第72話 山科の戦い
1546年(天文15年)8月16日 山城国山科 六角軍陣所 六角定頼
「漸く、殿が待ち望んでおりました雨が、降って参りましたな。」
重臣・蒲生定秀の言葉に思わず空を見上げると、灰色の雲に覆われた空から大粒の雨粒が零れ落ち、我頬を濡らした。
これは、本降りとなるな…漸く時が来たか
長尾勢と、この山科にて対峙する事4日、幾らこちらが数で勝っておるとはいえ、多くの種子島を揃える長尾勢と、正面から相まみえるは危険が過ぎる。
種子島、近年に入り南蛮から齎された云う最新の武具である。
弓も届かぬ遠所より人を殺める事が出来、日ノ本の戦を根底から覆す事が出来る強力な兵器である。
我が種子島に付いて初めて耳にしたのは、関東での大戦にて長尾が種子島を使用し見事な勝利を納めたと、聞いた時じゃ。
それから、堺の商人との伝を使い100丁余を何とか手に入れたのだが、驚いたのはその高値よ。おまけに玉を発射する時に使用する弾薬にも多額の費用が嵩む。こんな物余程の富強な家で無ければとても運用等出来ぬわ。こんな物長尾家はどの様にして運用しているのか、さっぱり見当も付かぬ。
しかし、高額なだけの価値は確かにある。
敵の攻撃の届かぬ位置から放たれるその攻撃力は、確かに強力で戦の戦術の幅を大いに広げる兵器である。
そんな危険な種子島を、長尾は何千も保有し戦で運用する。
然し、種子島とて無敵の兵器ではあり得ない。運用に当たっての費用の高さ、次弾発射までの発射間隔、そして何より雨天では、火縄が濡れ野戦では使い物にならぬと云うのは、致命的な弱点と言える。
故に、我はこの時を待った。
この雨ならば、長尾家自慢の種子島も唯の筒に過ぎぬ。
「下野守、急ぎ陣触を出せ!出陣じゃ!」
この期に、一気に長尾との勝負を着ける!狙うは神童の首ぞ!
1546年(天文15年)8月16日 山城国山科 長尾軍陣所
「殿、六角勢動きましたな。やはり、雨を待っていた様で御座いますな。」
「敵左翼には一色・武田勢を中心とした1万、右翼には蒲生・目賀田等六角譜代が率いる1万、そして、中軍は当主・定頼自らが率いる2万5千といった布陣ですな。はっはは、総勢4万5千の大軍とは、六角も随分と気張ったものですな。」
俺の側に控えている参謀局長・山本勘助と宇佐美定満が敵勢の動向を伝えて来る。
現在、軍長達は既に其々の持ち場でお仕事中だ。
まったく、笑い事では無いぞ定満。
俺は基本的に、決戦や攻城戦の様な兵が無駄に死ぬ戦は嫌いだ。
そうならない為に、敵勢を圧倒する様な条件や兵力を揃え戦に臨んで来たのだ。
それが、此度の戦では敵を圧倒する兵力どころか、六角に兵数で後れを取っている状況だ。その数的有利のお陰で、此方に迫り来る敵勢の士気も、随分高いのが見て取れる。
正直六角が、朝敵となる危険を冒してまで本気で、うちと事を構えて来るとは想像していなかった。俺の誤算だな。
余程俺の首が欲しい様だが、そう簡単にやる訳無いだろが。
「この雨の中、ご苦労な事だ。精々歓迎してやるとするか。」
我軍の陣容は左翼に武田晴信、右翼に朝倉宗滴が其々7千の兵を率い、俺の近衛部隊4千を含む残り1万4千が中軍となり、千代、大殿、氏康等3人の軍長がその指揮を執る陣容だ。
そう簡単に、この陣は落ちんぞ。
幕府管領代・六角定頼よ、古き時代と共に殉じるが望みならば、それで良し。
此処で、討ち滅ぼすのみだ。
《六角定頼》
雨が降りしきる中、戰場独特の緊迫感が支配するひりつく様な重圧の中を、ジリジリと敵陣に向け進軍を進めていく。
雨に打たれながら、進む兵達のその姿は、整然とし臆した様子も感じられない中々に堂々たるものである。
前衛が、敵陣の間近に迫っている。
そろそろ、頃合いであろう。
六角家の家紋である【隅立て四つ目結】が描かれた軍扇をゆっくりと掲げた。
「皆の者聞けぇ!!狙うは越後の小僧の細首よ!首級を挙げた者には目出度く城持ちよ!励めぇ~突撃じゃ!」
そして一気に、軍扇を振り下ろす。
「「「「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」」」」
戦場に法螺貝の音が鳴り響き、六角全軍が鬨の声をあげて、敵陣に向け突撃を開始した。
うむ⋯やはり長尾は種子島を使えぬ
敵陣と先陣の距離は既に100を切った
ならば、このまま数で押しき⋯⋯
「「「「バン!ババ〜ン!」」」」
我が、ほぼ勝利を確信したその時
まるで無数の雷が一度に天から降りそそいだかのような、爆音が戦場に轟いた。
「なっあっ!?」
先陣を征く者達が、次々と倒れ伏していく。
な、何が起こった⋯?
いや、理由は判っている⋯種子島だ
たが、何故⋯この雨の中、何故使えるのだ!?
いや、そんな事を考えておる場合ではないわ⋯⋯どうする?
そうじゃ、種子島なら早々連射は効かぬ筈だ。此処まできたなら、多少の犠牲は致し方無し。このまま力攻めに⋯⋯
「「「「バン!ババ〜ン!」」」」
それ程の間を空けず、叉も放たられる轟音
馬鹿な!?早すぎる⋯
今や我軍の先陣は大混乱である
それに、追い打ちをかける様に第三射の轟音が響き渡り、大量の弓矢が降りそそいだ
思わず目を覆いたくなる様な惨状が眼の前で展開されていた。
《バキッ》
手に持つ、軍扇を思わずへし折る。
おのれ⋯神童にしてやられたか⋯⋯
⋯我を謀りおったか!!
くっ⋯⋯とはいえ怒り狂っても、嘆いても今更じゃ
このままでは、我が軍は壊滅しかねん
此処は、少しでも多くの兵を無事に国許に返してやらねばならぬ。
難しかろうが、窮地に陥る我が軍を救えるは我にしか為せぬ事よ
《長尾軍陣所》
「敵勢、退き始めましたな。此処が攻め時でしょうな」
「しかし思ったより、統制が取れておりますな…流石は管領代殿、と言った所でしょうか。」
此方に攻め寄せていた六角勢が、徐々に撤退を開始している。
多くの被害を出し、あの混乱を鎮めてわりと整然とした撤退だ。あの混乱をどうやって鎮めた?やはり、面倒な奴だな…
「美雪頼む。敵右翼の側面を突け。深追いする必要は無い。付かず離れずで、嫌がらせしてやれ。敵勢に、立ち直る隙を与えるな!」
「判っております!お任せください♪」
ウキウキした様子で駆け去る美雪、銃騎兵の機動力を存分に活かしてきてくれ。
「軍長達にも、機を見て追撃の指示を出せ!ただし、深追いは厳禁と伝えるのも忘れるな。」
うちには、闘犬の様なジジイ共が居るからな、手綱を緩めると敵の居城まで追い立てかねん。
此処までは想定通りの展開だ。
うちの軍に配備されている銃は、射撃時に火縄を必要とせず、火蓋を開ける必要も無い為に天候の影響を受けにくい。この程度の雨なら使用に問題は無いし、既存の銃よりも射撃間隔も縮めることが出来る。
定頼は、既知の火縄銃の心算で対策を考えていたのだろうが、その性能は大きく異なる物だ。
まあ、この時代の人間に伝聞でその違いを理解しろ。と云うのは酷だとは思うがな。
うちの銃の性能を相手が見誤ってくれたお陰で、此度の戦は何とかなりそうだが、相手はあの管領代、何を仕出かしてくるか判らん。
深追いは、する心算は無い。
それに、そろそろ⋯
《六角定頼》
「新庄直昌殿、乱戦にて行方知れずとの事、新庄家臣より捜索の嘆願が寄せられております!」
「永原重隆殿、敵の種子島の銃撃により討死との事!」
「丹後一色勢、凡そ3割の兵を失い壊滅状態との事、当主・一色義幸殿も討死されたとの事で御座います!」
やっとの事で、長尾勢の追撃を振り切り近江との国境も近い、音羽山の麓の陣まで逃げ延びた我の元には、次々と聞くに耐えない悲報が届けられている。
此方の被害は少なく見積もっても5千程、それに加えて多くの重臣も失っている。
左翼の一角を任せていた一色勢等は、ほぼ壊滅状態の上に当主・義幸殿までも討死しておる。戰場で随分と張り切って、先陣付近で指揮を執って居たらしい。
指揮する者が、前線に赴くなどと思わぬでもないが、一色家の離脱は大きい。
同盟国の当主が討死となると、兵達の士気に与える影響は計り知れん。
現状、この陣にまで何とか辿り着いた兵は凡そ3万程、あの酷い負け戦から考えれば、良くこれだけ残った。と言って良いかも知れぬ。
長尾勢からの追撃が、思った程激しいもので無かったのが幸いした形であるが、神童の奴、我等を殲滅する絶好の機会を逃すとは、何を考えておる?
⋯まあ、良かろう。
途轍も無く痛い敗戦ではあったが、まだ致命的とまではいかぬわ。
必ずや、我は再び⋯⋯
「殿!!至急、至急!お伝えしたき儀が御座いまする!!」
また何が有ったのか、聞きたくは無いが、甲賀衆を束ねる重臣・三雲定持が血相を変えて訪れて居るのだ。聞かぬ訳にはいかぬ。
「対馬守、血相を変えてどうした?今日は最早、大概の事では我は驚かぬぞ。」
多少の自虐を込めて、対馬守に軽口を叩いてみたのだが、まさか対馬守の口から、この敗戦すら生温い驚愕の報告を聞くことになろうとは⋯
「長尾、朝倉、浅井連合軍の攻撃により、我等が居城、観音寺城が落城致したとの事!」
あまりの驚愕により、我は床几から転げ落ちた。




