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第2章 ORPHEUS


 夜。タワーの上層階は、風の通らない箱のように静まり返る。




 アイラが眠ったあと、薄暗い部屋の中、リオはすぐに動き出した。


まずはリビングの片づけ、洗濯、乾燥、そのまま畳んで収納へ。


 キッチンに移り、明日の夕食の仕込みを整え、朝食と弁当の材料を下処理し、冷蔵庫へ入れる。




 動作はすべて滑らかで、ほとんど音を立てない。


 夜中に人を起こさないよう、負荷を自動調整しているのだ。




 次に、父の部屋へ。




 扉を開けると、一定の間隔で聞こえる呼吸だけが、生命の証のように漂っていた。




「……体勢変えますね」




 リオは毛布を整え、寝返りをうたせ、乾いた肌をゆっくりと拭き、必要量の栄養パックを口に含ませた。


 父は瞬きすらしない。


 それでもリオは、目の高さを合わせて小さく微笑んだ。




「おやすみなさい。明日の朝も、問題がありませんように」




 淡々とした声。


 ただの作業のようでいて、祈りのようでもあった。




 廊下に出ると、壁際を走っていた小さな掃除ロボットが足元で止まる。




「ポチ、今は休んでて。今日は僕がやるよ」




 リオはそう声をかけて、掃除ロボットの頭に軽く触れた。


 ポチは短く電子音を鳴らし、指示に従って充電スペースへ戻っていく。




 リオはモップを取り、廊下の床を手早く磨いた。


 アイラが起きて歩くとき、足裏が少しでも気持ちよく感じられるように。


 朝、少しでも気持ちよく家を出ていけるように。



 リオは祈る様に淡々と行う。


 アイラを守る、という使命感が存在の中心にあるから だった。








 空が白む頃、リオは朝食の準備を終えて、静かにリビングに立っていた。


 ちょうどそのとき、寝室の扉がぎこちなく開く。




「……おはよ、リオ……」




 寝癖を残したアイラがふらふらと現れる。


 その姿を見た途端、リオはすぐに駆け寄った。




「おはよう。冷えるから上着着て。あと、昨日寝る前に薬飲んでなかったよね?」




「あっ……うん……忘れてた……」




「だと思った。テーブルに出しておくね」




 


 アイラが自分のことで手いっぱいな事は、リオが1番理解していた。




 アイラはテーブルにつくと、ぼんやりしたまま食事を崩すように口へ運んだ。


 しばらくして、ふと気づいたように周囲を見回す。




「……あれ? 昨日洗濯してなかったよね?」




「うん。ボクがしておいたよ」







「えぇ……なんか、ごめん……」




「謝らなくていいよ。それよりあまり時間余裕ないよ。今日は登校日だよ?」




 リオは笑ってみせるが、その笑みはどこか人工的で、痛いほど穏やかだった。








 通学の準備を終え、玄関に向かう。


 父の部屋の前で、アイラはいつも通り元気良く言う。




「お父さん、行ってきまーす」




 返事はない。


 それでもアイラは扉に向かって小さく頭を下げる。


 日常を保つための、小さな儀式だった。




「父さんいってきます」


 リオがそっと言う。







 そしてエレベーターへ向かう途中、リオは話題を変えた。




「そういえば、昨日の〈ゼロ・ヘイブン〉の最後の円……あれは理不尽だったね」




「でしょ!? あれ絶対バグだよ〜!」




 さっきまで、どこか沈んでいたアイラの声に、少しだけ力が戻る。




 〈ZERO HAVEN〉は、フルダイブ型バトルロワイヤルだ。




 広大な仮想戦場に百人が放り込まれ、縮小する安全領域の中で最後の1チームになるまで戦う。


 勝敗を分けるのは、反射神経と判断力。撃ち合いよりも、位置取りと撤退の決断。


 この時代、地上に出られない若者たちにとって、広大な大地を走り回る仮装体験は刺激的で、夢中にさせた。




 


「今日、放課後やる? ムーブの研究、またしたいんでしょ」


「うん! 強ポジ見つけてさ、リオは撃ち合い担当で!」




「了解。アイラの作戦には逆らわないよ」




「へへへ、よし!」




 エレベーターが学校階に着く。


 扉が開く直前、リオは心の奥で小さく願った。




――どうか今日も何事も起こりませんように、




 双子の兄役を演じながら、彼は静かに祈り続けていた。







エレベーターが静かに停止し、扉が開いた。


 同じ制服を着た生徒たちが流れ込む。その足取りに、急ぐ様子はない。




 ここは学校階。


 正確には、生活用高層ビルの第六十二層に設けられた教育区画だ。




 廊下の壁一面には薄いディスプレイが埋め込まれ、朝の適正チェックが淡々と流れている。


 教室に入っても、机の上に教科書はない。黒板もない。あるのは、着席を促す光と、ゴーグルスタンドだけだった。




「お、来たな」




 先に席に陣取っていた少年が、こちらを見て手を挙げた。


 細身で、制服の袖がいつも少し余っている。




 ユウト。


 人が暮らせる階層で言えば、最下層寄りに住んでいると噂のやつだ。




「昨日の最終円、見たぞ。あれ凌いだのお前らだろ」




「見てたの?」




 アイラが目を丸くする。




「配信な。お前らのムーブ、上手すぎ。ランクまた上がっただろ」




 ユウトの視線が、ちらりとリオに向く。


 値踏みではない。ただ、確認するような目だった。




「撃ち合い担当が反則なんだよなぁ」




「……普通にやってるだけだよ。それにまだダイヤ帯だよ〜」




 リオは少しおどけて席へ向かう。




 後方の席から、もう一人声が飛んできた。




「アイラ、今日ランク戦やる?」




 セナ。


 このクラスでも数少ない、アイラたちと同じ帯域のプレイヤーだ。


 リオを見る目は冷静で、どこか距離を測っている。




「放課後ね。研究優先」




「相変わらずガチ勢だな」




 笑いが起こる。


 この教室では、成績の話は誰もしない。


 評価はただ一つ――どのランク帯にいるか。




 やがて、天井のスピーカーが短く鳴った。







『各自、ORPHEUSを装着してください。本日の適正セッションを開始します』




 一斉に、生徒たちがゴーグルに手を伸ばす。




 ORPHEUS。


 視覚と思考を拡張し、判断を高速化する訓練用ゴーグル。


 EBSと違い、脳へ直接何かを埋め込むことはない——少なくとも、そう説明されている。




 知識はゴーグルが与える。


 問いも、答えも、評価も、すべては内側で完結する。




 だからもう、この場所では「勉強」という言葉は使われない。




 教室の前方、スクリーンが明るく点いた。




『おはよー! 今日も元気そうだな!』




 スピーカーから響く、やけに上機嫌な声。


 担任だ。




『火曜日と木曜日は、貴重な登校日だぞー。ダルいよなあ?』




 教室のあちこちで、小さな笑いが漏れる。




『……っと、今日も立て込んでてな。姿は声だけで失礼する』




「またかよ」


「今日も来てねーの?」




 後方で、誰かが小声でぼそりと呟いた。




 担任は気にした様子もなく続ける。




『内容はいつも通り。各自、好きなテーマを選んで研究してくれ』


『重要なのは二点だ』




 スクリーンに、簡単なガイドラインが浮かぶ。




『ひとつ。ゴーグル内の講師AIとは、必ず“言葉”で対話すること!恥ずかしがるんじゃねーぞ』


『ふたつ。操作は極力、手を使わず“頭で念じて”行う』




 少しだけ、声色が変わった。




『この二つがな、EBS適正に大きく影響してくる』


『無理する必要はないが、意識はしておけ』




 その言葉に、教室の空気がほんのわずかに張りつめる。




『じゃ、始めよう! 健闘を祈る!』




 音が切れ、スクリーンが消える。




 次の瞬間、教室は一気にばらけた。


 立ち上がる者、床に座り込む者、壁際で歩き回りながら仮想空間を操る者。


 誰一人、同じことはしていない。




 ――これが、この時代の授業だった。




 アイラは、静かにゴーグルを装着しながら、鞄から薄いノートを取り出す。




 ペンを握る感触に、少しだけ息を整える。




 ゴーグル越しに流れ込んでくる情報を、言葉にして書き留める。


 意味を、自分の中に一度沈めるために。




 その様子に気づいた数人が、ちらりと視線を向けた。




「……珍しいよな、ああいうの」


「ははは、、えええー」


「まだノート使ってるんだ」




 アイラは気にしない。


 そうする方が、現実と世界がつながっていられる気がしたから。




 隣で、リオは何も言わずにセッションを開始している。





 ゴーグルの光が、教室の現実をゆっくりと薄めていった。


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