第73話 幕開け
1546年(天文15年)8月16日 山城国山科 長尾家陣所
「フフフ。どうやら敵陣にも、やっと伝わった様ですな。」
「クククッ。慌てふためいておるのが見て取れますな。今更、慌てても何ともなりませぬがな。」
悪い笑顔を浮かべながら、2人の軍師が敵陣の様子を見て話している。
確かに、ここから見える敵陣の様子は酷い有様だ。
先頃の戦でかなり手酷くやられた所に、そのうえ湖北の浅井の裏切りに加え居城・観音寺城落城の報告が入ったならば、そうなるのも判らんでも無い。
六角にとっては、まさに存亡の危機だろうからな。
六角が山科に入り俺達と対峙し始めた頃、五島平八率いる越後水軍が1万5千が敦賀に上陸した。敦賀郡司・朝倉景紀は宗滴の養子であり、既に此方に協力する事で話が付いていたのだ。
そして、北近江の浅井久政、この久政の協力のもと越後水軍と敦賀の朝倉勢は、北近江の浅井領を抜け六角領に雪崩込んだ。
浅井家当主・久政とは、俺が京への上洛前に敦賀にて逗留した時に、久政自身が態々商人の出で立ちに変装してまで俺の陣所を密かに訪れ、其処で面談していた。
その会談にて、久政は浅井家の長尾家への完全な臣従を申し出てきた。それは、領地を手放し長尾家の直臣として仕えると云う事で、戦で敗れた訳では無い浅井家としては随分思い切った申し出である。
ただし、久政は長尾家に臣従するにあたって1つだけ条件を俺に出してきた。
俺の前世での浅井久政に対する印象は正直余り良くは無い。久政の父・亮政に比べ暗愚で戦に弱く家臣の統制に苦労し、最期には息子・長政に信長を裏切る様に謀った、浅井家滅亡の主犯、そんな感じのイメージである。
そんな油断ならない久政が出す条件だ、どんな無理難題を言ってくるか内心で警戒していたのだが⋯
久政の出してきた条件は、現在人質として六角家の観音寺城に捕らえられている久政の妻・阿古の方と幼い息子猿夜叉の奪還に対する助力であった。
北近江の浅井家と南近江の六角家とは久政の父・亮政の代から度々争ってきた因縁の間柄であるが、現在浅井家は六角家の圧力に屈する形で久政の正妻・阿古の方を人質として出す形の屈辱的な服属を六角家に強いられている状況だ。
『六角家への因縁等は、別に構わんのです。私は一刻でも早く愛する阿古と再会したいのです!どうか、御協力お願い致しまする!』
そう、涙ながらに必死に訴える久政の言葉に、嘘は感じられ無かった。
現に浅井家は、六角家への侵攻に対して7千もの軍勢を動員し、自ら先陣を志願して、その気勢を見せてくれた。
なんだか、久政のイメージは想像と大分違ったが⋯まぁ、嫁とラブラブなのは悪い事では無いだろう。
こうして、敦賀に上陸した越後水軍は北近江の浅井領を通過し、敦賀の朝倉景紀率いる朝倉勢3千、久政率いる浅井勢7千と共に南近江の六角領に侵攻を開始した。
六角は管領代自らが、此方に大軍を派遣している状況だ。
六角の本領は、ほぼ無防備に近い状況だったそうだ。
結果ほぼ無血開城に近い形で六角家の居城・観音寺城は落ち、久政は無事に阿古の方と息子に再会する事が出来たばかりか、城下に居た管領代、多くの六角重臣の家族までも捕える事が出来た。
その人質達は、平八により現在丁重に扱われており、今後の六角家との交渉に大いに役立ってもらう予定である。
人質を使った交渉には、少々気が引けるが
まあ、世は何でも有りの戦国乱世、己の家族は己で護らねば非難される様な時代だ。六角家としても観音寺城下に住まわせていた重臣達の家族の身命を護れなかった事は大きな痛手となり、居城を失い大きく威信を損なった中、その対応を誤れば六角家臣達の、更なる離反を招く事となりかねない。
身内を長尾家に押さえられた、六角の重臣達がこれ以上長尾家との戦を望むとは思えない。少なくとも、和戦両論で大いに六角家は揉める事となるだろう。
例え率いるが名将・六角定頼としても、とても長尾家に対して統一した抵抗を試みる事は出来ないだろう。
おそらく、戦はこれで終わりだ。
六角としては北方の護りを任せていた浅井が、あっさりと裏切ったのは痛すぎる誤算だったんだろうが、もう少し越後水軍の動静を気に掛けるべきだったな。
現在、日本海の制海権は完全に長尾家の手中にある。
この戦の最中平八には艦隊を、何時でも近江への侵攻を行える様に敦賀沖にて準備万端で待機させていたのだ。
海の制海権を長尾家が握る以上、俺は何時でも万を超える軍勢を海路から送り込む事が出来る。
それは戦術・戦略上途轍もない程の優位を長尾家に齎す。
制海権を敵に握られる、と云う事はそういう事だ。
この時代は未だ制海権と云う概念すら無い為、致し方無い所も有るんだが、戦も主に陸地で行われているしな。
管領代も、まさか敦賀沖に数万の兵が待機しているとは思わなかった様だが、ちゃんと海の方も警戒しとかないとダメだぞ。
因みに、若狭の武田に丹後の一色。
お前等の所にもちゃんと水軍を送り込んでいるから、帰る場所なんて多分残って無いからな。
よくもまあ、うちを相手に海沿いの居城を空にして、此処まで兵を送り込んできたもんだ。その無謀のツケ、しっかりと清算して貰うからな。
さて、管領代が取れる選択肢は、最早それ程残ってない筈だが、どう出て来るかな?
1546年(天文15年)8月17日 山城国山科 長尾家陣所
六角家からの和睦の使者がうちの陣に訪れたのは、俺が思っていたより随分と早い戦の翌日の日が昇って間もない頃の事であった。
その使者として俺の元を訪れたのは蒲生 定秀、六角家の重鎮にして六角家当主・定頼の懐刀と目されている男だった。
俺の眼前で平伏する定秀は、知的な印象の30代後半と思われる中年の男であったが、その顔には隠しきれない疲労の痕が見て取れる。
まあ、昨日の敗戦に加えて居城である観音寺城の落城の悲報を受けて自分の一族も捕えられた上に、その対応で夜を徹しての評定が行われていたのだろうな。
対して俺は昨晩はぐっすり眠って、気力体力共に全回復している。
多少気の毒には思うが、其処は勝者と敗者の必然と諦めて貰うしかない
そんな、疲労を隠し切れない定秀君だが
名前:蒲生 定秀 男
・統率:75/82
・武力:73/77
・知略:82/88
・政治:85/90
・器用:71/75
・魅力:71/78
適性:軍略 政務 外交
その能力は流石、あの管領代の懐刀と言われるだけの事は有り中々のものであるのだが、この定秀は豊臣秀吉に『100万の大軍の指揮を任せるなら徳川家康や前田利家では無く氏郷だ。』と言わしめ、会津92万石の差配を任された、名将・蒲生氏郷の父…いや祖父に当たるのか?是非にも長尾家に取り込みたい所である。
「この度は、天下にその武威が鳴り響く左近衛中将様に拝謁を賜り、恐悦至極に御座いまする。此度の御当家と我等六角家とは不幸な行き違いの結果、相争う事となり申しましたが我が主君・定頼は、その現状を大いに憂いており申す。つきましては…」
流暢に語る、定秀の話を要約すると
此度の戦で六角家は長尾家への完全な敗北を認め、降伏する準備が有る。
ただし、責任者である六角家当主・定頼は全ての公的立場を放棄し隠居し家督を嫡男・義賢に譲るか、腹を切っても良いが、捕虜となっている人質や長尾家と戦った家臣や兵達には寛大な処分を望むとの事であった。
既に、六角家に属する幾つかの家臣や国衆からは、長尾家に臣従を求める使者が訪れており六角家の軍勢は実質的には崩壊し、とても再度我軍と事を構えられる状況には無い。
元々俺は、これ以上の人死には望んではいない。
先頃の戦では、古き体制を変えていくにはどうしても多少の血が流れる事は致し方無いとは云え、少々ヤリ過ぎたか?
と思っている程だからな。
寛大な処分は、俺の望む所でもある。
勿論、管領代に腹を切らす事は無い、今後の日本の為には六角家の優秀な人材をしっかりと吸収しておきたい所だからな。
独立勢力としての六角家には当然滅んでもらうが、その家臣達は有能で有るならば、うちは万年人材不足だ。働き先は幾らでも有る。
管領代には隠居して貰って、そのうち俺の相談役にでもなって貰おうか?
これで、西は大方片付いた。これで、やっと帝と共に越後に凱旋できる。
残すは国元の戦だが…まあ、あれだけの準備をしたんだし、なんとかなっているだろう。
これより越後に帰還した後も新たな政権の立上げ、新たな組織造りに新たな領国の運営と随分と忙しくなりそうだが…
うん。景綱達に丸投げするか。
面倒事は、後で考えれば良いよな。
さあ。間もなく、新たな時代の幕開けだ。




