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第18章 葛藤と決断


 朝五時。夜と朝の境目のような薄い空の下、三人はようやくユウトの家に辿り着いた。配線がむき出しの壁、塗装の剥げた扉。けれど、どこか温度のある生活の匂い。ここは、居住階層の中でも最下層のフロアーだ。




 玄関前まで来たところで、ドアが勢いよく開いた。




「おお!? ユウト!どこ行ってたんだ! 母さん心配させるなって言ってるだろ!」


 出勤前らしいユウトの父親が、片手に工具箱を抱えたまま立ち尽くす。


「……って、え?かわいい友達連れてんじゃねぇか。おいおい、父さん空気読めってか。はいはい、じゃあ父さん行ってきまーす! 気まずいから何も聞かねぇからな!」




 自転車を引きながら去っていく背中は、どこか頼りなくて、どこか懐かしい“普通の大人”の姿だった。




 家の中は慌ただしい朝の匂い。


 キッチンで母親が髪をまとめながら振り向く。




「あらまぁ!お友達と一緒なのね? 母さんいま出られる格好じゃないから、そのままユウトの部屋に通してあげて。まったくもう、最近の若い子は突然なんだから!」




「お、おじゃましまーす……」


 セナとアイラは遠慮がちに会釈する。




 ユウトは息を整え、二人に言う。


「ちょっとだけ待ってて……母さんに一言だけ言ってくる」




 短い会話を済ませて戻ってきたユウトの目は、泣いた後のように少し赤かった。








 三人はユウトの部屋の床を動かし、補修跡の板を外す。


 その下、狭い点検スペースへと声を投げる。




「おじさん! 起きてますか!」




 しばらくして、狭い下から慌ただしい足音。


「おおっ!?どうしたどうした!何かあったのか!」




「僕たち追われてます。亡命したい。……お願いします、地表へ行きたいんです」




 一瞬の沈黙のあと、重い声。




「よし、ちょっと待ってろ。着替えてくる。事情は、逃げながらでいい」


 電話をしながら着替える声が漏れ聞こえた。


「はい、以前コンタクト取っていた子供たちです。……ええ、高校生くらい。亡命希望。至急、ルート確保を」




 その時――。




 ピンポーン。




 呼び鈴が鳴る。


「はーい!」と母の声。




 続いて、ロボットの無機質な音声。


「ユウトくんはご在宅ですか?」




 空気が凍る。




 ユウトが顔を歪める。


「……もう来たのかよ……」




 床下から低い声。


「下がってろ!」




 バキバキッ、と床板が内側から破られた。


 粉塵が舞い、穴から一人の男が姿を現す。




 スーツ。ベージュのコート。鋭い眼つき。それでいて、人間の温度を残した声。




「三人か。よし、時間がない。行くぞ」


「……あなたは誰ですか?」アイラが震える声で問う。




 男は黒い小さな手帳の様な物を見せながら名乗った。




「警視庁・ORIGINATE Labs社事件対策本部 課長、真島という」


「え……警察!?」セナが叫ぶ。


「桜井って適合者に追われてるんだ、俺たち……お前も同じ側かよ!」




 真島は首を振る。


「違う。桜井は“元”警視庁だ。今は単独で動いている。あれは警察を名乗っているだけの暴走だ。俺たちとは別だ」




「でも、桜井さんは……」


「聞いている。適合者になったと。……詳しいことは、地表で話す」


 真島は一度だけ、ユウトの母のいる方向へ視線を送った。


「巻き込みたくない家族がいるんだろ。なら急ぐぞ」




 アイラが震えながら問う。


「……地表って、本当に生きられるんですか?」




 真島の返答は迷いがなかった。


「生きられる。普通に。むしろ、上より“まとも”にだ」


「地表は壊れてなんかいない。普通の社会だ。といっても君たちから見たら少し古く感じるかもしれない、でも君たちが信じていた上の社会の方がよっぽど異常な社会なんだ」




 三人は言葉を失い、顔を見合わせる。


「ど、どうしよう……信じていいのかな……」


「こういう時にリオが居ないなんて……」


「お、おじさんは……リオとは知り合いじゃ、ないんですよね?」




 真島は振り返り、短く吐き出す。


「リオ? ……まだ他にも亡命する仲間が居るのか?」


「悪いが、長くは待てないぞ」




 ユウトの声がかすれる。


「……なんで、リオは知らない人を信じて良いなんて言えたんだよ……」




 沈黙。息が詰まる空気。




「地表へ降りたら……もう、上には戻って来れないんですか?」




 真島は数秒だけ考え、静かに頷いた。


「恐らく、戻ることはできない。だが――救いたい人間が他にもいるんだろう?」


「地表に着いたら話してくれ。仲間のことも、状況も。……任せて欲しい。君たちの亡命そのものが、大きな第一歩になる」




 そのとき、ユウトの部屋の外で機械音が近づく。


 廊下にはロボットの影。状況を理解していない母親の足音が混じる。時間がない。




「……来るぞ」


「今行かなければ、ここはすぐ塞がれる。決断を急げ」




 セナが顔を上げ、叫んだ。


「行こう! リオに任されたんだ!」


「リオは地表へ行けって言った。おっさんの言ってる事と間違ってないなら……信じるしかないだろ!」




 息が合うように、三人は頷いた。




「お願いします!」




 真島は短く頷くと、床下へ開いた暗い通路を指し示した。


「なら、ついてこい。ここから先は、君たちの足で選ぶんだ。迷っていい。だが歩くのは止めるな。生きたいなら進め」




 ユウトが先に膝をつき、暗がりへ降りる。


 アイラが震える足でその後に続き、セナが振り返りながらロボットの気配を一瞬だけ確かめる。


 扉の向こうでお母さんが何も理解できないまま「ユウト?」と呼んだ。




 答えられなかった。




 真島が最後に通路へ身を屈め、静かに言った。


「大丈夫だ。地表には“帰る場所”がある。君たちの知らない、本物の社会がな」




 閉じられた床板の向こうで、家の気配が遠ざかっていく。


 ―自分たちで決めた一歩。


 息が詰まるほど狭い通路を、三人は必死に、ただ真島の背中を追った。




 そうして彼らは、初めて自分の意思で歩き出した。



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