二歩目 エレメンター
まるで影が形を成して、意思のようなものを持って、世界を侵食していこうとするもの。
それが先ほどフワワが退治しようとして失敗し、呆気なくカナカが切り伏せて消し去った『魔』と呼ばれるものだ。
この「楽園」と呼ぶに相応しい世界に落とされた汚れ。
どこからともなく現れ、生物も動植物も構わず苦しめ蝕んでいく『魔』と呼ばれている闇の塊。
その形は千差万別で、フワワ達が見つけた兎のような動物の姿を真似たものもあれば植物を模して暴れるもの、なにものでもない闇色の塊のままのものまである。
そう言った『魔』に対抗できる唯一の存在は神の息吹をその身に宿して生まれてくる。
風、火、水、地、雷の五種からなる『エレメント』と呼ぶ神の息吹を与えられた『エレメンター』という存在かどうかは五歳を迎えた年に受ける洗礼の儀によって【神の雫】を授かるかどうかで決まる。
【神の雫】と呼ばれる名の通り雫型の水晶のようなその宝石は傷一つつける事が出来ない頑丈さをしており、エレメンター本人の名前と授かったエレメント、そしてジョブとギフトが確認できる身分証明代わりになるものだ。
ジョブとはエレメンターとして戦う際に担う役割。
ギフトとは個々人に与えられた特別な魔法とスキル。
どちらもエレメンターとして活動するには重要となるものであり、フワワはそのせいでいくつかのパーティーからお断りされてしまっていた。
薄暗くなっていくごとに暗い気持ちになるフワワの前に白いグローブが制するように差し出された。
フワワが視線を向ければ、カナカが真剣な表情を浮かべて周囲を探っていた。
「……たぶん、でかいやつがいる。俺が潰すから隠れてろ」
「う、うん」
声を潜めるカナカに小さな声で頷いたフワワに、満足そうに頷いたカナカは音を立てずに気配のした方へと向かう。
その背中は同年代なのにもっとずっと大きく見えて、フワワはすごいなぁ、と杖を強く握りしめる。
フワワはずっと、エレメンターと分かった時から今まで、いつか自分も噂に聞く凄い人たちのようになりたいのだと、なれるのだと、そう思っていた。
フワワに特別なところは何もない。
薄暗い森にすら少しの恐怖を感じるような、そんな普通の子どもだった。
『魔』が居ると分かって、しかも独りで戦うしかないと分かっていて、慎重ながらも臆する様子のないカナカと違って、フワワはどこまでも平凡だ。
ただ人よりちょっと前向きで、頑張る事が苦ではないだけの凡才。
その上与えられたジョブを見てエレメンターの所属するギルドに集まった大人たちから直接そう言われてはいないものの、やんわりと「いらない子」として断られるようなものだった。
両親が心配してしまうのも無理もないとフワワは思う。
先を行くカナカの背中が物理的にも精神的にもほど遠く感じる。
その背中を眩しげに眺めているフワワの視界で影が揺らぐ。
カナカが通り過ぎた木の隙間から木を模した影が枝を蔓のようにしならせてすぐ近くの背中を貫こうとする。
「カナカくん!」
危ない、とまで言おうとしてフワワは声を止めた。
普通に歩いていたカナカがフワワの声が届くよりも先に身を捻って避けていた。
薄暗い景色の中でも映える黄金色が敵を見据えるのが先か、次の枝が振り下ろされるのが先か。
そんな考えよりも圧倒的に早く、蔓のような枝も振り上げられている枝も、影色の木の幹も炎の軌跡を残す短剣に等しく切り捨てられていた。
地響きのような鈍くて低い唸り声を上げながら炎の跡から火の粉となって消えていく『魔』の一部が赤色の宝石 ―― 『魔』が消えた後に残される魔石となって地面に落ちて行った。
それを拾いながらカナカは持っている短剣を気にするように見つめる。
カナカが与えられたジョブはエレメンターの中でも花形ともいえるアタッカーだった。
戦い方は個々によって様々だが、おそらくアタッカーの中でも極めて近接戦闘に特化しているカナカは、フワワと同年代の男の子とは思えないほど大人びて見える。
薄暗い森を照らすように、他の木々には決して燃え移らずに舞い上がる火の粉の中からでも見劣りしないほど輝く金色が、フワワを見つける。
火の粉のお陰で不器用さを証明するような仏頂面ばかりのカナカが目を見開いていく様までも良く見える。
「横!!」
「……っ!」
見惚れていた意識を叩き起こす端的な言葉。
それに息を飲んですぐ近くに感じた気配に視線を向けるよりも早く、握りしめていた杖を防御のために振った。
ギャッ、とも聞こえる悲鳴のような唸りが耳元でして、指先が一気に冷たくなりながら何かがぶつかった反動でフワワは草の上に後ろに傾いた身体を片足を下げる事で支えて、ようやく視線を向けた。
草の上に落ちた塊は兎よりも小さな、ネズミのような形をしている。
瞳も口を開いても全て闇色で体勢を立て直したネズミ型の『魔』が体格に似合わないほどの低い唸り声をあげる。
――― 距離が近い。
まずフワワが最初に思ったのはそれだった。
フワワが身に宿した神の息吹、授けられたのはウェントゥス王国出身のエレメンターの中ではありふれた風。
どれほどの努力を積み重ねても凡才で普通でしかないフワワでは、たとえ与えられたジョブの恩恵を持ってしてもカナカのような機敏な動きは取れないだろう。
だからこそ前衛ではなく後衛を選び、魔法をもってして『魔』を討つことを選んだ。
それでも。
それなのに。
どこまでも平凡でありきたりな事しかできないフワワでは、身にあるエレメントを形にする事に、そして『魔』を討つために操るための時間が必要だった。
だからこそ「間に合わない」と思う。
握る杖の先、光りの粒が舞っている。
風と言うほどの形も為せていないそれが完成するよりも先に、フワワを目掛けて睨みを利かせているネズミ型の『魔』が跳びかかる方が圧倒的に早い。
視界の端でカナカが駆け寄っている姿が見えた。
それに安心した自分に気が付いて。
カナカの助けを念頭に入れている事に気が付いてしまった。
跳びかかろうとしている『魔』が見える。
その姿に、それとは比べものにならないほど大きな『魔』の姿が重なった。
昔、村のはずれで遭遇したとても大きな『魔』からフワワを庇う母親の向こう側、ギルドから情報を貰って駆け付けていたエレメンターが襲い掛かろうとしていた鋭利な爪を切り裂いて、稲妻とともに一刀両断にしていた。
『大丈夫?』
そう笑っていたはずの顔はうろ覚えなのに、きらきらと輝く光りの粒よりも何よりも、凛と背筋を伸ばして胸を張る姿に憧れた。
得意と言えるほどの事がない、特別ではなかったフワワは、その日初めて心からエレメンターになりたいと思ったのだ。
『魔』を討って、恐怖を取り除いて、母に庇われていたフワワを守ってくれたように。
誰かを守るために戦いたい、と思った。
杖を握り締める手に力を込める。
光りの粒は形にはなっていないけれど、それでもかまわずに『魔』を見つめる。
フワワたちエレメンターの使う『魔法』に決まった形はない。
カナカのように短剣に纏わせるのでもフワワの想像した風を走らせて撃つものでもなんでも構わない。
エレメントを用いて『魔』を討つための『方法』であって、必要なのはエレメンター本人がどう力を揮いたいかという、いわば気持ちが全てだった。
漠然と向かってくる突風の勢いだけを想像してばかりだったフワワは、またそれを思い浮かべようとして、やめた。
幼い頃に見た衝撃的な勢いが忘れられない。
そして、今も近くにある圧倒的な強さが瞼の裏に焼き付いてしまっている。
――― だから。
「走れ」
一筋の軌跡を描く刃のように鋭く、速く。
炎を纏った軌跡を思い返して、真似るように風が動く。
襲い掛かるネズミ型の『魔』を真正面から光りの粒から形を成した風が、まるで刃が空を走るように横一文字に切り捨てた。
あと数秒遅ければフワワに届く距離で真っ二つに切られた『魔』は霞のように空中に溶けていく。
風に攫われるように散って跡形もなくなった『魔』が視界から消えていくのを見届けながら、フワワは力が抜けてその場に座り込んでしまった。
杖を握っている手に込める力が強すぎたのか痺れているように震えている。
力が入らないのに手放さない杖を抱きしめるように抱えて、フワワは泣き出しそうになりながら笑った。
「できた…!」
もうこのまま自分では『魔』を倒せないかもしれない。
そんな不安を抱えながらカナカの後を追っていたフワワが初めて一人の力で『魔』を討てた。
頭に触れる感触がして、それからすぐに少しだけ乱雑に揺らされる。
ゆっくりと見上げるフワワと、気恥ずかしそうにしながらも笑っているカナカの目が真っ直ぐに合う。
「カナカくん。私、私、一人でもできたよ!」
「当たり前だろ」
きっぱりと言い切ったカナカが手を離して腕を組んだ。
「出来そうにない奴に惜しいなんて言わねぇよ」
見上げるフワワから顔を逸らしたせいで、少し赤くなっている耳が見えた。
ぶっきらぼうな物言いは突き放しているようにも聞こえる素っ気なさをしていた。
けれど褒める事も恥ずかしくて耳を赤く染めている同年代の少年の言葉がそんな冷たいものには全く感じられなくて、フワワはこみあげてくるままに笑顔を零した。
「……?」
急に笑いだしたフワワに不思議そうに戻ってきた黄金色に、フワワは笑い返す。
「ありがとう、カナカくん!」
「……お前が頑張ったんだろ」
そう言いながら差し出される手を取ってフワワはようやく立ち上がる。
少しついた草を手で払い、さっきよりも胸を張って背筋を伸ばしてフワワは立つことができた。




