よくある婚約破棄騒動とその結末
「リラ・デルタ侯爵令嬢、私ジョナルド・イプシロンの名において其方との婚約を破棄し、このフラー・シータ男爵令嬢を王太子妃に迎える!」
「え?」
「え?」
驚きの声が彼の前方と後方から上がる。一方は婚約を破棄されたリラ・デルタ、そしてもう一方は彼の斜め後ろに立つフラー・シータからである。
ほぼ公然の秘密だった第一王子ジョナルド・イプシロンの婚約者発表の筈のパーティーで何故この様なことが行われているのか、事の発端は数ヶ月前に遡る。
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イプシロン王国の学園最高峰に君臨するシグマ国立学園は、国立と名の付く通り学費、入学費、設備使用費、その他諸々殆どが国庫によって賄われており、成績優秀者であれば自己負担は更に減る。社会的身分の平等が掲げられているこの国では、貴族であっても平民であっても入学試験さえ合格すれば誰でも学園に入学することができる。隣国の影響で民主化の動きが広がりつつある中では、その身分さえ嘗て政治を行っていた者を貴族、それ以外を平民と便宜上分けて呼んでいるだけで、生活の質に大きな違いはない。強いて言うならば、貴族は伝統ある確かな血筋を誇っているが平民はそうではないというくらいなものだろう。
元々国の研究機関として設立されたシグマ学園はネームバリューによって年々倍率と偏差値が上昇しており、入学は困難なものとなっている。幼い頃から入学のために厳しく教育された子女ですら合格率は50%を切ってしまう。
リラはデルタ侯爵家の一人娘として生を受け、国王の側近である父デルタ侯爵の口添えもあり第一王子の婚約者に内定していた。幼い頃から共に過ごしたジョナルドのことは、異性として見ることはできなくともお互いを支え合う良き夫婦になれると思った。一方のジョナルドは『真実の愛』を求める生粋の恋愛体質で、好感度が良くもなく悪くもないリラと婚約を結ぶことに不満を抱いていた。
リラは彼のそうした思いに気付いており、そのため暫定的な婚約中とはいえ二人は友人としての関係を築いていた。
そんな中、最難関の学園に成績優秀者として編入したのがフラー・シータ男爵令嬢である。詳細な理由は知らないが、隣国で平民として過ごしていたところをシータ男爵に引き取られたらしい。
柔らかな金髪に碧色の瞳を持つ彼女は、初めの内は平民だった頃の癖が抜けないのか貴族特有の言い回しやマナーに苦労していたが、育ち自体は悪くない様で暫くすると貴族として最低限必要な動作を身に付け友好関係を広げているのが見られる様になった。
振る舞いは貴族のもので礼儀もあるが、根本的な考え方は平民の様に自由なものであるフラー。そんな彼女にジョナルドが惹かれるのは当然だったのかもしれない。次第に彼は未来の婚約者であるリラを蔑ろにする様になった。
ここまではよくある話だ。
そして、フラーに良い感情を抱かない者たちが彼女に嫌がらせをし、それに激怒したジョナルドが婚約発表パーティーでまだ結ばれていないリラとの婚約を破棄する。と同時にフラーとの婚約を宣言した。
これもそこまで珍しくはない。
巷に溢れた婚約破棄物語と違っていたのは、ジョナルドに庇護されている立場のフラーがこのことについて何も知らなかったことだ。そのため、フラーは突然目の前で始まった出来事に「え?」と目を丸くして助けを求める様に周囲に視線を向けることしかできない。
しかし、フラーは物語に出てくる様な夢見心地なお姫様系ヒロインでも悲劇のヒロインの皮を被った悪女でもなかった。寧ろ、彼女の一歩前で堂々とキメている第一王子よりも余程常識的であると言える。
「いや、それはちょっと無理じゃないですか?」
愛する男爵令嬢を守ろうと悪を暴いた彼が当の本人から第一に言われたのはそんな言葉だった。
「…は?」
唐突な否定の言葉にジョナルドは理解が追い付かず、気の抜けた音が口から漏れた。
「そもそも血縁上は貴族ですらない私が王太子妃になんかなったらそれこそ他の有力貴族の方々から大反発ですよ。貴族は血が大事なのでしょう?」
フラーはジョナルドとリラの間に進み出て、それ程大きくはないがよく通る声で話し始める。
「生まれも血縁も分からない私の血なんかが混ざったら高貴な王族の血筋が台無しですよ」
「…し…しかし、リラはフラーに執拗に嫌がらせをしていたのだ!これはフラーの生まれに関わらず重大な罪だ」
ジョナルドはリラを睨み付けてそう叫ぶ。対称的に、フラーには柔らかい笑顔を向けて「安心しろ、僕が必ず守るから」と囁く。しかし、フラーは頭に『?』を浮かべこてりと首を傾げた。
「私、リラ様に嫌がらせなんてされてせんよ?まぁ、リラ様のお友達…と言うか取り巻き?の方々からは若干被害を被りましたけど」
一瞬驚いた表情を浮かべたジョナルドだったが、その後に続いた言葉に表情を明るくする。
「やはり、リラの指示だったか!信じ難い、フラーに嫉妬して手を掛けるなど…」
「いえ、ですからやったのは周りの方です。寧ろ、リラ様は止める様注意していましたよ」
「そ…そういう演技かもしれないだろう!」
中々引き下がらないジョナルドに呆れつつ、フラーは左の髪を耳に掛けた。
「どう思おうと勝手ですけど、リラ様はそんなことする方じゃないですから根拠のない非難は控えた方が良いと思います。『親しき中にも礼儀あり』ですからね」
リラを庇うだけでなく彼に対しても反発する様な言葉を口にしたフラーに、ジョナルドは驚きを隠せない。甘やかされて育ったジョナルドには僅かな注意すらも自分への反発と認識されてしまう。
「どういうことだ、フラー。僕を愛しているのではなかったのか!?」
突然の彼の方向転換にも、フラーは平静を保ったまま笑う。
「愛してますよ?だから私はジョナルド様の側妃か妾になりたいなぁって思ってたんです」
「だったら、正式な妃として王太子妃に…」
「だから、それは無理があるって先程言いましたよね?」
パーティー会場となっている大きな広間はフラーとジョナルドの声のみが響いている。眼前で繰り広げられる会話の違和感に気付いたのは幾人だろうか。話題の中心でありながら会話の外にいるリラもその一人だった。
(側妃か妾になりたいと、思ってい『た』…?)
ここで過去形を使う意味。フラーの意図するところは恐らくそれを聞いて思い当たったリラの予想と同じだろう。
(まぁ、仕方のないことかしらね…)
そっと溜め息を吐いたリラに、ジョナルドとの会話を切ったフラーが視線を向けた。
「じゃあリラ様、ジョナルド様は貰っていきますね」
「えぇ、分かったわ。彼のこと、宜しくね」
「はい!生活が落ち着いたら遊びに来て下さいね」
先程までと打って変わって明るい顔で笑うフラーにリラが「勿論よ」と返すと、フラーはジョナルドを連れて会場を後にした。
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「どういうことだ、フラー!まだリラとの話は終わっていなかったのに、どうして…」
「落ち着いて下さい。まずはこれから起こることについてお話しましょう」
会場を出た二人が向かったのは小さな休憩室。楽屋の様なものだ。フラーに宥められて落ち着きを取り戻したジョナルドは、彼女と向かい合う様にソファに腰を下ろした。
「これからのことって、結婚についてか?」
未だ夢の中にいるジョナルドに目覚めてもらおうと、フラーは冷水を浴びせる。
「ジョナルド様、多分ですけど王太子にはなれませんよ。ですから私も王太子妃にはなれません」
「…は?」
突然のフラーの発言に、ジョナルドは思考が停止した。夢から目覚めるどころか再び意識が向こう側に遠のきかけた彼を見て、フラーは少し反省しつつも話を続ける。
「さっきのパーティーでリラ様に婚約の破棄を言い渡したでしょう?あれが原因です」
「どうして!あれはリラが…」
叫ぶジョナルドを再度宥め、フラーは感情の読めない複雑な笑みを浮かべた。
「いくら絶対王権のご時世じゃないとはいえ、相手方との事実確認もせず一方的に断罪劇をするような人に一国の王は無理だと判断されるのが妥当です。優秀な弟さんと妹さんもいますしね」
「なっ…!?だが、僕は第一王子だぞ?この程度のことで廃嫡など…」
事の重大さが未だ理解できていないジョナルドに若干呆れつつも、それを愛しいと思ってしまうのだから自分も大概だと思う。根本的なところが抜けている彼のそんなところにフラーが惹かれたのは紛れもない事実だった。
「今のご時世、そんなに甘くないですよ。私を王太子妃に迎えるとなったら事実上の浮気を認めることになります」
リラとの婚約は未発表ではあったものの、最早暗黙の了解と言える程貴族の間では周知の事実だった。そんな状況下で出会った男爵家の養女であるフラーを王太子妃として王族に迎え入れるとなれば、王家がリラ・デルタ、延いてはデルタ侯爵家を蔑ろにしフラーとの関係を認めたと取られても文句は言えない。ジョナルドの立太子を取り止めにし弟妹を後継ぎとすることで、王家はこの件を終わらせようとするだろう。
フラーの一連の説明を聞いたジョナルドは、暫くの間呆然と空を見つめたままだった。
国内最難関のシグマ学園を卒業した後は成人と同時に王太子となり、愛する彼女に妃という特別な地位を贈る。いずれは国王として国のトップに君臨し、隠居後は二人で愛を育みながら穏やかな日々を過ごす。
そんな人生を思い描いていたジョナルドは、自分の人生設計が一瞬で崩れていく音が聞こえた。
眼前で現実を受け入れ思考する彼を前に、声を掛けるでもなく急かすでもなく、フラーはただ静かに真っ直ぐにその姿を見つめていた。
どれくらいの時間が経っただろうか。数分とは言えない程の沈黙の後、ジョナルドがフラーの瞳を捉えた。愛する少女を映すその瞳には決意と不安が揺れている。
「…フラーは…僕が王族ではなくなっても、一緒にいてくれるか?」
ジョナルドのそんな言葉に、フラーは笑顔を浮かべる。答えは最初から決まっていた。そもそも、身分で恋をした訳ではないのだから。
「勿論です」
どんなことがあっても共に人生を送りたいと思い、リラの存在を諦め、彼の一番という立場を諦め、二人だけの穏やかな日々を数十年後にお預けにし、出会わなければ良かったとすら思いながら過ごしたこの数ヶ月。突然訪れたこの機会を逃すという手はなかった。自分でも腹黒だなぁと感じつつ、手に入れた未来に思いを馳せる。
男爵家とも縁を切って再び平民として生きるのも良いかもしれない。幸い家事は嫌いではないし、個人経営の小さな店舗を構えたいと考えていた。二人で飲食店を開くのも良さそうだ。貴族の最高位として育った彼が平民の生活に慣れないのなら、学園でも経済学や経営学は得意だったのだし自分が稼いで豊かな暮らしにすれば良い。そうして貯めたお金で旅行に行って、貴族生活では味わえなかった体験もしたい。
考えれば考える程アイディアが浮かんでくる。
どれも、二人が笑い合う幸せな未来だ。
お読み頂きありがとうございます。
被害者と見せかけて実は加害者サイドの婚約破棄する側の令嬢が常識人だったらどうだろうと思って書きました。
追記 2025/07/15
ローファンタジー → ハイファンタジー
に変更しました。