一歩目 はじまり
神様に愛された世界・パラディース。
実り豊かな大地に人々は暮らし、どこまでも広がる綺麗な海の恵みを受け、数多の美しい景色に心を癒し、吸い込まれそうなほどに澄んだ青空に神の慈しみを見出す。
まさに「楽園」と呼ぶに相応しい世界だった。
――― ただ一点を除いて。
これが物語なら、はじまりの村近くの簡単で、単純で、確実に成功が約束されたような冒険の旅の踏みしめたばかりの一歩目だった。
鳥の鳴き声も聞こえない木々に囲まれている少し開けた場所。
まだ明るい空の色から差し込む陽光は暖かいはずなのに、震える指先の冷たさばかりを自覚しながら少女は手にしている短い杖をなおのこと強く握りしめた。
縋りつくように、祈りを込めるように。
杖の先にある緑の宝石から光りの粒が溢れて少女を包み込むように、空へと舞い上がるように散っていく。
足元まで覆い隠すような白いマントがはためいて、白地に翡翠色で模様の描かれた軍服めいたデザインの衣装のプリーツスカートが少しだけ風に揺れる。
周囲の新緑の葉の色が反射で色づいたともいえるほど淡い黄緑色の髪は短く首元で切り揃えられ、顔の両サイドだけ長い毛先をエメラルドグリーンのリングで丸めて纏めている。
意を決したように見開かれた瞳は青く、光りの粒に煌めいていた。
「風よっ、敵を撃て!」
少し上ずった声で少女が発した命令に呼応するように杖の先から唸り声をあげるように生まれた風が少女の見据える先へと駆けていく。
折れた木の横、腐りかけた草の上。
ぽつんとまあるい「闇」が兎のような形だけを真似て佇んでいた。
黒い、暗い、意思を持っているように少女を睨んでいる闇色の兎に目掛けて勢いよく走り抜けていく風がもう少し、あと少しで対象に当たる。
――― はずだった風は直前で失速してそよ風となって散ってしまった。
「え!?」
表情を明るくし、頬を紅潮させて喜びの声を上げようとしていた少女は一転して驚きの声を上げた。
驚愕と動揺に顔は蒼褪めていき、狼狽えて隙だらけとなった少女へと闇色の兎が跳びはねた。
唸り声のような重厚感のある音に驚きながら杖を構えようとしてすぐ近くまで迫る敵の姿に間に合わない事を悟る。
先ほどのような攻撃は集中しないと撃てない。
そして集中した結果が先ほどのそよ風だった。
恐怖が滲み出てくる前に、こうなってしまう前に、繰り返し諭された事を思い返して足を動かした。
勝てない時は意を決して力を揮うのではなく、逃げに徹する。
跳びかかる兎を避けるように横方向へと全力でジャンプした。
そうして必死に逃げたお陰で受け身も取れずに地面に転がった少女の耳に風を切る音と何かが地面に着く音が届いた。
勢いよく身を起こして視線を向けた先には短剣を手にしている少年の姿と、先ほどの闇色の兎の代わりに赤色の宝石のような物体が地面に落ち、火の粉が空へと散っていく。
艶やかな黒い髪に明るく輝く黄金色の瞳。身に纏う衣服は少女に似た軍服めいたデザインをしているが、黒地に金色の模様が入った袖の無いタイプで上に纏っている白いマントは腰までの長さだった。
袖の代わりに黒いアームカバーを着用し、両手に白いグローブをはめていた。
赤色の宝石を拾って腰に巻いたバックに入れた少年は表情の変化があまりない仏頂面のまま煌めく金眼で柔らかく少女を見た。
「カナカくん!」
表情を明るくした少女を見下ろしていた少年 ―― カナカは手にしていた短剣を腰のホルダーに仕舞う。
そうし空いた手を少女に差し出す。
「惜しかった。フワワ」
差し出された手を取ったフワワと呼んだ少女へとぶっきらぼうに言い放つ。
慰めているのに突き放すように素っ気ないカナカの言葉は、どこか恥ずかしそうに目線を合わせない様子も相まって一切の悪意を感じなかった。
純粋に、惜しい、と思ってくれている。
それが伝わって立ち上がりながら緩んだ涙腺がぽとぽとと雫を落としていった。
涙に気が付いたカナカがぎょっと目を見張ったことには気が付いたが一度溢れてしまったものを止められそうにはない。
「ご、ごめんね。せっかく教えてくれてるのに失敗ばっかりで……」
「なっ、泣くなよ。惜しいって言っただろ」
「でも、もう三回目なのにまだうまくできなくて」
「そんなあっさりうまく出来る初心者なんて存在しねぇよ」
落ち込むフワワに対してきっぱりと言い放つカナカに、ぎゅっと目を瞑ったフワワはいまだに溢れてくる涙を拭うためにカナカから手を離して新品の衣服の袖口を目元に当てる。
涙を流し、落ち込んだ様子ながらも諦めている風ではないフワワに、表情を緩めたカナカは自らの腕を組む。
「まだ慣れてないから距離が足りないんだ。さっきより二歩前に出れそうか?」
「二歩、前……! うん! わかった!」
足元を見て一瞬考えこんだフワワはすぐに顔を持ち上げて涙を零したばかりの潤んだ目を輝かせながら、はっきりと頷いた。
その返答にカナカは満足そうに口元を緩める。
「じゃあ次の『魔』を探すぞ。フワワ」
「うん。カナカくん!」
杖を握り締めたフワワは、迷いなく木々の生い茂る奥へと向かっていくカナカの背中を追っていく。
美しいばかりの世界に影を落としているように、鬱蒼としている森の中はどこか不気味な空気を漂わせていた。




