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この小説を書いたのは、私です

作者: 角山亜衣

 桜乃宮学園の片隅にある、古びた部室棟。


 その一角に、文芸部の部室はある。


「ねえ、これ見てよ。棚の奥から出てきたんだけど」


 放課後の柔らかな日差しの中、二年生の千草 瑠璃(ちぐさ るり)は、埃をかぶった一冊のノートを掲げた。


「何すか、それ? 小説?」


 ソファで小説を読んでいた一年生の天城 守(あまぎ まもる)が顔を上げる。


 千草が掲げたノートの表紙には、手書きのタイトルが記されていた。



【この小説を書いたのは、私です】



「……自己主張の激しいタイトルですね」


「だよね? でも、面白くない? この“私”って、誰なんだろうね」


「それはー……、このノートの作者に決まってるんじゃ?」


「そうとも限らないと思うんだよ~。もしかしたら、この中の登場人物がそう言ってるのかもしれないじゃない」


「なるほど……。つまり、タイトルがそのまま登場人物の台詞ってことかな?」


「うんうん。ミスリードの可能性もあるし、逆に、作者と登場人物が同一人物ってオチかも」


「ややこしいっすねー。タイトルだけでここまで考えさせられるって、さすが文芸部っすね」


 ふたりはその場で、あえてノートを開かず、しばらく議論を続けた。


 ◇


「もし、この“私”が作者なら、タイトルは読者に向けたメッセージ。つまり、強い自意識の表れ」


「でも、登場人物の台詞だったなら、物語のラストで真実が明かされるタイプの伏線かもしれないっすね?」


「もしくは、最初の一文が『この小説を書いたのは、私です』で始まって、そこから物語が始まるとか」


「タイトル回収型か~。僕はそっち派かな~」


「私は、タイトルが最後に響いてくるほうが好きかも」


 ふたりはペンを取るでも、ノートを開くでもなく、ただ言葉を交わし続ける。


 やがて、千草がぽつりとつぶやいた。


「でもさぁ……“私”って、そもそも“誰”なんだろう」


「え?」


「たとえば、今ここで私が“私”って言ってるけど、それって《天城くんから見た私》と、私自身が思ってる“私”って、同じとは限らないでしょ?」


「――それってつまり、語り手の“私”と、実際の存在としての“私”のあいだには、ずれがあるってこと?」


「そう。だからね、このタイトルも同じ。“私”が小説の作者を意味してるとしても、その作者が本当に現実に存在していたかどうかなんて、読者にはわからない」


「……うわ、ちょっと怖くなってきた」


 千草は少しだけ眉をひそめたが、口元は笑っていた。


「でも、だからこそ面白いのよ。フィクションって、嘘と本当の境界があいまいだからこそ、読むたびに“真実”が揺らぐんだよねぇ」


「そうですねぇ。だからこの小説も、開いた瞬間に“私”が決まるんじゃなくて、読む人の頭の中で“私”が生まれるんですよ。きっと」


「まるで、シュレーディンガーの“私”ってやつだねぇ」


「あ、いいですねそれ、“私”は読まれるまで存在が確定しないって感じ」


 ノートを開けばすぐに答えは出る。

 だがふたりは、それをしなかった。


 なぜなら──


「この作品は、このまま開かずにおいたほうが楽しいかもしれない」


「すっごく気になるけど、開いちゃうと『そんなオチかぁ』ってなっちゃうかもしれないですからねぇ」


 そうして、千草はノートをそっと元の棚に戻した。


 ◇


 それから何日経っても、ふたりはそのノートを開くことはなかった。


 議論は続いた。昼休みに、放課後に、休日のメッセージでさえ。


 誰が書いたのか、どんな物語なのか、結末はどうなっているのか。


 そのすべてを知る手段がすぐそこにあるのに、ふたりはページをめくらない。


 それが、ふたりだけの文芸ごっこ。


 読まれない小説。


 始まらない物語。


 でも、それでも良かった。


 ふたりの中で、『この小説を書いたのは、私です』という物語は、幾通りも存在していたのだから。


 ◇


 ある日、机の上に置き忘れられたノートの最後のページがひらりと風でめくれた。


 そこにはこう書かれていた。



──────────

 最後まで読んでくれてありがとう。


 この小説を読んだのは、あなたです。

──────────


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