第6章 日常の観測者達
朝は、いつもと同じように始まった。
高層住宅区画の上層階。
人が住める限界高度ぎりぎりに積み重なった居住ブロックの一室で、アイラは制服の袖に腕を通しながら、窓の外を眺めていた。
視界に広がるのは、隣接するビルの壁面。
その間を縫うように、空中回廊と搬送レーンが何層にも重なっている。
そのレーンを、公共ロボットが進んでいく。
配送用。
清掃用。
警備用。
すべてが、同じ速度で。
同じ間隔で。
同じ角度のまま。
まるで都市そのものが、ひとつの機械の内部であるかのようだった。
「……今日、多くない?」
アイラが言うと、背後でリオが振り返った。
「そう?」
「昨日より巡回ロボット増えてる気がする」
「気のせいじゃない?」
リオは軽い調子で言って、テーブルに朝食を並べる。
「点検期間とかじゃない?」
その声は、いつも通りだった。
落ち着いていて、柔らかくて、何の引っかかりもない。
アイラはそれ以上、何も言わなかった。
——言っても、どうしようもない。
そういうことを考え始めると、頭の中がすぐにいっぱいになる性格なのを、自分で分かっているからだ。
学校へ向かう通路でも、ロボットはいた。
居住区と学区をつなぐ水平通路。
その天井と床の間を、巡回用の機体がゆっくりと往復している。
目のあたりに埋め込まれた小さなランプは、青。
正常。
問題なし。
ただの風景。
「おはよー」
セナが先に手を振ってきた。
「今日のロボット、多くね?」
ユウトがすぐ後ろで言う。
「一昨日の切り抜き回ってるからじゃね?」
セナが笑う。
「有名人の知り合いがいると大変だなー」
「やめろよ」
アイラは苦笑した。
「まだそんな騒ぎじゃないでしょ」
「いや、俺のタイムラインにはもう来てる」
ユウトは妙に楽しそうだ。
「“謎のR10”だって」
リオは、少しだけ肩をすくめた。
「別人だと思われてるなら、平気でしょ」
「その余裕が怪しいんだって」
セナが突っ込む。
「普通ビビるだろ」
「俺、心臓強いから」
「あははは」
それで、この話は終わった。
昼休み。
四人は、居住区内に併設された学生用ラウンジに集まっていた。
ガラス越しに見えるのは、さらに下層の居住ブロック。
その下は、立ち入り禁止区域だ。
「そういえばさ」
ユウトが思い出したように言う。
「この前、ちょっと怖いことあってさ」
「なに?」
セナが食いつく。
「家の床、抜けた」
「は?」
「マジで」
ユウトは笑いながら続ける。
「補修甘かったみたいでさ。踏み抜いた瞬間、下の階の人と目が合った」
「下の階って、人住んでたっけ?」
アイラが首を傾げる。
「俺もそう思ってた」
ユウトは肩をすくめる。
「でも普通のおじちゃんだった。めっちゃ謝られた」
「昭和の人?みたいな格好しててさ、、、」
ユウトは楽しそうだ。
「なんかさ、地表の話とかしてきてさ。変な人だったけど、悪くなかった」
誰も、その話を深掘りしなかった。
放課後。
帰り道で、アイラは近所の“おじちゃん”とすれ違った。
白髪交じりで、背中が少し曲がっている。
この居住区では、かなり年寄りの部類だ。
「お、アイラちゃん」
「こんにちは」
「元気か?」
「元気です」
おじちゃんは、ちらりとリオを見る。
「ロボットのあんちゃんも、相変わらずだな」
アイラの心臓が、跳ねた。
だが、おじちゃんはそれ以上何も言わず、すぐに笑った。
「わりいわりい」
小声で言う。
「これ内緒か?ほんと、ごめん」
そのすぐ横を、警備ロボットが通り過ぎる。
ランプは、青。
何も反応しない。
何も記録されない。
リオは、ただ軽く会釈した。
「お気遣いどうも」
それだけだった。
帰宅すると、部屋は少し散らかっていた。
いつもなら、リオが完璧に整えているはずの空間。
テーブルの上に出しっぱなしの端末。
片付けられていない配線。
「あれ?」
アイラが言う。
「珍しいね」
「最近、やること多くてさ」
リオは笑った。
「すぐ片付けるよ!」
「ううん、私も手伝う!」
その夜。
郵便ロボットが訪ねてきた。
ランプは、青と黄色を行き来している。
軽微な確認事項がある時の挙動だ。
リオが応対する。
短い沈黙。
数秒後。
ランプは青に固定され、
ロボットは何事もなかったかのように帰っていった。
「……ねえ」
アイラが、ようやく口を開く。
「大丈夫、だよね?」
リオは、一瞬だけ考える素振りをしてから、
いつもの笑顔を作った。
「大丈夫」
「心配しすぎ」
その明るさが、
逆にアイラを少しだけ安心させた。
——考えても、どうにもならない。
——なら、今は信じるしかない。
だが。
窓の外では、巡回ロボットの数が、確実に増えていた。
青い光が、規則正しく並ぶ。
観測は、始まっている。
まだ、気づかれないまま。
まだ、日常の顔をしたまま。
静かに。
確実に。




