九歩目 煌めく月
目下の心配の種であるカナカとフワワが一人とは言えパーティーメンバーを増やしているとは露知らず、ニネアはギルドの受付に座りながらまばらになってきて視線も向かない隙を狙ってため息を吐いた。
あの子たちちゃんと装備固めているかな、と不安な気持ちで一杯になっているニネアは手隙になったため受付のテーブルを布巾で拭き始める。
そんな思い悩みつつも仕事をこなすニネアの背中に声がかかる。
「ニネア~、受付代わるよ~」
「あ。ユチーナ。ありがと……」
「ごめんなさいっ!!」
同期ともいえるユチーナの言葉に立ち上がりつつお礼を言おうとしていたニネアの言葉をかき消すほどの大音量が響いた。
一瞬でギルド内が静まり返り、視線が声の発生源へと向けられる。
ギルドの受付の横、エレメンターが休憩できるように併設してあるカフェスペースで淡い水色の波打つ髪を持った少女が頭を下げていた。
か弱い印象を与える華奢な体躯、さらさらふわふわと揺れる柔らかな髪、俯いて止めどもなく溢れる大粒の涙を流す薄紅色の瞳はとろりと垂れていた。
全体的に庇護欲をそそる、儚い少女は身の丈ほどの大きさの杖を震える腕で大事そうに抱きしめながら嗚咽を零さないように口元に手を当てていた。
そんな可憐な少女が怯えたように濡れそぼった目で見つめる先には、彼女とは対照的に凛とした雰囲気の綺麗な少女が立っている。
濃紺のストレートロングは艶やかに光りの輪を宿し、ぱっちりと開いた桃色の瞳は目の前の泣いて怯えている少女を真っ直ぐに見つめている。
折れる事など知らないと言わんばかりに凛と伸ばされた背筋、ワンピースタイプの支給服は膝丈であり下に着用されているレースの裾がわずかにのぞく素足を覆っている。
細い脚を包む真っ白なロングブーツの爪先が少しだけ上がって、かつんと音を立てて床に落とされる。
艶やかな髪と同じく綺麗な白皙の顔に浮かぶ表情は穏やかな笑顔。
笑顔 ――― のはずなのに、笑っていないように感じるのはニネアの気のせいではないはずだ。
「ごめんなさいって、何の話です?」
「……あ。ソ、ソノラちゃんが、怒っている、から」
穏やかな口調で丁寧に尋ねた綺麗な少女をソノラと呼んだ水色の髪の少女はおどおどと視線をさ迷わせた。
ソノラは変わらず美しい姿勢を保っている。
支給服の広がっている袖から覗く細い腕が大事そうに抱えている本に触れる指先が一つ浮いて、また音を立てずに本に添わされる仕草まで綺麗だった。
「怒っているって、何に関してですか?」
声は穏やかなのに温度がないなぁ、とニネアは他人事のように眺めていた。
「彼女たちって最近この街に来た《煌めく月》の子たちだよねぇ~」
「えぇ。確か本を持っている方が《流れる星》のソノラさん。杖の方が《漂う水》のセーレさん」
ユチーナの小声の問いかけにニネアは頷き、答えた。
ニネアも担当として喋ったことはないが来たばかりのパーティーの情報はギルド内で共有されているので名前程度ならば把握している。
「《煌めく月》って確か、ウィザード主体の珍しいパーティーなんだっけ~?」
「そうね」
多くはない事だがジョブを統一しているパーティーがないわけではなく、《煌めく月》はウィザードのエレメンターが中心として集まっているパーティーだった。
ニネアの記憶が正しければ一触即発のような空気を醸し出している二人、ソノラとセーレもウィザードだったはずだ。
「なんかミスしたなんて報告出てないけどなぁ~」
近くに合った共有情報用の資料をさらっと見て確認したらしいユチーナが首を傾げる。
《煌めく月》は変則的なパーティー構成のうえウェルテクスに初めて訪れるパーティーとしてまだこのギルドの職員の中では人となりが分かっていないこともあり、些細なことでも共有しておこうと職員の間で決まっていた。
そのため何か問題があれば見やすい位置に誰かが報告を書いているのだが、ユチーナが見た限りどこにも問題らしいものは上がっていない。
ニネアと同じ時間に受付に入ったもう二人の職員に目を向けても、ゆっくりと首を横に振られてしまった。
手早く確認をしあうギルド職員などに関心を持たず、気づく事なく、ソノラは右手を頬に当ててそっと息を吐いた。
「もしかして、昼間の背後を取られたところを私が助けた件のことなら、感謝してもらうだけで十分ですけど?」
言って、ふわりとソノラは微笑む。
微笑んでいる目元がセーレを面倒くさそうに見ているような気がするのは、きっとニネアの気の迷いなんかではないだろう。
笑いながらご丁寧に「面倒くさい女」とセーレに対して告げているも同然の表情を浮かべているソノラに、セーレの怯えた表情がひくりと引きつったのをニネアは見逃さなかった。
けれどそれも一瞬の事で、すぐに気の弱い少女が涙を浮かべる。
「またそうやって遠まわしに私のこと責めてるよね!? 私がソノラちゃんより弱いからって、いつも酷い事ばっかり言うの!」
「弱いのを自覚しているならパーティーの中心からはぐれちゃダメって新人教育の時に習うウィザードの心得忘れちゃダメでしょう?」
ばかなの?
言ってはいないのにソノラの音声で再生されそうなほどに微笑みがセーレを憐れむように見ていた。
あくまでも諭すような口調を崩さないソノラの言い分は傍から聞いているだけのギルド職員からはおおむね正論だとしか言えなかった。
細かな状況までは分からないがソノラの言う通りパーティーの中心から離れた場所にセーレが立っていて背後を取られたのならばセーレが悪い、と言えるだろう。
そうせざるを得なかった事情次第によっては許される程度の事だが。
ニネア達ではパーティー内部での事に関して口出しをできないためただ見守る事しかできないが、気持ちとしては現状ソノラが優勢だろうと思っていた。
思っていた、のだ。
「……ぅ、どうして、どうしていつもそんな酷いことばっかり言うの!?」
顔を覆って膝から崩れるように床に座り込んだセーレが、さめざめと泣き始める。
ただ見守っているだけのニネア達はどうしようと顔を見合わせる。
相対しているソノラは笑みを崩していない。
崩してはいないが一周回って表情が動かせないほどに腹が立っているのではないだろうか、とニネアは思った。
崩れてはいない表情の中で唯一、ひくひくと震えている口元が苛立ちを見せているようだった。
うっ、うっ、と泣き声を漏らすセーレに、ソノラは一度笑みを消して深呼吸をした。
深い、深い深呼吸をして、覚悟を決めるように。
そうしてソノラはもう一度優しい笑みを浮かべる。
「セーレ……」
「これはどうしたんだ!?」
声をかけて宥めようとしたソノラの全身全霊の優しさを邪魔するように怒号に近い声が割って入った。
見守っている面々としてはよろしくないタイミングでギルドの扉を開けて叫んだのは、他でもない二人の所属するパーティーのリーダー、《煌めく月》のディックという名の青年だった。
灰色にも見える銀髪をオールバックにし、明るいオレンジ色の凛々しい目元をした好青年然としたディックは、ソノラとセーレを見つけて慌てて駆け付ける。
ソノラの横をすり抜けて、蹲っているセーレの前に跪いた。
「セーレ、どうして泣いているんだ?」
「な、なんでもないの……。わ、私が悪くて……うっ、ソノラちゃんは、なにも悪くないの……!」
ボロボロと大粒の涙を零しながらなんとかそう言ったセーレが再び顔を両手で覆い、さめざめと泣いた。
そんなセーレの肩を撫でるように手を添えたディックは心苦しそうに眉を寄せて、それからソノラを見上げる。
「ソノラ。深い事情は知らないが、こんなに泣いているセーレをいい加減許したらどうなんだ」
――― 深い事情を知らないなら口を出すな!!
思わず叫びたくなったニネアは唇を噛んで必死に耐える。
ユチーナは「両方に事情ききなよ~」とぼやいていたし、それが聞こえた他のギルド職員も内心ではその言葉に頷ききっていた。
けれどギルド職員に口出しをする権利はない。
これが殴り合いや私闘まがいの喧嘩になれば別だが、今のところ会話しか行われていない以上、割り込んで止める事は原則できないのだ。
ディックの言葉にソノラは浮かべていた笑みのまま、頬に手を当ててこてりと小首を傾げた。
「その深いかもしれない事情を聞かないんですか?」
「言いたくない事だってあるだろう」
――― それはそうだろうが、そうじゃないだろう!!
お節介焼きの自覚があるニネアは口を挟みそうになるのを止めるために己の口を手で覆った。
ニネアでこれなのだから相対しているソノラはもっと言いたい事があるはずだ。
けれどソノラは浮かべている笑みを崩さない。
「許すっていいますけど、どうしたらいいのかしら。許してあげるって言えばいいんですか?」
「こんなに泣いているんだ。可哀想に。せめて謝ってやるべきだろう」
「はぁ」
ため息にも取れる適当な返答がソノラの口から零れた。
ほんの少しだけ剥がれた笑顔の仮面は、すぐに吹っ切れたように付け直されていく。
仕方がなさそうににっこりと。
さっきよりも笑みを深めて。
「イヤです」
謝罪が来るだろうと思っていたディックが呆気に取られ、すすり泣いていたはずのセーレがぽかんとした顔を上げた。
美しい姿勢のままソノラが意を決したようにわずかに足幅を広げる。
「今日の昼間助けてやったにも関わらずお礼もないどころか難癖つけてくるような面倒くさい女に私が謝罪、ですか? 無理ですね。五万回くらい謝罪されてしかるべきは私の方なんですけど?」
肩にかかった髪を後ろに払いのける姿すら凛としている。
微笑んでいるのに、やはり目元は笑っていない。
桃色の目がディックとセーレを映して、綺麗な顔を形作る眉根が寄せられる。
「毎度まいど、私に劣っているからって難癖つけてくるセーレも鬱陶しいです。そのうえ毎回毎回泣いているからって片方の意見だけ聞いて私に謝罪を求めるディックも煩わしいです」
「ソ、ソノラちゃん……鬱陶しいなんて、ひ、ひど」
「うるさいですよ」
嫌そうに顔をしかめてもソノラは綺麗であり、短く告げられた言葉の威圧感は凄まじかった。
あ、これ、毎回なんだ。
そんな感想がギルド職員の中に広がり、ソノラへの同情が広がる。
「結構貢献してるつもりですけど感謝されるどころか難癖つけられるくらいならこっちからお断りです。私、パーティーを脱退します」
マントの下から手早く【神の雫】を握りしめてそう宣言したソノラの言葉に呼応するようにそれが輝き始めて弾けるように光りの粒が散っていく。
返答すら一切待たず、迷いすらなく一瞬で《煌めく月》から抜ける宣言をしたソノラは、ふん、と鼻を鳴らす。
「二年足らずかしら。お世話してあげました。それじゃあもう二度と関わってこないでください」
綺麗なお辞儀をして言い切ったソノラがくるりと踵を返す。
「ソ、ソノラ!? どうして、そんな急に!?」
「急ではなくずっと前からです」
狼狽えるディックなど構わず、高らかに靴を鳴らしてギルドからソノラは出て行ってしまった。
残されたディックは頭に手を当てて困ったように表情を歪めていた。
「一体何を怒って……そんなに謝りにくいなら事情を説明してからでもよかっただろうに」
「ごめんなさい、ディックさん。私が……私のせいで………」
「あぁ、いや。いいんだよ。元々ソノラは怒りん坊なところがあったんだろう。そういう性格の子が居るとパーティーの空気も悪くなるし、きっとこれがお互いにとっても良かったんだよ」
ほろほろと泣くセーレの手を取って立ち上がらせたディックがにこりと笑う。
「セーレは何も気にしなくていい。ソノラに言われた酷い事も、もう気に病まなくていいんだ」
「ディックさん……! ありがとう、ございます」
優しく泣いているセーレをなだめるように語り掛けるディックに感極まったように頬を染めたセーレがその胸に飛び込んでしなだれかかった。
そんなか弱い少女の頭をディックが気恥ずかしそうに撫でる。
――― 傍から見れば良い話だったのかもしれない。
否、傍から見ていたニネアはもはや口を塞ぐだけでは留まらず、同期のユチーナに腕を握ってもらわなければ思わずお節介を焼いてしまいそうになるほどに、良くない話だった。
ニネアの性格をよくよくしっているユチーナだからこそ冷静に同期の腕を掴んで動きを止めてくれたのだ。
感謝の気持ちでいっぱいである。
もはや動き出しそうにもないニネアから手を離したユチーナは冷静に、そして出来る限り客観的になるように。
今しがた見た一部始終を共有書類に記載していく。
とりあえずの書き出しは『《煌めく月》は要注意』という簡潔な一文となったのはギルド職員側からしてみれば仕方のない事だった。
まだ青空の下、人がまばらに歩く道をゆったりとした足取りで歩きながらソノラは晴れ晴れとした気持ちで伸びをした。
「はぁ。すっきりした」
道を歩く人が振り返りもう一度見たくなるほど晴れやかな、綺麗な笑顔を浮かべるソノラは、そっと息を吐く。
「私にもソロが出来れば楽なんですけど。無理な事願ってもしょうがないわよね」
二年足らず組んだパーティーにはほとほとうんざりしていたが、その前に組んでいたパーティーもソノラは嫌気がさして抜けていた。
自分の性格に協調性があるかといえば自分でも首が取れそうなほどには傾げるけれど、できうる限り波風立てないように頑張ったつもりではあった。
それなのにセーレがソノラに嫉妬したのだ。
そう、嫉妬していた。
同じ水のウィザードであり、年だって同じ。
だけどセーレよりソノラの方が強かった。
そしてこれは仕方がないことだとソノラも思うが、ソノラの方が断然綺麗で美人だった。
可愛さに自信のあったセーレはその上を行くソノラに嫉妬したのだ。
あの常に涙を湛えながらソノラを睨む目が雄弁に語っていたから分かる。
「人と比べるなんて無駄な事してんじゃないわよ。十分可愛い癖に」
あと、嫉妬している暇あるなら早く強くなれ。
そうずっとソノラは思っていた。
余計な悪知恵を働かせて難癖をつけてくる頭と暇をすべてエレメンターとしての活動に心血注いでいればよかったのに、そうはせずに懲りもせずセーレはもはや生き甲斐かのようにソノラへ難癖をつけてきたのだ。
ソノラも意地になって心ない謝罪を口にして流してきていたが。
「とりあえず、今度は面倒な嫉妬のないパーティーがいいですね」
晴れた青空を見上げてそう笑ったソノラは、気晴らしに街を散策しようと歩き始めた。
足取りは軽く、機嫌よく靴音を鳴らして。
御覧くださりありがとうございます。
次話は11/20(木)に更新できると思います。
お気に召しましたら、お付き合いください。




