁ、なんでこんな時まで庇うんだ?
振り下ろされないヴォラクの手、俺を責める事の無いシトリー、腹に溜まってくる苛立ち、それが口から溢れる様に転げ落ちた。
「……殴ればいいじゃん」
「はぁ?」
「殴れよ、思いっきり。手が腫れるほどに殴ればいいだろ。俺は中谷を馬鹿にした、拓也を見捨てた。殴ればいいじゃん」
胸倉を掴んでいたヴォラクの手を顔に持っていく。でもその手が頬に衝撃を与える事は無い。
「殴ればいいだろ!馬鹿にすればいいだろ!友達見捨てて逃げて帰って来て、勇敢に戦った奴を馬鹿にしたんだ!こんな人間消えてしまえって言えばいいだろ!?」
俺は死にたくない、拓也を助けたい。中谷を救いたい、自分の番が来るのは嫌だ。最後の審判を止めたい、巻き込まれて死ぬのはごめんだ。特定されるのが怖い、それでもやらなきゃいけないって分かってる。
半濁した頭で出した結論がそれで、親友を傷つけて見捨てたのに二人は俺を怒らない。
怒れよ、なんでそんな冷静なんだよ。同情した目で見るな、その手を振り下ろせよ!これじゃ、これじゃ……俺だけが感情的になってる。ただの……独り芝居じゃないか。
「……どうして泣くの?」
さっきまでと違うヴォラクの優しい声に、全ての物を正確な形で見れなくなってしまう。衝撃を与えるはずだった手が引いて行って、かけられていた体重も消えて行く。殴れ、ボコボコにしろ。俺は、友達を見捨ててしまった自分が死ぬほど大嫌いだ。
でも自分が可愛いから、自分を罰する事が出来ないから他人にやってもらおうと思った最低な甘ったれなんだ。
「こんなんだから……拓也も中谷も、信司も救えなかった」
小学校の頃からの幼馴染だった信司、バスケットが大好きで才能もあって推薦でバスケの強豪校に進学した。でもその才能を妬む先輩達から陰湿ないじめを受けて足を骨折した。俺は信司を救う事が出来なかった。連絡を取り合って電話だってしてたのに、信司の心の声に気づく事が出来なかった。だから信司は精神を病んで悪魔と契約して自分の足を折った先輩たちを手にかけた。
そして最後は悪魔に見返りとして自分の足の腱を渡し、バスケはおろか二度と歩く事も出来なくなった。
中谷だってそうだ、兆しはあったんだ。悪魔レラジェと戦った時にあいつは中谷の事を選ばれた人間だって言ってた。その時に気づけばよかったんだ、中谷は死後は天使達の世界ヴァルハラに招待されて天使になる予定の人間だったって事に。
それなのにその事を気にもしないでいたから、天使の芽を潰すと言って現れたフォカロル達に狙われ、中谷は命を落とした。結局誰も救えないんだ、俺はいつだって……
その場にいたくなくてヴォラクの手を振り払い、走ってマンションを出た。どこに行きたいか分からずに走っていたら、いつのまにはリハビリテーション施設の充実した病院に来ていた。幼馴染の信司はここで今もリハビリを受けている。
この時間帯なら信司は多分いる。そう確信して、病院の中に入った。
リハビリ施設に足を運ばせたら、立ち上がる練習をしている信司がいた。信司はこっちに気づき、目を丸くする。
「光太郎」
「……うす」
車いすで近づいてきた信司に顔が歪んだ。本当に歩けないんだ……
気づいたら俯いた顔を信司が車椅子から覗き込んでいた。慌てて後ろに下がったら壁に背中がついて少しだけチクっとした痛みが走る。
「リハビリはどう?」
「立つ事も出来ないよ。仕方ない事だけどな」
信司の目には諦めが含まれており、今行っているリハビリも意味がないと言っていた。信司をこんな顔にさせてしまったのも、自分がこいつを救えなかったから……
なんで今、信司に会いたくなったのかは分からない。でもムシャクシャした気持ちを吹き飛ばすのに信司に会わなくちゃいけないと思ってしまった。
二人で中庭に移動して俺はベンチに、信司はその横に車椅子を止めた。
「……なんかあったから俺の所に来たんだろ。何の用だ?」
「お見通し?」
「まあね。それかまだ俺に同情してるかだ」
信司はいつだって言う。自分は人殺しに手を染めた犯罪者だって。一時の感情に任せて他人を殺した悪魔だって。
信司が契約していた悪魔、剣豪サブナック。強くてパイモン達もメチャクチャにやられて、俺も殺された。他人を生き返らせる能力を持つ悪魔フォラスと契約者の光がいなかったら俺はこの世界に存在していない。
この事件は犯人が悪魔だった事から警察に言う事も出来ず、結局信司が殺した先輩達は死体も見つからず行方不明、そして信司が受けた部活内いじめがバレてバスケ部は無期限の活動停止処分、知ってて止めなかった監督も懲戒免職で終わった。
「色々疲れちゃってさー……もういいかなって思ってんだ」
「いいかなって?」
「なんで他人を助ける為に俺、こんなに頑張ってんだろう。誰も褒めてくれない、誰も認めてくれない……不毛だよ」
愚痴を言いたかったのかな。信司に零した本音、なぜか言い終わった後に心に少しだけ爽快感が走った。逆に愚痴を聞かされた信司はもやもやするんだろうなって思った。
「俺はさ、悪魔と契約して事件を起こしたけど……今でも後悔してるよ。でも事件を起こさずに耐えられたかって聞かれたら、それも違う。きっと耐えられなかった」
「信司……」
「逃げたいなら逃げろよ。誰もお前を責めやしないよ。でも、それでも、側にいてくれる奴がいたなら、きっとお前の友達は道を踏み外さないよ」
心に何か突き刺さった様な気がした。俺がいなくなったら拓也はどうなるんだろう。俺にもう悪魔のことを話してくれなくなるだろう。俺が聞いても答えてくれなくなるかもしれない。じゃあ拓也は誰に縋るんだ?ストラスに?松本さんに?
拓也の心が壊れてしまうかもしれない。逃げることができる俺を羨ましいと思うだろう。それって、どうなんだろう。拓也がそれで壊れたとき、俺は逃げた選択を後悔しないか?拓也と、どうでもいい他人の声……俺にとって大切なのは……
「俺はまだ頑張るべきなのかな……」
「さぁ、好きにすればいいさ。でもお前にしかできない事なんじゃない?俺は少し池上が羨ましい。何があっても見捨てない親友がいたら、きっとそれだけで救われる。俺も、他人に打ち明ける勇気があればよかった……」
俺にしかできない……本当にそうなのかな?国さえ信じてくれたら、軍が動いてくれたら……そう思うけど信じてなんてくれやしない。だから拓也は一人で頑張ってるんじゃないか。
そんな拓也に俺は……
「信司、俺は今度こそお前を助けるから。だからもう少し頑張るよ。また、弱音はいていい?」
「うん。俺ももう、強がったりしないから。いってらっしゃい光太郎」
「……ッ!うん」
信司に背を向けて歩く。
病院を出た先にはシトリーがいた。なんでいたのか聞きたかったけど、聞く前に見当はついた。
「満足したか?」
「……付けてたのか?」
「まぁな、あんだけ後味悪けりゃ付けたくもなるさ」
少し気まずそうに頬を掻く。でもその後にこっちを真っ直ぐ見つめてきた。
「今のご気持ちは?」
「まずは拓也に謝る事。話しはそれからだ」
「百点の答えだ。俺の主」
茶化してくるシトリーをどついてマンションに戻る。拓也にメッセージか電話をしようと思ったんだけど大事なことだ、直接口で言いたい。悲しませてごめんって。不安にさせてごめんって。
泣き虫な親友はきっと泣いたに違いない、そんで謝った後に拓也が言う言葉は大体見当がつく。
“馬鹿光太郎~!”
その未来が容易に想像できて、少しだけ笑ってしまった。