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HOPE  作者: 世捨て作家
7/12

True episode 烏丸綾人 前篇

 隼人が死んでから、もう三ケ月は経つ。

 凍る様に寒々しい季節は、温かな春の季節に変わっていた。

 変わったのは季節だけではない。

 俺の周りで変わった事が幾つかある。

 隼人の死後、沙耶子は学校を辞め、バイトをしながらピアノ教室へ通う様になった。

 以前の様に、放課後に音楽室でピアノの練習をする事は当然ない。

 かつて沙耶子が記憶を取り戻す前まで、好いにしていた宮村という少年は、肩の治療を終え、彼女との事を思い返す事なく部活に励んでいるようだ。

 最近、この二人には会っていない。

 会えば、思い出してしまうからだ。

 あの日々の事を。

 忘れた方が良い。

 あんな日々は。

 それでも、どうせ忘れられないのだろ。

現に俺は毎月、隼人の墓参りへ行っている。

 隼人が自らの死を持って、俺達に今の様な安息を与えたのなら、花を手向ける事はしておかなければならないと思ったから。

 だから、今日もこの霊園に来た。

 郊外にあるこの霊園は、街全体を見渡す事が出来る、とても眺めの良い場所に位置している。

 枯れた花を新しい物に交換し、線香を置いて墓石の前で手を合わせる。

 ありがとう、守ってくれて。

 そう心の中で念じ続けた。

「綾人君」

 背後から声がした。

 振り向くと、そこには沙耶子がいた。

「どうして、ここに?」

 たしか、沙耶子は葬式の日から、ここには来ていない筈だ。

 それなのに、どうして今になって?

「私、やっと気付いたの。いや、もしかしたら前から分かっていたのかもしれないけど、今の私があるのは、隼人君のおかげなんだよ」

「ああ、そうだな」

「それなのに……あの記憶が戻った日、私は隼人君を拒絶した」

「それは、光圀のせいだ」

「うん。でも、そんな私を隼人君は守ってくれた。今日まで悩んで、やっとここに来れたの」

 沙耶子は俺の隣に来て、墓石の前で屈んだ。

「私の為に、凄く頑張ってくれたんだね。本当に……ありがとう。それと、ごめんなさい」

 彼女は儚げな表情を浮かべていた。

「そういえば、お前の名字は平野のままなんだな」

「うん。私の名字を宮久保に戻したら、きっと……私は隼人君の事を忘れてしまうから」



 この数年間に渡る出来事は、俺達の心に深い傷を負わせた。

 それだけでなく、当事者の親類には死亡者もいる程だ。

 光圀幸太の両親の遺体は、警察の家宅捜索の結果、二階の部屋の天井に隠されている事が分かったそうだ。

 それと同時に、沙耶子を盗撮した写真や、繁華街で手に入れたと思わしき覚醒剤も警察に見つかり、光圀の罪が一気に明かされた。

 これが事の顛末だ。

 実を言うと、俺にも非はある。

 俺や沙耶子が隼人と出会う前、その頃から光圀は沙耶子に接触していたのだ。

 もしかしたら、俺がその事を察して行動を起こしていれば、隼人があんな事をする前に、この件は終わっていたのかもしれない。

 それに、もしかしたら俺の思いも伝えられたかもしれないのに。

 隼人にも、誰にも話す事はなかった彼女への想い。

「じゃあ、私はもう帰るね」

 沙耶子は立ち上がり、去って行く。

「待ってくれ」

 俺は意を決して沙耶子を呼び止めた。

 彼女はこちらを振り向く。

「沙耶子、今まで、すっと言えなかったけど、俺はお前の事が好きだった」

 俺はポケットに入っているリストバンドを、沙耶子に差し出した。

 そして、もう一つ。

 それは今、彼女の腕に着いている。

 俺はリストバンドを墓石の上に置いた。

「お前の事が好き、そう言いたくて、この数年間を過ごして来た」

 沙耶子は申し訳なさそうな顔を見せる。

「綾人君……私は、まだ隼人君の事が……」

「いいんだ。もう、いいんだ。俺はただ、この言葉をお前に伝えたかっただけだから。それに……」

「?」

「それに、これでお前との関係を清算出来た。もう、俺とお前は赤の他人だ」

 沙耶子は俺の服にしがみ付く。

「どうして!? どうして、そんな事を言うの!?」

「お前の為だよ。もう、お前は一人で生きていける筈だ」

「嫌だよ!」

 喚く彼女の頭を、軽く撫でてやる。

「あんな事があったんだ。俺とお前が一緒にいたとしても、辛いだけだ」

「嫌だ! 嫌だ!」

 彼女の喚きは止まらない。

「大丈夫だ。お前には隼人がいる。あいつが見守っていてくれる。大丈夫だ」

 彼女の目からは、やがて涙がこぼれだす。

「嫌だ……嫌だよ……」

 小さくて細い彼女の体を優しく抱いた。

「大丈夫。お前なら大丈夫だ」

「でも……」

「待っている……人がいるんだ……」

「え?」

「とても大切な……俺の……大好きな人なんだ……」

 諦めてくれたのだろう。

彼女は涙を流しながらも小さく頷いた。

「沙耶子、今までありがとう。辛い事も多かったけど、割と楽しかったよ」

 その言葉を最後に、俺は沙耶子と別れた。

 今までの出来事は全て、自分の人生の一部に過ぎない。

 俺にとっても沙耶子にとっても、どんな人にとっても、それは同じ事。

 だから人は前進を止めない。

 かつて、隼人がそうだったように。

 勿論、俺もそうだ。

 隼人の取った行動、あれは自己犠牲であって、決して最善の行動とは言えなかった。

 しかし沙耶子や俺、他の連中が今こうしていられるのは、隼人のおかげだ。

 だから俺は沙耶子の側にいる必要は、もうない。

守ってやる必要も、元気付けてやる必要もない。

 ポケットから携帯を取り出し、日付を確認する。

 今日は四月三十日。

 あと、約一カ月。

 その期間が来たら、俺は療養中の妹の元へ行く。

 これが、俺にとっての前進だと信じているから。

 真っ青に澄んだ青空を見上げ、呟いた。

「ありがとう。隼人」


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