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HOPE  作者: 世捨て作家
4/12

Episode3 芽生えた希望

 大学のキャンパスから出ると、冬場の寒々しい風が頬を撫でた。

 腕に巻いているリストバンドが、ふわふわしていて妙に温かい。

 首にマフラーを巻きながら呟く。

「寒いなあ……」

 吐いた白い息は、ゆっくりと寒空へ消えて行った。


♪ 


あの日、沙耶子が眠り始めてから三年が経ち、僕は大学に進級していた。

 沙耶子は未だに目を覚ます事はない。

 それでも週に一度、必ず彼女の見舞いに行く。

僕は信じているから。

天道が言っていた事を。

高校を卒業して以来、天道とは連絡も取り合っていないし、会ってもいない。

甘えたくなかった。

僕は、あの時とは違うから。


               


 受付を済ませて、彼女の病室へ行った。

 やはり、そこにある光景はいつもと同じ。

 ベットの上で横たわる沙耶子だけだ。

 しかも、彼女の姿は成長する事もなく、高校時代の容姿を、そのまま保っている。

「沙耶子……」

 その名を口にしてはみたものの、何も反応がない。

 あの日、沙耶子と共に過ごした日々。

 笑ったり、泣いたり、怒ったり、あの頃はとても楽しかった。

 それなのに、ここ最近では、笑ったり、泣いたりする事も出来ない。

「隼人」

 後ろから声を掛けられた。

 振り返ると、そこには綾人がいた。

 なんだか元気がない。

「どうした? 大丈夫か?」

「ああ……ちょっとな。さっき、院長に呼ばれたんだけど……」

「何か言われたのか?」

 綾人はゆっくりと頷く。

「実は、沙耶子の入院の事なんだが……」

「入院費は僕と綾人がバイトで、稼いでるじゃないか」

「いや、入院費の事じゃないんだ」

「じゃあ、なんだよ?」

 綾人は拳を握って、言葉を絞り出す様に言った。

「このままじゃ、回復の見込みはないから、来月に県外の病院へ移すそうだ」

 それは、つまり彼女の顔を見る事すら出来なくなる、という事だった。

「どうにかならないのか?」

 綾人は申し訳なさそうな顔をして黙ってしまう。

「僕が院長と話して来る」

 病室を出ようとすると、強い力で腕を掴まれた。

「やめておけ。その病院へ行けば、沙耶子が目を覚ますかもしれないんだ。俺達は、入院費の事だけを考えておけば良い!」

 その言葉に、抑えようのない怒りが込み上げて来た。

「何を言ってるんだ!? お前はあ!」

 勢いのあまり、僕は思いっ切り彼の頬を殴った。

 しかし、綾人は動じなかった。

「ちょっと、何やってるんですか!?」

 廊下にいる看護師が、驚いた顔をして怒鳴る。

「いえ、何でもないです。ご心配なく」

 綾人は愛想笑いを浮かべながら誤魔化す。

 僕は病室から一目散に駈け出した。



 行く所もなかったから、とりあえず家に帰った。

 家には誰もいない。

 当然だ。

 僕だけしか住んでいないのだから。

 部屋の中は冷え切っていて、とても寒い。

 突然、頬を温かい何かが伝った。

 頬に手を当てて、それが何であるかを確認する。

 これは涙だ。

「おかしいな。ここ最近、涙なんて出なかったのに……」

 久しぶりに流した涙を見て、僕は泣く事が出来るのだと、少しだけ安心した。



 翌日の朝、突然電話が掛かって来た。

 時計を見ると、まだ五時を回ったばかりだ。

 眠気の残る目蓋を擦り、布団から這い出る。

 寒々しい空気が体を包んだ。

 受話器を取り、眠そうな声で応答する。

「はい、もしもし」

「隼人か?」

 電話の相手は綾人だった。

「何だよ? こんな朝早く。何時だと思ってるんだ」

「大変なんだ!」

 彼の声は、珍しく活き活きとしている。

「沙耶子が目を覚ました!」

「え?」

 その知らせは、僕の眠気を一気に覚まさせた。



 病院内は早朝という事もあり、看護師が所々で忙しそうにバタバタとしていた。

 彼の姿がない事を察するに、まだ来ていないらしい。

 とりあえず、先に病室へ行く事にした。

 正直、怖かった。

 沙耶子と会うのは三年振り、という事になる。

 僕は恐れを振り切り、病室のドアを開く。

 部屋の中は、朝方の明るい光で満ちていた。

 窓際に置かれたベットの上に、半身を起こして外を眺める沙耶子の姿がある。

「沙耶子……」

 その名を呼んで、すぐ側へ行った。

 沙耶子はこちらを振り向き、ゆっくりと口を動かした。

「……誰?」

「え?」

 嫌な予感がした。

 まさか、そんな筈はない。

彼女の事だ。

 きっと、ただの冗談に違いない。

「沙耶子、僕だよ。隼人だよ……」

 沙耶子は困った様な顔をしてしまう。

「あの……ごめんなさい」

 一歩ずつ後ずさり、逃げる様にして病室から抜け出した。

 せっかく、会えたのに。

「隼人、どうだった?」

 廊下で綾人に会ったが、そのまま横切って病院の外へ出た。

 沙耶子、綾人、僕、自分達の不幸を呪う様な気持だった。



 もう、動く事も嫌だった。

 病院の中庭のベンチで、ただ頭を抱えて蹲る。

 何もしたくないし、何も考えたくなかった。



ベンチに座っている僕の直下に、野球ボールが一つ転がって来た。

手を伸ばし、それを拾い上げる。

かなり使い込んでいる様で、縫い目は所々が千切れ、全体的に剥げていた。

「これは……」

「ほんの少しの間だったけど、俺が一生懸命になっていた時の宝物だ」

 涙のこびり付いた顔を上げると、目の前には綾人がいた。

「沙耶子、記憶がなかったな……」

「もう駄目かもしれない」

「?」

「僕は……これから沙耶子といられる自信がない」

 綾人は少しだけ苛立った表情を浮かべて、僕に近付き、頬を強く叩いた。

 痛みがジワジワと湧いてくる。

 その反動で、思わずボールを落としてしまった。

 落ちたボールを拾い、綾人は言う。

「昨日のお返しだ。それと、俺をガッカリさせるな。どうして、俺がお前にリストバンドを渡したか分かるか? あれは、俺がお前に期待していたからだ。お前なら沙耶子を救える。そう思っていたから」

「でも……僕は……」

 僕の眼前に、綾人はボールを勢いよく差し出す。

「このボールは、短い間だったが、同じ夢を追い掛けていた奴から貰った物だ。こんな有様だけど、自分なりに大切にしている。あいつは信じていた。俺が夢を諦めても、いつか対等な場所で遭える事を。人に大切な物を託すというのは、そう言う事だ。俺がお前に、リストバンドを託したのも同じ事」

綾人は、僕に大切な沙耶子との思い出、リストバンドを託した。

それが彼にとって、これ程の意味を成していたという事に、ようやく気付いた。

 もし綾人が望む様に、僕といる事で彼女の記憶が戻り、僕達が元に戻れるのなら……。

「……そうだな。沙耶子の側に一番いなきゃならないのは、僕なんだよな」

 頬にこびり付いた涙を拭い、断言した。

「僕が側で沙耶子を守る。どんな事があっても。絶対に、沙耶子に辛い思いはさせない」


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