第20章 適合者 イーサン
桜井は、私たちを人質に取ろうともしなかった。
その事実が、ずっと頭から離れなかった。
目撃者は多かった。
あの場で未成年の私たちを拉致することは、適合者としての“振る舞い”として、あまりに悪目立ちする。
それとも――
リオを仲間に引き入れるため、手荒な真似は避けたのだろうか。
どちらにしても、あの男は引くべき場面を正確に選んだ。
それが何より、不気味だった。
◆
私たち三人は、地表社会で大きく取り上げられた。
――上層居住区からの亡命者。
――ついに超高層ビル上層階の生活実態が明らかに。
そんな見出しが、紙の新聞という媒体で踊っていた。
未成年者という理由から、顔はすべてモザイク処理されている。
それでも、注目は異様なほど集まった。
ビルの麓を離れる際も、周囲には人垣ができ、
フェンス越しにこちらを覗き込む視線が無数にあった。
私たちが見えないよう、
ビニールシートで即席のバリケードが張られ、
その内側を通されるようにして、車両へと乗り込んだ。
守られている。
けれど、見世物でもある。
その両方を、嫌というほど思い知らされた。
◆
どれほど走ったのかは分からない。
気づいた時には、信じられないほど大きな屋敷の前で車は止まった。
豪邸だった。
扱いは、過剰なほど丁寧だった。
欲しいものは何でも用意され、拒否されることはほとんどない。
私たちの世話役として現れたのは、女性だった。
「ノリコよ。困ったことがあったら、何でも言って」
穏やかな声。
けれど、その所作には隙がない。
地表の人間もゴーグルを使って生活している。
その事実が、私たちとの距離を不思議なほど縮めてくれた。
言葉は通じる。
でも――
話している“層”が、どこか違う。
同じ単語を使っていても、前提となる世界が違う。
それだけは、はっきりと分かった。
◆
上層居住者としてのヒアリングは、毎日二時間ほど行われた。
主に対応したのは、ヤスキという男性だった。
真島さんと比べると、線の細い体つきで、
どこか研究者のような雰囲気をまとっている。
淡々と、しかし粘り強く。
生活、教育、管理、ロボットとの距離感。
私たちの知っている“当たり前”を、丁寧に掘り下げていった。
◆
ユウトとも、セナとも、毎日話していた。
ZEROHAVENで繋がった私たちだったが、
誰一人として「一緒にやろう」とは言い出さなかった。
理由は、分かっていた。
あれは――
人を殺す練習に、あまりにも近い。
それを一度、現実で体感してしまった後では、
軽い気持ちでログインできる場所ではなくなっていた。
◆
そんな生活が続き、三日目のことだった。
リオから、通信が入った。
『僕は無事だよ』
胸の奥が、一気に緩む。
『通信を傍受されないようにするのに、少し時間がかかった。ごめん』
『心配かけたね』
続けて、こう言った。
『ZEROHAVEN内なら、通信は安全だ』
『ZEROHAVENにログインして四人で話そう』
『ずっと、君たちがアクセスするのを待ってたんだ』
画面に浮かぶその文字を、私はしばらく見つめていた。
胸の奥に、遅れて実感が染み込んでくる。
――リオは、まだ捕まっていない。
その事実だけで、張り詰めていた何かが、ふっと緩んだ。
「セナとユウトを誘って、すぐログインする」
そう返信を送ると、二人に事情を説明し、ZEROHAVENへの接続を促した。
仮想空間。
見慣れたゲーム内アバターの姿で、四人は再び顔を揃えた。
久しぶりに揃ったはずなのに、誰もすぐには本題に入らない。
安全な環境にいること。
この三日間に起きたこと。
地表で見たもの、感じた違和感。
口々に、溜め込んでいた言葉がこぼれていく。
リオの詳しい居場所や状況は分からなかった。
それでも、彼自身が「安全だ」と断言したことで、三人の表情はようやく落ち着きを取り戻していった。
ひと通り話が終わると、リオは一度、間を置いた。
「……じゃあ、整理するね」
その声は落ち着いていて、どこか冷静すぎるほどだった。
まず、埋め込みデバイスの適合者は全部で六人。
① 警察・治安統括:桜井
② 建設・都市構造統括:黒川
③ 医療統括:エレナ
④ 情報・教育統括:レオン
⑤ エネルギー・通信統括:イーサン
⑥ 食料供給統括:クロエ
「この六人で、今の世界は再構築されている」
リオはそう言い切った。
そして、その中で最も“中立”に近い存在――
それが、エネルギーと通信を統括する適合者、イーサンだという。
「お金に忠実で、支配には興味がない」
「僕の存在にも、正直あまり関心がない」
だが同時に、誰も無視できない。
通信とエネルギーは、社会の血管そのものだ。
止めれば、都市も、医療も、軍事も、すべてが機能不全に陥る。
「イーサン自身は征服を望んでいない」
「でも、ZEROHAVENの運営に注力している」
それが意味するのは――
ZEROHAVENが、実戦と切り離された“ただのゲーム”ではないという事実だった。
戦争と、限りなく地続きの場所。
戦力が育成され、選別され、取引される中核。
「だから、ここに近づくのが一番安全だと僕は思ってる」
支配者ランクに到達し、
プロゲーマーと肩を並べる存在になること。
それは単なる名誉ではない。
経済力であり、発言権であり、
そして――簡単には切り捨てられない立場を得ることでもある。
リオは、迷いなくそう言い切った。
セナが、ふと口を開いた。
「……でも、それって」
「人を殺す練習、みたいなものじゃないの?」
「……ごめん」
リオは少しだけ間を置いた。
「その感覚が、まだうまく分からない」
「人もロボットも、案外すぐに壊れてしまう物なんだ、壊されないために何をするべきかを考える事の方が今の僕達には必要なきがするんだ」
悪びれる様子もなく、淡々とそう言った。
その温度差が、かえって重く胸に残った。
翌日、また同じ時間にZEROHAVENで集まる。
そう約束して、四人は解散した。
ログアウトしたあとも、
三人の気分は不思議な高揚に包まれていた。
リオの無事が確認できたこと。
進むべき道筋が、かすかに見えたこと。
それだけで、
明日という言葉に、初めて希望を重ねることができた。




